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第二幕 斬心 Heart of Slashing
24.ぬらりひょんの館
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奥州の鬱蒼とした森の奥深く、雷光赤化の神術にて墜落するように着陸した桃姫と雉猿狗。
「──雉猿狗っ……!」
「……桃姫様、申し訳ございません……」
桃姫は倒れ伏した雉猿狗の上体を起こして懸命に呼びかけると、うっすらと濃翠色の目を開いた雉猿狗が力なく告げた。
「どうやら"神力"を使い果たしてしまったようで……もう、体がいうことを利きませ……ん……」
そう言って桃姫の腕のなかで糸の切れた操り人形のようにがっくりと倒れ込んでしまった。
「……そんな、奥州まで来たのに……」
桃姫がそう言いながら上を見ると、木々の隙間から見える空は夜闇に包まれていた。
太陽光は得られず、雉猿狗が回復する見込みはない。
「……でも、あるはずなんだ。ここに、この森に、ぬらりひょんさんの館が……!」
桃姫は自分に言い聞かせるようにそう言って雉猿狗の体を背負い上げた。そして、鬱蒼とした森の中を一歩また一歩と歩き出した。
あてなどない。それにどこを見ても同じ景色である。しかし、この森の中に目的の場所がある。遠く日ノ本を旅してきた目的地がある。ただその一心で桃姫は歩みを進めた。
1時間、2時間……雉猿狗を背負った桃姫がひたすらに森の中を歩き回った挙げ句、ついに森の中を流れる小川の前で倒れ込んでしまった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
桃姫は雉猿狗に伸し掛かられるように倒れたまま荒い呼吸を繰り返した。そして、這いずるように前に進み、手を小川の水に浸した。
ひんやりと心地よい水が手のひらに伝わり、桃姫は水をひとすくいすると口元に運んだ。
「──その水は、頭目様のお水」
桃姫が水を口にふくもうとしたその寸前、少年の声が桃姫の耳に届いた。
「……っ?」
桃姫がハッとして顔をあげると、小川を挟んだ向こう側に赤い帯に裾の短い黒い着物を着た黒髪の少年が立っていた。
「勝手に飲まれては困ります」
少年はそう言うと、桃姫は乾ききった口を開いた。
「あの……私は桃姫といいます」
「…………」
「ぬらりひょんさんの館を、探しています……」
桃姫はそう言うと、朦朧とした瞳を閉じてその場に倒れ伏した。手だけは小川の中に浸されてサーッと流れる清流が桃姫の手を洗った。
「……桃姫様」
少年はつぶやくようにそう言うと、顔の前に両手を持っていき、パンッと叩き合わせて鳴らした。
「──夜狐変化」
そう発した少年は一瞬で見事な毛並みの黒狐に転じると小川をぴょんと飛び越えて桃姫と雉猿狗を口でくわえて背中に乗せた。
そして再び小川を飛び越えて夜闇に包まれる奥州の森の中へと姿を消していった。
「──う……うう……」
目を閉じた桃姫が苦悶の表情を浮かべながらうなされるように声を漏らした。
「──桃姫様……桃姫様……」
「……雉猿狗……雉猿狗……っ」
雉猿狗が優しく呼びかける声に桃姫は声を上げながら目を覚ましてガバっと上体を持ち上げた。
まず、視界に飛び込んできたのは大きな窓から差し込む陽光に明るく照らされた見知らぬ洋風の部屋。
次いで、自分が寝台の上にいることに気づいた。
「桃姫様、ご安心なさってください」
椅子に腰掛けて隣でほほえむ雉猿狗の顔を見た桃姫はようやく心を落ち着けると口を開いた。
「……ここは……?」
「──ぬらりひょんの館です」
たずねた桃姫に雉猿狗は答えて返した。そして、雉猿狗の後方にある扉がギィ……と開かれると一人の杖をついた老人が姿を現した。
「……あなたがぬらりひょんさん……ですか?」
「──いかにも、わしが奥州妖怪頭目、ぬらりひょんじゃ」
異様に大きなハゲ頭を持つ小柄な老人は、白濁した眼を細めてにんまりと笑みを浮かべながらそう告げると、隣に立つ黒髪の少年が桃姫に向かっておじぎをした。
「……あっ」
夢か現実かおぼろげだった記憶がフッと呼び覚まされて桃姫は驚きの声を上げた。
あの夜闇の森、小川の前に立つ少年が、明るい日差しを浴びながらほほえみと共に口を開く。
「夜狐禅と申します。頭目様の丁稚奉公をしております。桃姫様……以後お見知りおきを」
礼儀正しくそう言った少年とぬらりひょんの背丈は同じ程であった。
「経緯(いきさつ)はおぬしより先に目覚めた雉猿狗から聞いとるよ。紀伊のカシャンボがよこした紹介状も読まさせてもらった。遠い日ノ本の旅路、ご苦労じゃったな」
ぬらりひょんはそう言いながら部屋に入ってきて桃姫をねぎらうと白濁した眼を大きく開いた。
「しておぬし、かの鬼退治で高名な桃太郎殿の娘じゃとな。妖(あやかし)にとって鬼は天敵。奥州妖怪で備前の鬼退治の話を知らぬものはおらんよ」
白濁した眼で桃姫を凝視したぬらりひょんは感心しながらそう言うと、桃姫が怖ず怖ずと口を開いた。
「あの……私たち、行くところがないんです……もしよろしければ、この館に住まわせてはもらえませんか……?」
桃姫は両手を布団の上で合わせて震える声で懇願するように言った。
「無論。無駄に広いのがこの館じゃ。好きなだけ居るとよい」
「……ありがとうございます!」
ぬらりひょんのこころよい返答に桃姫は目に涙を浮かべながら頭を下げて感謝の言葉を述べた。
「夜狐禅、二人を七ノ湯まで案内してやりなさい。それから、食事の準備も。桃太郎の娘とそのお供の化身じゃ。客人ではなく、身内として扱えよ」
「はい、頭目様」
ぬらりひょんの指示に夜狐禅ははっきりとした口調で返事をした。
「それでは、わしは頭目という立場ゆえ、何かと忙しいのでこれにて失礼つかまつる。何か問題が起きたならば、この夜狐禅に言いつけてくれればそれでよい」
「ありがとうございます」
「お世話になります……!」
ぬらりひょんの言葉に雉猿狗と桃姫が声を上げた。ぬらりひょんはにんまりとした笑みを浮かべると杖をついて部屋から出ていくと雉猿狗が口を開いた。
「ぬらりひょん様は両目を患っているように見受けられますが、しかし、桃姫様の顔をしっかりと見ておられました」
「頭目様は、心の眼、"心眼"によって見ているのです」
雉猿狗の言葉を聞いた夜狐禅が答える。
「なるほど……妖術ですか」
「はい」
雉猿狗が言うと、夜狐禅は返した。
「夜狐禅……くんも、妖怪なの?」
桃姫は寝台から降りて立ち上がり、夜狐禅にたずねる。
「はい。ぼくは黒狐の妖狐です」
夜狐禅はそう言って桃姫と雉猿狗を部屋の外に誘導した。二人はそのあとを追って赤い敷物が敷かれた長い廊下に出る。
「昔は悪事を働いていたのですが、伊達政宗公のお叱りを受けて反省し、今は頭目様の元で丁稚奉公をしています」
「悪事、ですか。とても良い子のように見受けられますが、どのようなことをなさっていたのです?」
廊下を先導しながら後方の二人に対して話す夜狐禅の言葉を聞いた雉猿狗がたずねた。
「この館には部屋が88室、温泉が16湯あります。皆様には部屋から近い7番目の湯、七ノ湯を利用していただきます」
夜狐禅は雉猿狗の言葉を無視するように説明して前に進むとグッと雉猿狗が夜狐禅の着物の袖を掴んだ。
「……雉猿狗様。何か?」
「夜狐禅様。ご存知のように、私は、犬、猿、雉の獣魂の化身なのですが……今、私の"犬の部分"が夜狐禅様の首筋に噛みつきたくて仕方がないみたいです」
「そうですか」
雉猿狗の衝撃的な告白に夜狐禅は表情一つ変えずに整然と答えて返した。
「雉猿狗……! だめだよ、夜狐禅くんを噛んだら……!」
桃姫は慌てて雉猿狗の腕をひっぱり、夜狐禅の着物の袖から引き離した。
「すみません……なんとかして、この"衝動"を抑えます。ですが、もう一度だけ聞きます。今は本当に良い子、なのですよね?」
「はい。反省しましたから」
夜狐禅はいぶかしみ、警戒する雉猿狗の目を見て、あっけらかんと返し、再び赤い敷物が伸びる長い廊下を歩き出した。
「こちらが七ノ湯です。それでは、どうぞごゆっくり」
夜狐禅が七ノ湯と書かれているのれんが垂れた扉の前まで来るとそう告げておじぎをした。
そして、去っていく夜狐禅の背中を見送った桃姫が雉猿狗に対して声を上げた。
「びっくりしたよ、突然あんなことするなんて……! ぬらりひょんさんに嫌われたら、私たち館から出ていかなくちゃいけないんだよ……!」
「すみません……ただ、気をつけたほうがいいです。この館にいるのは私たち以外、すべて妖(あやかし)です。そのことを忘れないでください」
怒気を込めて言う桃姫に雉猿狗は眉根を寄せて静かに言った。
「私は鬼は嫌いだけど……妖怪さんには悪い印象は持ってないんだけどな……」
雉猿狗の忠告を聞いた桃姫はためいきを吐いたあとにそう言った。
「──頭目様、よく見えますか?」
迷路のように館内をうねる隠し通路の先で穴をのぞいているぬらりひょんの背中に夜狐禅が声をかけた。
「ひっ! なんじゃ夜狐禅! あっちに行け! わしの邪魔をするな……!」
「はい、申し訳ございません」
ぬらりひょんは夜狐禅をしっしっと手で追い払うと夜狐禅は表情を変えずに謝った。
「何だ……暗くて、何も見えんぞ……おかしいな、この穴は七ノ湯全体が見渡せるように作らせたはずなのに……」
ぬらりひょんが懸命に穴をのぞくが、露天風呂で明るく見えるはずの七ノ湯が一切見えない状態であった。
「……雉猿狗? 何してたの?」
「いえ、壁に穴が開いてたものですから……桶で塞いでおきました」
露天風呂に浸かった桃姫がたずねると、手ぬぐいを巻いて湯船に入ってきた雉猿狗が答えた。
「穴……?」
「……桃姫様はお気になさらず。温泉を楽しみましょう」
「うん……!」
桃姫と雉猿狗は二人並んで奥州の森の濃厚な空気がもたらす露天風呂を楽しんだ。
そして、湯船を出たあと、二人は夜狐禅の先導によって食堂へと招かれた。
「わぁ……!」
「……この料理はどなたが?」
食台の上には二人分の料理が並べられていた。焼き魚、刺し身、味噌汁、酢の物、麦飯という簡素なものであったが、どれも新鮮で味も栄養も良さそうであった。
桃姫が感嘆の声を上げ、雉猿狗が夜狐禅にたずねると夜狐禅は食堂の脇にあるのれんの先を目線で示した。
「どうぞ、厨房をご覧になってください」
桃姫と雉猿狗が挨拶をしようとのれんの先に顔を出してのぞくと、美味そうにキセルを吸いながら椅子に腰掛けた目付きの悪い大型の化け猫がそこにはいた。
「……あ、あの……お料理、いただきます」
「──っ!? な、なんにゃッ! 勝手においにゃの仕事場をのぞくとは何事にゃッ!」
桃姫が声をかけると、ビビッ──と全身の毛を逆立てた化け猫が椅子から立ち上がり、二本の尻尾を揺らして怒声を上げながら桃姫と雉猿狗に迫ってくる。
「ご、ごめんなさい!」
「失礼しました……!」
桃姫と雉猿狗は慌ててのれんから首をひっこめた。そして、夜狐禅が二人に説明した。
「館の料理を担当していらっしゃる大猫又の猫吉(ねこよし)様です。頭目様の古くからのご友人だそうです。良い方ですよ」
そう言って夜狐禅はほほえんだ。
桃姫と雉猿狗が食台の椅子に座って食事を取っていると、桃姫は視線を感じてちらりと厨房ののれんの方を見た。
「……雉猿狗」
「……はい」
桃姫にうながされて雉猿狗ものれんの方を見る。
「……んにゃッ!」
のれんから顔を出して桃姫と雉猿狗の様子をうかがっていた猫吉が見られていることに気づくと、慌てて厨房に顔を引っ込める瞬間を二人は目撃した。
「ほら……雉猿狗。妖怪さんって別に悪い人たちじゃないんだよ」
「……そうだといいのですが」
桃姫が雉猿狗に同意を求めると雉猿狗は刺し身を食べながら呟くように言った。
「ほっほっほ……猫吉は恥ずかしがり屋だから、困ったもんじゃて」
食堂に入ってきたぬらりひょんが笑いながら二人に声を掛けた。
「どうだね。奥州の魚と米と味噌は。備前出身の二人の舌に合うかね?」
「はい。とても、美味しくて。特にお味噌汁が」
ぬらりひょんの言葉に桃姫は笑顔で返して、空になった味噌汁の椀を見せた。
「ほっほっほ……おかわりがほしいなら遠慮なく猫吉に言うがよい」
「はい……!」
元気よく返事をした桃姫は空になった味噌汁の椀を持って椅子から立ち上がると、のれんの前に立って猫吉に声をかけた。
すると、毛深い猫の手がのれんから伸び、椀を受け取ると、すぐに湯気が昇る味噌汁を満杯にした椀がスッと戻ってきた。
「……ありがとうございます、猫吉さん!」
「……んにゃ……」
桃姫は毛深い猫の手から味噌汁の椀を受け取って食台に戻ってきた。
そして、二人は満足感と共に食事を終えて椅子から立ち上がると桃姫が雉猿狗に向けて言った。
「猫吉さんにお礼を言ってくるね……!」
「はい」
そう言って厨房に向かった桃姫の背中を雉猿狗が見送ると隣に立つぬらりひょんもその姿を見ていた。
「うむうむ。元気が良くて誠にいいことじゃ。さすがは桃太郎の娘」
「……ぬらりひょん様」
「なんじゃね、雉猿狗」
雉猿狗は背の低いぬらりひょんを見下ろす形で声をかけた。
「身寄りのない私たちを館に迎え入れてくれたこと、心の底から感謝しています」
「うむ」
「桃姫様がここまで安らいでいるお顔を見たのは、私も初めてのことです」
「そうか、それはよかった」
雉猿狗の言葉を聞いたぬらりひょんは、白濁した眼をゆるめて満面の笑みを浮かべて頷いた。
「はい。ですが、一つだけお伝えしておかなければならないことがございます」
「なんじゃ。おぬしらは客人ではない身内、家族じゃ。家族に対して隠し事は不要じゃ。わしを父親だと思うて、何でも言うがよい」
ぬらりひょんは雉猿狗の顔を見上げてそう告げると、雉猿狗は冷たい表情で言った。
「それでは、率直に申し上げます。ぬらりひょん様が桃姫様に対して、なにか"良からぬ考え"をお持ちのようならば──その首が奥州の空を飛ぶと考えてください」
「……ッ!?」
雉猿狗のまさかの発言にぬらりひょんは愕然とした。
「……何を言うとる」
「いえ、ただの雌獣の勘です」
動揺するぬらりひょんに対して雉猿狗は言って返した。
「わしは桃姫を娘同然に考えておる……娘に手を出す父親が、どこにおるか……!」
「──腐るほどおりますよ。現世は腐っておりますから」
ぬらりひょんが声を上げると雉猿狗はぴしゃりと言ってのけた。
「……父親に犯された悲しみのあまり、滝壺に落ちてフナになった少女もいると聞きます」
「わ、わしをそのような外道の親と一緒にするでない……!」
雉猿狗の冷たい目線と言葉にぬらりひょんは白濁した眼を見開いて反論した。
「そうですか。ならばよいのですが……それから……露天風呂の壁に穴が空いておりましたので、夜狐禅様に直してもらうように頼んでおきました」
「……ッ!? ……そ、そうかッ……夜狐禅は器用だ……! すぐに直すじゃろうな……!」
「それでは、部屋に戻らせていただきます」
雉猿狗はそう言うと、厨房から戻ってきた桃姫と共に食堂を出ていった。
「雉猿狗め……! 獣の化身の分際で……このぬらりひょんを脅しおった……! ……けしからん!」
食堂を立ち去る雉猿狗の背中を憎々しげに睨みつけながらぬらりひょんが声を荒げた。
「酸いも甘いも掻き分けてきたこのわしじゃぞ……! なんで桃姫のようなこわっぱに手を出さねばならんのじゃ……!」
ぬらりひょんは大きなハゲ頭に太い血管を走らせながら激昂し続けた。
「わしは父親としてじゃな……! 娘たちが仲良く湯船に浸かっておるところを、ちょっとだけ……! ほんのちょっとだけ、覗こうと思っただけじゃ……! それのなにが悪いかッ!」
いつの間にかぬらりひょんの隣に立っていた夜狐禅がぬらりひょんに対して口を開いた。
「それで頭目様……七ノ湯の穴は直してもよろしいのでしょうか?」
「──直せッ!」
ぬらりひょんの頭に浮かんだ太い血管は、今にもはちきれんばかりであった。
「雉猿狗。最近、館でぬらりひょんさんに会わないんだけど、なんでかわかる?」
「さあ……私のお灸が効いたからではないでしょうか」
それから一週間後、洋風の部屋にて桃姫が雉猿狗にたずねた。
「……おきゅう?」
「あ、いえ。こちらの話です……さあ、勉学を続けましょう」
「勉学かぁ……」
廊下を隔てた部屋の対面には蔵書室があり、そこから役に立ちそうな書物を何冊か雉猿狗が部屋に持ち込んでいた。
「桃姫様には文武両道を志していただきます。幸いなことに、この館には書物が大量に所蔵されておりますので、教育環境としては申し分がないです」
雉猿狗はそう言うと、大きな窓をガラガラッ──と開け放って爽やかで新鮮な空気を部屋の中に取り入れた。
「それに奥州の森の奥深くとあって、空気が澄んでおり、水も清らかで、非常に静かですからね。私も心が落ち着いて、枯渇していた"神力"の回復を感じます」
そう言った雉猿狗は外に向かって目を閉じ、深く呼吸をした。
いつの間にか目には緋色の波紋が戻ってきていた。
「雉猿狗が幸せそうで良かった」
「あはは……私は桃姫様と一緒にいられればそれだけで幸せですよ」
椅子に座って書物が広げられた机に向かう桃姫に雉猿狗がほほえみながら言って返した。
「私も、雉猿狗と一緒で幸せだよ。それに、ここなら鬼も追いかけてこないから。もっと幸せなの」
「そうですね……桃姫様。この館に腰を据えて、暮らしていきましょう」
「うん……!」
人里離れた奥州の森の奥、青々とした木々に囲まれた広大なぬらりひょんの館に穏やかな太陽の光が優しく降り注いでいた。
「──雉猿狗っ……!」
「……桃姫様、申し訳ございません……」
桃姫は倒れ伏した雉猿狗の上体を起こして懸命に呼びかけると、うっすらと濃翠色の目を開いた雉猿狗が力なく告げた。
「どうやら"神力"を使い果たしてしまったようで……もう、体がいうことを利きませ……ん……」
そう言って桃姫の腕のなかで糸の切れた操り人形のようにがっくりと倒れ込んでしまった。
「……そんな、奥州まで来たのに……」
桃姫がそう言いながら上を見ると、木々の隙間から見える空は夜闇に包まれていた。
太陽光は得られず、雉猿狗が回復する見込みはない。
「……でも、あるはずなんだ。ここに、この森に、ぬらりひょんさんの館が……!」
桃姫は自分に言い聞かせるようにそう言って雉猿狗の体を背負い上げた。そして、鬱蒼とした森の中を一歩また一歩と歩き出した。
あてなどない。それにどこを見ても同じ景色である。しかし、この森の中に目的の場所がある。遠く日ノ本を旅してきた目的地がある。ただその一心で桃姫は歩みを進めた。
1時間、2時間……雉猿狗を背負った桃姫がひたすらに森の中を歩き回った挙げ句、ついに森の中を流れる小川の前で倒れ込んでしまった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
桃姫は雉猿狗に伸し掛かられるように倒れたまま荒い呼吸を繰り返した。そして、這いずるように前に進み、手を小川の水に浸した。
ひんやりと心地よい水が手のひらに伝わり、桃姫は水をひとすくいすると口元に運んだ。
「──その水は、頭目様のお水」
桃姫が水を口にふくもうとしたその寸前、少年の声が桃姫の耳に届いた。
「……っ?」
桃姫がハッとして顔をあげると、小川を挟んだ向こう側に赤い帯に裾の短い黒い着物を着た黒髪の少年が立っていた。
「勝手に飲まれては困ります」
少年はそう言うと、桃姫は乾ききった口を開いた。
「あの……私は桃姫といいます」
「…………」
「ぬらりひょんさんの館を、探しています……」
桃姫はそう言うと、朦朧とした瞳を閉じてその場に倒れ伏した。手だけは小川の中に浸されてサーッと流れる清流が桃姫の手を洗った。
「……桃姫様」
少年はつぶやくようにそう言うと、顔の前に両手を持っていき、パンッと叩き合わせて鳴らした。
「──夜狐変化」
そう発した少年は一瞬で見事な毛並みの黒狐に転じると小川をぴょんと飛び越えて桃姫と雉猿狗を口でくわえて背中に乗せた。
そして再び小川を飛び越えて夜闇に包まれる奥州の森の中へと姿を消していった。
「──う……うう……」
目を閉じた桃姫が苦悶の表情を浮かべながらうなされるように声を漏らした。
「──桃姫様……桃姫様……」
「……雉猿狗……雉猿狗……っ」
雉猿狗が優しく呼びかける声に桃姫は声を上げながら目を覚ましてガバっと上体を持ち上げた。
まず、視界に飛び込んできたのは大きな窓から差し込む陽光に明るく照らされた見知らぬ洋風の部屋。
次いで、自分が寝台の上にいることに気づいた。
「桃姫様、ご安心なさってください」
椅子に腰掛けて隣でほほえむ雉猿狗の顔を見た桃姫はようやく心を落ち着けると口を開いた。
「……ここは……?」
「──ぬらりひょんの館です」
たずねた桃姫に雉猿狗は答えて返した。そして、雉猿狗の後方にある扉がギィ……と開かれると一人の杖をついた老人が姿を現した。
「……あなたがぬらりひょんさん……ですか?」
「──いかにも、わしが奥州妖怪頭目、ぬらりひょんじゃ」
異様に大きなハゲ頭を持つ小柄な老人は、白濁した眼を細めてにんまりと笑みを浮かべながらそう告げると、隣に立つ黒髪の少年が桃姫に向かっておじぎをした。
「……あっ」
夢か現実かおぼろげだった記憶がフッと呼び覚まされて桃姫は驚きの声を上げた。
あの夜闇の森、小川の前に立つ少年が、明るい日差しを浴びながらほほえみと共に口を開く。
「夜狐禅と申します。頭目様の丁稚奉公をしております。桃姫様……以後お見知りおきを」
礼儀正しくそう言った少年とぬらりひょんの背丈は同じ程であった。
「経緯(いきさつ)はおぬしより先に目覚めた雉猿狗から聞いとるよ。紀伊のカシャンボがよこした紹介状も読まさせてもらった。遠い日ノ本の旅路、ご苦労じゃったな」
ぬらりひょんはそう言いながら部屋に入ってきて桃姫をねぎらうと白濁した眼を大きく開いた。
「しておぬし、かの鬼退治で高名な桃太郎殿の娘じゃとな。妖(あやかし)にとって鬼は天敵。奥州妖怪で備前の鬼退治の話を知らぬものはおらんよ」
白濁した眼で桃姫を凝視したぬらりひょんは感心しながらそう言うと、桃姫が怖ず怖ずと口を開いた。
「あの……私たち、行くところがないんです……もしよろしければ、この館に住まわせてはもらえませんか……?」
桃姫は両手を布団の上で合わせて震える声で懇願するように言った。
「無論。無駄に広いのがこの館じゃ。好きなだけ居るとよい」
「……ありがとうございます!」
ぬらりひょんのこころよい返答に桃姫は目に涙を浮かべながら頭を下げて感謝の言葉を述べた。
「夜狐禅、二人を七ノ湯まで案内してやりなさい。それから、食事の準備も。桃太郎の娘とそのお供の化身じゃ。客人ではなく、身内として扱えよ」
「はい、頭目様」
ぬらりひょんの指示に夜狐禅ははっきりとした口調で返事をした。
「それでは、わしは頭目という立場ゆえ、何かと忙しいのでこれにて失礼つかまつる。何か問題が起きたならば、この夜狐禅に言いつけてくれればそれでよい」
「ありがとうございます」
「お世話になります……!」
ぬらりひょんの言葉に雉猿狗と桃姫が声を上げた。ぬらりひょんはにんまりとした笑みを浮かべると杖をついて部屋から出ていくと雉猿狗が口を開いた。
「ぬらりひょん様は両目を患っているように見受けられますが、しかし、桃姫様の顔をしっかりと見ておられました」
「頭目様は、心の眼、"心眼"によって見ているのです」
雉猿狗の言葉を聞いた夜狐禅が答える。
「なるほど……妖術ですか」
「はい」
雉猿狗が言うと、夜狐禅は返した。
「夜狐禅……くんも、妖怪なの?」
桃姫は寝台から降りて立ち上がり、夜狐禅にたずねる。
「はい。ぼくは黒狐の妖狐です」
夜狐禅はそう言って桃姫と雉猿狗を部屋の外に誘導した。二人はそのあとを追って赤い敷物が敷かれた長い廊下に出る。
「昔は悪事を働いていたのですが、伊達政宗公のお叱りを受けて反省し、今は頭目様の元で丁稚奉公をしています」
「悪事、ですか。とても良い子のように見受けられますが、どのようなことをなさっていたのです?」
廊下を先導しながら後方の二人に対して話す夜狐禅の言葉を聞いた雉猿狗がたずねた。
「この館には部屋が88室、温泉が16湯あります。皆様には部屋から近い7番目の湯、七ノ湯を利用していただきます」
夜狐禅は雉猿狗の言葉を無視するように説明して前に進むとグッと雉猿狗が夜狐禅の着物の袖を掴んだ。
「……雉猿狗様。何か?」
「夜狐禅様。ご存知のように、私は、犬、猿、雉の獣魂の化身なのですが……今、私の"犬の部分"が夜狐禅様の首筋に噛みつきたくて仕方がないみたいです」
「そうですか」
雉猿狗の衝撃的な告白に夜狐禅は表情一つ変えずに整然と答えて返した。
「雉猿狗……! だめだよ、夜狐禅くんを噛んだら……!」
桃姫は慌てて雉猿狗の腕をひっぱり、夜狐禅の着物の袖から引き離した。
「すみません……なんとかして、この"衝動"を抑えます。ですが、もう一度だけ聞きます。今は本当に良い子、なのですよね?」
「はい。反省しましたから」
夜狐禅はいぶかしみ、警戒する雉猿狗の目を見て、あっけらかんと返し、再び赤い敷物が伸びる長い廊下を歩き出した。
「こちらが七ノ湯です。それでは、どうぞごゆっくり」
夜狐禅が七ノ湯と書かれているのれんが垂れた扉の前まで来るとそう告げておじぎをした。
そして、去っていく夜狐禅の背中を見送った桃姫が雉猿狗に対して声を上げた。
「びっくりしたよ、突然あんなことするなんて……! ぬらりひょんさんに嫌われたら、私たち館から出ていかなくちゃいけないんだよ……!」
「すみません……ただ、気をつけたほうがいいです。この館にいるのは私たち以外、すべて妖(あやかし)です。そのことを忘れないでください」
怒気を込めて言う桃姫に雉猿狗は眉根を寄せて静かに言った。
「私は鬼は嫌いだけど……妖怪さんには悪い印象は持ってないんだけどな……」
雉猿狗の忠告を聞いた桃姫はためいきを吐いたあとにそう言った。
「──頭目様、よく見えますか?」
迷路のように館内をうねる隠し通路の先で穴をのぞいているぬらりひょんの背中に夜狐禅が声をかけた。
「ひっ! なんじゃ夜狐禅! あっちに行け! わしの邪魔をするな……!」
「はい、申し訳ございません」
ぬらりひょんは夜狐禅をしっしっと手で追い払うと夜狐禅は表情を変えずに謝った。
「何だ……暗くて、何も見えんぞ……おかしいな、この穴は七ノ湯全体が見渡せるように作らせたはずなのに……」
ぬらりひょんが懸命に穴をのぞくが、露天風呂で明るく見えるはずの七ノ湯が一切見えない状態であった。
「……雉猿狗? 何してたの?」
「いえ、壁に穴が開いてたものですから……桶で塞いでおきました」
露天風呂に浸かった桃姫がたずねると、手ぬぐいを巻いて湯船に入ってきた雉猿狗が答えた。
「穴……?」
「……桃姫様はお気になさらず。温泉を楽しみましょう」
「うん……!」
桃姫と雉猿狗は二人並んで奥州の森の濃厚な空気がもたらす露天風呂を楽しんだ。
そして、湯船を出たあと、二人は夜狐禅の先導によって食堂へと招かれた。
「わぁ……!」
「……この料理はどなたが?」
食台の上には二人分の料理が並べられていた。焼き魚、刺し身、味噌汁、酢の物、麦飯という簡素なものであったが、どれも新鮮で味も栄養も良さそうであった。
桃姫が感嘆の声を上げ、雉猿狗が夜狐禅にたずねると夜狐禅は食堂の脇にあるのれんの先を目線で示した。
「どうぞ、厨房をご覧になってください」
桃姫と雉猿狗が挨拶をしようとのれんの先に顔を出してのぞくと、美味そうにキセルを吸いながら椅子に腰掛けた目付きの悪い大型の化け猫がそこにはいた。
「……あ、あの……お料理、いただきます」
「──っ!? な、なんにゃッ! 勝手においにゃの仕事場をのぞくとは何事にゃッ!」
桃姫が声をかけると、ビビッ──と全身の毛を逆立てた化け猫が椅子から立ち上がり、二本の尻尾を揺らして怒声を上げながら桃姫と雉猿狗に迫ってくる。
「ご、ごめんなさい!」
「失礼しました……!」
桃姫と雉猿狗は慌ててのれんから首をひっこめた。そして、夜狐禅が二人に説明した。
「館の料理を担当していらっしゃる大猫又の猫吉(ねこよし)様です。頭目様の古くからのご友人だそうです。良い方ですよ」
そう言って夜狐禅はほほえんだ。
桃姫と雉猿狗が食台の椅子に座って食事を取っていると、桃姫は視線を感じてちらりと厨房ののれんの方を見た。
「……雉猿狗」
「……はい」
桃姫にうながされて雉猿狗ものれんの方を見る。
「……んにゃッ!」
のれんから顔を出して桃姫と雉猿狗の様子をうかがっていた猫吉が見られていることに気づくと、慌てて厨房に顔を引っ込める瞬間を二人は目撃した。
「ほら……雉猿狗。妖怪さんって別に悪い人たちじゃないんだよ」
「……そうだといいのですが」
桃姫が雉猿狗に同意を求めると雉猿狗は刺し身を食べながら呟くように言った。
「ほっほっほ……猫吉は恥ずかしがり屋だから、困ったもんじゃて」
食堂に入ってきたぬらりひょんが笑いながら二人に声を掛けた。
「どうだね。奥州の魚と米と味噌は。備前出身の二人の舌に合うかね?」
「はい。とても、美味しくて。特にお味噌汁が」
ぬらりひょんの言葉に桃姫は笑顔で返して、空になった味噌汁の椀を見せた。
「ほっほっほ……おかわりがほしいなら遠慮なく猫吉に言うがよい」
「はい……!」
元気よく返事をした桃姫は空になった味噌汁の椀を持って椅子から立ち上がると、のれんの前に立って猫吉に声をかけた。
すると、毛深い猫の手がのれんから伸び、椀を受け取ると、すぐに湯気が昇る味噌汁を満杯にした椀がスッと戻ってきた。
「……ありがとうございます、猫吉さん!」
「……んにゃ……」
桃姫は毛深い猫の手から味噌汁の椀を受け取って食台に戻ってきた。
そして、二人は満足感と共に食事を終えて椅子から立ち上がると桃姫が雉猿狗に向けて言った。
「猫吉さんにお礼を言ってくるね……!」
「はい」
そう言って厨房に向かった桃姫の背中を雉猿狗が見送ると隣に立つぬらりひょんもその姿を見ていた。
「うむうむ。元気が良くて誠にいいことじゃ。さすがは桃太郎の娘」
「……ぬらりひょん様」
「なんじゃね、雉猿狗」
雉猿狗は背の低いぬらりひょんを見下ろす形で声をかけた。
「身寄りのない私たちを館に迎え入れてくれたこと、心の底から感謝しています」
「うむ」
「桃姫様がここまで安らいでいるお顔を見たのは、私も初めてのことです」
「そうか、それはよかった」
雉猿狗の言葉を聞いたぬらりひょんは、白濁した眼をゆるめて満面の笑みを浮かべて頷いた。
「はい。ですが、一つだけお伝えしておかなければならないことがございます」
「なんじゃ。おぬしらは客人ではない身内、家族じゃ。家族に対して隠し事は不要じゃ。わしを父親だと思うて、何でも言うがよい」
ぬらりひょんは雉猿狗の顔を見上げてそう告げると、雉猿狗は冷たい表情で言った。
「それでは、率直に申し上げます。ぬらりひょん様が桃姫様に対して、なにか"良からぬ考え"をお持ちのようならば──その首が奥州の空を飛ぶと考えてください」
「……ッ!?」
雉猿狗のまさかの発言にぬらりひょんは愕然とした。
「……何を言うとる」
「いえ、ただの雌獣の勘です」
動揺するぬらりひょんに対して雉猿狗は言って返した。
「わしは桃姫を娘同然に考えておる……娘に手を出す父親が、どこにおるか……!」
「──腐るほどおりますよ。現世は腐っておりますから」
ぬらりひょんが声を上げると雉猿狗はぴしゃりと言ってのけた。
「……父親に犯された悲しみのあまり、滝壺に落ちてフナになった少女もいると聞きます」
「わ、わしをそのような外道の親と一緒にするでない……!」
雉猿狗の冷たい目線と言葉にぬらりひょんは白濁した眼を見開いて反論した。
「そうですか。ならばよいのですが……それから……露天風呂の壁に穴が空いておりましたので、夜狐禅様に直してもらうように頼んでおきました」
「……ッ!? ……そ、そうかッ……夜狐禅は器用だ……! すぐに直すじゃろうな……!」
「それでは、部屋に戻らせていただきます」
雉猿狗はそう言うと、厨房から戻ってきた桃姫と共に食堂を出ていった。
「雉猿狗め……! 獣の化身の分際で……このぬらりひょんを脅しおった……! ……けしからん!」
食堂を立ち去る雉猿狗の背中を憎々しげに睨みつけながらぬらりひょんが声を荒げた。
「酸いも甘いも掻き分けてきたこのわしじゃぞ……! なんで桃姫のようなこわっぱに手を出さねばならんのじゃ……!」
ぬらりひょんは大きなハゲ頭に太い血管を走らせながら激昂し続けた。
「わしは父親としてじゃな……! 娘たちが仲良く湯船に浸かっておるところを、ちょっとだけ……! ほんのちょっとだけ、覗こうと思っただけじゃ……! それのなにが悪いかッ!」
いつの間にかぬらりひょんの隣に立っていた夜狐禅がぬらりひょんに対して口を開いた。
「それで頭目様……七ノ湯の穴は直してもよろしいのでしょうか?」
「──直せッ!」
ぬらりひょんの頭に浮かんだ太い血管は、今にもはちきれんばかりであった。
「雉猿狗。最近、館でぬらりひょんさんに会わないんだけど、なんでかわかる?」
「さあ……私のお灸が効いたからではないでしょうか」
それから一週間後、洋風の部屋にて桃姫が雉猿狗にたずねた。
「……おきゅう?」
「あ、いえ。こちらの話です……さあ、勉学を続けましょう」
「勉学かぁ……」
廊下を隔てた部屋の対面には蔵書室があり、そこから役に立ちそうな書物を何冊か雉猿狗が部屋に持ち込んでいた。
「桃姫様には文武両道を志していただきます。幸いなことに、この館には書物が大量に所蔵されておりますので、教育環境としては申し分がないです」
雉猿狗はそう言うと、大きな窓をガラガラッ──と開け放って爽やかで新鮮な空気を部屋の中に取り入れた。
「それに奥州の森の奥深くとあって、空気が澄んでおり、水も清らかで、非常に静かですからね。私も心が落ち着いて、枯渇していた"神力"の回復を感じます」
そう言った雉猿狗は外に向かって目を閉じ、深く呼吸をした。
いつの間にか目には緋色の波紋が戻ってきていた。
「雉猿狗が幸せそうで良かった」
「あはは……私は桃姫様と一緒にいられればそれだけで幸せですよ」
椅子に座って書物が広げられた机に向かう桃姫に雉猿狗がほほえみながら言って返した。
「私も、雉猿狗と一緒で幸せだよ。それに、ここなら鬼も追いかけてこないから。もっと幸せなの」
「そうですね……桃姫様。この館に腰を据えて、暮らしていきましょう」
「うん……!」
人里離れた奥州の森の奥、青々とした木々に囲まれた広大なぬらりひょんの館に穏やかな太陽の光が優しく降り注いでいた。
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