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第二幕 斬心 -Heart of Slashing-
23.雷光赤火
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雉猿狗が桃源郷を鞘から引き抜き、そして構える。前後を野盗に挟まれているがしかし、今の自分ならば五人相手でも勝てる自信があった。
桃源郷は鬼を斬るには適しているが人を斬るには適さない。だからこそ、容赦なく全力で人に対して振るうことが可能だと雉猿狗は考えていた。
「──来なさいッ!」
雉猿狗が刀を構える三人の落ち武者たちに凛とした声で告げると、三人が前方に向かって大声を発した。
「あ、ああッ!?」
「……頭(かしら)ッ! 後ろッ!」
「……ああッ!!」
不揃いの鎧を着込んだ三人の男が次々に慄きの声を上げ、雉猿狗と桃姫も咄嗟に後ろを振り返る。
「……あン?」
腕を組んだ野盗頭が面倒くさそうに声を出し、そして隣をフッと見ると黒尽くめの痩男の体がぶらりと宙に浮かんでいた。
「あ……ぎゃ……きゅ……き……」
痩男がネズミの断末魔のような声をあげる。野盗頭はゆっくりと顔を上げ、一体何が起きているのかを見て唖然とした。
「──十分楽しんだあとに──売り飛ばしてやるよ」
青紫の肌をした大鬼が太い腕と鬼の爪で痩男の頭を握りながら言った。
「ぎ、ぎ……や……べて……アッ」
パキャッ──という軽い音ともに、痩男の頭は握りつぶされ、ドサッと血溜まりの中へ体が落とされる。
「──温羅、巌鬼……ッッ!!」
桃姫がその光景を見て濃桃色の瞳を見開き、桃太郎退治、父親殺しの仇敵の名を口にした。
「……ひっ……ヒィ……鬼……本物の鬼だぁ……!」
威勢の良かった野盗頭の男は巌鬼の顔を見上げるや腰抜けになったその場に尻もちをついた。
その勢いで頭から兜が転げ落ち、月代(さかやき)のほどかれたみすぼらしい落ち武者頭があらわになった。
「……な、なぜ……なぜ鬼が、太陽の下にいるのだ……っ!」
絶望の表情を浮かべた野盗頭が引きつった声を上げながら言うと、巌鬼は血のしたたる鬼の爪を野盗頭に見せつけながら地獄の底から響くような低い声で言った。
「──鬼が太陽の下を歩けないってのは、一体どこから得た情報ダ?」
「見てはいけません……!」
雉猿狗は思わず、数珠をつけた右手を伸ばして隣で驚愕している桃姫の視界を遮った。
パキッ、バキッ……頭蓋骨が徐々に砕けていく、枯れ枝を折る音にも似た嫌な音が周囲に響く。
「あがっ……!」
短い断末魔の悲鳴を上げ、白目をむいて息絶えた野盗頭は、厳鬼の手から解放されて血溜まりの地面に倒れ伏した。
「あ、あああッ! 鬼だッ! 鬼だああッ!」
「ひぃ……! ひやああああッ!」
「にげろ……逃げろォッ!」
その凄惨な光景を見た三人の野盗たちが悲鳴を上げながら巌鬼から遠ざかろうと一目散に駆け出すと、シュッ──と飛んできた三本の銀色の閃光に後頭部を次々と刺されて、その場にバタ……バタ……バタ……と倒れた。
三人の野盗の後頭部には銀製のかんざしが深々と突き刺さっていた。
「──殿方ともあろう者が……鬼の一つや二つで、いちいち、騒がしいわねェ」
顔の右半分に包帯を巻いた女が艷やかな声でそう言うと、左手に持った扇子で顔を扇いだ。
「鬼蝶……!」
雉猿狗が巌鬼の後方からしなやかに歩いてくる鬼蝶に向けて叫ぶ。
「……あら、雉猿狗。久しぶりね……ふふふ」
包帯の隙間から赤い唇を見せてほほえんだ鬼蝶。
「……巌鬼……!」
桃姫は雉猿狗の手を下げて憎き鬼を直視して叫ぶ。
「……一年ぶりだな。俺のことを覚えていたか、桃姫」
そう言った巌鬼は笑みを浮かべながら鬼の足を前に進め頭の潰れた野盗の死骸を虫けらのように踏みしめながら桃姫に歩み寄った。
「……どうだ、一年間地獄を見た感想は。俺に教えてくれよ」
巌鬼は黒い眼球に黄色い縦線の鬼の目で"あの日"から一年経った桃姫を見定めるように言葉を発した。
「いわば、俺とお前は兄と妹のようなものだ。俺はお前の父親に家族を殺され、お前は俺に家族を殺された」
巌鬼は桃姫に向かって己の理屈を言ってみせた、しかし、桃姫の手は桃月の柄を握りしめ今にも鞘から引き抜いて巌鬼に向けて駆け出して斬りつけそうな勢いであった。
「桃姫様……いけません……今は、まだ……!」
その勢いを制していたのは雉猿狗であった。雉猿狗は桃姫の体をぐっと片手で抑えて言葉を発する。
「……離して、雉猿狗……! こいつ、こいつら……! 殺さなきゃいけないんだ……!」
「桃姫様、なにとぞ……なにとぞ心を鎮めてください……! 今はまだ……勝てません……! 今の私たちでは……!」
桃姫と雉猿狗のそんな様子を、桃姫の父親を殺した巌鬼と母親を殺した鬼蝶とが愉快そうに見た。
「兄として、そろそろお前を殺して楽にしてやっても良いと考えている。もう、現世の地獄を見るのは嫌になっただろう?」
巌鬼は怒りに震える桃姫に地獄の声でささやくように告げた。
「──俺が退治した桃太郎が恋しくて、たまらなくなってきているのだろう……?」
「……ッ! 父上の名を……! 父上の名を口にするなァッ!」
巌鬼の言葉を耳にして、烈火の如く怒った桃姫が雉猿狗の腕の中で叫んだ。その様子を見て満足気に鬼の目を細めた巌鬼は後ろに立つ鬼蝶を横目で見ながら口を開いた。
「ふっ……しかし、我らが鬼ヶ島で話し合った結果……桃姫を殺すのは惜しいとの結論が出た」
巌鬼はそういうと、桃姫に向けて両腕を広げて見せた。
「──どうだ。鬼ヶ島の軍勢に入らぬか?」
「……ッ!?」
「……なにをッ」
巌鬼の言葉を聞き、言葉を失った桃姫と雉猿狗。
「鬼に追われているのが、辛く苦しいのであろう? ならば、自らが鬼の軍勢に入ってしまえば良いのだ。これ以上ない明快な解決方法だ……なぁ、鬼蝶」
「ええ、その通り……ねぇ、雉猿狗。あなた、聞くところによると桃太郎のお供の化身だとかね。主亡きあとに娘の桃姫ちゃんに付き従ってるなんて、うふふ……なんとも、忠義心の塊のようなお話じゃないの」
鬼蝶はそう言って巌鬼の隣に立つと自身の顔に巻かれた包帯を右手で剥ぎ取るようにほどいた。
「私の体を焼いたこと、許してあげるから……鬼の軍勢に降りなさい。雉猿狗、桃姫ちゃん」
鬼蝶の顔右半分には、ひりつくような火傷の痕が残っていた。陰惨な笑みを浮かべた鬼蝶が雉猿狗と桃姫に向けて受け入れるように黒い爪を持つ手を伸ばした。
「……桃姫様。私の体にしがみついて……絶対に手を離さないでください」
「……雉猿狗……?」
「……お願いします……桃姫様」
巌鬼と鬼蝶に聞き取られないような小さな声で雉猿狗が桃姫に告げる。桃姫はいぶかしみながらも、桃月の柄から手を離して、雉猿狗の体に寄り添うようにぎゅっと両手を回した。
それは端から見れば、二体の強力な鬼の出現に対して、桃姫が怯えて雉猿狗に抱きついたように見えた。
「どうだ、雉猿狗。そのように怯える桃姫を護りたいのならば、桃姫とともに鬼の軍勢に入れ。お前にとって、これ以上ない提案であろう?」
「そうですね……」
巌鬼の言葉に対して、雉猿狗は言ったあとに緋色の波紋が浮かぶ濃翠色の瞳を閉じた。そして、カッと見開くと緋色の波紋は拡大していき、濃翠色の瞳は緋色に飲み込まれていった。
「──それはこれ以上ない……下劣で卑劣で……虫酸が走る提案ですね。断固、拒否します」
「なんだと……」
凛とした声音で発せられた雉猿狗の言葉に巌鬼は面食らったように声を漏らすと、バチバチバチッ──と黄色い雷光が雉猿狗の体からほとばしり、しがみつく桃姫の体ごと包みこんだ。
「──日ノ本最高神、天照大御神様より授かりしこの神の御業を視よッ! ──神術・雷光赤火(らいこうせっか)ッッ!!」
「ぐオッッ!?」
「なにッ!?」
桃姫を抱きしめた雉猿狗が宣言するように天に向かって神術を発すると、体から放たれる電光がバババババッッ!!──と、音を立てながら激しい閃光となって街道を白く染めあげ、そして雉猿狗と桃姫の体を高く宙に浮かべた。
巌鬼と鬼蝶はその光景とあまりの眩しさに腕で視界をさえぎりながらうめくように明滅する黄色い電光に一体となって包まれる雉猿狗と桃姫の姿を見上げて叫んだ。
「──桃姫様! ──このまま奥州まで飛びますッ!」
「……うんッ!」
真紅とも云える緋色に目を染め上げた雉猿狗が桃姫に告げるように言うと、桃姫は激しい電光の中で困惑しながらも頷き、信頼する雉猿狗にその身を委ねた。
そして、バチバチ──と音を立てる電光の球体と化した雉猿狗と桃姫は奥州に向けて空を稲妻のような軌道を残しながら飛び去っていくのであった。
「……し、信じらん……」
空を見上げたままの巌鬼が愕然とした表情で声を漏らすと、同じく空を見上げた鬼蝶が憎々しげに歯噛みをした。
「なに……なによあれ……桃姫ちゃんだけじゃなく……雉猿狗まで"特別な力"が使えるってわけ……!?」
鬼蝶が赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い目を細め睨むように言うと、巌鬼と鬼蝶の後方から特徴的なしゃがれ声が届いた。
「これは驚いたのう……雉猿狗、所詮、下等な獣の化身だと思うておったが、まさかあれほどの"神術"が使えたか、これは驚いた。くかかかかッッ!!」
「遅いぞ役小角ッ! 今更やってきて、何を抜かす……!」
満面の笑みを顔面に貼り付けた役小角が感心したように言いながら、黄金の錫杖をチリンチリンと鳴らして現れると振り向いた巌鬼が怒声を上げた。
「そう怒鳴るでない。わしにはわしの"特別な事情"というものがあるのだよ、温羅坊」
「……行者様、いかがなさいましょう。私が後を追いましょうか?」
役小角が巌鬼に向かって言うと、鬼蝶が役小角に言った。
「いや……やめておこう。あやつらが向かったのは奥州はぬらりひょんの館。わしですら入り込めぬ禁足の領域だ」
「行者にしては、やけに弱気だな」
役小角は日が暮れていく空を見上げながら言うと、巌鬼が役小角に言った。
「温羅坊。おぬしは妖(あやかし)の世界を何も知らん。うかつに近づけば逆にわしらが捕らえられる危険性すらあるのだ」
そういった役小角は、足元に転がる二体の野盗の死骸を見て錫杖で血溜まりを突いてスーッと地面に血の線を引いた。
「桃姫を追うのは一旦やめじゃ。わしらにはわしらでやるべきことがあるのだ。"来たる日"に向けて、鬼ヶ島の軍勢を更に増やし、強化せねばなるまい」
「そうですね。でなければ、日ノ本の支配、"地獄化"など、夢のまた夢」
役小角の言葉に鬼蝶は同意して妖艶な笑みを浮かべた。
「それでよいな、温羅坊?」
「……ふん。構わん……桃姫の味わう地獄が長引いただけだ」
白い眉毛を片方だけ上げて片目で巌鬼を見た役小角が言うと、巌鬼は吐き捨てるようにそう言って桃姫と雉猿狗が飛び去った北の空を見上げるのであった。
桃源郷は鬼を斬るには適しているが人を斬るには適さない。だからこそ、容赦なく全力で人に対して振るうことが可能だと雉猿狗は考えていた。
「──来なさいッ!」
雉猿狗が刀を構える三人の落ち武者たちに凛とした声で告げると、三人が前方に向かって大声を発した。
「あ、ああッ!?」
「……頭(かしら)ッ! 後ろッ!」
「……ああッ!!」
不揃いの鎧を着込んだ三人の男が次々に慄きの声を上げ、雉猿狗と桃姫も咄嗟に後ろを振り返る。
「……あン?」
腕を組んだ野盗頭が面倒くさそうに声を出し、そして隣をフッと見ると黒尽くめの痩男の体がぶらりと宙に浮かんでいた。
「あ……ぎゃ……きゅ……き……」
痩男がネズミの断末魔のような声をあげる。野盗頭はゆっくりと顔を上げ、一体何が起きているのかを見て唖然とした。
「──十分楽しんだあとに──売り飛ばしてやるよ」
青紫の肌をした大鬼が太い腕と鬼の爪で痩男の頭を握りながら言った。
「ぎ、ぎ……や……べて……アッ」
パキャッ──という軽い音ともに、痩男の頭は握りつぶされ、ドサッと血溜まりの中へ体が落とされる。
「──温羅、巌鬼……ッッ!!」
桃姫がその光景を見て濃桃色の瞳を見開き、桃太郎退治、父親殺しの仇敵の名を口にした。
「……ひっ……ヒィ……鬼……本物の鬼だぁ……!」
威勢の良かった野盗頭の男は巌鬼の顔を見上げるや腰抜けになったその場に尻もちをついた。
その勢いで頭から兜が転げ落ち、月代(さかやき)のほどかれたみすぼらしい落ち武者頭があらわになった。
「……な、なぜ……なぜ鬼が、太陽の下にいるのだ……っ!」
絶望の表情を浮かべた野盗頭が引きつった声を上げながら言うと、巌鬼は血のしたたる鬼の爪を野盗頭に見せつけながら地獄の底から響くような低い声で言った。
「──鬼が太陽の下を歩けないってのは、一体どこから得た情報ダ?」
「見てはいけません……!」
雉猿狗は思わず、数珠をつけた右手を伸ばして隣で驚愕している桃姫の視界を遮った。
パキッ、バキッ……頭蓋骨が徐々に砕けていく、枯れ枝を折る音にも似た嫌な音が周囲に響く。
「あがっ……!」
短い断末魔の悲鳴を上げ、白目をむいて息絶えた野盗頭は、厳鬼の手から解放されて血溜まりの地面に倒れ伏した。
「あ、あああッ! 鬼だッ! 鬼だああッ!」
「ひぃ……! ひやああああッ!」
「にげろ……逃げろォッ!」
その凄惨な光景を見た三人の野盗たちが悲鳴を上げながら巌鬼から遠ざかろうと一目散に駆け出すと、シュッ──と飛んできた三本の銀色の閃光に後頭部を次々と刺されて、その場にバタ……バタ……バタ……と倒れた。
三人の野盗の後頭部には銀製のかんざしが深々と突き刺さっていた。
「──殿方ともあろう者が……鬼の一つや二つで、いちいち、騒がしいわねェ」
顔の右半分に包帯を巻いた女が艷やかな声でそう言うと、左手に持った扇子で顔を扇いだ。
「鬼蝶……!」
雉猿狗が巌鬼の後方からしなやかに歩いてくる鬼蝶に向けて叫ぶ。
「……あら、雉猿狗。久しぶりね……ふふふ」
包帯の隙間から赤い唇を見せてほほえんだ鬼蝶。
「……巌鬼……!」
桃姫は雉猿狗の手を下げて憎き鬼を直視して叫ぶ。
「……一年ぶりだな。俺のことを覚えていたか、桃姫」
そう言った巌鬼は笑みを浮かべながら鬼の足を前に進め頭の潰れた野盗の死骸を虫けらのように踏みしめながら桃姫に歩み寄った。
「……どうだ、一年間地獄を見た感想は。俺に教えてくれよ」
巌鬼は黒い眼球に黄色い縦線の鬼の目で"あの日"から一年経った桃姫を見定めるように言葉を発した。
「いわば、俺とお前は兄と妹のようなものだ。俺はお前の父親に家族を殺され、お前は俺に家族を殺された」
巌鬼は桃姫に向かって己の理屈を言ってみせた、しかし、桃姫の手は桃月の柄を握りしめ今にも鞘から引き抜いて巌鬼に向けて駆け出して斬りつけそうな勢いであった。
「桃姫様……いけません……今は、まだ……!」
その勢いを制していたのは雉猿狗であった。雉猿狗は桃姫の体をぐっと片手で抑えて言葉を発する。
「……離して、雉猿狗……! こいつ、こいつら……! 殺さなきゃいけないんだ……!」
「桃姫様、なにとぞ……なにとぞ心を鎮めてください……! 今はまだ……勝てません……! 今の私たちでは……!」
桃姫と雉猿狗のそんな様子を、桃姫の父親を殺した巌鬼と母親を殺した鬼蝶とが愉快そうに見た。
「兄として、そろそろお前を殺して楽にしてやっても良いと考えている。もう、現世の地獄を見るのは嫌になっただろう?」
巌鬼は怒りに震える桃姫に地獄の声でささやくように告げた。
「──俺が退治した桃太郎が恋しくて、たまらなくなってきているのだろう……?」
「……ッ! 父上の名を……! 父上の名を口にするなァッ!」
巌鬼の言葉を耳にして、烈火の如く怒った桃姫が雉猿狗の腕の中で叫んだ。その様子を見て満足気に鬼の目を細めた巌鬼は後ろに立つ鬼蝶を横目で見ながら口を開いた。
「ふっ……しかし、我らが鬼ヶ島で話し合った結果……桃姫を殺すのは惜しいとの結論が出た」
巌鬼はそういうと、桃姫に向けて両腕を広げて見せた。
「──どうだ。鬼ヶ島の軍勢に入らぬか?」
「……ッ!?」
「……なにをッ」
巌鬼の言葉を聞き、言葉を失った桃姫と雉猿狗。
「鬼に追われているのが、辛く苦しいのであろう? ならば、自らが鬼の軍勢に入ってしまえば良いのだ。これ以上ない明快な解決方法だ……なぁ、鬼蝶」
「ええ、その通り……ねぇ、雉猿狗。あなた、聞くところによると桃太郎のお供の化身だとかね。主亡きあとに娘の桃姫ちゃんに付き従ってるなんて、うふふ……なんとも、忠義心の塊のようなお話じゃないの」
鬼蝶はそう言って巌鬼の隣に立つと自身の顔に巻かれた包帯を右手で剥ぎ取るようにほどいた。
「私の体を焼いたこと、許してあげるから……鬼の軍勢に降りなさい。雉猿狗、桃姫ちゃん」
鬼蝶の顔右半分には、ひりつくような火傷の痕が残っていた。陰惨な笑みを浮かべた鬼蝶が雉猿狗と桃姫に向けて受け入れるように黒い爪を持つ手を伸ばした。
「……桃姫様。私の体にしがみついて……絶対に手を離さないでください」
「……雉猿狗……?」
「……お願いします……桃姫様」
巌鬼と鬼蝶に聞き取られないような小さな声で雉猿狗が桃姫に告げる。桃姫はいぶかしみながらも、桃月の柄から手を離して、雉猿狗の体に寄り添うようにぎゅっと両手を回した。
それは端から見れば、二体の強力な鬼の出現に対して、桃姫が怯えて雉猿狗に抱きついたように見えた。
「どうだ、雉猿狗。そのように怯える桃姫を護りたいのならば、桃姫とともに鬼の軍勢に入れ。お前にとって、これ以上ない提案であろう?」
「そうですね……」
巌鬼の言葉に対して、雉猿狗は言ったあとに緋色の波紋が浮かぶ濃翠色の瞳を閉じた。そして、カッと見開くと緋色の波紋は拡大していき、濃翠色の瞳は緋色に飲み込まれていった。
「──それはこれ以上ない……下劣で卑劣で……虫酸が走る提案ですね。断固、拒否します」
「なんだと……」
凛とした声音で発せられた雉猿狗の言葉に巌鬼は面食らったように声を漏らすと、バチバチバチッ──と黄色い雷光が雉猿狗の体からほとばしり、しがみつく桃姫の体ごと包みこんだ。
「──日ノ本最高神、天照大御神様より授かりしこの神の御業を視よッ! ──神術・雷光赤火(らいこうせっか)ッッ!!」
「ぐオッッ!?」
「なにッ!?」
桃姫を抱きしめた雉猿狗が宣言するように天に向かって神術を発すると、体から放たれる電光がバババババッッ!!──と、音を立てながら激しい閃光となって街道を白く染めあげ、そして雉猿狗と桃姫の体を高く宙に浮かべた。
巌鬼と鬼蝶はその光景とあまりの眩しさに腕で視界をさえぎりながらうめくように明滅する黄色い電光に一体となって包まれる雉猿狗と桃姫の姿を見上げて叫んだ。
「──桃姫様! ──このまま奥州まで飛びますッ!」
「……うんッ!」
真紅とも云える緋色に目を染め上げた雉猿狗が桃姫に告げるように言うと、桃姫は激しい電光の中で困惑しながらも頷き、信頼する雉猿狗にその身を委ねた。
そして、バチバチ──と音を立てる電光の球体と化した雉猿狗と桃姫は奥州に向けて空を稲妻のような軌道を残しながら飛び去っていくのであった。
「……し、信じらん……」
空を見上げたままの巌鬼が愕然とした表情で声を漏らすと、同じく空を見上げた鬼蝶が憎々しげに歯噛みをした。
「なに……なによあれ……桃姫ちゃんだけじゃなく……雉猿狗まで"特別な力"が使えるってわけ……!?」
鬼蝶が赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い目を細め睨むように言うと、巌鬼と鬼蝶の後方から特徴的なしゃがれ声が届いた。
「これは驚いたのう……雉猿狗、所詮、下等な獣の化身だと思うておったが、まさかあれほどの"神術"が使えたか、これは驚いた。くかかかかッッ!!」
「遅いぞ役小角ッ! 今更やってきて、何を抜かす……!」
満面の笑みを顔面に貼り付けた役小角が感心したように言いながら、黄金の錫杖をチリンチリンと鳴らして現れると振り向いた巌鬼が怒声を上げた。
「そう怒鳴るでない。わしにはわしの"特別な事情"というものがあるのだよ、温羅坊」
「……行者様、いかがなさいましょう。私が後を追いましょうか?」
役小角が巌鬼に向かって言うと、鬼蝶が役小角に言った。
「いや……やめておこう。あやつらが向かったのは奥州はぬらりひょんの館。わしですら入り込めぬ禁足の領域だ」
「行者にしては、やけに弱気だな」
役小角は日が暮れていく空を見上げながら言うと、巌鬼が役小角に言った。
「温羅坊。おぬしは妖(あやかし)の世界を何も知らん。うかつに近づけば逆にわしらが捕らえられる危険性すらあるのだ」
そういった役小角は、足元に転がる二体の野盗の死骸を見て錫杖で血溜まりを突いてスーッと地面に血の線を引いた。
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「そうですね。でなければ、日ノ本の支配、"地獄化"など、夢のまた夢」
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「それでよいな、温羅坊?」
「……ふん。構わん……桃姫の味わう地獄が長引いただけだ」
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