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第二幕 斬心 Heart of Slashing

9.燃羅の力

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「……なんで私が、こんな小娘相手に怯まなきゃならないのよ……ふざけんじゃないわよっっ!!」

 鬼蝶は眼の前の少女相手に怯んでいる己を拒絶するかのように激しく叫んだ。

「──骨の芯まで燃え尽きなさいなッッ!!」

 "鬼の咆哮"をした鬼蝶がカッと見開いた左目から火炎の熱線を桃姫に向けて撃ち放つ。
 しかし、まるでそれを待っていたかのように"白い殺気"をまとった桃姫はスッと身をかわし、流れるように一回転してから桃月を鬼蝶めがけて振り払った。

「──ッッ!?」

 その動きに驚愕した鬼蝶は、桃姫の一撃をかわせないと瞬時に理解し、あえて桃姫に向かって突進するように前方に踏み込んだ。

「……ぐぅっ!」

 家屋の外壁に強く押し付けられる桃姫。その衝撃によって桃姫がまとっていた"白い殺気"が解かれる。
 鬼蝶は桃姫の小さな体にヘビのように組み付くと、黒く鋭い鬼の爪を桃姫の喉元に押し当てた。

「──驚いたわ、あなた……なるほどね……狼の子は狼……どれだけ小さく、弱く見えても、危険な牙を隠し持っているのね……」
「……ぐ、ぐぐ」
「油断して撫でていたら……危うく、顔を噛まれるところだったわ……!」

 鬼蝶は鬼になって初めて味わった命の危機に対して顔を紅潮させて興奮しながら、桃姫の体を外壁に押さえつける腕と脚に力を込めた。
 そして真っ赤な唇を桃姫の耳元に近づけて、妖艶にささやくように言葉をつむいだ。

「──ねぇ、桃姫ちゃん……? 私が殺してきた3000人の命に意味なんてものはない、すべての命は等しく無意味……でもね、私たまァに思っちゃうのよ……あれ、今殺した命って、もしかして意味があったんじゃないの? ……なァんて」

 鬼蝶は桃姫の怒りが宿った濃桃色の瞳を間近で見ながら、赤い"鬼"の文字が浮かぶ燃える黄色い瞳をグッと近づけた。

「──桃姫ちゃん、あなたの命は間違いなく意味がある命……死者の祈りを抱えて、運命を託されている命……私はね、そんな意味がある命を"残虐"したときに──サイッコウに生きてる心地がするのよ……」

 鬼蝶の燃える目はうっとりと歪み、そして桃姫の喉に押し付ける鬼の爪に力が込められた。

「──桃姫ちゃん、あなたの意味ある命、私に"残虐"させてよ……──ねぇ、おねがァい」
「……ぐ、うう……」
「──おつるちゃんが待ちくたびれてるわよ……早くいってあげなさい、桃姫ちゃん──」

 鬼蝶の燃える目と鬼の爪の両者が桃姫の命に狙いをつけた次の瞬間──。

「……フッッ!!」
「──っっ!?」

 一陣の風のように鬼蝶の後方から迫った銀桃色の刃。鬼蝶は桃姫を解放して素早く振り返ると、咄嗟に眼前で両手の鬼の爪を交差してその一太刀を受け止める。

「──雉猿狗ッッ!!」

 桃姫がその姿を見て叫ぶと、激昂した鬼蝶が桃源郷の刃を押し返して弾いた。

「──獣風情がっっ!! 私の興を削ぐなァァッッ!!」
「あなたの相手は私だと言ったはずですよ──鬼ッ!」

 両手を拡げて絶叫する鬼蝶に対して距離を取った雉猿狗は桃源郷を構え直して告げる。

「──私だっているよッッ!!」

 鬼蝶の後方に立つ桃姫も桃月を構え、前後を挟まれる形となった鬼蝶。
 桃姫と雉猿狗は互いに視線を送り合う。この状況、二人なら鬼蝶を討ち取れる。二人がそう希望を抱いたとき──。

「──二人なら私に勝てるだなんて、侮らないでちょうだい……! 八天鬼"燃羅の力"を──侮るなぁぁあああッッ!!」
「……うッ!?」
「……何ッ!?」

 鬼蝶が天に向かって咆哮するように叫ぶと同時に途轍もない熱風が桃姫と雉猿狗を襲った。

「──あはははははっっ!! 初めてよ、私の両の目に火をつけたのは……! あなたたちが初めてッッ!!」

 鬼蝶は左目のみならず右目からも炎を噴き上げ、赤く燃えながら舞い飛ぶアゲハチョウの火炎渦を身にまとった。

「──殺してやるわ……! 二人とも焼き殺してやるッッ!!」

 鬼蝶は燃えるアゲハチョウを両手の鬼の爪にまとわせ、赤く発熱させると桃姫に向かって舞い踊るようにように振り抜いた。

「……ッ!?」

 ブォンッ! という風切音とともに強烈な熱波が桃姫に襲いかかるが、すんでのところでかわした桃姫。
 飛んできた熱波がぶち当たった家屋の壁には爪の痕が赤く刻み込まれジュウウウ……と焼き付いていた。

「──次はあなたッ!!」

 嬉々とした表情の鬼蝶は振り返りざまに雉猿狗に向かって鬼の爪を振り払う。
 雉猿狗は咄嗟に駆け出すと路地裏に転がっていた鬼虫の亡骸を持ち上げてその影に隠れた。
 襲いかかった熱波の爪は、ザシュゥ……と音を立てて鬼虫の体に爪痕として刻まれたが、その向こう側にいる雉猿狗の体に危害を加えるまでには至らなかった。

「──うォおおおおッッ!!」

 そして雉猿狗は声を張り上げて鬼虫の亡骸を持ち上げると、鬼蝶に向けて体当たりを仕掛けた。

「──あははははっっ!! なによそれぇっ! 獣らしい愚かな戦い方ねェッ!」

 両目の炎をごうごうと燃やした鬼蝶はカッと両目を見開いて鬼虫の亡骸めがけて火炎の熱線を放出する。
 片目だけでも強力な火炎を両目から撃ち放てば、鬼虫の体は高熱でまたたく間に炭化して崩壊していった。
 しかし、完全に崩壊するよりも早く、桃姫が桃月を構えて鬼蝶に迫った。

「──桃心呀ッッ!!」
「──それを待っていたのよッ!」

 鬼蝶は両目の炎を桃姫に向ける。桃姫は構わず、全身全霊の一撃を鬼蝶に向けて打ち放った。

「──そんなっ!?」

 桃姫が自身の体力を限界まで絞りきって突き出した渾身の一撃は、猛烈な突風を引き越して鬼蝶が両目から噴き出す炎の勢いを反らし、桃姫の突き出した桃月の銀桃色の切っ先だけが鬼蝶の胸元へと迫った。

「──獣心閃ッッ!!」

 更に、雉猿狗が炭化した鬼虫の亡骸を投げ捨て、横に倒した桃源郷を左から右へ大きく薙ぐように振るった。
 桃姫の桃月による切っ先は鬼蝶の心臓へ向けて伸び、雉猿狗の大振りの一撃は鬼蝶の胴体を寸断する勢い。
 "討ち取った"桃姫と雉猿狗の両者が互いにそう確信したとき──。

「──侮るなと言ったはずよ」

 両目の赤い炎がスッと青い炎に転じた鬼蝶は危機的状況にありながら冷たく言い放った。桃姫と雉猿狗は一瞬にして不穏な気配を察する。
 赤い炎よりも青い炎のほうが熱い──そのことを知っていた雉猿狗は大声で叫んだ。

「桃姫様ッッ!! 伏せてくださいッッ!!」
「……ッッ!!」

 次の瞬間、路地裏に立ち並ぶ木造家屋を木っ端微塵に吹き飛ばす大爆風が鬼蝶の体からドオオオォン……! と放たれた。
 桃姫と雉猿狗は地面にしがみつくように低く身を伏せ、互いに苦悶の表情を浮かべながら青い火炎による熱風、飛び交う瓦礫を何とか耐えしのぐ。
 まるで焼却炉の中にいるかのような信じられない熱風が収まると鬼蝶は声を発した。

「──……あなたから殺すことにしたわ……やっぱりあなた、随分と目障りよ」

 青い炎を両目から噴き上げ、青いアゲハチョウの火炎渦を身にまとった鬼蝶は雉猿狗に向けてそう告げる。
 そして、両手を前に突き出すとアゲハチョウの火炎渦から一本の青い炎で形成された薙刀を作り出した。
 左の額から伸びる赤い鬼の角も青く染まり、冷静さを増した青い鬼蝶のその姿は、ただならぬ強者の風格を二人に向けて放っていた。

「──……天下人、織田信長が妻、鬼蝶──いざ、参る」
「……雉猿狗、逃げて……っ」

 桃姫は"桃心呀"を短時間で二度も撃ち放った極度の疲労と、そのあとに受けた強烈な熱風とによって思うように動かなくなった体を地面に這わせたまま、何とか雉猿狗に向かって声をかけた。
 静かな笑みを浮かべながらしなやかに歩み寄る鬼蝶に対して、雉猿狗はどうにかして体を持ち上げる。
 猛烈な爆風に耐えた影響で両足に力が入らなかったが、雉猿狗は鬼蝶に向けて口を開いた。

「……信長公の奥方が鬼に身を堕としてたとは……ぐッ……驚きました……」

 雉猿狗はしびれる左手で何とか桃源郷を握りしめる。対する鬼蝶は青い炎の薙刀を慣れた手さばきでブンと軽く振るった。
 薙刀の刃がガチンと桃源郷に当たると、桃源郷はいともたやすく雉猿狗の左手から離れて地面へと弾き落とされた。
 振るわれた青く燃える薙刀の切っ先は、雉猿狗の着物の胸元も熱波によって焼き斬り裂いていた。

「──楽しかったわ。私がここまで本気になれたのは鬼に生まれ変わって初めてのことよ」

 心の底から楽しげにそう言って笑みを浮かべた鬼蝶は、青く燃える薙刀の切っ先を雉猿狗の喉元に向けた。
 雉猿狗は青い炎をまとった薙刀の熱を感じ、圧倒的な力量の差を前にして観念したように目を閉じた、そして無駄だとわかっていながらも口を開き言葉を発した。

「……どうか、桃姫様の御命だけは──」
「──だァめ♪」

 即座に却下した鬼蝶は雉猿狗に向かって致命の一突きを撃ち放とうと両手に力を込めるのであった。
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