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第二幕 斬心 -Heart of Slashing-
5.居酒屋
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「よう、姐さん、ここいらじゃ見ない顔だねぇ。どうだい、おいらが一杯おごろうか?」
夜の帳が落ちた堺の居酒屋にて、店内に入ってきた鬼蝶に対して酔っ払った商人の男が声をかけた。
「おいらはよぉ、べっぴんさん見かけたらおごらないと気が済まない質でねぇ、へへへ。おーい、こちらの姐さんに熱燗を一本」
提灯が並んで明るく照らされた外の大通りは人が多く、太鼓と鉦の音が賑やかに響き、ときおり笛の音も奏でられる陽気な祭り囃子の様相であった。
「姐さんも、有名な堺の花祭りを楽しみに来たのかい?」
「──…………」
赤い手ぬぐいを目深に被り、髪と目元を隠した鬼蝶は商人の男に対して一切の沈黙を貫いていた。
顔の上半分を隠していたとしても白い肌と赤い唇から器量の良さは隠しきれず、優雅に舞うアゲハチョウが描かれた紫色の着物の仕立ての良さから良家の出であることも容易に見て取れた。
「おいらはおっかさんに酒呑むなって言われてんだけど、花祭りの日だけは特別に許されてんだ、へへへ」
商人は笑いながら言うと、おちょこをくいっと持ち上げて飲み干した。そうしていると、店主の男がお盆に乗せたとっくりとおちょこを鬼蝶の前に持ってくる。
「やっさん、この人におごるのかい?」
「そうだよ。え? 見りゃあわかるだろ? えらいべっぴんさんだよ、こいつぁ」
商人は当然のようにそう言って返すと、店主はいぶかしげに鬼蝶の顔を覗き込んだ。
「お前さん、なんだってぇ顔を隠してんだい?」
「──…………」
店主の問いかけに対して鬼蝶は何も返さず、ただ、手ぬぐいから覗く黄色い目を動かして店内の人数を数えた。
目の前に店主、左右一段高くなっている座敷の上に商人の男を含めた12人の客の姿。
「──……13人」
「へ?」
やっと口を開いた鬼蝶から発せられた言葉に店主が気の抜けた声を漏らす。
「──あなたも入れて、丁度、13人ね」
鬼蝶が妖しい笑みを浮かべた次の瞬間、店主の喉が深々と裂けて、天井までブシュウ……と鮮血が噴き上げた。
床に落ちて乾いた音を立てるお盆、次いで地面に落ちて粉々に砕け散る熱燗の入ったとっくりとおちょこ。
酒と血で濡れた床の上に、ドサッ……と絶望に両目を見開いた店主の亡骸が倒れ込んだ。
「……ひ、ひ……」
顔の半分に鮮血の掛かった商人の男が黒い目をまん丸に広げて引きつった声を漏らした。
黒く長い左手の爪の先端からポタポタと血を垂らした鬼蝶は、右手で赤い手ぬぐいを頭からスッと取ると、深緑色の長い髪と額から伸びる赤い角を顕にした。
くだらない会話で盛り上がっていた店内はシンと静まり返り、客全員の視線が店の出入り口に立つ鬼蝶に向けられる。
大通りの祭り囃子の騒がしさとは打って変わって、店内は時が止まったかのように凍りついた。
「……お……お、オニだ」
震える商人の男が鬼蝶を見ながら振り絞るように声に出した。
鬼蝶は、商人の男をちらりと黄色い目で見ると妖艶に微笑みながら言った。
「──……お酒、おごってくれてありがとうございます──お礼に、死んでくださいませ♪」
真っ赤な"鬼"の文字が浮かんだ両目をカッと見開き、思う存分に陰惨な笑みを浮かべた鬼蝶。
黒く鋭い10本の鬼の爪が伸びた両手を顔の前で交差させると、商人に見せつけた。
「──ギャアアアアアアッッ!!」
商人の断末魔の叫び、そして店内の客たちの叫びは、大通りの騒々しい祭り囃子と雑踏の音とにかき消された。
時間にして1分弱の後。13人の亡骸が倒れ伏す血まみれの居酒屋の店内にて、鬼蝶は両手の鬼の爪から血を滴らせ、白く美しい顔を火照らせながら満面の笑みを浮かべた。
「──快・楽!!」
鬼蝶は血の海となった床を踏みしめ、絶頂するかのように天に向かって叫び、唸った。
「ふふふ……さァて……騒ぎにならないうちに、仕込まなくちゃ……」
そう言いながら鬼蝶は着物の懐に手を差し入れると黒い箱を取り出した。
「お待ちかねのごはんの時間よ──みにくい虫ちゃんたち♪」
大量殺戮を経て上機嫌になった鬼蝶が蓋を開けると、中には13匹の赤い鬼醒虫が所狭しとうごめき、黒い口蓋をカチカチと鳴らして"餌はまだか"と開閉していた。
鬼蝶はその中の一匹の尻尾をつまみ上げると、熱燗をおごった商人の男の顔の上にぽとりと落とした。
「──たくさん喰べて、大きくお成りなさい♪」
鬼醒虫は顔の上でぐねぐねと体を動かしながら、商人の開かれた口の中にもぞもぞと入り込んだ。
「──桃姫ちゃん、今夜の"お祭り"……思う存分、楽しみましょうねェ……! あはははははっっ!!」
鬼蝶はさぞや愉快そうに笑いながら、黒い箱を振るって、残りの鬼醒虫を居酒屋の客たちの亡骸に向かってばら撒いた。
夜の帳が落ちた堺の居酒屋にて、店内に入ってきた鬼蝶に対して酔っ払った商人の男が声をかけた。
「おいらはよぉ、べっぴんさん見かけたらおごらないと気が済まない質でねぇ、へへへ。おーい、こちらの姐さんに熱燗を一本」
提灯が並んで明るく照らされた外の大通りは人が多く、太鼓と鉦の音が賑やかに響き、ときおり笛の音も奏でられる陽気な祭り囃子の様相であった。
「姐さんも、有名な堺の花祭りを楽しみに来たのかい?」
「──…………」
赤い手ぬぐいを目深に被り、髪と目元を隠した鬼蝶は商人の男に対して一切の沈黙を貫いていた。
顔の上半分を隠していたとしても白い肌と赤い唇から器量の良さは隠しきれず、優雅に舞うアゲハチョウが描かれた紫色の着物の仕立ての良さから良家の出であることも容易に見て取れた。
「おいらはおっかさんに酒呑むなって言われてんだけど、花祭りの日だけは特別に許されてんだ、へへへ」
商人は笑いながら言うと、おちょこをくいっと持ち上げて飲み干した。そうしていると、店主の男がお盆に乗せたとっくりとおちょこを鬼蝶の前に持ってくる。
「やっさん、この人におごるのかい?」
「そうだよ。え? 見りゃあわかるだろ? えらいべっぴんさんだよ、こいつぁ」
商人は当然のようにそう言って返すと、店主はいぶかしげに鬼蝶の顔を覗き込んだ。
「お前さん、なんだってぇ顔を隠してんだい?」
「──…………」
店主の問いかけに対して鬼蝶は何も返さず、ただ、手ぬぐいから覗く黄色い目を動かして店内の人数を数えた。
目の前に店主、左右一段高くなっている座敷の上に商人の男を含めた12人の客の姿。
「──……13人」
「へ?」
やっと口を開いた鬼蝶から発せられた言葉に店主が気の抜けた声を漏らす。
「──あなたも入れて、丁度、13人ね」
鬼蝶が妖しい笑みを浮かべた次の瞬間、店主の喉が深々と裂けて、天井までブシュウ……と鮮血が噴き上げた。
床に落ちて乾いた音を立てるお盆、次いで地面に落ちて粉々に砕け散る熱燗の入ったとっくりとおちょこ。
酒と血で濡れた床の上に、ドサッ……と絶望に両目を見開いた店主の亡骸が倒れ込んだ。
「……ひ、ひ……」
顔の半分に鮮血の掛かった商人の男が黒い目をまん丸に広げて引きつった声を漏らした。
黒く長い左手の爪の先端からポタポタと血を垂らした鬼蝶は、右手で赤い手ぬぐいを頭からスッと取ると、深緑色の長い髪と額から伸びる赤い角を顕にした。
くだらない会話で盛り上がっていた店内はシンと静まり返り、客全員の視線が店の出入り口に立つ鬼蝶に向けられる。
大通りの祭り囃子の騒がしさとは打って変わって、店内は時が止まったかのように凍りついた。
「……お……お、オニだ」
震える商人の男が鬼蝶を見ながら振り絞るように声に出した。
鬼蝶は、商人の男をちらりと黄色い目で見ると妖艶に微笑みながら言った。
「──……お酒、おごってくれてありがとうございます──お礼に、死んでくださいませ♪」
真っ赤な"鬼"の文字が浮かんだ両目をカッと見開き、思う存分に陰惨な笑みを浮かべた鬼蝶。
黒く鋭い10本の鬼の爪が伸びた両手を顔の前で交差させると、商人に見せつけた。
「──ギャアアアアアアッッ!!」
商人の断末魔の叫び、そして店内の客たちの叫びは、大通りの騒々しい祭り囃子と雑踏の音とにかき消された。
時間にして1分弱の後。13人の亡骸が倒れ伏す血まみれの居酒屋の店内にて、鬼蝶は両手の鬼の爪から血を滴らせ、白く美しい顔を火照らせながら満面の笑みを浮かべた。
「──快・楽!!」
鬼蝶は血の海となった床を踏みしめ、絶頂するかのように天に向かって叫び、唸った。
「ふふふ……さァて……騒ぎにならないうちに、仕込まなくちゃ……」
そう言いながら鬼蝶は着物の懐に手を差し入れると黒い箱を取り出した。
「お待ちかねのごはんの時間よ──みにくい虫ちゃんたち♪」
大量殺戮を経て上機嫌になった鬼蝶が蓋を開けると、中には13匹の赤い鬼醒虫が所狭しとうごめき、黒い口蓋をカチカチと鳴らして"餌はまだか"と開閉していた。
鬼蝶はその中の一匹の尻尾をつまみ上げると、熱燗をおごった商人の男の顔の上にぽとりと落とした。
「──たくさん喰べて、大きくお成りなさい♪」
鬼醒虫は顔の上でぐねぐねと体を動かしながら、商人の開かれた口の中にもぞもぞと入り込んだ。
「──桃姫ちゃん、今夜の"お祭り"……思う存分、楽しみましょうねェ……! あはははははっっ!!」
鬼蝶はさぞや愉快そうに笑いながら、黒い箱を振るって、残りの鬼醒虫を居酒屋の客たちの亡骸に向かってばら撒いた。
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