お料理好きな福留くん

八木愛里

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7 クラブハウスサンドとコールスローサラダ、の巻①

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 電話機が赤く点滅したのを見た私は、音が鳴り始める前に素早く受話器を上げた。

「はい、青木会計事務所です。いつもお世話になっております。……福留ですね。少々お待ちください」

 保留ボタンを押しながら福留くんの姿を探す。福留くんは事務員から仕事のアドバイスを求められて話をしているようだった。トップをふんわりさせたハーフアップの杉原琴音すぎはらことねは青木会計事務所のマドンナだ。

「福留くん。電話が入っているのだけど」

 福留くんに声をかけると、杉原さんに一言断りを入れて斜め前のデスクに戻ってくる。
 視線を感じて顔を上げると、杉原さんの大きい瞳が私をじっと見つめていた。
「どうしたの」と聞く代わりに見返すと、杉原さんは慌てたように視線を外す。

(聞きたいことがあるなら言ってくれたらいいのに……まぁ、年齢が近い方が聞きやすいのかもしれないわね)

 杉原さんは二十六歳で私より六歳下。気軽には声を掛けづらいのだろう。

「……これからですね。はい、わかりました」

 福留くんは電話を切ると、ガタッと音を立てて立ち上がった。

「今から、顧客のところへ行ってきます!」
「商売繁盛! 気をつけて行っておいで」

 白髪交じりの所長は、誰よりも大きな声を出して福留くんを見送っている。

「はい!」

 福留くんは腹から声を出して返事をした。この事務所の体育会系な雰囲気は所長が作り出したようなものだけれど、私はそんなに嫌いじゃない。

「いってらっしゃい」

 私は福留くんの背中に向かって言うと、彼はくるっと振り返った。私の方に近づくと、福留くんは声を小さくして言った。

「ちょっと後でメール送りますね」

 それだけを言うと、駆け足で事務所のドアに向かう。

(何か私に言い忘れたことがあるのかな?)

 監査担当は外に出かけることが多く、携帯電話のメールでやり取りをすることが多い。社外でのメールチェックが習慣になっているのはある意味では職業病なのかもしれない。



 残業をして、仕事を終わらせたときにバッグの中の携帯電話が震えた。細かく震えるのはメールの合図。
 携帯電話を取り出して、メールを起動する。

『真島さんへ。お疲れ様です。平日の夜に予定していた料理講座ですが、急な仕事が入るかもしれないので今回は土曜日にしませんか?』

 福留くんは外出先からの直帰の予定だった。福留くんも今頃仕事が終わったところなのだろう。繁忙期になると急な仕事が入って残業になることが多い。

『そうだね。土曜日にしよう。福留くんの都合の良い時間でいいよ』

 教えてもらう立場なので、福留くんの予定に合わせようと気を遣ったら後悔することになった。

『土曜日の朝はどうでしょうか』

 すぐにメールの返信がある。そういえば福留くんは朝型人間だった。合羽橋の時も集合時間は朝だったではないか。

(朝、朝かぁ……!)

 寝坊してしまうのではないかという、最悪な想像を頭の中で振り払う。

(できる、私はやればできる。合羽橋に包丁を買いに行った時も、ちゃんと朝は起きれたじゃないの)

『了解です。よろしくお願いします』

 覚悟を決めて送信ボタンを押した。



 土曜日の朝九時の都心は静かだ。待ち合わせのカフェ&レストランの道すがら、食器類の陶器の店や小物雑貨の店など、普段なら気づかずに通り過ぎてしまうお店を発見しながら歩く。

「おはようございます」

 扉を開けると、福留くんがオーディオで音楽を流そうと操作をしているところだった。グレーの自然素材のエプロンを身につけた姿はカフェの店員のようだ。

「どうぞ入ってください」
「お邪魔します」

 バックミュージックで小さくピアノの音が流れる。カフェのBGMというのだろうか、テンポが穏やかで小気味良い。
 エプロンは赤色の一種類しか持っていないけれど、福留くんが毎回違うエプロンをしているのを見ると私も他のエプロンが欲しくなってしまう。

「今日はコールスローサラダとクラブハウスサンドを作りましょう」

 コールスローサラダとクラブハウスサンド。コールスローサラダはファーストフード店でハンバーガーとセットで見かけることがある。

 クラブハウスサンドは、サンドイッチのパンを焼いたものだろうか。でも、焼いただけだとホットサンドになるのかな? 違いがイマイチわからない。

「そうだね。作ってみるとイメージが沸くかもしれないし」

「僕はたまに休日の朝に作ることがありますが、すごくおいしいですよ」

「おいしい……」

 おいしいですよ、という言葉は魔法の言葉だ。レストランのオススメのメニューを店員に聞いたときに「おいしいですよ」と言われたら二割増しで美味しく感じたことがある。

 きっと食わず嫌いをしていたものだって美味しく食べられて、苦手を克服できる。苦手でなかったとしたら、もっとその食べ物が好きになっていく。

「よし、作りましょうか」

 腕まくりをした福留くんは、冷蔵庫の中から材料を取り出してトレーの上に載せる。トレーは二つ用意されていた。

 一つ目のトレーは4分の1のキャベツにニンジン4分の1、その横にコーン缶。これはコールスローサラダ用だろう。
 二つ目のトレーはレタス、トマト、ベーコン、卵、8枚切りの食パン。こちらはクラブハウスサンド用のようだ。

「まずはコールスローサラダのキャベツとニンジンの千切りから始めましょうか」

「……先生、千切りはどうやったらいいですか?」

 そう、料理初心者は材料の切り方がわからないのだ。いつも料理を始めようとすると、包丁と材料を握りしめては途方に暮れてしまう。スマホで調べてもなかなかその通りにはできない。

「キャベツは根っこの硬い部分を切り落としてから、縦に包丁を下ろしていく感じなのですが、手本でやってみますね」

 キャベツの向きを変えて根っこの部分を切り落としてから、葉に直角になるように包丁で切っていく。包丁の動きは早くて、あっという間にキャベツの半分が切り終わる。

「早い……」
「真島さんもやってみてください」
「福留くんのようにはできないけれど、やってみるよ」

 包丁を握り、ゆっくりと切っていく。スピードは遅いけれど、指を切らないように安全第一だ。

「結構集中すると疲れない?」

 キャベツを切っただけでへとへとになってしまった。毎日料理をしていた実家の母は、尊敬の気持ちを通り越して後光が差しているような気がする。

「慣れですよ。慣れていくと、キャベツの千切りが一番のストレスの解消になるのですから」

「ストレス解消、へえ~……」

 それは、料理が上手だから包丁を握るのことがストレス解消になるのではないか。にわかに信じられない。

 折り込みチラシを用意して、その上でニンジンの皮を剥く。皮が剥き終わったところで、こちらもキャベツと同じ壁にぶち当たる。千切りの方法がわからないのだ。
 私の無言の圧力を感じ取って福留くんは説明を始めてくれる。

「千切りのコツとしては、平らな部分を作ることです。断面を下にして板状に切っていって、それを細く切っていきます」

 板状のものを数枚切ってから、それを重ねて切ると千切りが完成した。

「そうか……! 勉強になります」

「端を切り落とし、その切り口を下にして安定させてから、横にしてスライスする方法もありますよ。好きな方法でどうぞ」

 キャベツとニンジンの千切りが完成した。並べてみると、動物のウサギが好んで食べそうなラインナップだ。

「塩をひとつまみ入れてから揉み込んでしばらく置きます。塩を入れることで水分が抜けるのですよ」

「そっかぁ。コールスローサラダって食感が大事だよね」

 ザル付きのボールにキャベツとニンジンの千切りを入れて、手で揉むとザクザクと音がして触り心地が良い。

「塩と千切りした野菜がまんべんなく混ざったところで、十五分くらい置きましょう」

 福留くんは、待っている間に包丁とまな板を軽く水洗いしていた。

「すき間の時間に洗い物とか調味料の片付けを終わらしてしまうことがある意味では料理のコツで、常に何かできることがないかなと探すのです。以外に頭を使いますよ?」
「頭を……そうだね」

 作業台の上に水が飛び散っているのが目に入って、台吹きで綺麗にした。

「ボールを外して、ザルだけにしてから水で洗います」

 流水で洗ってからザルに押し付けるように水分を出していく。水分が切れたところで、ボールに一旦移してからお酢を大さじ1を回し入れる。少し混ぜた後に、シンクの中でザルに移し替えてお酢の水分を出していく。

「面倒かもしれませんが、お酢を入れることで時間が経ってもサラダがベチャベチャになることなく美味しく食べれますよ」

 水気を切ったところに『お酢を掛ける』ということがコールスローサラダのコツなのかもしれない。歯ごたえを残すことができれば、作り置きでも美味しく食べられるはずだ。

「最後に、水気を切ったコーン缶とマヨネーズ大さじ3、お酢を大さじ1を入れて、塩胡椒で味を整えれば出来上がりです」

 作業時間は、塩に浸けていた時間を入れても正味三十分程。

「福留くん、偉い! 私でもできる、こんなメニューを待っていたよ。カップ麺と合わせても食べれそうだし」

「そんなに誉めてくださって……ありがとうございます。カップ麺とは、熱いものと冷たいもので合うかもしれませんね。このコールスローサラダは二、三日は冷蔵庫で保存できますよ」

「作り置きできるメニューって、忙しい社会人にはもってこいじゃない」

「ぜひ家でも作ってみてください」

 照れくさそうに笑う福留くん。
 次はクラブハウスサンドだ。
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