ひとりぼっちの世界、たった二人だけの星

鈴木りんご

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二章「特別」

14話

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☆☆☆

 お昼の後、僕たちは食料を一通り調達し、本屋を探すことにした。

 本屋といっても正確には古本屋だ。今から何十年も前、すでに紙媒体に文字を印刷した本のほとんどは出版を停止して、デジタルデータに移行している。理由はいろいろあったようだが、一番の問題は資源的なものだっただろう。そのころにはもう地球は病み始めていたから。

 そういうわけで簡単に本屋を見つけることはできない。

 それでもデータ化された文章を液晶越しに読むより本で読むことにこだわりを持つ人や、蔵書が趣味の人もいたので町に一つくらいは本屋があるはずだ。

「本屋、ないねー」

 ナリアがけだるそうに言う。

 本屋を探し始めてからどれくらいたっただろう。時計は持っていないので正確な時間はわからない。

 そもそも僕は人類が滅びて以来、時間を気にした記憶があまりない。だから時間の感覚は曖昧だ。

 食事の時間なんかもかなり適当だった。朝はとりあえず起きてすぐ料理を始める。昼はナリアがお腹空いたと言い出してからで、夜は日が沈み始めてからだ。

 そんな感じなので正確にどれくらいたったかはわからないけど、本屋を探すのはそろそろ諦めようかなと思うくらいの時間はたった。

 だから僕がもう諦めようという提案を口にしようとしたそのとき。

「がぁー、がぁぁー」

 弱々しい、くぐもった鳴き声が聞こえた。

「鳥さんだ。この声はカラスさんの声だ!」

 ナリアが声のしたほうに向かって走り出す。

 僕もそんなナリアを追って走り出した。

 大通りの歩道にできた街路樹の影の下、そこにカラスはいた。

 そのカラスはまだ子供なのか随分と小さい。

 よろよろとした危なっかしい足取りで、でこぼこなアスファルトの上を歩いていた。たまに羽をばたばたとはためかすのだが、バランスが悪く少し浮き上がるだけで飛べそうにはない。

 怪我でもしているのだろうか。もしかしたら飛べるようになる前に巣から落ちてしまったのかもしれない。

 僕がそんなことを考えていると――

「おりゃぁぁーー」

 掛け声と共にナリアがカラスへと飛びかかる。

 それはまるで狩をする肉食動物みたいに俊敏でしなやかな動きだった。

「捕まえた!」

 そう叫びながら、ナリアは捕まえたカラスを頭の上に掲げた。カラスは「がぁーがぁー」言いながら暴れている。

「ナリアはこのカラスさんと友達になろうと思う」

 捕まえたカラスを僕のほうに差し出しながらナリアは言った。

 友達……その言葉に心が冷たくなる。

 友達……それは、特別だ。

 今はまだ、ただのカラス。どこにでもいるカラスの一羽に過ぎない。

 でも、もし友達になってしまったら、それはただのカラスではなくなる。

 他のカラスとは全く違う、たった一羽だけの特別な存在になってしまう。

 僕はそれを失うことに、きっと耐えられない。

 だから考える。

 どうすればいいか……ナリアになんて答えればいいのか……

 次に紡ぐべき言葉を考える。

 空を見上げて、大きく深呼吸をする。

 そしてゆっくりとまぶたを閉じた。

 犬のナナを思い出す。

 ナナはシェットランド・シープドッグのメスで、僕が七歳ときから二年間ずっと一緒だった……僕の初めての友達。

 ナナに出会うまで僕は一人だった。

 そう……ずっと一人ぼっちだったんだ。

 そのことに気がついたのはいつだっただろうか。まだ小さかった頃は自分が人と違うことなどわからなかった。

 学校に通う以前、僕には同年代の友達はいなかった。周りにいたのは両親とその知り合いの大人たちだけ。

 みんなすごく優しかったから幸せだった。満たされていた。みんなに優しくされると、そのぶんだけ幸せになることができた。

 しかし……学校に入学して、僕は自分が人とは違うことを知ってしまった。

 クラスメイトたちは驚くほど低能だった。先生の言ったことは一度で理解できないし、考える必要もないような問題を誰もが必死で考えていた。

 そのときはまだ、自分一人が優秀でクラスメイトたちが低能なのだと思っていた。

 でも彼らは幸せそうだった。勉強ができない者は勉強ができる者に助けてもらえばよかった。それは勉強に限ったことではなくて、他の何だってそうだった。

 だからできないことは不幸ではなかった。

 そんな中で僕は、一人で全てができてしまった。だから僕一人が特別なのだと勘違いしていた。僕だけが特別に優秀すぎるのだと思っていた。

 しかし真実は違った。僕に向けられた彼らの目。それは憧れでも嫉妬でもなく、哀れみの眼差し。僕こそが出来損ないだったのだ。

 全てを知った後、僕は自分が一人であることを悟った。

 みんなは変わらず優しかった。大人たちも同級生たちもみんなすごく、すごく優しかった。

 でもそれは僕を哀れんでのこと……みんなと違う出来損ないの僕がかわいそうだから。

 嫌だった……僕に向けられるその目が嫌だった。僕を哀れみ、困ったような作り笑い。

 誰も僕の気持ちなんてわかってくれなかった。

 それなのに、僕にはみんなの気持ちがわかった。心なんかつながっていなくたって、僕には表情や態度で察することができた。

 だから簡単にわかってしまった。みんなが僕と接するとき、僕を扱いかねて困っていること。世界は愛で溢れて幸せに満ちているのに、僕と一緒にいるときだけみんなが悲しそうな顔をしていること。 

 僕が、僕だけがかわいそうだから……

 だから僕は一人であることを望むようになった。

 ずっと部屋で物語を読んでいた。それは人類が心をつなぐ以前に書かれたもの。僕と同じ想いを共有していない人たちの物語。

 物語を読んでいる間だけ、僕は物語の主人公になって幸せになることができた。一人じゃなかった。

 でも、物語を読み終えたとき、僕の幸せは終りを告げる。僕はまた一人ぼっちになった。

 一人は嫌だった。物語の中で語られる友情の素晴らしさ、愛の尊さを知るたびにその思いは強くなった。

 だから……ペットを飼うことにした。

 人間の友達は無理でも、動物となら友達になれるかもしれないと思った。

 物語の中でもたくさん動物との友情は描かれている。だからきっと、動物となら心のつながっていない者同士、友達になれると、そう思ったんだ。

 僕が頼むと、両親はすぐに犬を用意してくれた。子犬は大変だからと、すでに人になれた大人の犬。シェットランド・シープドッグのメス。名前はナナ。

 幸せだった。ナナは僕に幸せをくれた。

 ナナは僕が一緒にいるとしっぽを振ってくれた。僕と一緒であることを喜んでくれたんだ。

 だから僕たちはいつも一緒だった。

 本を読むときも、食事のときも僕の隣にはいつもナナがいた。

 たまには散歩だって行った。

 外に出るのは本当は嫌だったけど、ナナがそれを喜んでくれたから……僕は耐えることができた。

 それなのにナナは僕を置いて逝ってしまった。

 死んだんだ。この世界から消えてなくなった。

 ナナと共に過ごしたのはたった二年間。ナナは家に来たときからもう大きかったから、死んだ理由は寿命だった。

 僕はナナにたくさんのものを貰った。

 とても幸せな日々だった。ナナと共に過ごした日々は一度も自分が一人だなんて思わなかった。

 僕は本当にたくさんの幸せを貰った。

 でも……ナナの死によって全てを失った。

 そう……得たものよりずっと多くのものを失った。

 僕がナナと出会って得たもの。それは友達と二年分の幸せ。

 そしてナナの死によって失ったもの……

 友達を失った。ナナという存在そのものを失った。これからの人生の幸せを失った。

 だから僕は損をした。

 ナナと出会って、僕は損をした。

 だって……僕に残ったのは幸せな思い出なんかよりずっと大きな悲しみ。

 二年分の幸せの対価に、僕はこれから永遠に続く悲しみを背負わされた。

 両親は新しい犬を買ってくれると言った。次は子犬から飼ってもいいと言った。

 でも……その犬はナナではない。

 だから僕はもうペットを飼いたいとは思わなかった。特別はほしくなかった。

 僕は弱いから、死には耐えられない。

 いつか失うことを知ったうえで欲することはできない。

 それなのに……それなのにナリアはカラスと友達になりたいと言う。

 確かに僕はナナの死以後も友達を作ったことはあった。

 現に今、僕の隣にはナリアがいる。しかし人間の友達と動物の友達とは違う。

 人間の友達とだって別れはある。それは辛いものだ。僕は経験したことがある。しかし……それは死を前提としたものではない。

 だが動物との別れは大抵、死を意味する。完全な喪失……いや、喪失ですらなくそれは終わりだ。

 僕はそれに耐えられない。

 だから……考える。

 ナリアの望み。僕の想い。これから友達となるかもしれないカラスにとってのより良いと思われる未来。

 それらを秤にかけて、最良の選択を模索する。

 …………うん。思いついた。

 大丈夫。この方法ならきっと耐えられる。

 だって僕は今、一人じゃない。ナリアと一緒なら乗り越えられるはずだ。

「わかった。まだ飛べないのか、怪我をしているみたいだから助けてあげよう。でも飛べるようになったら、自由にさせてあげることにしよう」

「自由って?」

「お別れをしよう」

「どうして? 友達になるのに」

「カラスは空を飛ぶんだ。ずっと一緒にはいられないよ。それにカラスにはカラスの友達だって必要だと思うし。だからこのカラスが空を飛べるようになって、カラスの友達が見つけられるようになるまでは僕たちが一緒にいよう。それでいい?」

「……うん。そうだね。わかった。それでいい」

「よかった。じゃあ、名前を考えてあげようか」

「かーくんがいいと思います」

 右手をピンと上げながらナリアが言う。

 僕はいつだって基本的にはナリアの意見を優先にしてあげたいと思っている。ナリアの喜びは僕にとっても喜びだ。

 しかし……それでも今回ばかりは譲ることはできない。

 だって今回は二人だけの問題ではない。この決断にはこれから友達になるカラスの運命がかかっているのだ。

 そう考えると、かーくんは駄目だと思う。そもそもかーくんというのは、名前はかーなのだろうか? それともかーくんまでが名前で、かーくん君とかかーくんさんとかになるのだろうか?

 よくわからないけど、どっちにしても駄目だと思う。少なくとも僕だったらそんな名前は嫌だ。

 自分が嫌なことを友達に強いることなんて絶対に許されない。

 だから……

「かーくんもいいとは思うんだけど……それはかーが名前で君付けってこと?」

「違う。かーくんはかーくんだよ」

「でもそうすると、かーくん君になったり、かーくんさんになったりしちゃうから……」

「変かな?」

 ナリアはしょんぼりとした感じで僕の顔を見上げてくる。

 考える。カラスの名前も重要だが、そのためにナリアを悲しませるなんてもってのほかだ。

 だから僕はナリアが笑顔を浮かべられるくらいに素敵な名前を考えなければならない。

 考える。一生懸命に考える。

 かーくん……カラス……黒い……翼……空……

 そのキーワードでピンときた。

「わかった。名前はカレルレン。あだ名がかーくんにしよう」

 以前読んだ物語に出てきた登場人物の名前だ。

「カレルレン?」

「うん。駄目かな?」

「うんん。かっこよくていいと思う」

「よかった。じゃあ、名前はカレルレンだ。でも僕たちはこれから友達になるんだから、かーくんってあだ名で呼ぶことにしよう」

「うん! それはいい考え」

 ナリアは笑顔で答えてくれた。

 そして、かーくんの名前を何度も呼びながら楽しそうに飛び跳ねる。

 かーくんはカーカーと鳴きながら大暴れしているが、ナリアが両手でしっかり捕まえているので逃げられそうにない。

 僕にはナリアとかーくんが友達同士にはとても見えない。

 かーくんはきっと嫌がっている。

 でも……僕だってそうだった。僕も最初は嫌だったんだ。一人のほうがいいと思っていた。

 それでもやっぱり友達はいたほうがいい。

 こんな僕でさえそう思うことができたのだから、きっと間違いない。

 だからもう少し、本当の友達になれるまでかーくんには我慢してもらおうと思う。

「なんだか、かーくんはお腹が空いているみたいです」

 ナリアがかーくんをこっちに向けて言う。鳴きつかれたのかもう大人しくなっていたかーくんも、ナリアの言葉に同意するように一度だけカーと鳴いた。

 そういうわけなので僕はご飯の準備を始める。準備といっても缶詰を選んで開けるだけ。

「かーくんには何がいいかな?」

「カラスさんは何が好きなのかな? シンは知ってる?」

「多分雑食だから何でも食べると思うんだけど……やっぱりお肉がいいのかな? そうなるとコンビーフかなー」

「かーくんはコンビーフでいい?」

 ナリアがそう聞くと、かーくんはまた返事をするみたいにカーと鳴いた。

「コンビーフでいいって」

 もしかすると、もうすでに二人は意思疎通がとれているのかもしれない。

「わかった。ナリアはカニ缶でいい?」

「うん」

 ナリアとかーくんの分の缶を開けた後、自分は何を食べようか考える。

 リュックの中をごそごそと掻き回しながら迷っていると、ナリアとかーくんが目に入った。

 ナリアはマヨネーズを両手でぎゅっと絞っている。かーくんはコンビーフをおいしそうに突っついている。

 それで僕も何を食べるか決めた。

 コンビーフにしようと思う。今日はなんだかコンビーフばかり食べている気もするが、今回は一味違う。そのままではなく醤油とマヨネーズをかけて食べることにした。

 コンビーフを開けて、醤油とマヨネーズをかける。

 すると、ちょんちょん跳ねながらかーくんがこっちにやってきた。

 かーくんは僕のコンビーフをじっと見つめて、その後僕を見る。そしてまたコンビーフ。その動作を三度ほど繰り返した後、首を傾げた。

「まだ食べたい?」

 コンビーフをかーくんの前に差し出す。

 でもかーくんはそれを食べようとはせずもう一度首を逆に傾ける。

「あー。僕のとかーくんのが違ったから気になるのかな? 同じコンビーフだけどかーくんのには何にもつけなかったのに、僕のには醤油とマヨネーズがついているからね。でも動物に醤油はあんまりよくはなさそうだから……」

 コンビーフの開けたふたの上にマヨネーズを絞って、かーくんの前に置く。

「はい、これがマヨネーズ。これだけでもなかなかおいしいよ」

 かーくんは恐る恐るついばむ。

 そして僕を見た。その小さな水色の目はキラキラと輝いている……ような気がする。

 かーくんは視線をマヨネーズの方に戻すと、今度はすごい勢いで食べはじめた。

 そしてあっという間に全部たいらげると、今度はギラギラと瞳を輝かせて僕を見上げる。

 その異様な雰囲気に、僕は座ったままちょっと後退りする。

 するとかーくんは翼をばたばたと羽ばたかせて僕のほうに飛び掛ってきた。

 飛ぶことはできないので、大ジャンプって感じだ。

 気がつくと手に持っていたマヨネーズを奪われていた。

 かーくんは地面に落ちたマヨネーズの上に飛び乗る。

 その重みで、ぶにゅーーっと飛び出る大量のマヨネーズ。かーくんは嬉々としてそれを食べ始めた。

 そんな状況を横目に僕はナリアのほうに視線を向ける。

 ナリアはカニ缶の中をじっと見つめながら大きく膨らませた頬を幸せそうにもこもこ動かしていた。

「ナリア」

「ん? むぁーに?」

 僕が話しかけると、ナリアはもぐもぐしながら返事をする。

「たぶんだけど、かーくんの大好物はマヨネーズだと思う」

「おお、なぁいあもまほぃねーず、ふぅき。いっほぉ」

 そう言って、ナリアは頬をいっぱいに膨らせたまま笑った。
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