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第29話 一日目・夜
しおりを挟む夕食。ミュラー邸のダイニングで、エルウィンさんと同じ食卓を囲む。俺の膝の上にはいつものようにタナットもいる。
「冒険者の方にその戦術を聞くというのは、礼儀に反することだとはわかってはいるのですが、アゼルさんがハイイロオオカミの亜種と戦っていたときに使っていた魔法のことを教えていただくことはできないでしょうか?」
エルウィンさんは食事の手を止めて言う。
「魔法ですか?」
「私もガナス王族の端くれとして、興味があります。あんな魔法は見たことも、聞いたこともありませんでした。それに風の音で聞こえなかっただけかもしれませんが、あなたは呪文さえ唱えてはいなかったように見えました」
「あまり口外はしないでほしいのですが、確かに俺は無発声で魔法が使えます」
「やはりそうでしたか……もしかすると、アゼルさんはララーナ・アルヴィオンのご子息ではありませんか?」
本当に母さんはなかなかの有名人だったようだ。それによく考えれば、母さんはガナス出身だったようなので、エルウィンさんが知っていても不思議はない。
「はい。ララーナは母です」
「やっぱり、そうでしたか! あなたにはララーナ先生とグレイさんの面影があります」
「父のことも知っているんですか?」
「はい。一度だけですが会ったことがあります。ララーナ先生に夫だと紹介していただきました。それにしてもアゼルさんがララーナ先生の子供だったとは……どおりで強いわけです。ということはタナットさんもララーナ先生のご息女ですか?」
「あ、タナットは違います。タナットは俺が旅を始めてからお世話になった教会で出会って、どういうわけか気に入られたようでくっついてきただけです。本当の兄妹ではありません」
「そうだったのですか。それでララーナ先生とグレイさんのお二人は今どこにおられるのですか?」
「父は十年前の戦争で、母は少し前に流行り病で死にました」
俺のその言葉にエルウィンさんは絶句した。そして死を咀嚼するように小さく何度も頷く。
「ララーナ先生は幸せだったでしょうか?」
「そう思います。母は小さな村でずっと魔法の研究をしていました。そもそも俺は旅を始めるまで、魔法に呪文なんてものがあるなんて知りませんでした」
「そうですか……」
「エルウィンさんは母さんや父さんと知り合いだったんですか?」
「はい。ララーナ先生は私にとって、恩人で魔法の先生で、そして姉のような存在でした……そうですね、せっかくなので私のこともお話しましょう」
そう言って、エルウィンさんは懐かしむように穏やか表情で話し始めた。
「まず、ガナスが魔法大国と呼ばれる理由は知っていますか?」
「魔術師ギルドの本部があるからですか?」
「確かにそれもありますが、ガナスが魔術大国と呼ばれる理由はガナス王家とそれを支える十二の大魔術家にあります。この世界では努力が才能を上回ります。才能の差など努力を重ねることでたやすく覆すことが可能で、人はなりたいものになれるのです。そんな中、ガナスは常に魔術師たちのトップに君臨し続けています。そうある理由は、ガナス王家と大魔術家が世代を超えて常に魔法の才能を伸ばす努力をしてきたことにあるのです」
「才能を伸ばす努力ですか?」
「はい。ガナスでは王の子たちの中で、一番の魔法使いが王太子に選ばれます。そして王太子が男だった場合は大魔術家の中で同世代の優秀な魔法使い二人から三人が伴侶として選ばれ、王太子が女だった場合は同世代で一番の魔法使いが伴侶として選ばれるのです。そしてかわりに伴侶として選ばれた大魔術家には他の王族の一人が次期当主の伴侶としてあたえられます。そうやって代をまたいでガナス王家は才能ある魔術師を輩出するための努力を重ねてきました」
前世の世界では才能のない者が努力を重ねたところで、才能に恵まれた者を越えることは難しかった。
しかしこの世界は違う。生まれ持つ個人の差はそれほどなく、努力が才能を上回る。
そんな世界の中、ガナス王家は何世代にもわたって才能を伸ばす努力を重ねたのだ。
努力に見返りのあるこの世界であれば、きっとその努力だって実を結んだのだろう。
「そんなガナス王家の第三王子として私は生まれました。私の母は第三夫人で、大魔術家の者でもありませんでした。そのせいもあるのでしょう。私は他の兄弟に比べてあまり魔法の才能がありませんでした。まぁ、それでも普通の人たちよりは才能があったのでしょうが、兄弟の中では落ちこぼれでした」
自分のことを落ちこぼれだと語るエルウィンさんの表情から悲哀のようなものは一切感じない。それどころか楽しい思い出を話すみたいにその口調は軽やかだった。
「子供の頃の私にとって、魔法の練習は苦痛でしかありませんでした。兄弟たちが簡単にできることが、私にはできませんでした。それなのに私はガナスの王族として偉大な魔術師であることが求められたのです。そんな中、私専属の魔法の師として選ばれたのがララーナ先生でした。ララーナ先生は私が魔法の練習が嫌いだと知ると、無理に練習させようとはしませんでした。それは王家への裏切りでしたが、王より偉い神様がなりたいものになれと言っているのだから仕方がないと、先生は笑っていました」
そう言って、エルウィンさんも俺の母を思い出して幸せそうに笑う。
「それ以来、ララーナ先生が私に魔法を教えに来たときは、私は先生の魔法の研究の手伝いをさせられることになりました。色々調べたり、研究したりするのはとても楽しかった。出来損ないだった自分が必要とされ、役に立てることも嬉しかった。今の私があるのは先生のおかげです」
母さんらしいと思う。母さんはいつだって偉そうで、独裁者だった。俺も父さんもネコも母さんには逆らえなかった。
俺はそんな母さんが大好きだった。
「ララーナ先生が私の先生だったのはわずか三年間ですが、私は先生から多くのことを学びました。何よりも人生を楽しむことを教えられました。その後、ララーナ先生は魔術師ギルドと揉めて、追放処分を受け冒険者になりました。それでも家族であるアルヴィオン家とは仲良くやっていたんですが、魔法の才能のあまりなかったグレイさんとの結婚を家族に反対されて、家族とも疎遠になったそうです。そのときに私はグレイさんを紹介されました。そして先生は言っていました。いつかきっと自分の子供が、その魔法でこの世界をひっくり返すことになる。そうなればガナスの古い因習も終わる。きっと神もこんなことは望んでいない。だからお前も好きに生きたらいいと、そう私に言ってくれました」
そこまで言ってエルウィンさんは俺を真っ直ぐに見る。
「そんな先生の最高傑作があなたなのですか……それは強いわけです。ああ……あなたの自慢をするララーナ先生に会いたかった。先生と互いの研究の成果を語り合いたかった……」
そう言ったエルウィンさんの瞳から涙が溢れた。
それから俺たちは母さんのことを話し続けた。念動力のことは隠して魔法のことや父のことも。
そして父が戦争で死んで、俺たち家族が村八分のような扱いを受けていたことを話すと、エルウィンさんは興味深そうに話し始めた。
「これもまた才能を伸ばす方法として有力な説なのですが、不幸の中にある者のほうが努力に対する見返りが大きいのではないかという話があります。もしかしたら、そのような扱いを受けながら村を出なかったことも、あなたの才能を伸ばすためのものだったのかもしれません」
エルウィンさんのその言葉に、俺は少しだけイラっとした。
「村での扱いには不満はありましたが、俺は決して不幸ではありませんでした」
母さんが何を考えていたのかは俺にはわからない。それでも少なくとも俺は、母さんと二人で過ごした日々を不幸だと感じたことは一度もなかった。
「そうですね。申し訳ありませんでした。確かに不幸という言葉は相応しくはありませんでした。それでも乗り越えるべき試練や、困難な環境下にあればあるほど努力に対する見返りが大きいのは事実であると私は考えています。この世界はより公平に作られているのです」
言葉選びを間違えたことを申し訳なさそうに謝罪した後、再び笑顔を浮かべてエルウィンさんは言葉を続けた。
「でもまぁ、先生は生粋の魔法馬鹿で、魔法以上に楽しいことなんて何もなかったはずです。ただあなたと一緒に魔法を楽しむことができれば他にほしいものなどなかったのでしょう。それに私が知っている先生は、家事なんてまったくできませんでした。研究に没頭しているときは、一日飲まず食わずでいることも当たり前でした。そんな先生が毎日手の込んだ料理をしていたなんて、私には想像することすらできません。きっとあなたは先生にとって魔法以上の宝物だったのでしょう」
その後も俺とエルウィンさんは夜中までずっと話を続けた。俺の知っている母さんの話をして、俺の知らない母さんの話を聞いた。
それはとても有意義な時間だった。
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