ひとりぼっちの世界、たった二人だけの星

鈴木りんご

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一章「美しい星と滅びた人類」

8話

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☆☆☆

「おいしょっと」

 ナリアは坂道の最後の一歩を両足揃えてぴょんと飛び降りた。

「到着と……」

 続いて僕も最後の一歩を降りて、平らな大地を両足で踏みしめる。

 その瞬間、悪寒がした。そして胸の奥から湧き上がる凍てつくほどに冷たい想い。

 僕はぎゅっと強く目をつむって、両手で目を覆う。

 いまだに僕は恐れていた。失うのがどうしようもなく怖かった。

 しかし――僕はもうそれを受け入れたはずだ。

 失う可能性があるとわかったうえで、特別を作ることを許容した。

 受け入れ、そして手にしたのだ。失ってしまう可能性があるとわかっていながら……

 そう、覚悟はもう決めたんだ。

 だから……

「……大丈夫」

 つぶやいて、目を開く。そしてナリアを見た。

 ナリアは久しぶりの大地の上でうれしそうにはしゃいでいる。

 ナリアの笑顔はいつだって僕に幸せをくれた。だからもう、本当に大丈夫。

 大丈夫。きっと……大丈夫。

 そうやって自分自身に言い聞かせながら、僕は辺りを眺めた。

 眼前に広がるのは荒廃した都市の姿。

 六車線の広い道路はアスファルトを突き破って緑が茂っている。道に沿って立ち並ぶ数々の高層ビルも下のほうは蔦で緑に覆われ、道路標識は酸化して赤茶け朽ち始めていた。

 そんな荒廃した都市を闊歩するのは、人ではなく様々な動物たち。

 僕は吹き抜ける風を感じながら空を仰ぐ。

 天上には澄んだ青と輝く太陽。今日は雲一つない快晴だ。

 美しかった。僕を取り巻くこの世界は美しく、温かかった。

 でも……どうしてだろう。

 こんなにも美しいのに、僕は哀しい。

 確かにここは荒廃した都市。しかし、世界が荒廃しているわけではない。世界は再生しているのだ。

 それなのに、この美しい風景は哀しみを伴った。

 なんだろう。この胸の底からこみ上げてくる、言い知れぬ喪失感は。

 いったい僕は何を失ったというのだろう……

 だって僕は初めから何一つ持ってはいなかった。失うものなんてなかったはずだ。

 口から小さく息を吐いて、もう一度辺りを見回す。

 赤も青も黄色の光も宿さない傾いた信号。ビルの割れた窓ガラスの向こうで風に揺れるカーテン。

 どれだけ辺りを見回してみても、そこに人類の気配はない。

 その事実に、僕は少し安心してしまう。

 そう……この世界に人類はもういない。

 人類は滅びたのだ。自ら望んで。

 きっと、人類は生きるには優しくなりすぎた……

 そんな彼らを僕が死へと追いやった。

 人類が滅びた理由――それはある発見から始まった。

 百年以上前、一人の科学者が人の心の中に共有意識があることを発見した。

 それは蟻や蜂のような社会性を持ち、超個体としてある生き物が持つと疑われていた、一つの群れとしての同一の心。人、一人一人が持つ個々の心とは別の人類として共有する一つの意識。

 そこで共有しているのは感情のような想いだけでなく知識もまたそうだった。そこには今まで生きてきた全ての人類の経験と知識が蓄積されていた。集合的無意識と呼ばれるものや催眠などでよく耳にする、前世の記憶などというものはこの共有された心の中にあったものだと推測された。

 そしてこの発見の後、その科学者は人類の樹ユグドラシル を完成させる。その中にあるメインシステム――それは人類が心を、想いを、より強く共有するために作られた、人類の心の中継地点。

 人類の樹ユグドラシル の完成よって人類は大きく進化とげた。それは物質的な進化ではなく、精神的な進化だった。簡単に言えば人類は優しくなったのだ。

 人類の樹ユグドラシル によって共有されるのは主に感情だった。喜怒哀楽を人類は共有しているのだ。だから他者の喜びは自らの喜びとなった。他者の悲しみは自らの悲しみとなった。

 世界から争いは消えた。悪と呼ばれる事象のその全てが消えた。

 そのかわり、世界には愛と優しさが溢れた。

 それを表した有名な詩がある。

 人類の樹ユグドラシル の完成の後、綴られた「僕たちの新しい世界」という詩だ。



『僕のそばで誰かが笑顔を浮かべると

 僕も同じくらいにうれしくなった

 僕のそばで誰かが泣いていると

 僕も同じくらいに悲しくなった

 世界は変わった

 もうこの星に誰かなんていない

 だってその誰かは鏡に映る僕なんだ

 だから僕は笑えばいい

 そうすれば世界の全てが

 僕に笑みを返してくれる』



 そして自ずと経済体系も進化した。

 世界は資本主義から共産主義へと変わっていった。誰かがそれを提案したわけでも、誰かが計画を推し進めたわけでもない。

 まるでそれが当たり前であるかのように、自然とそうなっていった。

 世界は優しさと愛に溢れ、平等だった。

 しかし、その幸せに満ちた世界は五十年程しか続かなかった。

 世界が病に侵されたのだ。

 頻発する異常気象に、前触れなく起きる数々の天変地異。動植物の成長の遅れに出生率の低下。

 特に問題視されたのが新しい命に起きた異変だった。

 多くの新しい命がなんらかの障害を持って生まれてきた。それは人類に限ったことではなく、全ての動植物たちの中で起きていた。

 その解決手段として立ち上がったのがデザイナーズチャイルドプロジェクト。

 そのプロジェクトでは最新のナノテクノロジーを用いて胎児の遺伝子を組み換え、生まれ持つ障害をとりのぞく手段が試みられた。

 そしてその第一号が「藤原神姿ふじわらしんし  」……僕だった。

 僕はナノテクノロジーの権威である両親の間に作られた。試験管の中で受精された僕は、多くの障害の可能性を持って人になるために分裂を始めた。遺伝子検査ではその障害の多くは臓器のもので、このまま普通に成長すれば二十歳になる頃には心臓の障害で死ぬだろうと推測された。

 だから遺伝子操作が行われた。

 障害を取り除き、おまけに容姿、知力、身体能力に至るまで両親の願うままにデザインされた。

 そして人類の希望を背負って誕生した僕は……

 欠陥品だった。

 確かに僕には身体的な障害は何一つなかった。容姿も知力も身体能力も両親の望んだ通りだった。

 しかし僕は人と想いを共有することができなかった。それは人が人であるという定義の中で一番大切なもの。だから僕は失敗作の不良品だった。

 僕は人ですらなかった……

 こうして失敗に終わったデザイナーズチャイルドプロジェクトの後にも人類は世界を救うための方法を模索し続けたが、解決策を見出すことはできなかった。

 そんな中、十七歳になった僕は自身の研究の副産物として世界が病んだ理由を発見した。

 正確には病んでいたのは地球だった。この地球にはエーテルと呼ばれる命のエネルギーがあった。そのエーテルからあらゆる生命が生まれ、死ぬと再びエーテルとなって地球に還る。

 そうやって地球の命は巡っていた。

 その地球の命、エーテルの総量は常に一定だったのだ。

 人類が心を共有し、世界中から争いがなくなった。そして優しくなった人類はその愛を、全ての生物へと向けた。

 結果、世界に命が溢れすぎてしまい地球のエーテルが足りなくなったのだ。

 僕がこの事実を発見してから、人類は必死で世界を救う最善の方法を探した。

 そしてそれから二年後。僕が十九歳のとき、人類はある答えに至った。

 優しい人類は譲ったのだ。

 世界の全てに世界を。

 人類は自らの命、エーテルを地球に還した。

 「生きることとは戦うこと」そんな言葉が想いを共有する以前に記された書物の中にあった。

 しかし、人類は戦うことを止めてしまった。

 だから譲った。

 きっと戦うという選択肢だってあったはずだ。運命と戦い道を切り開くことはできたはずだ。

 それなのに人類は、戦うことによって虐げられるものが生まれることを望まなかった。

 そして自らが手を引いた。

 戦い生き抜くことより、滅び救うことを望んだ。

 そう……人類は世界を生きるにはあまりにも優しすぎた。

 こうして世界は人類の命を糧に再生を始めた。

 そしてそれから一年以上のときが過ぎた今、人類が還したエーテルを糧にこの星には命が満ち溢れている。

 そんな世界の中に僕たちは在った。
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