上 下
43 / 121
第二幕 斬心 Heart of Slashing

12.河童の領域

しおりを挟む
 河童の領域を目指して桃姫と雉猿狗が山道を歩いていると山の中腹の開けた台地に集落とも呼ぶべき小さな村が姿を現した。

「おや……? ……こんな山深くに村があるなんて」

 雉猿狗が言うと、隣に立つ桃姫のお腹がぐう……と音を立てて鳴った。

「……雉猿狗、実は私ずっとお腹が減ってて……」
「桃姫様……! 大事なことは早く言ってくださいませ……!」

 晴天から太陽光を吸収して空腹など微塵も感じていなかった雉猿狗が桃姫の言葉に語気を強めると、村に点在する15軒あまりの大小の木造家屋を遠目に見回した。
 村の外には人がおらず、しかし整備された田畑などを見れば村人が居住していることは確認できた。

「どちらかのお宅にお邪魔してご飯を頂きましょう」
「……うん」

 雉猿狗の言葉に頷いて返した桃姫。雉猿狗は村に入ってまず最初の家の木戸の前に立って声を上げる。

「すみません……! どなたかいらっしゃいませんか……?」
「……誰だい?」

 声とともにガラッと開いた木の引き戸の奥から不機嫌そうに姿を現したのは中年の女性だった。

「突然すみません、私は雉猿狗と申します。旅をしている者です。もしよろしければなのですが、余っているご飯など、頂けませんでしょうか……?」

 雉猿狗が丁寧に女性に対して言うと、女性はため息を深く吐いてから雉猿狗の隣に立つ桃姫を見た。

「……ちょっと待ってな」

 女性はそう言って奥に引き返すと、数分ほどしてから皿に乗ったおにぎりを2つ持ってきた。

「ほら……」
「……ありがとうございます!」

 雉猿狗は感謝して頭を下げると、女性から皿を受け取って桃姫に差し出した。桃姫は女性に対して頭を下げたあとにおにぎりを手に取ってもぐもぐと食べ始める。
 桃姫がおにぎりを食べるその様子を女性は黙ってじっと見ていた。

「あの……なぜ、何者かもわからない私たちにご飯を分けてくださるのでしょうか……?」

 雉猿狗が女性の顔を見ながら尋ねると、女性はまたしても深くため息を吐いてから雉猿狗に答えた。

「うちの息子がね……もう、食べられないんだよ」
「……え」

 悲痛な表情をしてそう告げた女性に雉猿狗は声を漏らす。

「二日前、河童にね、尻子玉を取られっちまったんだ。それでさ……腹がぱんぱんにふくれっちまって……苦しんで寝込んでるんだ」
「……河童に……!」

 女性の言葉を聞いた雉猿狗は目を見開いて驚愕する、そして家の奥から少年がこちらを見ていることに気づいた。

「……おっかあ……おら、もうこのまま死んじまうのかなぁ……」
「……源助……! あんた、寝てなきゃ……! 動いちゃだめだ!」

 見るからに具合の悪そうな少年を源助と呼んだ母親は、家の中に戻り少年を布団に寝かせようとする。

「雉猿狗……"しりこだま"って、なに?」

 手に持ったおにぎりの2個目をもぐもぐと咀嚼しながら桃姫が雉猿狗に尋ねると、雉猿狗は空になった皿を見ながら答えた。

「……体から抜かれると、うんちが出来なくなってしまう玉のことです」
「……っ!」

 神妙な顔で答える雉猿狗ともぐもぐ咀嚼する桃姫が布団に横になって苦しむ源助と母親の姿を玄関先から見ていた。
 その日の夕方、源助の母親が村の集会所にて会議があるというので桃姫と雉猿狗は同行することにした。

「河童どもと会って直接話するしかあるめぇ!」
「今更話ってなんだ! この村の子供ら、5人全員が尻子玉取られて死にかけとるんだぞ!」
「そうだ! 話し合いじゃあねぇ! 鍬と鎌持って攻め込むしかねぇ!」

 村の中で一番大きな家屋に数十人の村人たちが集まり、囲炉裏を囲んで車座になってガヤガヤと談義する中、桃姫と雉猿狗は部屋の脇に立ってその話を聞いていた。

「……物騒ですね」
「……うん」

 雉猿狗が呟くと桃姫が頷いて返した。すると、車座になっている男の一人が不意に雉猿狗と桃姫を見た。

「なぁ、よそもんのあんたら! あんたらは、どうすりゃいいと思うよ……!?」

 突然声をかけられて身を縮こませた桃姫。隣に立つ雉猿狗は村人たちに対して口を開いた。

「あの、そもそもにして、なぜ河童たちは二日前に村の子供たちの尻子玉を奪ったのでしょう……? 何かご存知の方はいらっしゃられますか……?」

 雉猿狗の問いかけに村の男たちと女たちは顔を見合わせてあーでもないこーでもないと言い合う、そして中年の女の一人が雉猿狗に向かって答えた。

「子供らがいつもみてぇに川で遊んでたら、河童たちに突然襲われたんだ! 村の子供らは河童に対して何も悪さなんかしてねぇよ!」
「……そのように、子供たちは言っているのですね?」
「んだ!」

 女は力強く頷いて返すと、車座になった村人たちは再びガヤガヤと談義を始めた。その様子を見ながら雉猿狗は桃姫に耳打ちする。

「桃姫様、どう思われますか……? 河童たちは理由なく子供たちを襲ったのでしょうか?」
「……河童さんに聞いてみないとわからない……かな」
「そうですよね」

 桃姫の返答を聞いた雉猿狗は頷いて同意すると、車座の村人たちに声を上げた。

「あの、みなさま……! 今から私たちが河童の領域に赴きます。そして、なぜ子供たちから尻子玉を奪い取ったのか、その理由を聞いて参ります……! 河童たちに対する行動は、それからでもよろしいでしょうか?」

 雉猿狗の言葉を聞いてシンと静まり返った村人たち、互いに黙って顔を見合うと、それまで言葉を発さなかった村長らしき高齢の男性が口を開いた。

「旅のかた、雉猿狗さんと申されましたかな……河童の領域に足を踏み入れるには特別な作法が必要……それでも仲介役を買って出てくださるのかな?」
「はい、見ず知らずの私たちにおにぎりをくださった御恩。返させて頂きます」
「……うむ」

 雉猿狗の言葉を聞いた村長は微笑んで頷き、そして雉猿狗と桃姫は河童の領域に向かうこととなった。
 河童の領域に入るための特別な作法、それは籐籠いっぱい詰め込まれたきゅうりを背負って山を登ることだった。

「……桃姫様、暗いので、足元お気をつけください」
「……うん」

 雉猿狗と桃姫の二人は大小の籐籠を背負い、きゅうりの匂いをあたりに漂わせながら村の裏手にある山道を登っていく。

「おにぎり2個を頂いたお返しにしては、中々の重労働ですね……」
「……でも、こうしないと河童の領域には入れないみたいだから……しょうがないよ」

 愚痴をこぼす雉猿狗に対して、桃姫は肩にかけられた背負い紐を両手でしっかりと握りながら陽が落ちてただでさえ危険な山道を一歩一歩登っていく。

「……桃姫様、先ほどから視線を感じませんか……?」
「うん……木々の影から……こっちを見てるね」
「……河童ですよね……?」
「……うん」

 雉猿狗と桃姫が行く先の木々から月明かりに反射して光る幾つかの目が、ちらちらと現れては消える。
 山道を進めば進むほど、その数と頻度は増していき、漂うきゅうりの匂いが河童たちを引き寄せているようであった。

「……行き止まり?」

 桃姫が呟く。1時間ほどひたすら山道を登ってきた先には木々が生い茂り、これ以上先に進めない状態となっていた。

「……他に道が……」

 雉猿狗が言ってあたりを見回したとき、ザザザ……という音ともに目の前の木々が左右に別れて道が切り開かれていった。

「……雉猿狗、この先がきっと、河童さんの領域」
「……っ」

 切り開かれた木々の先を見据えた桃姫が言うと雉猿狗は息を呑んだ。

「桃姫様、怖くはないのですか……? 正直に言うと、雉猿狗は引き返したい気持ちなのですが」

 雉猿狗が隣に立つ桃姫に言うと、桃姫は雉猿狗を見て口を開いた。

「早く尻子玉を返してもらわないと、源助くんのお腹が破裂しちゃうよ……行こう、雉猿狗」
「……桃姫様」

 一歩、また一歩と不自然に左右に切り開かれた木々の中に雉猿狗より先に足を踏み入れて前に進む桃姫。
 雉猿狗は桃姫の言葉と後ろ姿を頼もしく思いつつも、妖怪である河童への警戒心を強めながら慎重に前へと足を進めるのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

亡国の系譜と神の婚約者

仁藤欣太郎
ファンタジー
二十年前に起こった世界戦争の傷跡も癒え、世界はかつてない平和を享受していた。 最果ての島イールに暮らす漁師の息子ジャンは、外の世界への好奇心から幼馴染のニコラ、シェリーを巻き込んで自分探しの旅に出る。 ジャンは旅の中で多くの出会いを経て大人へと成長していく。そして渦巻く陰謀、社会の暗部、知られざる両親の過去……。彼は自らの意思と無関係に大きな運命に巻き込まれていく。 ☆本作は小説家になろう、マグネットでも公開しています。 ☆挿絵はみずきさん(ツイッター: @Mizuki_hana93)にお願いしています。 ☆ノベルアッププラスで最新の改稿版の投稿をはじめました。間違いの修正なども多かったので、気になる方はノベプラ版をご覧ください。こちらもプロの挿絵付き。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

JK LOOPER

ネコのうた
ファンタジー
【最初にドーン!】 現代の地球にて、突如、[神のデスゲーム]が執行されてしまいます。 日本の、とある女子高生が、ひょんなことから、タイムループしたり、ジョブチェンジしつつ、終末に挑んでいく事になりました。 世界中を巻き込んでの、異形の者たちや人類との戦いの果てに、彼女らは未来を変えられるのか?! それとも全滅してしまうのか?? といった、あらすじです。 【続いてバーン!】 本編は、現実世界を舞台にしたファンタジーです。 登場人物と、一部の地域や企業に団体などは、フィクションであり、実在していません。 出来るだけグロい描写を避けていますが、少しはそのような表現があります。 一方で、内容が重くならないように、おふざけを盛り込んだりもしていますが、やや悪ノリになっているのは否めません。 最初の方は、主人公が情緒不安定気味になっておりますが、落ち着いていくので、暖かく見守ってあげてください。 【最後にニャ―ン!】 なにはともあれ、楽しんでいただければ幸いです。 それではこれより、繰り返される時空の旅に、お出かけください。

クラス転移、異世界に召喚された俺の特典が外れスキル『危険察知』だったけどあらゆる危険を回避して成り上がります

まるせい
ファンタジー
クラスごと集団転移させられた主人公の鈴木は、クラスメイトと違い訓練をしてもスキルが発現しなかった。 そんな中、召喚されたサントブルム王国で【召喚者】と【王候補】が協力をし、王選を戦う儀式が始まる。 選定の儀にて王候補を選ぶ鈴木だったがここで初めてスキルが発動し、数合わせの王族を選んでしまうことになる。 あらゆる危険を『危険察知』で切り抜けツンデレ王女やメイドとイチャイチャ生活。 鈴木のハーレム生活が始まる!

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

【完結】忌み子と呼ばれた公爵令嬢

美原風香
恋愛
「ティアフレア・ローズ・フィーン嬢に使節団への同行を命じる」  かつて、忌み子と呼ばれた公爵令嬢がいた。  誰からも嫌われ、疎まれ、生まれてきたことすら祝福されなかった1人の令嬢が、王国から追放され帝国に行った。  そこで彼女はある1人の人物と出会う。  彼のおかげで冷え切った心は温められて、彼女は生まれて初めて心の底から笑みを浮かべた。  ーー蜂蜜みたい。  これは金色の瞳に魅せられた令嬢が幸せになる、そんなお話。

処理中です...