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第二幕 斬心 Heart of Slashing

32.伊達政宗と五郎八姫

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 中庭にてあぐらをかいて座る政宗に雉猿狗と夜狐禅はそれぞれ自身が知りうる限りの事の経緯を話した。
 それらの話は、深い眠りに落ちていた桃姫は一切合切知らないことであり桃姫は愕然とした顔で時より正座をするぬらりひょんの顔を見た。

「……なるほどな。桃太郎の血を持つ子供が欲しかったと……あいも変わらず野心まみれだな、ぬらりひょん」
「……ぐ……ぐゥ……」
「こいつ……この状況でまだ"ぐうの音"は出るようでござるな」

 "こいつ"呼ばわりされたぬらりひょんは、白濁した眼を睨むように若い女武者に向けると政宗が口を開いた。

「ああ。会うのは初めてだったか。俺の跡継ぎの"ごろはち"だ。伊達"ごろはち"、どうだ、良い名前だろ?」
「……"ごろはち"と呼ぶのは父上だけでござる。拙者は五郎八姫(いろはひめ)──"いろは"でござるよ」

 政宗に対して自身の名前を訂正した五郎八姫は、涼しい笑みを浮かべながら横目で桃姫を見た。

「……いろはちゃん」

 桃姫はつぶやくように口にすると政宗が豪快に笑いながら膝を叩いた。

「かっはっは! そうだったか。これだけ勇ましいから、てっきり俺の娘は、"ごろはち"だったかとな」
「父上殿……しつこいでござるよ」
「かっはっはっは! すまん、すまん」

 政宗はひとしきり笑ったあと、桃姫を見て口を開いた

「それで、桃太郎の娘っ子。桃姫、お前はどうしたい?」
「えっ……」

 政宗は立ち上がると、桃姫に力強い黒い瞳を向けた。

「ぬらりひょんに襲われたのはお前だ。ぬらりひょんを罰する権利はお前にある……決めるんだ、ぬらりひょんをどうするか」
「……ぬらりひょんさんを──」

 ぬらりひょんは庭園の黒石の上に正座したまま、ただ一点を見つめて黙っていた。
 その態度からは桃姫がどのような決定を下そうとも受け入れるしかないという覚悟が見て取れた。

「私は──」

 桃姫は雉猿狗を見た。雉猿狗はどのような判断でも桃姫に任せるというような信頼のこもった凛とした濃翠色の瞳を返す。
 次いで桃姫は、夜狐禅を見る。夜狐禅はやはり野心に加担した反省した面持ちで、しかし、ぬらりひょんへの恩義もあるという複雑な表情を浮かべていた。
 そして、最後に桃姫は五郎八姫を見た。五郎八姫は少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべながら、桃姫にだけわかる小さな頷きをした。
 "難しく考えず、心に従えば良いでござるよ"。桃姫は五郎八姫の笑みからそのような考えを受け取った。
 今しがた会ったばかりの五郎八姫だが、目を見ていると互いの心が通じ合う、良き友になれるような温かな感覚が桃姫にはあった。
 桃姫は目を閉じ、心に従って決断を下す。桃姫は輝く濃桃色の瞳を開き、沈黙して正座するぬらりひょんに対して口を開いた。

「──許しません」
「……えっ」

 その場にいる桃姫以外の全員が驚きの声を上げ、桃姫を見た。ぬらりひょんですらも愕然とした顔で桃姫を見上げた。

「……ぬらりひょん。そういうことだ──さらば」
「まっ……えっ……」

 政宗は黒鞘から太刀をスラリと引き抜くとぬらりひょんに向けて振り上げた。ぬらりひょんは口をぱくぱくとさせて腰を抜かした。
 そして、振り下ろされた刃が今まさにぬらりひょんの首筋に触れるというところで桃姫は声を発した。

「──ですがッ!」
「…………」

 ピタリ──と冷たい刃が絶望を顔に浮かべたぬらりひょんの首筋に触れる直前で止まる。
 政宗は桃姫のその言葉を待っていたかのように静かに笑みを浮かべた。

「──許しませんが──許します」
「……もも、ひめ……」
「──ぬらりひょんさん、それが私の心からの言葉です……私はぬらりひょんさんを"許しませんが、許します"」
「……は……ははアァ……」

 ぬらりひょんは白濁した眼に涙を浮かべ桃姫の言葉を聞き届け、黒石の庭園にひれ伏し、桃姫に向かって形ではなく心の底からの土下座をした。

「……許せないけど、許すとよ。命拾いしたな。ぬらりひょん」

 政宗はニヤリと笑みを浮かべて言うと、太刀を一回転させたあとに黒鞘にスッと戻した。

「桃姫、本当に良いでござるか……?」
「うん。だって話を聞く限り、雉猿狗にもう十分痛めつけられてるから、ね、雉猿狗」
「そうですね。桃姫様が許すのであれば、私からは何も言うことはございません」

 五郎八姫と雉猿狗は桃姫の意思を汲んでこれ以上のぬらりひょんへの追罰をやめた。
 しかし、それに対して異論を唱えたのはぬらりひょん自身であった。

「──納得せん……」

 顔を伏して声を発したぬらりひょんを四人が見下ろした。

「──それでは、わしが納得せん」
「何言ってるでござるか、こいつ」

 五郎八姫が呆れたように声を上げるとぬらりひょんはバッと顔を上げて政宗を見た。

「政宗、手を出せ……」
「あン……?」

 政宗はぬらりひょんの申し出に眉根を寄せて拒絶の反応を示した。

「よいから……」

 立ち上がったぬらりひょんはサッと政宗の左手を取ると自身のハゲ頭に押し当てた。
 押し当てた左手の甲が赤く発光するとぬらりひょんの波紋が浮き出るように刻み込まれる。

「なッ、てめぇ! 俺の手になにしやがった……!」

 声を上げた政宗はぬらりひょんのハゲ頭から手をどけ、自身の赤い波紋が浮かんだ手の甲をまじまじと確認する。

「そいつは、わしの契印じゃ……政宗、おぬしが生きておる限り、わしは桃姫の肌に触れることは出来ん……万が一でも触れれば、その瞬間、わしの頭は破裂する──そのような印をおぬしの手に結んだ」

 ぬらりひょんはそう言うと、桃姫の濃桃色の瞳を見て口を開いた。

「これがわしのケジメじゃ。桃姫……すまなかった……ほんに、すまなかったのう……」

 言いながら涙を流すぬらりひょんに対して、桃姫は静かに頷いて返した。
 そして、桃姫と雉猿狗は政宗と五郎八姫と共に館の外に出た。

「ぬらりひょんさん。私はこの五年間、たくさんのことを学び、成長しました。ぬらりひょんさんのしたことは許されないことかもしれませんけど、私は、館に住まわせてくれたぬらりひょんさんに心から感謝しています……これからも、ずっと」
「その言葉が何よりの救いじゃ……達者でのう、桃姫」

 ぬらりひょんは伊達の騎馬隊と共に館を去っていく桃姫に別れの言葉を告げた。
 夜狐禅も去っていく雉猿狗に対して手を振り、猫吉など館の妖怪たちも二人に向かって手を振った。
 こうして、桃姫と雉猿狗は五年の歳月を過ごしたぬらりひょんの館を後にしたのであった。
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