世界の終わりに、想うこと

鈴木りんご

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5話「アディショナルタイム」

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             佐山さやま 幸人ゆきと 五十八歳



 私は学生の頃、サッカーをやっていた。ポジションはオフェンシブハーフ。最近では司令塔やトップ下と呼ばれるポジションだ。今思うと、重要でありながら敗戦の責任を問われることの少ないポジションだった。

 得点を得ることが出来ずにチームが敗れると、それはフォワードの責任だった。シュートの数が少なければ、その消極的な姿勢が批判の的となった。シュートを撃つことが出来たとしても、決めることが出来なかったのなら、その精度が問題視される。どれだけ守備に貢献しても、どんな素晴らしいパスを出したとしても無得点での敗戦の責任は彼らにあった。

 では、私のポジションはどうだっただろう。もちろん質の高いプレイは求められる。しかしシュートが決まらなくても、シュートを撃つ積極性が評価された。ドリブルで相手に奪われることも、守備に行って相手からボールを奪えないこともしばしばある。それでも果敢にドリブルに挑む姿勢、献身的に守備に参加する姿勢が評価された。

 しかし守備の選手たちはそうはいかない。ディフェンダー、特にキーパーはたった一度のミスが失点に繋がる。彼らには絶対にミスは許されなかった。もしミスからの失点で負けたのなら、その責任は彼らに向けられる。

 そう考えると、今私が従事している政治家という仕事はキーパーに似ていた。たった一度のわずかなミスが、致命傷となる。漢字の読み間違いや失言、夕食に少し豪華なものでも食べれば、それだけでマスコミや野党から執拗に攻められるのだ。

 私はサッカーをやっていた頃のように果敢にチャレンジすることは出来なくなっていた。とにかくセーフティーに、リスクを冒さないことでここまでやってきた。例え99パーセント成功するとわかっていたとしても1パーセントの失敗を恐れて、私はその選択肢を選ばなかった。

 だから私は今の地位にある。私は多くの成功を収めてここまで上りつめたのではない。私はたった一度も失敗しなかったから、ここに至ることが出来たのだ。

 実際、私より優秀な人材は多くいた。しかし彼らは失敗をしてしまった。政策がうまくいかなかった者もいれば、不倫が明るみになってしまった者もいる。日本で災害があったとき、海外でゴルフしていた者もいた。彼らは失敗したのだ。どれだけ能力があって優れていたとしても、たった一度の失敗が頂へと続く道を閉ざしてしまう。私がいる世界はそういう場所だった。

 しかしそんな私でも政治家になると決めたときは、高い理想を掲げていた。そして強い信念を持って政治家を目指し歩み出したのだ。

 私は今、そんな過去の自分に恥じぬような政治家になれているのだろうか。

 若き日の私が掲げた理想は、国民を幸せに導くことではなかった。私はただ……不幸の中にいる人々を救いたかった。降りかかる不幸から国民を守りたかった。

 もちろん私の考えに異を唱える者もいるだろう。人を幸せに導いてこそ政治家だと言う者もいて当然だ。私もそれを否定はしない。これは優先順位の問題だ。私は誰かを幸せにすることより先に、他の誰かを不幸から救いたかった。

 そもそも幸せとは永続させることこそ難しいが、得ることはとてもたやすい。

 ただ空を見上げるだけでいい。青い空、面白い形の雲、紅く染まった夕日、一面に広がる星空。それらを見上げるだけでも、少なからず幸せな気持ちは得られるはずだ。他にもお気に入りの音楽を聞いてもいいし、大好きなお菓子を食べたっていい。人はそんな簡単なことで幸せを得ることが出来る。

 それに比べて不幸からの脱却は難しい。生まれ持つ障害や境遇。襲いくる理不尽な悪意や事故に災害。それらを自らの力だけで解決するというのは至難の業だ。

 だからこそ私はそれをどうにかしたかった。そのために政治家を志し、ここまでやってきた。そしてこれからだったのだ。

 そうだというのに……

 ここにきて途方もなく理不尽で強大な不幸が降りかかってきた。

 私にはどうすることも出来なかった。私だけではない、誰にもこの不幸は覆せない。もう為す術はなかった。

 私のもとに世界が滅ぶ可能性があるという情報がもたらされたのは半年ほど前。そして詳細な日時まで把握したのが二ヶ月前だった。

 私は皆とは違い、事前にこれから起こる災厄を知っていたのだ。そしてそれが止めることは出来ず、世界を滅ぼし、人類を死滅させることを知っていた。

 しかし知っていたからといって、どうすることも出来なかった。世界を救うことは出来ず、遥か空の彼方から飛来する不幸から人々を守ることも出来ない。

 それでも私は全てを諦めることはしなかった。今私に与えられた情報と力を持って、ほんの少しでも国民のために出来ることはないだろうか。不幸から免れることが出来ないのなら、せめてその不幸を少しでも和らげることは出来ないだろうか。必死に考えた。

 死の恐怖を和らげる方法、少しでも死に対する悔いを減らす方法。そんな方法が何かあるのではないかと私は模索を続けた。

 しかしそれをみつけることは出来なかった。だから私は考え方を変えてみた。もし自分が後三時間で死ぬと伝えられたのなら、最もしておきたいことはなんだろうか……

 私は家族と残りの時間を過ごしたいと思った。もしその願いが難しいのなら、せめて電話越しでも家族と話がしたいと思った。

 私は私が為さなければならぬことがわかった。そうとわかれば行動あるのみ。失敗を恐れる必要はなかった。失敗によって失う未来はもうない。だから私は学生の頃のように果敢にチャレンジすることが出来た。失敗を恐れず、例え可能性が低くても、ほんのわずかでも可能性があるのならそれにかけて突き進んだ。

 私が試みたのは電話やインターネットなどの通信回線の強化。

 しかしそれは私の一存だけでどうにか出来るものではなかった。皆は世界が滅ぶことを知らず、それを悟られるような危険も冒せない。よって回線の強化を企業に強制することは出来ず、税金を無下に投入するようなことも出来なかった。それでも出来る限り強引にことを進めた。しかし結局今日に至るまでに回線を強化出来たのは、元国営の電気通信メーカーだけだった。

 それでも意味はあったはずだ。家庭の電話の多くに、携帯電話でもそのメーカー同士であれば世界の終りにも問題なく通じるはずだ。

 今になって思う。やはり私の適正ポジションはオフェンシブハーフだったのだ。私はディフェンダーのように国民を不幸から守りきることは出来なかった。私はフォワードのように国民を幸せというゴールに導くことは出来なかった。

 それでもオフェンシブハーフの最も重要である仕事、パスを供給することは出来たのではないだろうか。国民が幸せというゴールを狙えるようにお膳立て、アシストくらいは出来たのではないだろうか。

 後は願うだけだ。皆が自らの力でゴールを決めてくれることを。せめて残りの三時間、幸せに過ごしてくれることを。

 時計を見る。もうすぐ記者会見が始まる。

 普段であれば会見などの原稿は専用のスタッフなどと共に製作していたが、今回ばかりはそうはいかなかった。だから少しだけ心配だ。

 それでもやり遂げなければならない。これが私の内閣総理大臣としての最後の仕事だ。

 さあ、国民に世界の終わりを告げに行こう。その不幸の先、三時間のアディショナルタイムを皆が少しでも幸せに過ごせることを切に願って……
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