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天降る天使の希い
実の月 その四
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ソルーシュの蓮華宮には紅牡丹がたくさんの女官を連れて、にぎやかな笑い声をあげていた。
「棗がお好きとうかがいましたの」
紅牡丹が合図をすると、ひとりの女官がかごいっぱいの花巻を差し出した。
花の形をした白いやわらかい生地の中にたっぷりの棗あんが詰まっている。
ソルーシュが礼を言うと舜櫂が「お茶と一緒にご用意しましょう」と丁寧に受け取った。
退屈だと言って紅牡丹は数日に一度はソルーシュのもとを訪れていた。こうして菓子を持って来ては、他愛もない話しをした。
トルナヴィエからの出発前、アミールからは後宮では気をつけるよう、忠告されていた。
『ハレムでの女の争いは醜く激しい』と。
事実、ソルーシュの母であるガブリエルは、他の妃たちから陰湿な嫌がらせを受けていた。それも彼女が心を病む原因でもあった。
ナーズィも同じである。
ナーズィはソルーシュに付けられた唯一の侍女だった。
母というには年嵩で、職務としてだけソルーシュに仕えていたように思えた。
けれど必要最低限な会話に、過不足なくされる世話でも、ソルーシュにはありがたかった。
そんなナーズィが輿入れの旅に随行すると志願したことに、ソルーシュは驚いた。
なぜと問えばナーズィは泣いてるとも笑ってるともつかない、複雑な表情を見せた。
『私はソルーシュ様を我が子と重ね併せていたのです。生まれることのなかった我が子と……。ですがそれは不敬な感情でございます。ですが子の晴れ姿はこの目で見たいと、そう思った次第でございます。これまでの態度で信じていただけないかとは思いますが、これが私の正直な気持でございます』
ソルーシュは知らなかった。
ナーズィはかつて国王の閨に付き、その子を孕んだが、流した過去があった。
それからも国王の訪いはあれど、子を孕むことはなく、他の妃からも蔑まれるようになった。
数年経ったところで、ハレムから解放されたが行く宛もなく、そこで身分を偽り侍女としてソルーシュに仕えることになった。
ナーズィは打ち捨てられたソルーシュに我が子を重ね、それでも一線は超えないようにと律していたが、それが冷たい態度に見られていたことも、自覚していた。
ソルーシュが遠い異国の、しかも男に嫁ぐという。これまで顧みることなく遠くに追いやっていた末の王子に対して、あまりの仕打ちに、ナーズィは決心した。
旅は長く険しいと聞いても、我が子の幸せを願う母の思い一心で、覚悟した旅だった。
そんな第二の母として慕うナーズィを滑落事故で失ったソルーシュを慰めたのが、蒼鷹の手紙だった。
「私の天使」と綴られた言葉は旅の間ナーズィがソルーシュを寝かせつけるときの言葉そのものだったからだ。
蒼鷹がそれを知るわけもない。
それでもその一言はナーズィを思い起こさせ、彼女の愛情を噛みしめ、悲しみを癒やすのには十分だった。
おそらく、そのころには蒼鷹のことを愛していたのだと思う。
紅牡丹の話が退屈すぎて、よそ事を考えすぎていた。
思いの外近くにいた、紅牡丹の白粉と伽羅の混じる香りで気付かされて、ソルーシュははっと頭をあげた。
「どうかされまして? 王妃様」
紅牡丹は一貫してソルーシュを王妃と呼んでいた。一度、名前で呼んで欲しいとお願いしたが、それでは示しがつかないとすげなく断られた。
「いえ……すいません。少し疲れていたもので。それより何のお話でしたか?」
「いえ、よろしいのです。お若い方は何かとお忙しいでしょうから。昼も、夜も……」
若いと言っても紅牡丹も十歳と違わない年齢のはず。
扇で顔を隠し、なにやら仄めかされた。
ソルーシュの日常をある程度把握しているであろう紅牡丹に言われても、ソルーシュには理解できなかった。
「いえ、ワタシは忙しいというほどではありません。それより蒼鷹のほうが最近は忙しいようで」
「まあ、それはそれは。王妃様がお時間を持て余すようでしたら、この紅牡丹をお呼びくださいまし」
「ありがとうございます……?」
なにやら含みをもたせた言葉に、ソルーシュは適当な返事をしてごまかした。
――そういえば舜櫂が戻ってこない。
紅牡丹を面倒に思い始めるころには必ず助け舟を出してくれる舜櫂がいないことにソルーシュは気付いた。
お茶を用意してそれから花巻を忘れたといって取りに行ったはずだった。
「舜櫂は戻ってきていませんか?」
「あら、まだのようですね。あの方は以前、後宮にいらしたとか」
先日、蒼鷹も言っていたので気にも止めなかったが紅牡丹の次の言葉にソルーシュは驚きを隠せなかった。
「愛妾から官吏になるなんて、珍しいお方ですわね」
「棗がお好きとうかがいましたの」
紅牡丹が合図をすると、ひとりの女官がかごいっぱいの花巻を差し出した。
花の形をした白いやわらかい生地の中にたっぷりの棗あんが詰まっている。
ソルーシュが礼を言うと舜櫂が「お茶と一緒にご用意しましょう」と丁寧に受け取った。
退屈だと言って紅牡丹は数日に一度はソルーシュのもとを訪れていた。こうして菓子を持って来ては、他愛もない話しをした。
トルナヴィエからの出発前、アミールからは後宮では気をつけるよう、忠告されていた。
『ハレムでの女の争いは醜く激しい』と。
事実、ソルーシュの母であるガブリエルは、他の妃たちから陰湿な嫌がらせを受けていた。それも彼女が心を病む原因でもあった。
ナーズィも同じである。
ナーズィはソルーシュに付けられた唯一の侍女だった。
母というには年嵩で、職務としてだけソルーシュに仕えていたように思えた。
けれど必要最低限な会話に、過不足なくされる世話でも、ソルーシュにはありがたかった。
そんなナーズィが輿入れの旅に随行すると志願したことに、ソルーシュは驚いた。
なぜと問えばナーズィは泣いてるとも笑ってるともつかない、複雑な表情を見せた。
『私はソルーシュ様を我が子と重ね併せていたのです。生まれることのなかった我が子と……。ですがそれは不敬な感情でございます。ですが子の晴れ姿はこの目で見たいと、そう思った次第でございます。これまでの態度で信じていただけないかとは思いますが、これが私の正直な気持でございます』
ソルーシュは知らなかった。
ナーズィはかつて国王の閨に付き、その子を孕んだが、流した過去があった。
それからも国王の訪いはあれど、子を孕むことはなく、他の妃からも蔑まれるようになった。
数年経ったところで、ハレムから解放されたが行く宛もなく、そこで身分を偽り侍女としてソルーシュに仕えることになった。
ナーズィは打ち捨てられたソルーシュに我が子を重ね、それでも一線は超えないようにと律していたが、それが冷たい態度に見られていたことも、自覚していた。
ソルーシュが遠い異国の、しかも男に嫁ぐという。これまで顧みることなく遠くに追いやっていた末の王子に対して、あまりの仕打ちに、ナーズィは決心した。
旅は長く険しいと聞いても、我が子の幸せを願う母の思い一心で、覚悟した旅だった。
そんな第二の母として慕うナーズィを滑落事故で失ったソルーシュを慰めたのが、蒼鷹の手紙だった。
「私の天使」と綴られた言葉は旅の間ナーズィがソルーシュを寝かせつけるときの言葉そのものだったからだ。
蒼鷹がそれを知るわけもない。
それでもその一言はナーズィを思い起こさせ、彼女の愛情を噛みしめ、悲しみを癒やすのには十分だった。
おそらく、そのころには蒼鷹のことを愛していたのだと思う。
紅牡丹の話が退屈すぎて、よそ事を考えすぎていた。
思いの外近くにいた、紅牡丹の白粉と伽羅の混じる香りで気付かされて、ソルーシュははっと頭をあげた。
「どうかされまして? 王妃様」
紅牡丹は一貫してソルーシュを王妃と呼んでいた。一度、名前で呼んで欲しいとお願いしたが、それでは示しがつかないとすげなく断られた。
「いえ……すいません。少し疲れていたもので。それより何のお話でしたか?」
「いえ、よろしいのです。お若い方は何かとお忙しいでしょうから。昼も、夜も……」
若いと言っても紅牡丹も十歳と違わない年齢のはず。
扇で顔を隠し、なにやら仄めかされた。
ソルーシュの日常をある程度把握しているであろう紅牡丹に言われても、ソルーシュには理解できなかった。
「いえ、ワタシは忙しいというほどではありません。それより蒼鷹のほうが最近は忙しいようで」
「まあ、それはそれは。王妃様がお時間を持て余すようでしたら、この紅牡丹をお呼びくださいまし」
「ありがとうございます……?」
なにやら含みをもたせた言葉に、ソルーシュは適当な返事をしてごまかした。
――そういえば舜櫂が戻ってこない。
紅牡丹を面倒に思い始めるころには必ず助け舟を出してくれる舜櫂がいないことにソルーシュは気付いた。
お茶を用意してそれから花巻を忘れたといって取りに行ったはずだった。
「舜櫂は戻ってきていませんか?」
「あら、まだのようですね。あの方は以前、後宮にいらしたとか」
先日、蒼鷹も言っていたので気にも止めなかったが紅牡丹の次の言葉にソルーシュは驚きを隠せなかった。
「愛妾から官吏になるなんて、珍しいお方ですわね」
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