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一章「美しい星と滅びた人類」

6話

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☆☆☆

 ゆっくりと、僕は目を開いた。

 ――闇。

 そこは目を開く前と変わらない暗い空間だった。

 どこだろう……?

 辺りを見回す。

 虚ろだった意識が少しずつハッキリしていくのと共に、世界はゆっくりと色づき、形をなしていく。

 そして現れたのは見知った天井。今、自分が横になっているベッド。パソコン。室内用の犬小屋……

 ここは……僕の部屋だ。

 それを確認して僕は自嘲の笑みを浮かべた。

 どこだろう……そんなふうに考えた自分が恥ずかしかった。

 そんなの自分の部屋に決まっている。だって僕はこの部屋から、少なくともこの家から出ることなどないのだから。

「ナナ」

 ペットの犬の名を呼びながら、部屋の隅にある犬小屋に視線を送った。

「ナナ!」

 一度目より少し大きな声で呼ぶ。

 しかし、何も反応がない。

「ナナ?」

 名前を呼びながら、犬小屋へと向かう。そして中を覗き込んだ。

 そこに……ナナはいない。暗い部屋の中よりもっと暗い犬小屋の中、そこにはただナナの首輪だけがポツンと置かれていた。

 でも……僕は何も思わない。悲しんだりはしない。あのとき、そう決めたのだ。

 次に僕はパソコンを起動させた。

 じっとモニターを見つめ、ナリアを待つ。

 しかしナリアは現れない。どれだけ待ってもモニターにナリアが映ることはなかった。

 やっぱり僕は何も感じない。そう、決めたのだから。

 それでも涙だけは頬を伝っていった。

 ナリアもナナも……もうここにはいない。だから僕はドアを開き、部屋を出た。

 しかし、ドアの外にも人の気配はない。

「父さん! 母さん!」

 返事はない。

 リビングのテーブル上に手紙があった。その横には小さな箱と鏡と植物の種。

 それは安楽死にも用いられることのあるナリアの種。

 思い出した……

 そう、僕は一人だ。

 生まれたそのときからずっと……一人だった。

 小さな頃はそれに気がつかなかった。

 その頃はまだ幸福だったんだ。

 でも、自分が一人であることに気がついた後は……

 犬を飼った。

 しかしナナは死んでしまった。

 また一人になった。

 初めて、人間の友達ができた。

 しかしナリアはもう会いに来てはくれない。

 だからやっぱり一人になった。

 何をしても、結局は一人になった。

 一人になるくらいなら一人のままのほうが良かった。

 一人であることは辛かったが、一人になる悲しみに比べればはるかにましだった。

 だから僕は、損をした。

 ナナを飼って、ナリアと出会って……

 得たものより、失ったもののほうがずっとずっと大きかった。

 だから僕はもう何もいらない。何も望まない。

 どうせいつか失ってしまうのなら、初めからそんなものはいらない。

 そして、全てがなくなった今……

 僕の願いは叶ったのかもしれない。

 もう何も得られない。もう何も失わない。

 人ごみの中、一人で在ることはない。

 笑顔の溢れる中、一人俯いている必要はない。

 この世界に僕はたった一人。

 それは特別なことではなくなった。それはとても自然なこととなった。

 それなのに……僕は思ってしまう。

 何も得るものも、望むものもない世界に……僕は在り続ける必要があるのだろうか。

 真っ直ぐに見つめる。何も感じることのない心で。目の前にある自分のぶんのナリアの種……人類を滅ぼし、地球を救った小さな救世主を。

 そして、その横にある鏡に映るのは人類を死へと誘った僕。

「―――――」

 声が聞こえた。

 ほとんど聞き取ることのできないような、小さな声。

 それでもそれがナリアの声だとわかった。

 だから走った。パソコンの前に向かって。

 ナリアが僕を呼んでいた。

 しかし、モニターの中に映し出されているのは……ナリアではなかった。

 そこにいたのはナリア……

 ナリアはモニターの中で懸命に僕の名を呼んでいる。

 そして、世界が揺れた。

 その大きな震動で、崩れていく。

 家だけではなく、薄暗い世界そのものが……

 それが僕にはうれしかった。

 それこそが、僕の内に眠っていた本当の願いだったのかもしれない……

 だから僕は、ただ立ち尽くしたまま崩れ行く世界を眺めていた。

 闇に包まれていた世界に亀裂が生まれ、その隙間から光が差す。

 その光が闇に慣れた僕にはあまりに眩しくて目を閉じた。

 再び僕に訪れた闇。その中に声が響いた。ナリアの声。

 声に誘われて僕はゆっくりと目を開く……

 視界の全てをナリアの顔が覆っていた。

 どアップだ。しかも、さらに近づいてくる。

「いだっ!」

 おでことおでこが激突した。

 ナリアが持つ十二の必殺技の一つ頭突きだ。ナリアの頭はすごく固いのでとてつもなく痛い。

「起きた? ナリアはお腹が空きました。そろそろ朝ご飯が食べたいと思います」

 どうやら、僕は夢を見ていたようだ。ナリアの頭突きの衝撃ですっかり頭の中から消えてしまって思い出すことはできないが、昔のことを夢に見ていた気がする。

 最近なぜか、昔のことをよく夢に見るようになった。

「わかった。準備するから、少し待って」

「早くね」

 ズキンズキンと痛みの走る頭を片手で押さえながら、もう片方の手でバッグの中を漁る。

「カニ缶は一個しかないけど、どうする?」

「一個じゃあ、ぜんぜん足んないよー。二個は食べないとナリアは元気が出ません。へたをしたら、死ぬかもしれない」

「じゃあ、何か違うのをもう一個食べる?」

「うん。不本意だけどそうすることにする」

「何にする?」

「シンは何が好き?」

 そう問われて、考える。僕の好きなもの……

 実は僕も本当はカニ缶が一番好きだったりする。でも、大好きなカニ缶を食べることより、ナリアがカニ缶を食べてうれしそうにしているのを見ているほうがずっと好きなのだ。

 だからナリアに気を使わせないためにも、そのことは口にしない。

 せっかく僕は嘘が吐けるのだから、どうせならナリアを幸せにするために嘘が吐きたい。

 というわけで、カニ缶以外で僕が好きなもの……

 なんだろう? いっぱいある。でも、特にこれといったものは思い当たらない。

「コンビーフとか桃缶かな?」

 とりあえず、二つほどあげてみた。

「じゃあ、コンビーフと桃缶を両方シンと半分ずつ食べる」

「わかった。そうしよっか」

 ……そんなふうにして、今日の朝食が始まった。

 ナリアのメニューは希望通り、カニ缶一つとコンビーフと桃缶を半分ずつ。

 僕はミカンの缶詰とコンビーフ、桃缶を半分ずつだ。

 僕がコンビーフと桃缶を食べ終えて、ミカンの缶詰を開けながらナリアのほうに目をやると、ナリアは桃缶を食べようとしていた。

 手をグーにしてその中にフォークを握り締めている。そのフォークで桃を突き刺す。

 缶詰の桃はちょうど半分の大きさでカットされているのでけっこう大きい。僕がさっき食べたときは、小さくカットしながら食べた。

 でも、ナリアはそのまま丸ごと口の運んでしまう。口をこれでもかというくらいに大きく開けて、桃を詰め込む。

 そして桃が詰まってリスみたいに大きく膨らんだほっぺをもこもこと動かしながら幸せそうに咀嚼を始めた。

 ナリアはいつもそうだ。口いっぱいにとりあえず詰めるだけ詰め込んでから、まとめて丁寧に咀嚼する。

「ももももいしぃへぇ」

 口をもごもごさせて何か言う。たぶん「桃もおいしいね」と言ったと思われる。

「果物の缶詰はシロップもおいしいよ」

 ナリアは手に持っている缶詰の中を覗き込む。

「ほんなひぃ、どおどおしてるのひ?」

「うん」

 僕が頷くと、ナリアはもぐもぐしていた口を開けて缶詰のシロップをそのまま口の中に流し込む。そしてまたいっぱいに膨らんだほっぺをもこもこさせながら咀嚼。

 一分くらいかけて丁寧に咀嚼して、やっとゴクンと飲み込んだ。

「汁、おいしかった。どろどろなのに甘くておいしかった」

 ナリアはとても幸せそうに笑った。

「よかった」

 そう言って、僕も笑った。
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