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第二幕 斬心 Heart of Slashing

22.鬼ならぬ鬼

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 おたつに別れを告げ、奥州はぬらりひょんの館を目指して房総半島を海岸沿いに北へと進んでいく桃姫と雉猿狗。
 一月をかけて安房から上総へ行き、どこまでも続く砂浜、夕焼けの九十九里浜を二人で歩いていく。

「んー、気持ちいい風が吹きますね。桃姫様」
「そうだね。雉猿狗」

 両手を伸ばして目を閉じ、新鮮な海からの風を浴びながら歩く雉猿狗とその一歩後ろを行く桃姫が笑顔で言った。

「このまま順調に奥州まで辿り着ければいいのですが」
「うん」

 房総半島に上陸してから移動し続けていることもあってか、鬼蝶のような強力な鬼に襲撃されることはなく、二人は時間をかけて着実に奥州へと向かっていた。
 そして、更に一ヶ月、季節が夏から秋に移り変わった頃、二人は下総の神社で行われている秋祭りの様子を山の中腹から眺めていた。

「……雉猿狗」
「はい、桃姫様」

 桃姫が雉猿狗の名を呼び、雉猿狗がそれに応えた。

「今日って、私の誕生日だ」

 桃姫は実りの秋、収穫の秋を祝う神社の境内の人だかりを遠くに見ながら言った。
 中央には提灯に囲まれたやぐらが建ち、太鼓が打ち鳴らされている。
 離れた山すら震わせる地鳴りのような音を耳にしながら、桃姫を見た雉猿狗が口を開いた。

「十一歳のお誕生日おめでとうございます。桃姫様」
「ありがとう。雉猿狗……あ」

 微笑んで言う雉猿狗に感謝の言葉を述べた桃姫がハッとして思い出す。そして、雉猿狗に言った。

「そっか……それなら明日は雉猿狗が生まれた日、だよね」
「……そうですね。私が"この体"を得た日です」

 桃姫は、"あの祭の夜"に雉猿狗が現世に姿を顕したことを思い出し、そして雉猿狗も同意した。

「ちょっと早いけど、一歳のお誕生日おめでとう。雉猿狗」
「ふふ……ありがとうございます、桃姫様」

 雉猿狗の目を見て、微笑んで言った桃姫に雉猿狗が少し照れながら感謝の言葉を述べて返した。

「何だか、すごく長かった気がするよ……この一年間」

 桃姫が秋祭りの喧騒を遠くに見ながら、目を細めて感慨深く言った。

「実際、長かったと思います。桃姫様の十一年間の人生のなかでは、計り知れないほどに」
「……うん。長かった……いろいろなことがあったな」

 雉猿狗の言葉を聞いた桃姫はそう言うと、着物の中に手を入れてスッと手紙を取り出した。
 そして、広げて今は亡き両親の文字を見た。

「……父上と母上……それにおつるちゃん……成長したね、って言ってくれるかな……」
「…………」

 おつるの赤いかんざしをつけた桃姫が言うと、後ろからぐっと雉猿狗がその体を抱きしめた。
 その構図は一年前、燃える村を見下ろす山の中腹で桃姫と鬼蝶が見せた構図に似ていたが、しかし一年前とは意味合いが全く異なっていた。

「……雉猿狗が代わりに言います。桃姫様……立派に成長されましたよ」

 桃姫は雉猿狗の太陽のようなぬくもりを背中に感じながら、目を閉じて静かに頷いた。
 そして、濃桃色の目を開き、着物の胸元に手紙を仕舞うと口を開いた。

「一歳と十一歳で、がんばろう。雉猿狗」
「はい。一歳と十一歳でがんばりましょう、桃姫様」

 二人が決意を新たにした瞬間、ドォーン──と豪快な音とともに打ち上げ花火が夜空に輝いた。
 雉猿狗が桃姫を背後から抱きしめ、桃姫は回された雉猿狗の手を自身の手と重ね合わせ、そして次々と夜空に打ち上がり、花開いていく大火輪を山の中腹から眺めるのであった。

「──姐さんがた、悪いことは言わねぇよ。奥州に行くならこの先の山道、あの道は絶対に避けて通ったほうがいい」

 桃姫と雉猿狗が下総から更に北へと進み、常陸に入って一ヶ月ほどが経ったある日のこと。
 一泊した後に出立しようとしていた宿屋の番台にて、店主の男性が眉根を寄せながら二人に言った。

「それは、なぜでしょうか……?」

 これまでも常陸の山道を歩いてきた雉猿狗が疑問を抱いてたずねると店主はため息交じりに告げた。

「──落ち武者だよ。しばらく前から蘆名の落ち武者が出るようになったんだ」
「……落ち武者、ですか」

 店主の言葉を雉猿狗は確認するように繰り返した。

「ああ。ここ常陸は佐竹領なんだが、奥州の伊達が"蘆名崩し"に本腰を入れ始めてな、ここより北じゃ伊達と蘆名の合戦が頻繁に行われてる」
「……奥州の……伊達」

 雉猿狗は呟くように言うと、番台の後ろの壁に貼り付けてある関東近辺が描かれている日ノ本の地図を見上げた。

「確かあんたら、下総から来たんだろ? そりゃ、平和でいいよな。でも、ここらじゃまだ戦続きなんだ。蘆名は伊達に対して劣勢でな。やっかいなことに蘆名を見限った敗残兵どもが野盗化して常陸の山に潜伏してんだよ」
「……なんと」

 地図から目線を落としながら雉猿狗は声を漏らした。

「もうやつらには侍としての矜持もなにもありゃしない。通りかかった行商人や旅人を情け容赦なく襲い、奪い、殺す。"鬼"のような存在になっちまったんだ」
「……"鬼"」

 桃姫は店主が放った鬼という言葉を聞いて歯噛みした。

「姐さんがた、刀を携えているから腕に覚えはあるんだろう。だが、多勢に無勢、集団で襲われちゃひでぇ目にあう。悪いことは言わねぇ……山道を避けて人通りの多い街道を行きな。街道のがまだ安全だ……」
「ご助言、ありがとうございます。蘆名の落ち武者、確かに気をつけます」

 雉猿狗は店主に礼を言うと、桃姫とともに宿屋を後にした。そして、言われた通り山道ではなく街道を通る。
 奥州まで遠回りとなるのだが、店主の話を聞いたあとでは仕方のないことであった。
 それから二日、三日と常陸の街道沿いを行き、北へ向かって進んでいると、黒尽くめの格好をした一つの怪しい影が山の麓の木の上から街道を行く桃姫と雉猿狗の姿を見ていた。

「──ありゃあ、上玉だ……頭(かしら)に報告しねぇと」

 そう掠れた声で言い、舌なめずりをすると、木から飛び降りて山の中へと駆け出した。

「……もうじき日が暮れてしまいますね……桃姫様、お昼に通った町まで戻りましょうか」

 見事な三本松が立つ人通りのない街道沿い。落ちていく太陽を見て焦りながら雉猿狗が言った。

「……うん。なんで急に人がいなくなったんだろ」
「最後にすれ違った商人のかた……足早に移動していましたよね……」

 桃姫の言葉を聞いた雉猿狗が思い出しながら言った。なにか不穏な気配があたりを包みこんでいたのだ。
 その時、二人に向けて低い声がかけられた。

「──よお、よお、よお……女子供の二人旅たぁ、ずいぶんと不用心だねえ……」

 街道沿いの三本松の陰から刀を持った二人のやさぐれた男が二人の前に立ちはだかるように現れた。
 男の一人は薄汚れた黒尽くめの痩せた姿だが、もう一人はボロボロの黒い鎧兜を身につけていたが体格は立派なものであった。

「……おい、女」

 鎧姿の男が刀の切っ先を雉猿狗に向けながら告げた。

「ここを通りたいなら、それ相応の金を置いて行きな……そんなら命は見逃してやらぁよ」

 そう言うと、桃姫と雉猿狗の背後からも三人の男がザッと姿を現して退路を断った。

「……ふう」

 雉猿狗は目を伏せると大きなため息を吐いた。

「雉猿狗、だめだよ。人間を殺したら……鬼と同じになってしまう……」
「……桃姫様。彼らの言動を、その行動を……然と見ておいてくださいませ」

 雉猿狗の隣に立つ桃姫は雉猿狗の"殺気"を感じ取って言うが、雉猿狗は濃翠色の目を伏せたまま静かに言葉にした。

「……その刀も置け。女の分際で、生意気に刀なんぞを持ち歩きやがって」
「ガキもだ。早く刀を置くんだよ」

 鎧姿の男が雉猿狗に向かって言うと、痩せた着物姿の男が桃姫に言った。

「──この刀を渡すことは、出来ません」

 雉猿狗は目に力を込めて鎧姿の男を見ると、凛とした声で告げる。

「……なんだぁ? 死んだ旦那の形見だってのかよ……へへへ」

 それを見た痩せた男が下婢た笑い声をあげて言った。

「その代わり、持っているお金を全てお渡しします」
「……物わかりが良くて、いいじゃねぇか」

 鎧姿の男が雉猿狗の言葉に言って返すと桃姫と雉猿狗の後ろに立つ三人の男に向けて言った。

「通してやれ」
「へい」

 そう言って三人の男が道を開けようとしたとき。

「──やっぱり駄目だ!」

 鎧姿の男が大声を上げた。

「駄目だ駄目だ駄目だ……! こんな上玉、はい、さようならで通すわけにはいかねぇよなあ……!」

 鎧姿の男は兜の隙間から闇に飲まれた暗い目を見せて言った。

「ここで見逃しちまったら……それは、機会損失ってぇやつだよなあ──それはあ!」

 そう言って、刀を構えて雉猿狗と対峙する。

「安心しろよ……俺たちが十分楽しんだあとに、この金の三倍で売り飛ばしてやるよ……! ぎゃははははは!」

 その隣に立つ黒尽くめの痩せた男もまた刀を構えながら叫ぶように笑った。

「桃姫様……現世には、"鬼ならぬ鬼"がいるのです」
「……雉猿狗」
「雉猿狗の人斬りを御許しください。桃姫様──斬りますッッ!!」

 雉猿狗は桃姫に対して宣言するように言い放つと、桃太郎の愛刀"桃源郷"の柄に手をかけた。
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