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第35話 五日目・前
しおりを挟む昼食後、朝から情報収集のために一度家に帰っていたアリアさんが戻ってきたので、みんな集まって情報を共有する。
まずは昨夜の出来事。部屋でアリアさんが見た光りのことと、トイレに行く途中に現れた赤い服の少女の霊。
少女の霊は今までと違い、その場で片足を失い消えていった。
ということは家を出入りした回数で欠損部位が増えるのではなく、霊に出会った回数で増えるということだ。もしかしたら一日経過するごとに増えていくという可能性もある。
トイレに行ったのがちょうど日を跨ぐ時間で、それでその場で欠損したということも考えられるだろう。
そして次はアリアさんが集めてきてくれた、ミュラー家がここに家を建てる前の情報。
この土地にミュラー家が家を建てる以前はフェルスター家の屋敷が建っていたという。
フェルスター家は屋敷が古くなっていたのでグラスブルク内の別の土地に家を建て、この土地を更地にしてから売ったそうだ。ちなみにフェルスター家は今もこの町で暮らしている。
他にこの周辺で発生した未解決の失踪事件もないし、痩せこけた男の噂もないという。
結局得られた情報は、ミュラー家が失踪する以前は特に問題はなかったということだけだった。
しかしそうなってしまうと本格的に手詰まりだった。
もうこれ以上にできることが思いつかない。強いて上げるのならこの家に住み続けて、時を待つことくらいだろうか……
「ちょっと、トイレに行ってきます」
尿意を催したので、話し合いを抜け出してトイレに向かう。
一緒についてきたネコの頭を撫でながら、考える。
やっぱり俺が気になるのは、風呂場の黒いカビと部屋にある空調と思われる謎の穴だろう。
トイレに入る。ネコは外、タナットはくっついて離れないので仕方なくそのままだ。
用を足しながらも考えを巡らせる。
夜にアリアさんが見た謎の光。アリアさんもラモーナさんも天井付近で光っていたと言った。もしかしたらあの空調のような穴から漏れた光ということは考えられないだろうか。
そして風呂場の壁の黒いカビ。あそこだけどれだけ掃除しても綺麗にならない。その壁の中に赤い服の少女の遺体が埋められている可能性はないだろうか。前世で見たホラー映画の中にはそんな話もあった気もする。
そんなことを考えながら用を足し終えて、トイレを出る。
するとネコが風呂場近くの床の絨毯をまたガリガリしていた。
「ネーコー! 駄目って言ってるでしょ!」
そう言いながら、ガリガリやるネコを止めさせようとして気が付いた。
ネコによってめくられた絨毯の下に扉のようなものが見える。
それは地下へと続く扉だとは限らない。ただの床下収納の可能性の方が高いだろう。それでも新しい発見だった。
急いでエルウィンさんたちのところに戻って報告する。
「ネコが廊下の絨毯の下に扉を見つけました!」
「おお! それは何か新しい発見があるかもしれません。早速見てみましょう」
そう言って駆け出したエルウィンさんの後を追って俺とアリアさんも廊下に出た。
絨毯を丁寧にどかすと扉の全貌が明らかになった。横を押すとくるりんと回転して出てくるタイプの金属の取手の付いた、長さ1メートル、横幅60センチメートルほどの扉だった。
エルウィンさんが取手に手を掛ける。
その瞬間――悪寒が全身に走った。
「嫌な感じがします。まだ開けないでください」
耳鳴り、頭痛。激しい頭痛に気持ち悪くなる。ぐわんぐわんと頭の中をかき混ぜられているような気持ち悪さ。
膝を突く。
家が揺れているのか、自分が揺れているのかもわからない。
世界が歪む。世界から上下左右の感覚が失われる。自分と世界を隔てる輪郭も曖昧になっていく。世界の中へと自分が溶け出していくような感覚。
俺はこの感覚を知っていた。優羽がまだ研究所で暮らしていた頃、念動力を限界以上に使うと似た症状になった記憶がある。
だから俺には耐えられる。あまりの頭痛に閉じてしまっていた目を開く。
ノイズが走っていた。電波をしっかりと受信できていないテレビ画面みたいにノイズだらけだった。
そのノイズが視界がおかしくなって現れたものか、世界に現れたものかも判断できない。
もう音もノイズ音しか聞こえない。
すべてがノイズの中に飲み込まれていく。俺も俺の外の世界もこの意識も感覚も……
しかし突然――カチッとチャンネルが合ったみたいにすべてが元通りに、正常に戻った。
「お二人とも大丈夫ですか?」
そこには心配そうに俺とアリアさんを見るエルウィンさんがいた。
「俺は大丈夫です」
答えて、アリアさんのほうを見る。
アリアさんは呆然と立ち尽くしていた。その目からは涙が流れている。
そして俺たちの視線に気付いたアリアさんはぽつりぽつりと話し始めた。
「廊下を這うようにして現われた少女の霊に、足をつかまれました。つかまられた感覚は確かにあったのに、熱を感じませんでした。温かくも冷たくもなかったんです」
そう言ったアリアさんの足首には、小さな手の痕が付いていた。
「彼女は懇願していました。この扉は開けてはいけないと、今すぐ逃げてと……そう言ったのではなく、そう感じました。彼女が私に触れたとき、彼女の心が私の中に入ってきたような感じがしました。彼女の中にあったのは私たちを守らなくてはという、強い使命感だけです。そして赤いのは服の色ではありませんでした。足を失って、這うようにしながら私の足をつかんだ彼女の背には、短剣のようなものが突きたてられていました。あの赤は服の色ではなく彼女の血の色だったのだと思います」
ポロポロと涙を零しながらアリアさんはそう話した。
「それでは……ここは開けない方がいいのでしょうか?」
エルウィンさんが問う。
「いいえ。私は彼女に、それでも私たちは行くと伝えました。開けてみましょう」
アリアさんは何か大きな決意をしたような感じだった。そこには少しの恐怖も見て取れない。しかし何故だろうか、その強い意思を示した瞳からは怒りのようなものも感じ取ることができた。
それは幼い少女の背に短剣を突き立てた何者かに対する怒りなのだろうか。
「わかりました。では開きます」
エルウィンさんが扉を開ける。そこには石造りの階段があった。地下へと続く階段だ。中に光源はない。階段の先には闇しか見えない。
「俺が先頭を行きます」
「これを使ってください」
エルウィンさんが用意してくれていたランタンを受け取って闇の中へと降りていく。
十五段ほどで階段は終わった。そこは随分と広そうな空間だった。ランタンの小さな明かりだけでは先が見えない。
全員が降りたことを確認してから、ランタンを動かして辺りを確認しようとした。
そこにそれはいた。
ガリガリに痩せこけた浅黒い肌の裸の男がその手に肉きり包丁を持って立っていた。
落ち窪んだ眼窩の中に、ギラギラと輝くぎょろっとした瞳。口は薄く開いていて、顔が右に傾いているので、右側からよだれがたれている。
男は狂気に満ちた瞳で俺たちを見つめながら、ニヤニヤと薄笑いを浮かべていた。
『うあああーーー!』
恐怖や驚きを感じる間もなく、背後から叫び声が聞こえた。
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