怪盗ヴェールは同級生の美少年探偵の追跡を惑わす

八木愛里

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序章

9 幕間 形見の絵画

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 自宅の離れの倉庫を整理していたら、影山峡雨の手記を見つけて、澪と一緒に中身を見ることになった。
 明治時代の手記だから表紙は破れているし、中身は日に焼けて茶色くなっていたけど、文字はなんとか解読できそうだ。
 そこに書かれていたのは、困窮した生活のために、四十年間も絵を描き続けた男の物語だった。母から教えられた内容と大体合っている。

 その中でも新しく知ったのは、人から依頼されて描いた肖像画が数点あったことだ。意外だった。残されているものは風景画の作品が多いのに、肖像画も描くことがあったらしい。

「へぇ、珍しい。絵を描いては食い繋いでいたイメージなのに。依頼されることがあったんだね」
「葵ちゃん。先祖に対して、失礼だよ……と言いたいけど、まあ、そうだよね。処理に困る絵をばら撒かれて、迷惑を受けているのは私たちだもんね」

 好きで盗みをしていわけではない。峡雨の絵の回収が家業で、必要に迫られて怪盗ヴェールをしているのだ。
 達筆すぎて読めない筆文字を、私は睨むように見る。

「ええと……大竹……大竹商事って……あの、丸山ビルに入っている大企業の⁉︎」

「当時は紡績の卸問屋だったらしいけれど、今は貿易で有名な商社で、新卒で入社したい会社トップ3に入る会社だよね」

 澪は会社情報に明るい。高校生の私たちはまだ就職する予定はないけれど、堅実な澪は企業情報の本を眺めるのが好きだと言っていた。なんでもデータから会社の特色を予想するのが楽しいのだとか。変わった趣味の持ち主だ。
 
「まさか、そんなに大きな企業の重役の絵も描いてたの!?」
「みたいだね。大竹商事の当時の社長からの依頼で、奥様の肖像画を描いたようね。よく引き受けたなぁ……」
「会社名と肖像画の題を教えて。記録を調べてみる」
「分かった」
 
 澪は携帯をいじって、大竹商事のホームページを開く。
 大企業で、まさか会社の社長からの依頼も請け負っていたなんて思わなかった。
 
「お金に困って身だしなみに頓着していなかったせいで、峡雨の子どもの服があまりにみすぼらしいと、恵んでもらった服のお礼に描いたらしい」
「可哀想だわ、その子ども……」
「まあ、ともかく、次のターゲットは決まったわね」
「うん。その肖像画をいただきに行きましょう」
 
 私たちは、倉庫から出て、帰路についた。

 
 予告状は社長宛に郵便物を送りつけた。内容は、明後日の午前0時に、大竹商事の社長室から初代社長の奥様が描かれた肖像画をいただきに参ります、だ。
 
 予告日当日。多数の警備員の姿があると思ったのに、私は拍子抜けした。エントランスには二名のみで最低限しか配置されていない。

『拍子抜けだよ。セキュリティシステムもないし。社内見学かな?』
 
 私の腕に付けられた小型カメラでこの場を見ている澪も、イヤホンから漏れる声は苦笑していた。
 これは罠かと勘ぐるが、このぐらいの方が仕事がしやすいかもしれない。
 ビル内に入り、エレベーターに乗ると地下に行った。重厚な扉に装飾が施されているので、少し警戒する。社長室だ。扉をノックし、中に入った。物音はしなかった。飾り気のない部屋で特に物珍しいものはない。

 社長室では黒革張りの椅子に白髪の夫人が腰を掛けている。将来はこんな風になりたい、と思えるような艶のある白髪だった。
 音もなく近づくと、彼女はゆっくりと体を向けた。
 まるで、怪盗ヴェールのやってくる瞬間を知っていたように。

「この絵が欲しいのかい?」

 核心を突いた質問される。怪盗ヴェールがこの場にいる意味を瞬時に察したようだ。
 気を抜いたら負けだ。
 優れた商売人は動物的な勘が働く。例に漏れずこの夫人もそうで、怪盗ヴェールとしての価値と峡雨の絵で天秤にかけられている感じがする。

「欲しいです、盗みに来たのですから。でも、ただでもらうわけにはいきません……よね?」

 淡々と答える。しかし、なぜ警察に連絡しなかったのか、という疑問が残る。

「我が社の精神は、利益を周囲に還元するというモットーに、昔から小学校を作ったりして地域経済に貢献してきました」

 怪盗ヴェールの言葉には返答せずに、夫人は淡々と続ける。

「……両親が忙しく、残業も続いて家にも帰って来なくて、旅行も家族写真でさえ撮ったこともないのに、なぜ形見である母の肖像画を渡さなければならないのでしょうか」

 照明に反射して白く光っていた絵には、はにかんだ笑いを浮かべた女性の顔が描かれていた。笑うことはあまりなかったのだろうか。もしくは寡黙な女性だったのだろうか。笑顔がぎこちない。

 峡雨の描く肖像画なんて、倉庫にもなかったんじゃないかな。

 題材は選んでいなかったらしいが、好んで風景画ばかり描いていた峡雨が人物を描いたことに、衝撃を受ける。

 他の絵とは違って、この絵には嫌な感じがしない……。

 怪盗ヴェールは手を胸につけて、優雅に一礼した。

「マダム。私は自分の間違いに気づきました」
「あら、どういうことでしょうか?」
「盗む気持ちがなくなりました。私には、この絵を持つ資格がありません。所有者は貴方でなければいけません」

 夫人は目を綻ばせて、茶目っ気に笑う。

「……そう。それは良いことだわ。きゃあ、とか叫んで助けを求めるのは、大変だと思っていたところなのよ」

 この怪盗の行動を予期していたのだろうか。警察を呼ばないことは英断で、怪盗も盗みをやめた。
 大事にしようと思えば、いくらでもできたのに。夫人の踏みとどまる勇気に完敗した。

 従来の風景画は、峡雨が生活の足しにするために描いた絵だった。

 この絵は違う。
 家族の幸せを願って描かれた絵だった。

 
「……ごめん、今回は盗めなかった」

 ビルを出ると澪に向けて言った。夫人との会話の内容は分かっているはずだ。イヤホンの向こうでは、安堵の息が聞こえる。

『珍しく反省してるね』
「うん。私は両親にも恵まれていたから、家族を想って描かれた絵がこれほどまで心を揺さぶるなんて知らなかったよ……」
 
 絵の価値を数値化することに躍起になっていた自分が恥ずかしい。こんな気持ちになるのは初めてだった。

『大丈夫。このまま帰ってきて』
「了解」

 私は帰路に着く。怪盗としての仕事を完了して、新しい気持ちにしてくれた峡雨の絵を思って。
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