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土曜日、とうとうレオのお宅訪問の日がやってきた。
午前中はバイトだと言うから、駅前のバーガー店で集合して昼ごはんを入れてから、いざ、アパートへ!
レオは通学にもだけど、バイトへ行くにも自転車を使っている。めちゃくちゃ軽いシルバーのロードバイクで、乗っている姿がストイックでかっこいいと一部の女子に好評だ。
……でもおれは知っている。かっこつけでも運動のためでもなく、電車賃の節約と盗難防止で家の中にしまえるという、ちょー現実的な理由でレオが自転車に乗っていることを。
だからレオのアパートは、駅からもバス停からも少し外れた郊外にあった。
「けっこう歩くけど」と事前に注意されていたし、四人でしゃべりながら歩けばそれほど遠く感じなかったけど、たぶん女の子の脚ではきつい距離。
前にレオがひとり暮らしをしていると知ったクラスメートが「女、連れ込み放題じゃん」とからかった時に、「……ねぇよ」と小さく反論していた意味がよくわかる。
「もう一回言っとく」
レオはアパートの前で振り返って、おれたち三人──特におれに向けて厳しい目を向ける。
「絶対、騒ぐなよ。大声出すな、笑い声もひかえめに、ドアを閉める音や歩く音にも気をつけろよ」
「わーかってるって」
「『このくらい大丈夫』の十分の一の音量を心がけろよ」
「りょーかい」
ひそひそ声でサムズアップするおれに、レオはまだ不信の目を向けてくる。
う……たしかに、おれが一番テンション上がった時にタガが外れそうだもんな。
「……よし、わかった。おれは今日一日、基本、ジェスチャーでいく。音量の前に、そもそも声を出さない方向で気をつけるわ」
そこまで約束して、やっと部屋へ入れてくれた。
レオの部屋は……まさにレオの部屋って感じ。
ムダなものがなくて、家具も家電も必要最低限。ベッドもないからがらんとしている。
派手な色合いのものもなくて、絵の具なら白・黒・茶・青の四色でぜんぶ塗れそうだ。
おれは約束通りのジェスチャーで『殺風景だなっ』とやるけど、レオにはいまいち伝わらなかった。む、むなしい……。
勉強自体はめちゃくちゃはかどった。
四人とも黙々と、教えてもらう時も話すのではなくノートに書いたことでほとんどしゃべらずに、最後の追い込みをかける。
沈黙を破ったのは、佐野のお腹から聴こえた「ぐぅ~」という音。
『お腹、すいた』とジェスチャーする佐野。時刻は四時過ぎ。夕飯には早いけど、小腹が空く時間。おれも同じジェスチャーで同意する。
「予定より早いけど、買い出しに行くか」
レオが静かに立ち上がる。残りの三人も、それに続いた。
外に出て「う~ん」と伸びをする。周りを見るとみんなもそれぞれからだを動かしている。
「あー……しゃべれないのって、けっこうきつい」
勉強よりもなにより、それが一番肩がこった原因だ。
「今のうちにしゃべっとけよ」
レオが笑うから、どーん!と体当たりしてやった。
「いって」「しゃべってやる!しゃべり散らしてやるっ」「はいはい」「って思うのに、いいって言われるとなんも浮かばないっ」「なんだよ、それ」「ダメって言われるとしゃべりたくなるのに、いいって言われると逆に黙りたくなるっ」「なら黙っとけよ」「黙れと言われると、しゃべりたくなるーー!」「うわ、うっぜ」
そんな意味のない会話をしつつ、スーパーへ向かう。
それぞれ食べたい弁当や惣菜を選び、お菓子や飲み物もカゴに詰め込んで、いざレジへ──「あっ、オレ、アイス食いたいっ」佐野のひと言で、冷凍コーナーへ逆戻り。
帰るまでがまんできなかったおれたちは、アイスを歩き食い。
するとなんとなく、レオとおれ、佐野とグラが並んで歩くかたちになった。
「……レオさ、バイト、大丈夫なの?」
いい機会だと、おれはポツリと聞く。
「……大丈夫って、なにが」
「前にさ、『酔っ払いの相手でゲロは慣れてる』みたいなこと言ってたし、いつもは十時までシフト入ってんだろ?ってことは、カフェの時間だけじゃなくて、バーの時間までやってるってことじゃん」
うちの学校は許可をもらえばバイトもオッケーだけど、たしか、居酒屋とかお酒を出す店はNGだったはず。
つまりレオは、学校にはカフェだけとウソをついていることになる。
「……準備とか洗い物とか裏方だけだって」
「でもさ、もし先生とか知ってる人が来たら、やばいよ」
「大丈夫だって。会員制だから、先生が来たらすぐわかるし」
「会員制?」
それは安心材料にはならず、むしろ心配が増したんだけど……「なんでもいいけど、気をつけろよ」このへんで引いておく。
たぶんこの反応、レオもちょっとやばいなという自覚があるんだろう。だからあんまりおれがうるさく言うと、ムキになる気がした。
「なに、なんか深刻なはなし?」
後ろを歩いていた二人には聞こえていなかったようで、おれとレオの雰囲気に気づき佐野が割り込んできた。
「や、なんでもない」
「そーお?」
「つーか、佐野、アイス食いすぎだろ。それ、何本目だよ」
「まだ三本目だって」
「まだって……まだ食う気かよ」
「こんなん、水分じゃん」
「腹、こわすなよー」
ちらっと横目で見たレオの顔は、バツが悪そうにそらされる。
もう言いたいことを言ったおれは、佐野とのバカ話にさっと気持ちを切り替えたけど、レオはそうじゃなかったみたい。
お菓子を食べて、さらに夕飯もがっつり食べて、順番にシャワーを借りる。
ユニットバス初体験のおれは、あやうくテンション上がって大騒ぎするところだったよ。
「予備のふとんなんてねーぞ」とのことだったので、客人は各自タオルケットやブランケット持参だ。けれど、ひと部屋に男四人集まれば体温だけで室温は爆上がりなので、バスタオルで十分だったかも。
「これこそザ・雑魚寝だな」
窓側からレオ・おれ・グラ・佐野の順番。レオが普段使っている敷布団とラグを合わせた陣地を取り合って、じゃんけんで負けた佐野のからだは半分フローリングにはみ出ている。
「な、レオってさ、毎日ちゃんと料理してんの?」
耳元でひそひそ聞くと、くすぐったそうに首をひねる。
「……毎日ってほどじゃないけど」
「それでも、自分で作ってんだろ?すごいよなー」
「自分でやんねーと。他にやってくれる人いないんだから」
「おれだったら、毎日食パンになりそう……」
おれのその返しに、レオはなぜか戸惑う。「え、なに」と聞くけれど「……べつに」なにか言いたげなのに、口が重い。
結局レオが言い出すよりも先に睡魔が襲ってきて、おれは寝てしまったようだ。
たぶん言いたかったことはこれだなと思われる会話は、朝になってから。
みんながバタバタと支度しているすきに、こっそりと薬を飲もうとしたおれに気づいて、レオが「なんの薬だよ」と直球で聞いてきて、慌てて「な、なんでもないっ」
全然ごまかせてないけど、レオの意識はその答えを知ることよりも、会話のきっかけをつかむ方へ向いていたようで。
「……まかないが出るんだよ」
「ふぁ?!」
脈略のない言葉に、思わず変な声が出る。
「だから……バイト。夜の七時にカフェからバーに切り替わるんだけど、その時間をまたぐとまかないが出るんだよ」
「……ほ、ぅ」
おれからすると、え?あの話まだ続きがあるの?状態で、反応が鈍くなる。
レオはレオで、そっちが振った話題のくせに、みたいな。
ちょっと気まずい沈黙の間に、考える。
なるほど……料理の話題の時に言いたかったことはこれで、学校の許可から外れたことをしているのにはちゃんと理由がある、と。
「まかない……まかないかぁ。たしかにそれは死活問題だ」
想像してみると、「そんな理由で」と笑い飛ばすことはできない。おれなんか料理はからっきしだから、余計に。
だって七時にバイト終わって、それから帰って、料理して、食べて、片付けてって、大変だよ。
それなら十時まで続けて、まかないもらった方が楽──や、楽ではないか。体力的には楽ではないけど、その分バイト代も増えて、一食分食費が浮くなら──レオの考えをたどって、おれは反省する。
これはおれが口出すことじゃなかったかも。
「わるい、レオ」
「は?」
「余計なお世話だったな。でもさ、心配は心配だから、まじで気をつけろよ」
レオはぽかんと口を開けて、珍しい顔をさらす。
それを見ておれは笑い、笑われたレオはこれまた珍しく赤くなった顔を隠すために、「……べつに謝ることじゃねーし」とわざと乱暴におれの髪をかき混ぜて、ボサボサになったところを笑い返してきた。
******
テスト期間が無事に終わり、もうすぐ夏休みというある暑い日。
「今日はいい報告があるよ」
会うなり柳田先生はにこにこと、おれを近くに呼び寄せる。
「えぇ~、なんですかぁ?」
「やっとリクくんに渡せるサンプルが完成したんだ」
手渡されたのは、小さなスプレーの容器。ラベルもなにもない透明なガラスの中に、透明な液体がちゃぽんと揺れる。
「おお~!さすが先生、天才っ!!」
「ははは、これだけ喜ばれるとがんばったかいがあるなぁ」
待ち望んでいたモノを手にして、おれはおおげさでなく飛び上がって大喜び。
ついに!フェロモン消臭剤が我が手にっ!!
サンプルをもらえると聞いたおれは、てっきり、あの最悪の初対面の時に先生が使ったものをそのまますぐにもらえるのかと思っていたけれど、そう簡単ではなかったようで。
いわく「あれはオレのフェロモン専用だからね」とのこと。
先生の説明によると、フェロモンとは千差万別、指紋やDNA並みに個人差があるものらしい。
だからそれを打ち消す消臭剤も、それぞれのフェロモンに合わせて調合しなくちゃならなくて、万能薬のような全フェロモンに効く消臭剤なんて作れないのだとか。
──や、作れるっちゃ作れるけど、使えないから意味がないんだって。
だって、「異臭騒ぎになるくらいの刺激臭なら、どんなフェロモンも吹き飛ばせるよ」って言われても……!
フェロモンを感じ取るのは嗅覚だから、理論的にはそこを麻痺させてしまえば正気に戻るけれど……そこまでいくと、ほとんど凶器だよ!
下手したら、人を病院送りにできるよっ!
警察沙汰だよっ!!
「オレも捕まりたくないからね。だから、作れるけど作らないよ」と爽やかに笑った柳田先生。
いやいや!そんなんおれだって、怖くて使えないよっ!
そういうわけで今回渡されたサンプルは、おれのフェロモンを採取して、分析して、打ち消すことができるようにした、おれ専用に調整されたもの。だからできあがるのにこんなに時間がかかったのだ。
「使い方は簡単ね」
「はいっ」
「ワンプッシュで十分だから、それを自分に向けて噴射すること」
「自分に向けて」
「そう。説明した通り、これはリクくんのフェロモン専用で……」
そこで先生はちょっと考え込んだ。
「先生?」
「えーとね……正直、薬さえちゃんと飲んでいれば、このスプレーの出番はそうそう考えられないもんだから、どういう場面を想定して説明していいか、迷うんだけど」
「あー……」
たしかにおれも『持ってれば安心』くらいのノリで、どういう時に出番があるのか、具体的な想像ができていない。
「んー……とりあえず、薬を飲み忘れたというシチュエーションで考えると──もちろん、忘れないことが一番なんだけど」
「はい」
「その場合、リクくんはフェロモン垂れ流しの状態で、かつ周囲の人のフェロモンを敏感に感じ取ってしまうワケだけど」
た、垂れ流しって……言い方っ気をつけてよっ──と言いたいところをグッとがまん。
「その時にそのスプレーを使えば、リクくんのフェロモンは消臭できるし、それにクラッときた周囲の人と、それとリクくん自身に対しても、多少の気付けの効果が期待できる。けれど」
「けれど?」
「周囲の、不特定多数のフェロモンは消臭できないし、一度発情してしまったものは、なかったことにはできないからね」
「……どゆこと?」
「つまりね……めちゃくちゃ下世話でストレートな言い方をすると──勃っちゃった時は、引っ込みつかないからね──ってこと」
「うっ……」
そ、そりゃあおれだって友だちとエロ話したりするけどさっ、こうやってまじめに話す方が、なんか……恥ずかしいって!
それも相手が相手だしっ!!
対して先生は、一切の動揺ナシ。
顔を赤らめたおれを見る目なんて、『若いな~』とでも言いたげな完全保護者モード。
この瞬間、おれは痛感した。
柳田先生がいつも優しくフレンドリーで、ともすれば友だちみたいに振るまってくれていたのは、別におれを対等に扱っているとか、おれだけが特別だからじゃない。
これが、先生にとっての『普通』なのだ。
まあ、それが当たり前だし、むしろ大人の態度としてはこっちが正しいんだろう。
けれど、おれは自分の中で温度がすっと下がるのを感じた。
なんというか……ひとりで浮かれていた自分が恥ずかしくなって、一気に気持ちが冷めた感じ。
うん、たぶん、先生のこと恋愛的な意味で好きではないな。
おれも同じだ。先生が特別なんじゃない。初フェロモンに当てられて、かんちがいしただけ。
おれの葛藤など露知らず、先生は冷静になったおれを確認してから説明を再開する。
「男って面倒だよね。発情したことが目に見える形で表れちゃうんだから」
「はあ……」
「それでも、『淫魔』のフェロモンで無理やり発情させられた場合、普通は『多少の気付け』で正気に戻るから。自分でもなんで反応したのかわからないくらいで、まあ、気まずくなることは避けられないにしても、実害はそのくらい」
「はい」
「で、問題は」
「はい?」
「『気付け』が効かない場合」
「それって『気付け』が効きにくい人がいるって意味?」
「いいや、『気付け』を無視する人がいるって意味」
意味がわからなくてキョトンとなる。
そんなおれの反応に先生は、まぶしいものでも見るみたいに目を細めてから、キリッと厳しい顔つきになった。
「残念ながら世の中には、性衝動を抑えられない人間が一定数いるってことさ。反応したならセックスしないと治らない、それがたとえなんとも思っていない相手でも、たとえ相手が拒否したとしても」
「でも──」
「そしてレイプ犯にとって、『淫魔』の症状は都合のいい言い訳になり得る。『だってお前も勃っていたじゃないか』と」
「そんなの、でも──」
おれは反射的に反論しようとして──そして、気づく。
もちろん、ニュースでその手の犯罪を何度も聞いたことはあるし、今日日被害者が女性だけでないことも知っていた。けど──おれはそれを対岸の火事として、他人事に思っていたのだと。
自分が被害者になる可能性など、全然まったく、具体的に想像できていなかったのだ。
「あ……」
いろんな感情がぐるぐると頭を揺らす。
恐怖、嫌悪感、自分に対する失望、申し訳なさや、恥ずかしさ──でも最後に戻ってきたのは、やっぱり恐怖だった。
「……脅すつもりはないんだけど」先生はいつもよりも柔らかい声で続ける。「でも、消臭剤があるからって油断してほしくないからね。一番いいのは、使うような状況に陥らないこと!」
「っ、はい!」
「それから、逃げることも大事だよ。その場を離脱するとか、鍵がかかる場所に避難するとか」
「なるほど!」
「最終手段がスプレーね。でもそこで安心しないこと!危ない相手なら逃げる!『気付け』が効いた相手にはうまいことごまかす!」
「イエッサー!!」
ビシッと敬礼したおれに、先生はノリよく敬礼を返してくれる。
「うしし」と笑い合うころには、冷たくなっていた指先にも血が巡っていた。
やっぱり好きだなぁ、先生のこと──恋愛じゃなくても。
大人で、優しくて、安心させてくれて、相談に乗ってくれて──そう、こんなお兄ちゃんがほしかった。
素直にそう思ったおれは、完璧に安心し切っていた。
問題はすべて解決、もう悩むことなんてない、と。
──ここでやらかしてしまうのが、いつものおれ。
ほんっとに、後からどれだけ後悔したことか……!ここでおとなしく帰っておけば、いい話で終わったのに。
***
「ねーねー、先生、会員制のバーってどういうところ?」
おれのいきなり過ぎる質問に、柳田先生は「……唐突だな」と苦笑い。うん、おれも自分でそう思う。
消臭剤を大事に、大事にかばんにしまいながらの、帰り際。
「なんかさー、おれのイメージだと怪しさ満点なんだけど。芸能人とかがお忍びで遊んでたり、どっかの社長が愛人と行ったり?」
「う~ん……いろいろなんじゃない?そういうところもあるだろうし、反対に、身分証明がちゃんとされてるから安全だったり」
柳田先生は高校生の戯れ言にも、イヤな顔ひとつせず付き合ってくれる。
「先生も行ったことある?」まったく期待せずに(失礼だな、おれ)聞いたら、まさかの「あるよ」
「えっ、ホント?!」
「オーナーと知り合いでね。そこはちゃんとしてるところだよ。だから……未成年は入れないからね」
先生にウインクされて、おれは慌てて「え、ちがうちがう!べつにおれが行きたいわけじゃないからっ」
ここでも帰るタイミングはあったのに、おれはつい余計なことを……!
「友だちのバイト先がそうだって言うから、どんな感じかなぁ~って思っただけでっ」
「友だち?」
「はっ……!」
「リクくんの友だちってことは、高校生?高校生が会員制のバーでバイトって……」
そこでまた(やばっ)と思ったのがいけなかった。
冷静になって考えれば、年上の友だちだとか先輩なのだとか、いくらでもごまかせる方法はあったのに……!
「ば、バーって言ってもカフェバーだしっ、レオはほんとうならカフェだけのはずでっ」
「カフェバー?」
「せ、せんせ?」
そこで、子どもをいさめる年長者の顔になっていた柳田先生が、「へぇ、奇遇だなぁ」とゆるむ。
「へ?」
「いや、実は、さっき話したオレの行きつけのバーも、カフェバーなんだ」
「へぇ……」
「それで、夜だけ会員制になるんだよ。奇遇っていうか……もしかしたら、同じ店かもね」
「……え?」
「カフェバー自体それほど多くないだろうに、さらに会員制ってところまで共通となると、可能性は高いよ。その友だちのバイト先、『ロキ』って名前じゃない?」
偶然の一致に、先生は謎解きをするみたいに楽しそう。けれどおれは反対に……背中に汗が……!
「ど、どうだったかな?お店の名前……た、たしかにそんな感じの短い名前だったような……」
「もし同じだったら、友だちの……レオくん?にも会ってるかもね。けっこう通ってるから、オレ」
「なっ!なんでレオの名前っ……」って、おれがさっき自分で言ったんじゃないかぁ!完全なる墓穴だろうがーーー!!
おれの動揺を、先生はいい風にかんちがいしてくれて。
「大丈夫だよ、オレは別に学校の先生じゃないんだから、うるさいこと言わない。それにリクくんも安心するといいよ」
「えっ……と?」
「あそこなら身分証明もしっかりしてるし、客層も落ち着いてるからね。オーナーも……まあ、変わり者ではあるけど、経営者としては有能だから。他にも何店舗も持っててね、それぞれのお店になかなか洒落た名前をつけて──」
おれの耳はそのあたりで仕事を放棄していた。
そして頭の中をぐるぐる回るのは(どうしよう……)という焦りと不安。
まさか、レオと柳田先生が顔見知り?
おれ、どこまで話した?
薬剤師の先生だってこと、話しちゃってるよ。
でもレオは寝てたから。
そうだよ、聞いてなかったから大丈夫──でも、もしかしたらまだ寝てなかったかもしれないし、後で佐野かグラに聞いたかもしれないし。
いやいや、顔見知りっていっても客と店員なんて、そうそうプライベートのことまで話さないでしょ。
だよね、大丈夫──でも……おれの華麗なる墓穴によって、二人の間に共通の知り合いができたワケで……先生が次にお店に行った時に、レオに話しかけたら?
そんで、薬剤師だってことを話しちゃったら?
っど、どどどどうしよう?!
お、落ち着け、おれ!
今さっき、結論は出ただろうが。先生のことを恋愛対象として好きではないって。だからべつにバレてもだいじょ──ぶじゃないっ!!
だめだめだめ!だって、だって、相談したって事実は消えないもんっ!おれが実際に先生を好きかどうかはもはや関係ないぞ……!悩んでた時点で、おれが男の人を恋愛対象として見てるって、レオは思うじゃん!
──レオにバレてはいけない。
混乱した思考回路は最後にそこに着地した。
不思議とおれは、レオが先生にオレの気持ち(本当はちがうけど)をバラすという心配はしていなかった。
それよりも、レオに知られることの方がなぜか……いやだったのだ。
ほとんど妄想レベルの心配をふくらませたおれは、さらに狭くなった視野でまたまた余計なことをしてしまうことになる。
午前中はバイトだと言うから、駅前のバーガー店で集合して昼ごはんを入れてから、いざ、アパートへ!
レオは通学にもだけど、バイトへ行くにも自転車を使っている。めちゃくちゃ軽いシルバーのロードバイクで、乗っている姿がストイックでかっこいいと一部の女子に好評だ。
……でもおれは知っている。かっこつけでも運動のためでもなく、電車賃の節約と盗難防止で家の中にしまえるという、ちょー現実的な理由でレオが自転車に乗っていることを。
だからレオのアパートは、駅からもバス停からも少し外れた郊外にあった。
「けっこう歩くけど」と事前に注意されていたし、四人でしゃべりながら歩けばそれほど遠く感じなかったけど、たぶん女の子の脚ではきつい距離。
前にレオがひとり暮らしをしていると知ったクラスメートが「女、連れ込み放題じゃん」とからかった時に、「……ねぇよ」と小さく反論していた意味がよくわかる。
「もう一回言っとく」
レオはアパートの前で振り返って、おれたち三人──特におれに向けて厳しい目を向ける。
「絶対、騒ぐなよ。大声出すな、笑い声もひかえめに、ドアを閉める音や歩く音にも気をつけろよ」
「わーかってるって」
「『このくらい大丈夫』の十分の一の音量を心がけろよ」
「りょーかい」
ひそひそ声でサムズアップするおれに、レオはまだ不信の目を向けてくる。
う……たしかに、おれが一番テンション上がった時にタガが外れそうだもんな。
「……よし、わかった。おれは今日一日、基本、ジェスチャーでいく。音量の前に、そもそも声を出さない方向で気をつけるわ」
そこまで約束して、やっと部屋へ入れてくれた。
レオの部屋は……まさにレオの部屋って感じ。
ムダなものがなくて、家具も家電も必要最低限。ベッドもないからがらんとしている。
派手な色合いのものもなくて、絵の具なら白・黒・茶・青の四色でぜんぶ塗れそうだ。
おれは約束通りのジェスチャーで『殺風景だなっ』とやるけど、レオにはいまいち伝わらなかった。む、むなしい……。
勉強自体はめちゃくちゃはかどった。
四人とも黙々と、教えてもらう時も話すのではなくノートに書いたことでほとんどしゃべらずに、最後の追い込みをかける。
沈黙を破ったのは、佐野のお腹から聴こえた「ぐぅ~」という音。
『お腹、すいた』とジェスチャーする佐野。時刻は四時過ぎ。夕飯には早いけど、小腹が空く時間。おれも同じジェスチャーで同意する。
「予定より早いけど、買い出しに行くか」
レオが静かに立ち上がる。残りの三人も、それに続いた。
外に出て「う~ん」と伸びをする。周りを見るとみんなもそれぞれからだを動かしている。
「あー……しゃべれないのって、けっこうきつい」
勉強よりもなにより、それが一番肩がこった原因だ。
「今のうちにしゃべっとけよ」
レオが笑うから、どーん!と体当たりしてやった。
「いって」「しゃべってやる!しゃべり散らしてやるっ」「はいはい」「って思うのに、いいって言われるとなんも浮かばないっ」「なんだよ、それ」「ダメって言われるとしゃべりたくなるのに、いいって言われると逆に黙りたくなるっ」「なら黙っとけよ」「黙れと言われると、しゃべりたくなるーー!」「うわ、うっぜ」
そんな意味のない会話をしつつ、スーパーへ向かう。
それぞれ食べたい弁当や惣菜を選び、お菓子や飲み物もカゴに詰め込んで、いざレジへ──「あっ、オレ、アイス食いたいっ」佐野のひと言で、冷凍コーナーへ逆戻り。
帰るまでがまんできなかったおれたちは、アイスを歩き食い。
するとなんとなく、レオとおれ、佐野とグラが並んで歩くかたちになった。
「……レオさ、バイト、大丈夫なの?」
いい機会だと、おれはポツリと聞く。
「……大丈夫って、なにが」
「前にさ、『酔っ払いの相手でゲロは慣れてる』みたいなこと言ってたし、いつもは十時までシフト入ってんだろ?ってことは、カフェの時間だけじゃなくて、バーの時間までやってるってことじゃん」
うちの学校は許可をもらえばバイトもオッケーだけど、たしか、居酒屋とかお酒を出す店はNGだったはず。
つまりレオは、学校にはカフェだけとウソをついていることになる。
「……準備とか洗い物とか裏方だけだって」
「でもさ、もし先生とか知ってる人が来たら、やばいよ」
「大丈夫だって。会員制だから、先生が来たらすぐわかるし」
「会員制?」
それは安心材料にはならず、むしろ心配が増したんだけど……「なんでもいいけど、気をつけろよ」このへんで引いておく。
たぶんこの反応、レオもちょっとやばいなという自覚があるんだろう。だからあんまりおれがうるさく言うと、ムキになる気がした。
「なに、なんか深刻なはなし?」
後ろを歩いていた二人には聞こえていなかったようで、おれとレオの雰囲気に気づき佐野が割り込んできた。
「や、なんでもない」
「そーお?」
「つーか、佐野、アイス食いすぎだろ。それ、何本目だよ」
「まだ三本目だって」
「まだって……まだ食う気かよ」
「こんなん、水分じゃん」
「腹、こわすなよー」
ちらっと横目で見たレオの顔は、バツが悪そうにそらされる。
もう言いたいことを言ったおれは、佐野とのバカ話にさっと気持ちを切り替えたけど、レオはそうじゃなかったみたい。
お菓子を食べて、さらに夕飯もがっつり食べて、順番にシャワーを借りる。
ユニットバス初体験のおれは、あやうくテンション上がって大騒ぎするところだったよ。
「予備のふとんなんてねーぞ」とのことだったので、客人は各自タオルケットやブランケット持参だ。けれど、ひと部屋に男四人集まれば体温だけで室温は爆上がりなので、バスタオルで十分だったかも。
「これこそザ・雑魚寝だな」
窓側からレオ・おれ・グラ・佐野の順番。レオが普段使っている敷布団とラグを合わせた陣地を取り合って、じゃんけんで負けた佐野のからだは半分フローリングにはみ出ている。
「な、レオってさ、毎日ちゃんと料理してんの?」
耳元でひそひそ聞くと、くすぐったそうに首をひねる。
「……毎日ってほどじゃないけど」
「それでも、自分で作ってんだろ?すごいよなー」
「自分でやんねーと。他にやってくれる人いないんだから」
「おれだったら、毎日食パンになりそう……」
おれのその返しに、レオはなぜか戸惑う。「え、なに」と聞くけれど「……べつに」なにか言いたげなのに、口が重い。
結局レオが言い出すよりも先に睡魔が襲ってきて、おれは寝てしまったようだ。
たぶん言いたかったことはこれだなと思われる会話は、朝になってから。
みんながバタバタと支度しているすきに、こっそりと薬を飲もうとしたおれに気づいて、レオが「なんの薬だよ」と直球で聞いてきて、慌てて「な、なんでもないっ」
全然ごまかせてないけど、レオの意識はその答えを知ることよりも、会話のきっかけをつかむ方へ向いていたようで。
「……まかないが出るんだよ」
「ふぁ?!」
脈略のない言葉に、思わず変な声が出る。
「だから……バイト。夜の七時にカフェからバーに切り替わるんだけど、その時間をまたぐとまかないが出るんだよ」
「……ほ、ぅ」
おれからすると、え?あの話まだ続きがあるの?状態で、反応が鈍くなる。
レオはレオで、そっちが振った話題のくせに、みたいな。
ちょっと気まずい沈黙の間に、考える。
なるほど……料理の話題の時に言いたかったことはこれで、学校の許可から外れたことをしているのにはちゃんと理由がある、と。
「まかない……まかないかぁ。たしかにそれは死活問題だ」
想像してみると、「そんな理由で」と笑い飛ばすことはできない。おれなんか料理はからっきしだから、余計に。
だって七時にバイト終わって、それから帰って、料理して、食べて、片付けてって、大変だよ。
それなら十時まで続けて、まかないもらった方が楽──や、楽ではないか。体力的には楽ではないけど、その分バイト代も増えて、一食分食費が浮くなら──レオの考えをたどって、おれは反省する。
これはおれが口出すことじゃなかったかも。
「わるい、レオ」
「は?」
「余計なお世話だったな。でもさ、心配は心配だから、まじで気をつけろよ」
レオはぽかんと口を開けて、珍しい顔をさらす。
それを見ておれは笑い、笑われたレオはこれまた珍しく赤くなった顔を隠すために、「……べつに謝ることじゃねーし」とわざと乱暴におれの髪をかき混ぜて、ボサボサになったところを笑い返してきた。
******
テスト期間が無事に終わり、もうすぐ夏休みというある暑い日。
「今日はいい報告があるよ」
会うなり柳田先生はにこにこと、おれを近くに呼び寄せる。
「えぇ~、なんですかぁ?」
「やっとリクくんに渡せるサンプルが完成したんだ」
手渡されたのは、小さなスプレーの容器。ラベルもなにもない透明なガラスの中に、透明な液体がちゃぽんと揺れる。
「おお~!さすが先生、天才っ!!」
「ははは、これだけ喜ばれるとがんばったかいがあるなぁ」
待ち望んでいたモノを手にして、おれはおおげさでなく飛び上がって大喜び。
ついに!フェロモン消臭剤が我が手にっ!!
サンプルをもらえると聞いたおれは、てっきり、あの最悪の初対面の時に先生が使ったものをそのまますぐにもらえるのかと思っていたけれど、そう簡単ではなかったようで。
いわく「あれはオレのフェロモン専用だからね」とのこと。
先生の説明によると、フェロモンとは千差万別、指紋やDNA並みに個人差があるものらしい。
だからそれを打ち消す消臭剤も、それぞれのフェロモンに合わせて調合しなくちゃならなくて、万能薬のような全フェロモンに効く消臭剤なんて作れないのだとか。
──や、作れるっちゃ作れるけど、使えないから意味がないんだって。
だって、「異臭騒ぎになるくらいの刺激臭なら、どんなフェロモンも吹き飛ばせるよ」って言われても……!
フェロモンを感じ取るのは嗅覚だから、理論的にはそこを麻痺させてしまえば正気に戻るけれど……そこまでいくと、ほとんど凶器だよ!
下手したら、人を病院送りにできるよっ!
警察沙汰だよっ!!
「オレも捕まりたくないからね。だから、作れるけど作らないよ」と爽やかに笑った柳田先生。
いやいや!そんなんおれだって、怖くて使えないよっ!
そういうわけで今回渡されたサンプルは、おれのフェロモンを採取して、分析して、打ち消すことができるようにした、おれ専用に調整されたもの。だからできあがるのにこんなに時間がかかったのだ。
「使い方は簡単ね」
「はいっ」
「ワンプッシュで十分だから、それを自分に向けて噴射すること」
「自分に向けて」
「そう。説明した通り、これはリクくんのフェロモン専用で……」
そこで先生はちょっと考え込んだ。
「先生?」
「えーとね……正直、薬さえちゃんと飲んでいれば、このスプレーの出番はそうそう考えられないもんだから、どういう場面を想定して説明していいか、迷うんだけど」
「あー……」
たしかにおれも『持ってれば安心』くらいのノリで、どういう時に出番があるのか、具体的な想像ができていない。
「んー……とりあえず、薬を飲み忘れたというシチュエーションで考えると──もちろん、忘れないことが一番なんだけど」
「はい」
「その場合、リクくんはフェロモン垂れ流しの状態で、かつ周囲の人のフェロモンを敏感に感じ取ってしまうワケだけど」
た、垂れ流しって……言い方っ気をつけてよっ──と言いたいところをグッとがまん。
「その時にそのスプレーを使えば、リクくんのフェロモンは消臭できるし、それにクラッときた周囲の人と、それとリクくん自身に対しても、多少の気付けの効果が期待できる。けれど」
「けれど?」
「周囲の、不特定多数のフェロモンは消臭できないし、一度発情してしまったものは、なかったことにはできないからね」
「……どゆこと?」
「つまりね……めちゃくちゃ下世話でストレートな言い方をすると──勃っちゃった時は、引っ込みつかないからね──ってこと」
「うっ……」
そ、そりゃあおれだって友だちとエロ話したりするけどさっ、こうやってまじめに話す方が、なんか……恥ずかしいって!
それも相手が相手だしっ!!
対して先生は、一切の動揺ナシ。
顔を赤らめたおれを見る目なんて、『若いな~』とでも言いたげな完全保護者モード。
この瞬間、おれは痛感した。
柳田先生がいつも優しくフレンドリーで、ともすれば友だちみたいに振るまってくれていたのは、別におれを対等に扱っているとか、おれだけが特別だからじゃない。
これが、先生にとっての『普通』なのだ。
まあ、それが当たり前だし、むしろ大人の態度としてはこっちが正しいんだろう。
けれど、おれは自分の中で温度がすっと下がるのを感じた。
なんというか……ひとりで浮かれていた自分が恥ずかしくなって、一気に気持ちが冷めた感じ。
うん、たぶん、先生のこと恋愛的な意味で好きではないな。
おれも同じだ。先生が特別なんじゃない。初フェロモンに当てられて、かんちがいしただけ。
おれの葛藤など露知らず、先生は冷静になったおれを確認してから説明を再開する。
「男って面倒だよね。発情したことが目に見える形で表れちゃうんだから」
「はあ……」
「それでも、『淫魔』のフェロモンで無理やり発情させられた場合、普通は『多少の気付け』で正気に戻るから。自分でもなんで反応したのかわからないくらいで、まあ、気まずくなることは避けられないにしても、実害はそのくらい」
「はい」
「で、問題は」
「はい?」
「『気付け』が効かない場合」
「それって『気付け』が効きにくい人がいるって意味?」
「いいや、『気付け』を無視する人がいるって意味」
意味がわからなくてキョトンとなる。
そんなおれの反応に先生は、まぶしいものでも見るみたいに目を細めてから、キリッと厳しい顔つきになった。
「残念ながら世の中には、性衝動を抑えられない人間が一定数いるってことさ。反応したならセックスしないと治らない、それがたとえなんとも思っていない相手でも、たとえ相手が拒否したとしても」
「でも──」
「そしてレイプ犯にとって、『淫魔』の症状は都合のいい言い訳になり得る。『だってお前も勃っていたじゃないか』と」
「そんなの、でも──」
おれは反射的に反論しようとして──そして、気づく。
もちろん、ニュースでその手の犯罪を何度も聞いたことはあるし、今日日被害者が女性だけでないことも知っていた。けど──おれはそれを対岸の火事として、他人事に思っていたのだと。
自分が被害者になる可能性など、全然まったく、具体的に想像できていなかったのだ。
「あ……」
いろんな感情がぐるぐると頭を揺らす。
恐怖、嫌悪感、自分に対する失望、申し訳なさや、恥ずかしさ──でも最後に戻ってきたのは、やっぱり恐怖だった。
「……脅すつもりはないんだけど」先生はいつもよりも柔らかい声で続ける。「でも、消臭剤があるからって油断してほしくないからね。一番いいのは、使うような状況に陥らないこと!」
「っ、はい!」
「それから、逃げることも大事だよ。その場を離脱するとか、鍵がかかる場所に避難するとか」
「なるほど!」
「最終手段がスプレーね。でもそこで安心しないこと!危ない相手なら逃げる!『気付け』が効いた相手にはうまいことごまかす!」
「イエッサー!!」
ビシッと敬礼したおれに、先生はノリよく敬礼を返してくれる。
「うしし」と笑い合うころには、冷たくなっていた指先にも血が巡っていた。
やっぱり好きだなぁ、先生のこと──恋愛じゃなくても。
大人で、優しくて、安心させてくれて、相談に乗ってくれて──そう、こんなお兄ちゃんがほしかった。
素直にそう思ったおれは、完璧に安心し切っていた。
問題はすべて解決、もう悩むことなんてない、と。
──ここでやらかしてしまうのが、いつものおれ。
ほんっとに、後からどれだけ後悔したことか……!ここでおとなしく帰っておけば、いい話で終わったのに。
***
「ねーねー、先生、会員制のバーってどういうところ?」
おれのいきなり過ぎる質問に、柳田先生は「……唐突だな」と苦笑い。うん、おれも自分でそう思う。
消臭剤を大事に、大事にかばんにしまいながらの、帰り際。
「なんかさー、おれのイメージだと怪しさ満点なんだけど。芸能人とかがお忍びで遊んでたり、どっかの社長が愛人と行ったり?」
「う~ん……いろいろなんじゃない?そういうところもあるだろうし、反対に、身分証明がちゃんとされてるから安全だったり」
柳田先生は高校生の戯れ言にも、イヤな顔ひとつせず付き合ってくれる。
「先生も行ったことある?」まったく期待せずに(失礼だな、おれ)聞いたら、まさかの「あるよ」
「えっ、ホント?!」
「オーナーと知り合いでね。そこはちゃんとしてるところだよ。だから……未成年は入れないからね」
先生にウインクされて、おれは慌てて「え、ちがうちがう!べつにおれが行きたいわけじゃないからっ」
ここでも帰るタイミングはあったのに、おれはつい余計なことを……!
「友だちのバイト先がそうだって言うから、どんな感じかなぁ~って思っただけでっ」
「友だち?」
「はっ……!」
「リクくんの友だちってことは、高校生?高校生が会員制のバーでバイトって……」
そこでまた(やばっ)と思ったのがいけなかった。
冷静になって考えれば、年上の友だちだとか先輩なのだとか、いくらでもごまかせる方法はあったのに……!
「ば、バーって言ってもカフェバーだしっ、レオはほんとうならカフェだけのはずでっ」
「カフェバー?」
「せ、せんせ?」
そこで、子どもをいさめる年長者の顔になっていた柳田先生が、「へぇ、奇遇だなぁ」とゆるむ。
「へ?」
「いや、実は、さっき話したオレの行きつけのバーも、カフェバーなんだ」
「へぇ……」
「それで、夜だけ会員制になるんだよ。奇遇っていうか……もしかしたら、同じ店かもね」
「……え?」
「カフェバー自体それほど多くないだろうに、さらに会員制ってところまで共通となると、可能性は高いよ。その友だちのバイト先、『ロキ』って名前じゃない?」
偶然の一致に、先生は謎解きをするみたいに楽しそう。けれどおれは反対に……背中に汗が……!
「ど、どうだったかな?お店の名前……た、たしかにそんな感じの短い名前だったような……」
「もし同じだったら、友だちの……レオくん?にも会ってるかもね。けっこう通ってるから、オレ」
「なっ!なんでレオの名前っ……」って、おれがさっき自分で言ったんじゃないかぁ!完全なる墓穴だろうがーーー!!
おれの動揺を、先生はいい風にかんちがいしてくれて。
「大丈夫だよ、オレは別に学校の先生じゃないんだから、うるさいこと言わない。それにリクくんも安心するといいよ」
「えっ……と?」
「あそこなら身分証明もしっかりしてるし、客層も落ち着いてるからね。オーナーも……まあ、変わり者ではあるけど、経営者としては有能だから。他にも何店舗も持っててね、それぞれのお店になかなか洒落た名前をつけて──」
おれの耳はそのあたりで仕事を放棄していた。
そして頭の中をぐるぐる回るのは(どうしよう……)という焦りと不安。
まさか、レオと柳田先生が顔見知り?
おれ、どこまで話した?
薬剤師の先生だってこと、話しちゃってるよ。
でもレオは寝てたから。
そうだよ、聞いてなかったから大丈夫──でも、もしかしたらまだ寝てなかったかもしれないし、後で佐野かグラに聞いたかもしれないし。
いやいや、顔見知りっていっても客と店員なんて、そうそうプライベートのことまで話さないでしょ。
だよね、大丈夫──でも……おれの華麗なる墓穴によって、二人の間に共通の知り合いができたワケで……先生が次にお店に行った時に、レオに話しかけたら?
そんで、薬剤師だってことを話しちゃったら?
っど、どどどどうしよう?!
お、落ち着け、おれ!
今さっき、結論は出ただろうが。先生のことを恋愛対象として好きではないって。だからべつにバレてもだいじょ──ぶじゃないっ!!
だめだめだめ!だって、だって、相談したって事実は消えないもんっ!おれが実際に先生を好きかどうかはもはや関係ないぞ……!悩んでた時点で、おれが男の人を恋愛対象として見てるって、レオは思うじゃん!
──レオにバレてはいけない。
混乱した思考回路は最後にそこに着地した。
不思議とおれは、レオが先生にオレの気持ち(本当はちがうけど)をバラすという心配はしていなかった。
それよりも、レオに知られることの方がなぜか……いやだったのだ。
ほとんど妄想レベルの心配をふくらませたおれは、さらに狭くなった視野でまたまた余計なことをしてしまうことになる。
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