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8話「神様、どうかお願いします」
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宮本 学 三十九歳
スマホの画面をにらめつける。画面に映るアンテナはしっかりと四本立っていた。
私がこの世界に産み落とされてから約四十年、人類の技術は大きく進歩し続けてきた。今ではこの小さな携帯端末一つで、なんだって出来る。このスマホさえあれば、どんな遠くにいる相手とでも簡単に会話が出来る……はずだった。
「神様……神様……どうかお願いします」
目をつむり、スマホを額に当てて神に祈る。
そしてもう一度、電話をかけた。相手は妻。
妻は今、東京にいる。そして私は仕事で伊豆にいた。それでもこのスマホがあれば問題なく話が出来るはずだった。
それなのに……
「ただいま電話が混雑しております。しばらくたってからおかけ直しください」
まただった。この一時間で何度この言葉を耳にしただろう。今問題なく使える携帯電話は、元国営の電話会社の回線を使っているものだけらしい。残念ながら私が契約しているのは違う電話会社のものだった。そして妻のものも私と同じ電話会社だ。
今にして思えば、総理大臣はきっと事前に世界が滅ぶことを知っていたのだろう。だから早急に通信回線を強化した。彼は可能であれば全ての電話会社の通信回線強化を望んでいた。私はそのことをテレビのニュースで見たとき、税金の無駄だと思った。そんなことに税金を使うくらいなら、もっと他のことに使うべきだと、テレビ越しに文句を言ったことを覚えている。
私が間違っていた。
もし全ての電話会社が通信回線を強化していたのなら、今頃私は妻と電話が出来ていた。世界が終わる前に妻と話をすることが出来ていたのだ。
「くそっー!」
役に立たないスマホを目の前の崖から、海に向かって投げ捨ててしまいたくなる。しかしその衝動をギリギリのところで押さえ込む。もしこのスマホがなくなってしまったら、私は妻の写真を見ることすら出来なくなってしまう。
「くそっ!」
もう一度叫んで、空を仰ぐ。
そしてまた神に祈る……もうそれくらいしか私に出来ることは残されていない。
「どうか、どうか世界を救ってください」
どれだけ祈りを捧げても状況は何一つ変わらない。そんなことはわかっていた。
世界はこのまま滅びてしまうのだ。
事実は小説より奇なり。そんなことはなかった。まるで小説のような結末。よくある話だった。隕石だの核兵器だの未知のウィルスなどによって世界が滅びる物語なんか、どこにだってある。流行のカフカ的状況ってやつだ。
カフカの代表作「変身」は主人公が朝目覚めると毒虫になっていたという不条理極まりない物語。
特に最近、そんな不条理な物語が流行していた。世界が滅びる話は勿論、訳のわからないところに閉じ込められて殺し合いをさせられる物語や、負けると死ぬ謎のゲームのプレイヤーになる物語。動機もわからない謎の生命体から侵略を受ける物語。そんな不条理な状況に登場人物たちを配置してから始まる物語が人気だった。
かく言う私もそんなストーリーの小説を何作か執筆していた。
私は作家だ。デビュー作はミステリーだった。もともとミステリーとかサスペンスが大好きだった。とは言ってもトリックが素晴らしいミステリーが好きなわけではなく、殺人に至る悲しい動機に迫るようなものが好きだった。簡単に言えば、ハリウッドの本格ミステリー映画より、崖の上で解決する日本の二時間ドラマが、私は好きだったのだ。
そんな私のデビュー作は売れなかった。総評としては心理描写ばかりで、肝心のトリックがお粗末すぎたらしい。二作目のミステリーも鳴かず飛ばずで、私は路線を変えた。
私は流行に乗ってカフカ的な話を書いた。これが売れた。不条理な状況に追い込まれた登場人物の鬼気迫る描写が好評だった。もともと私は心理描写だけには定評があったのだ。
それから私はミステリーではなく、そういった話ばかり書いてきた。私は数多くの不条理な悲劇を紡いできたのだ。
あぁ……今頃になって気がついた。
彼らも願っていた。私が想像した物語の中の登場人物たちも、皆そう願っていたではないか。
神様、助けてくださいと……
彼らもまた今の私と同じように、自らに襲い来る不条理を嘆き、それでも幸せを願い、一縷の望みを託して神に祈っていた。そんな彼らが祈りを捧げる神……それは私だった。物語という世界を想像している私こそが彼らの神だった。
しかし私はその願いを叶えはしなかった。それは何故か……理由は簡単だ。
そのほうが面白いから。
そんな理由で、私は彼らに多くの不条理を強いた。私はいったいどれだけの登場人物を殺してきただろう。どれだけの悲劇を描いたのだろう。その全てを私が望み、私が生み出した。
そんな私が、今さら神に祈るなんてずいぶんと虫のいい話だ。私が今までしてきたことを考えれば、この状況も当然の報いなのかもしれない。
それでも、私は願う。それしかもう出来ることはない。
どうかどうか、神様、この世界を創造した神様、私たちを助けてください。それが無理であるのなら、せめて妻と電話がしたい……ほんの数分でも、一言でも構わない。死ぬ前に妻の声が聞きたい。私は誓います。これから悲劇は二度と書かない。幸せで心温まるハッピーエンドの物語だけを書くと。
だから、だからどうかお願いです。妻が数時間前に子供を生んだのです。不妊治療の末、やっと生まれた女の子なのです。まだ名前もない娘に、私は会ってすらいない。
どうか神様、私の物語をハッピーエンドに……
どうか……どうかお願いします……
スマホの画面をにらめつける。画面に映るアンテナはしっかりと四本立っていた。
私がこの世界に産み落とされてから約四十年、人類の技術は大きく進歩し続けてきた。今ではこの小さな携帯端末一つで、なんだって出来る。このスマホさえあれば、どんな遠くにいる相手とでも簡単に会話が出来る……はずだった。
「神様……神様……どうかお願いします」
目をつむり、スマホを額に当てて神に祈る。
そしてもう一度、電話をかけた。相手は妻。
妻は今、東京にいる。そして私は仕事で伊豆にいた。それでもこのスマホがあれば問題なく話が出来るはずだった。
それなのに……
「ただいま電話が混雑しております。しばらくたってからおかけ直しください」
まただった。この一時間で何度この言葉を耳にしただろう。今問題なく使える携帯電話は、元国営の電話会社の回線を使っているものだけらしい。残念ながら私が契約しているのは違う電話会社のものだった。そして妻のものも私と同じ電話会社だ。
今にして思えば、総理大臣はきっと事前に世界が滅ぶことを知っていたのだろう。だから早急に通信回線を強化した。彼は可能であれば全ての電話会社の通信回線強化を望んでいた。私はそのことをテレビのニュースで見たとき、税金の無駄だと思った。そんなことに税金を使うくらいなら、もっと他のことに使うべきだと、テレビ越しに文句を言ったことを覚えている。
私が間違っていた。
もし全ての電話会社が通信回線を強化していたのなら、今頃私は妻と電話が出来ていた。世界が終わる前に妻と話をすることが出来ていたのだ。
「くそっー!」
役に立たないスマホを目の前の崖から、海に向かって投げ捨ててしまいたくなる。しかしその衝動をギリギリのところで押さえ込む。もしこのスマホがなくなってしまったら、私は妻の写真を見ることすら出来なくなってしまう。
「くそっ!」
もう一度叫んで、空を仰ぐ。
そしてまた神に祈る……もうそれくらいしか私に出来ることは残されていない。
「どうか、どうか世界を救ってください」
どれだけ祈りを捧げても状況は何一つ変わらない。そんなことはわかっていた。
世界はこのまま滅びてしまうのだ。
事実は小説より奇なり。そんなことはなかった。まるで小説のような結末。よくある話だった。隕石だの核兵器だの未知のウィルスなどによって世界が滅びる物語なんか、どこにだってある。流行のカフカ的状況ってやつだ。
カフカの代表作「変身」は主人公が朝目覚めると毒虫になっていたという不条理極まりない物語。
特に最近、そんな不条理な物語が流行していた。世界が滅びる話は勿論、訳のわからないところに閉じ込められて殺し合いをさせられる物語や、負けると死ぬ謎のゲームのプレイヤーになる物語。動機もわからない謎の生命体から侵略を受ける物語。そんな不条理な状況に登場人物たちを配置してから始まる物語が人気だった。
かく言う私もそんなストーリーの小説を何作か執筆していた。
私は作家だ。デビュー作はミステリーだった。もともとミステリーとかサスペンスが大好きだった。とは言ってもトリックが素晴らしいミステリーが好きなわけではなく、殺人に至る悲しい動機に迫るようなものが好きだった。簡単に言えば、ハリウッドの本格ミステリー映画より、崖の上で解決する日本の二時間ドラマが、私は好きだったのだ。
そんな私のデビュー作は売れなかった。総評としては心理描写ばかりで、肝心のトリックがお粗末すぎたらしい。二作目のミステリーも鳴かず飛ばずで、私は路線を変えた。
私は流行に乗ってカフカ的な話を書いた。これが売れた。不条理な状況に追い込まれた登場人物の鬼気迫る描写が好評だった。もともと私は心理描写だけには定評があったのだ。
それから私はミステリーではなく、そういった話ばかり書いてきた。私は数多くの不条理な悲劇を紡いできたのだ。
あぁ……今頃になって気がついた。
彼らも願っていた。私が想像した物語の中の登場人物たちも、皆そう願っていたではないか。
神様、助けてくださいと……
彼らもまた今の私と同じように、自らに襲い来る不条理を嘆き、それでも幸せを願い、一縷の望みを託して神に祈っていた。そんな彼らが祈りを捧げる神……それは私だった。物語という世界を想像している私こそが彼らの神だった。
しかし私はその願いを叶えはしなかった。それは何故か……理由は簡単だ。
そのほうが面白いから。
そんな理由で、私は彼らに多くの不条理を強いた。私はいったいどれだけの登場人物を殺してきただろう。どれだけの悲劇を描いたのだろう。その全てを私が望み、私が生み出した。
そんな私が、今さら神に祈るなんてずいぶんと虫のいい話だ。私が今までしてきたことを考えれば、この状況も当然の報いなのかもしれない。
それでも、私は願う。それしかもう出来ることはない。
どうかどうか、神様、この世界を創造した神様、私たちを助けてください。それが無理であるのなら、せめて妻と電話がしたい……ほんの数分でも、一言でも構わない。死ぬ前に妻の声が聞きたい。私は誓います。これから悲劇は二度と書かない。幸せで心温まるハッピーエンドの物語だけを書くと。
だから、だからどうかお願いです。妻が数時間前に子供を生んだのです。不妊治療の末、やっと生まれた女の子なのです。まだ名前もない娘に、私は会ってすらいない。
どうか神様、私の物語をハッピーエンドに……
どうか……どうかお願いします……
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