24 / 147
第二章 十字行路に風は吹く
20 クレインの憂い
しおりを挟む
翌日、ミカエルの教会での最後の一日。いつの間に二人で話し合ったのか、練習の合間にコッソリとギリーが礼を言いに来た。
「……助かったよ」
「別に、俺たちは話を聞いただけだ」
素っ気ないカイトの返事にも、有頂天の彼は御構いなしだ。ミカエルの魅力を語るその顔は、あの舞台でのキリッとした騎士役と同一人物とは思えない。
「……でも、明日にはお別れだ」
「……カールは『団を抜けてもいい』とも言っていただろう」
「まあ、な……」
「ミカエルが団に入る選択肢もある」
「それはできねえよ。ミカはこの教会を継ぐために来たんだ。子どもたちを放り出すような無責任なことはしない」
それでもギリーの表情は、 悲観に満ちてはいなかった。互いの気持ちを確かめ合った今、それはこれから二人で考えていくことだと、決意を固めた強さが垣間見える。
そんなギリーを眩しそうに、カイトは目を細めた。
「……あんたたちが何を選択するかは分からないが、もしミカエルがこの教会のことを憂いているなら、その心配はない」
「どういうことだ?」
「司教の派遣は大司教がしている。事情を説明すれば、代わりの人材を派遣してくれる」
「そうなのか?」
「ああ」
「へぇ、カイト、詳しいな。何でそんなことまで知ってるんだ?」
カイトは薄く笑って誤魔化して、ギリーの肩をポンと叩いて餞を送った。
ギリーはよほどこの出来事を感謝したのか、この先事あるごとに、カイトとユエにお節介と紙一重の親切心を発揮するようになったのだった。
******
ヒュンッ!
風を切る音を残し、矢は幹に鋭く刺さった。今ので手持ちの矢がなくなったので、的にした木から練習用の矢を回収して、再び距離を取って構える。
それを繰り返すユエのことを、クレインは矢にするための木材を削りながら見守っている。
あまり器用ではないクレインだが、この作業はすでに慣れたもので、鏃をつけて矢羽をつけて、最後に手の平に乗せて形を確認し「うん」と一人頷いた。
クレインとの特訓は道中でも続いていた。
ユエは熱心な生徒で、今では最低限武器として使えるくらいには成長している。
ヒュンッ、トス!ヒュンッ、トス!
規則的な音が続き、少し間が空いてからまた続く。
「ちょっと休憩しよう」
矢を回収に行くその間に、クレインが声をかけるまで、ユエは何十本もの矢を幹に命中させていた。
「ベレン領に着いたら、もう少しいい弓を探そう」
ユエがさっきまで構えていた弓を検分して、クレインは眉を寄せた。この弓は練習用に安く手に入れたもので、すでに形が崩れてきていた。
「武器や道具は、本当はフェザントの村で作ってもらうのが一番なんだけど。そこまでこの弓で凌ぐのは、さすがに無理かな」
クレインの言葉にユエは黙って頷いた。その順従な生徒にクレインは、(これだけ全面的に信頼されると、無下にはできないな)と、複雑な感情が湧く。
世話を焼いている自分を、柄にもないなと感じていたクレインは、自分にも保護欲のようなものがあったことに驚いていた。
カイトが意外にも子ども好きで、ラークやヘロンを甘やかしたり、『女性に優しく!』と育てられたアイビスが紳士的に振る舞う様を、クレインはあまり共感できないで見てきた。
しかしユエとこうして過ごしている間に、ユエ個人の資質によるのか、どこか人魚の同族意識でもあったのか、彼を守らなければ、という使命感が奮い立つ気がするのだ。
だがそれは一歩間違えば危険な感情だということも、クレインは知っている。
甘やかし過ぎて、一人では何も出来ないようなことになれば、それは畢竟、ユエの為にはならないのだから。
どうせ全ての危険を回避することなどできない。ユエに降りかかる矢を自分が払うのではなく、彼にもその力を身につけさせなければ、と。
それを心に刻みながら、弓が様になってきた今、前々から考えていたもう一つの武器を、お披露目することにする。
「これ、片方あげるよ。理想は弓だけに専念できるといいんだけど、そう都合のいい展開ばかりじゃないからね。身につけておくと、いざという時少しは安心だから」
ブーツを脱いでズボンの裾を捲り上げていく。クレインの足首には銀色の光沢のあるものがサラシのように巻き付けられている。それをくるくると外す。布のように巻きついているが、それとは明らかに違うもの。
取り外しても足首の形に丸まったままのそれを、クレインがブンッと振ると、
「え……?剣に、なった……?」
さっきまで丸くなっていたのが嘘のように、ピンと鋭い切っ先を携えた剣に変わった。
「えっ?どうなって……?」
目をまん丸くして覗き込むユエを、してやったりと笑って、クレインは握った柄を見せる。
「ここに特別な仕掛けがあるんだ。特殊な金属でできていて、普段は布みたいに曲がるけど、ここを握ると、金属を固める液体が刃に注入されて、こうして剣として使えるようになる。隠し武器の一種だ」
「すごい……魔法みたい……」
素直な反応に、クレインも微笑ましくなる。
「陸にはこんなモノがあるんだ……」
「言っとくけど、これは陸でも一般的ではないからな」
「……?」
「これは特別製。前にフェザントの故郷に行った時に、ドワーフの職人に作ってもらったんだ。『一見武器とは分からないものが欲しい。いつでも身につけられるものがいい』って相談したら、職人魂に火をつけちゃったみたいで。まだどこにも出していない新しい技術らしい」
「へぇ……」ユエに渡すとまじまじと心底不思議そうでおかしい。
「これならもし身ぐるみ剥がされても、武器だと気づかれないし、意表をつける。俺たちみたいに非力だと、正面切って剣の打ち合いは分が悪いから」
言葉を切ったクレインは、言うか言うまいか迷った後、これは自分の仕事だと口を開く。戦い方を教えた、自分の役割だと。
「これは忠告。弓と違って剣は接近戦だ。やり合いになったら、躊躇しないこと。相手が混乱している間に、全員を戦闘不能にすることができれば最高。そのために狙うのは行動力を奪うために足、腕。血が多く出る首、頭。……殺すことを躊躇うと、自分が死ぬよ」
クレインの言葉に、手に持つその金属がふいに重くなったように感じた。
カイトたちがあまりに簡単に戦っていたから、実感がなかったのだ。武器とは命を奪うものだということに。
人を傷つける。
人を殺す。
お前はその重みに耐えられるか?
剣はそう問いかけているようだった。
伝えたかったことを、ユエが正しく受け取ったことを感じ取り、クレインは少しだけ口調を緩める。
「俺は特別戦いが好きではないし、積極的に人を殺したいとは思わない。でも殺されるくらいなら、相手を殺しても生き残る」
いかにも武器とは無縁で、それこそ舞台上で舞ったり、悪者に攫われて騎士に助けられたりする役がしっくりくる容貌のクレイン。だが彼の内面は、そんな外見から想像できないほど苛烈だった。
時にはジェイさえ気圧される、クレインが発する気を、ユエは受け流した。
それは鈍感なのか、懐が深いのか。妙にズレたことを気にする。
「こんな大切なもの、俺にくれるの?」
「……別に、もう一つあるし」
もう一方の足首をトントンと叩いて、何でもない風に目を逸らすクレインを、ユエはジッと見つめる。
そして他の者なら直接聞くことは憚られるような疑問を、するっと言葉に出した。
「クレインは最初、俺のこと避けているみたいだった。でもメイの所に行ってから、優しくなった」
どうして?と首を傾げる様子は、それを責めたり問い詰めたりする含みは感じない。
(子どもみたい……いや、子どもよりよほど純粋なのか)
普通は相手の様子や周りの空気を読んで遠慮するところだ。ともすると無神経だと思われる言動だが、相手がユエだと、呆れたり怒ったりするより素直になってしまう。
「あれも別にお前が悪いってことじゃなくって……ただちょっと俺が気まずかっただけだ」
「気まずい?」
「……だってそうだろう?本物の人魚を目の前にして、俺なんか堂々としていられない。人魚の亜種なんて、お前もいい気はしなかっただろ?」
「そんなこと……!」
「別にいいって。当たり前だ」
自嘲の笑みはある意味クレインらしいものだ。だがユエはその表情を取り払いたくて、言葉を重ねる。
「確かに、最初はそうだったかも……でもカイトから亜種の話を聞いて、ちゃんと考えた。俺は人魚だからって差別されたくないし、俺たちを虐げるのを正しいとは思わない。だから、俺は自分がされたくないことを、他人にしたくない。亜種だから、ドワーフだから、そう考えるのはやめ、たい」
素直で飾らない言葉に、クレインはむしろ余計に、苦味を濃くする。
クレインはその秀麗な見た目に反して自虐的だ。
船でユエを避けていたのも、ユエのことが嫌いだったからというより、自分を恥じてなるべく姿を見られないようにしていただけだった。
人魚の亜種の男はがっかりされる。やはり『人魚』と言えば、長い髪に豊満な上半身、女性を思い浮かべる者がほとんどだからだ。
人魚の亜種の割に泳ぎは得意ではないところも、劣等感を増幅させる要因だ。
カイトなどはそれよりも、感覚的な能力が優れている点を評価してくれ、海では波の変化を読み、陸の旅では水源を感じ取る力を頼られていた。
だがそれも本物の人魚がいたならお遊戯に過ぎない。と、思っていたのだが──。
「それに俺、人魚の亜種が人魚より劣ってるとか下だなんて思えない。だって……」
ユエの申し訳なさそうな言い出しに、覆される。
「……俺、どこに水場があるかなんて、分からない」
「……はあ?!」
「それに海でも、波とか気にしたことないし……」
クレインは目を丸くしてしばらく固まっていたが、
「っ、ぷっあははは……!!」
いきなり腹を抱えて笑いだした。
「な、なんか、本当バカみたい……」
目尻に溜まった涙を拭って、クレインはどこか吹っ切れたように息をついた。
結局のところ、自分が気にするほど、相手は気にしていないものなのだ。
現にユエだけではなくメイも、『人魚の亜種』というものに何のこだわりも見せなかった。だからクレインも、それから少しずつ態度を軟化させたのだ。
軽くなった肩を震わせて、まだ笑いが引っ込まない。
そんなクレインを少し座り悪く見ていたユエは、目が合って、そのパッと明るくなった笑顔に引きずられるように──はにかんだ。
瞬間、周囲の空気が光った──空気中の目に見えない水分全てに、日が反射したように──。
光が射した水面のように煌めく瞳。
(カイトはよくこの瞳に見つめられて、平気でいられるな)
魅入られたように目を逸らせないで、クレインはそれまでの話を忘れたように感心をする。
それほど、ユエの笑顔は破壊力があった。
カイトとユエ、クレインとジェイが恋人のフリをする。
カイトが言い出した時、クレインは(その必要があるんだな)くらいに納得した。
もしカイト以外にそんな提案をされたら、クレインは一笑に付しただろう。
だがカイトはそういうお節介はしないと知っていたから、反発もできなかった。
だからと言って、自分もジェイも、そしてカイトもユエも、何か行動をそれらしく見せようと変えはしなかった。
それなのに、サーカス団の誰もその嘘を疑ってもいないことに、クレインは衝撃を受けたのだ。
(俺たちって側から見ると普通にそう見えるってこと?!)
心の内では不服が渦巻いたが、カイトとユエを外の視点から見ると、納得せざるを得なかった。
やたらと秘密めいて見える。
二人の間だけ特別な空気が流れているように──。
それは間違いなく秘密を共有しているからこそなのだが、それを知らない団員からすると、なるほど恋愛関係に見えるものだな、と。
カイトはこれまでの付き合いで、色恋を匂わせることは全くなかった。カイトだけではない。他の面々も(ヘロンは除いて)だから、クレインにとっては居心地がよかった。
カイトが今の時点で、ユエに恋愛的な特別な感情を持っているとは、クレインは考えていない。
だがふと見せる言動は、どこか『違う』と感じることもある。──気がしている。
ユエの純粋さ素直さが、カイトの新たな一面を引き出している。
その素直さに、こちらも素直になってしまう。そういう不思議な雰囲気がある。
誰にも影響をされない、自分を曲げない──カイトをそういう人間だと思っていたクレインは認識を改めた。
ユエはカイトすら変えてしまうかもしれない。
クレインは変化を怖れはしないが、特別歓迎もしない。ただ受け入れるだけ──。
(カイトがそうしてくれたように、自分も二人を見守ろう)
クレインは来たる変化に備えて、一人静かに心を決めた。
「……助かったよ」
「別に、俺たちは話を聞いただけだ」
素っ気ないカイトの返事にも、有頂天の彼は御構いなしだ。ミカエルの魅力を語るその顔は、あの舞台でのキリッとした騎士役と同一人物とは思えない。
「……でも、明日にはお別れだ」
「……カールは『団を抜けてもいい』とも言っていただろう」
「まあ、な……」
「ミカエルが団に入る選択肢もある」
「それはできねえよ。ミカはこの教会を継ぐために来たんだ。子どもたちを放り出すような無責任なことはしない」
それでもギリーの表情は、 悲観に満ちてはいなかった。互いの気持ちを確かめ合った今、それはこれから二人で考えていくことだと、決意を固めた強さが垣間見える。
そんなギリーを眩しそうに、カイトは目を細めた。
「……あんたたちが何を選択するかは分からないが、もしミカエルがこの教会のことを憂いているなら、その心配はない」
「どういうことだ?」
「司教の派遣は大司教がしている。事情を説明すれば、代わりの人材を派遣してくれる」
「そうなのか?」
「ああ」
「へぇ、カイト、詳しいな。何でそんなことまで知ってるんだ?」
カイトは薄く笑って誤魔化して、ギリーの肩をポンと叩いて餞を送った。
ギリーはよほどこの出来事を感謝したのか、この先事あるごとに、カイトとユエにお節介と紙一重の親切心を発揮するようになったのだった。
******
ヒュンッ!
風を切る音を残し、矢は幹に鋭く刺さった。今ので手持ちの矢がなくなったので、的にした木から練習用の矢を回収して、再び距離を取って構える。
それを繰り返すユエのことを、クレインは矢にするための木材を削りながら見守っている。
あまり器用ではないクレインだが、この作業はすでに慣れたもので、鏃をつけて矢羽をつけて、最後に手の平に乗せて形を確認し「うん」と一人頷いた。
クレインとの特訓は道中でも続いていた。
ユエは熱心な生徒で、今では最低限武器として使えるくらいには成長している。
ヒュンッ、トス!ヒュンッ、トス!
規則的な音が続き、少し間が空いてからまた続く。
「ちょっと休憩しよう」
矢を回収に行くその間に、クレインが声をかけるまで、ユエは何十本もの矢を幹に命中させていた。
「ベレン領に着いたら、もう少しいい弓を探そう」
ユエがさっきまで構えていた弓を検分して、クレインは眉を寄せた。この弓は練習用に安く手に入れたもので、すでに形が崩れてきていた。
「武器や道具は、本当はフェザントの村で作ってもらうのが一番なんだけど。そこまでこの弓で凌ぐのは、さすがに無理かな」
クレインの言葉にユエは黙って頷いた。その順従な生徒にクレインは、(これだけ全面的に信頼されると、無下にはできないな)と、複雑な感情が湧く。
世話を焼いている自分を、柄にもないなと感じていたクレインは、自分にも保護欲のようなものがあったことに驚いていた。
カイトが意外にも子ども好きで、ラークやヘロンを甘やかしたり、『女性に優しく!』と育てられたアイビスが紳士的に振る舞う様を、クレインはあまり共感できないで見てきた。
しかしユエとこうして過ごしている間に、ユエ個人の資質によるのか、どこか人魚の同族意識でもあったのか、彼を守らなければ、という使命感が奮い立つ気がするのだ。
だがそれは一歩間違えば危険な感情だということも、クレインは知っている。
甘やかし過ぎて、一人では何も出来ないようなことになれば、それは畢竟、ユエの為にはならないのだから。
どうせ全ての危険を回避することなどできない。ユエに降りかかる矢を自分が払うのではなく、彼にもその力を身につけさせなければ、と。
それを心に刻みながら、弓が様になってきた今、前々から考えていたもう一つの武器を、お披露目することにする。
「これ、片方あげるよ。理想は弓だけに専念できるといいんだけど、そう都合のいい展開ばかりじゃないからね。身につけておくと、いざという時少しは安心だから」
ブーツを脱いでズボンの裾を捲り上げていく。クレインの足首には銀色の光沢のあるものがサラシのように巻き付けられている。それをくるくると外す。布のように巻きついているが、それとは明らかに違うもの。
取り外しても足首の形に丸まったままのそれを、クレインがブンッと振ると、
「え……?剣に、なった……?」
さっきまで丸くなっていたのが嘘のように、ピンと鋭い切っ先を携えた剣に変わった。
「えっ?どうなって……?」
目をまん丸くして覗き込むユエを、してやったりと笑って、クレインは握った柄を見せる。
「ここに特別な仕掛けがあるんだ。特殊な金属でできていて、普段は布みたいに曲がるけど、ここを握ると、金属を固める液体が刃に注入されて、こうして剣として使えるようになる。隠し武器の一種だ」
「すごい……魔法みたい……」
素直な反応に、クレインも微笑ましくなる。
「陸にはこんなモノがあるんだ……」
「言っとくけど、これは陸でも一般的ではないからな」
「……?」
「これは特別製。前にフェザントの故郷に行った時に、ドワーフの職人に作ってもらったんだ。『一見武器とは分からないものが欲しい。いつでも身につけられるものがいい』って相談したら、職人魂に火をつけちゃったみたいで。まだどこにも出していない新しい技術らしい」
「へぇ……」ユエに渡すとまじまじと心底不思議そうでおかしい。
「これならもし身ぐるみ剥がされても、武器だと気づかれないし、意表をつける。俺たちみたいに非力だと、正面切って剣の打ち合いは分が悪いから」
言葉を切ったクレインは、言うか言うまいか迷った後、これは自分の仕事だと口を開く。戦い方を教えた、自分の役割だと。
「これは忠告。弓と違って剣は接近戦だ。やり合いになったら、躊躇しないこと。相手が混乱している間に、全員を戦闘不能にすることができれば最高。そのために狙うのは行動力を奪うために足、腕。血が多く出る首、頭。……殺すことを躊躇うと、自分が死ぬよ」
クレインの言葉に、手に持つその金属がふいに重くなったように感じた。
カイトたちがあまりに簡単に戦っていたから、実感がなかったのだ。武器とは命を奪うものだということに。
人を傷つける。
人を殺す。
お前はその重みに耐えられるか?
剣はそう問いかけているようだった。
伝えたかったことを、ユエが正しく受け取ったことを感じ取り、クレインは少しだけ口調を緩める。
「俺は特別戦いが好きではないし、積極的に人を殺したいとは思わない。でも殺されるくらいなら、相手を殺しても生き残る」
いかにも武器とは無縁で、それこそ舞台上で舞ったり、悪者に攫われて騎士に助けられたりする役がしっくりくる容貌のクレイン。だが彼の内面は、そんな外見から想像できないほど苛烈だった。
時にはジェイさえ気圧される、クレインが発する気を、ユエは受け流した。
それは鈍感なのか、懐が深いのか。妙にズレたことを気にする。
「こんな大切なもの、俺にくれるの?」
「……別に、もう一つあるし」
もう一方の足首をトントンと叩いて、何でもない風に目を逸らすクレインを、ユエはジッと見つめる。
そして他の者なら直接聞くことは憚られるような疑問を、するっと言葉に出した。
「クレインは最初、俺のこと避けているみたいだった。でもメイの所に行ってから、優しくなった」
どうして?と首を傾げる様子は、それを責めたり問い詰めたりする含みは感じない。
(子どもみたい……いや、子どもよりよほど純粋なのか)
普通は相手の様子や周りの空気を読んで遠慮するところだ。ともすると無神経だと思われる言動だが、相手がユエだと、呆れたり怒ったりするより素直になってしまう。
「あれも別にお前が悪いってことじゃなくって……ただちょっと俺が気まずかっただけだ」
「気まずい?」
「……だってそうだろう?本物の人魚を目の前にして、俺なんか堂々としていられない。人魚の亜種なんて、お前もいい気はしなかっただろ?」
「そんなこと……!」
「別にいいって。当たり前だ」
自嘲の笑みはある意味クレインらしいものだ。だがユエはその表情を取り払いたくて、言葉を重ねる。
「確かに、最初はそうだったかも……でもカイトから亜種の話を聞いて、ちゃんと考えた。俺は人魚だからって差別されたくないし、俺たちを虐げるのを正しいとは思わない。だから、俺は自分がされたくないことを、他人にしたくない。亜種だから、ドワーフだから、そう考えるのはやめ、たい」
素直で飾らない言葉に、クレインはむしろ余計に、苦味を濃くする。
クレインはその秀麗な見た目に反して自虐的だ。
船でユエを避けていたのも、ユエのことが嫌いだったからというより、自分を恥じてなるべく姿を見られないようにしていただけだった。
人魚の亜種の男はがっかりされる。やはり『人魚』と言えば、長い髪に豊満な上半身、女性を思い浮かべる者がほとんどだからだ。
人魚の亜種の割に泳ぎは得意ではないところも、劣等感を増幅させる要因だ。
カイトなどはそれよりも、感覚的な能力が優れている点を評価してくれ、海では波の変化を読み、陸の旅では水源を感じ取る力を頼られていた。
だがそれも本物の人魚がいたならお遊戯に過ぎない。と、思っていたのだが──。
「それに俺、人魚の亜種が人魚より劣ってるとか下だなんて思えない。だって……」
ユエの申し訳なさそうな言い出しに、覆される。
「……俺、どこに水場があるかなんて、分からない」
「……はあ?!」
「それに海でも、波とか気にしたことないし……」
クレインは目を丸くしてしばらく固まっていたが、
「っ、ぷっあははは……!!」
いきなり腹を抱えて笑いだした。
「な、なんか、本当バカみたい……」
目尻に溜まった涙を拭って、クレインはどこか吹っ切れたように息をついた。
結局のところ、自分が気にするほど、相手は気にしていないものなのだ。
現にユエだけではなくメイも、『人魚の亜種』というものに何のこだわりも見せなかった。だからクレインも、それから少しずつ態度を軟化させたのだ。
軽くなった肩を震わせて、まだ笑いが引っ込まない。
そんなクレインを少し座り悪く見ていたユエは、目が合って、そのパッと明るくなった笑顔に引きずられるように──はにかんだ。
瞬間、周囲の空気が光った──空気中の目に見えない水分全てに、日が反射したように──。
光が射した水面のように煌めく瞳。
(カイトはよくこの瞳に見つめられて、平気でいられるな)
魅入られたように目を逸らせないで、クレインはそれまでの話を忘れたように感心をする。
それほど、ユエの笑顔は破壊力があった。
カイトとユエ、クレインとジェイが恋人のフリをする。
カイトが言い出した時、クレインは(その必要があるんだな)くらいに納得した。
もしカイト以外にそんな提案をされたら、クレインは一笑に付しただろう。
だがカイトはそういうお節介はしないと知っていたから、反発もできなかった。
だからと言って、自分もジェイも、そしてカイトもユエも、何か行動をそれらしく見せようと変えはしなかった。
それなのに、サーカス団の誰もその嘘を疑ってもいないことに、クレインは衝撃を受けたのだ。
(俺たちって側から見ると普通にそう見えるってこと?!)
心の内では不服が渦巻いたが、カイトとユエを外の視点から見ると、納得せざるを得なかった。
やたらと秘密めいて見える。
二人の間だけ特別な空気が流れているように──。
それは間違いなく秘密を共有しているからこそなのだが、それを知らない団員からすると、なるほど恋愛関係に見えるものだな、と。
カイトはこれまでの付き合いで、色恋を匂わせることは全くなかった。カイトだけではない。他の面々も(ヘロンは除いて)だから、クレインにとっては居心地がよかった。
カイトが今の時点で、ユエに恋愛的な特別な感情を持っているとは、クレインは考えていない。
だがふと見せる言動は、どこか『違う』と感じることもある。──気がしている。
ユエの純粋さ素直さが、カイトの新たな一面を引き出している。
その素直さに、こちらも素直になってしまう。そういう不思議な雰囲気がある。
誰にも影響をされない、自分を曲げない──カイトをそういう人間だと思っていたクレインは認識を改めた。
ユエはカイトすら変えてしまうかもしれない。
クレインは変化を怖れはしないが、特別歓迎もしない。ただ受け入れるだけ──。
(カイトがそうしてくれたように、自分も二人を見守ろう)
クレインは来たる変化に備えて、一人静かに心を決めた。
1
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【蛍と大和】冷たい口づけ
あきすと
BL
昔書いていた創作キャラの
恋愛面掘り下げ小説を
書いていましたので
こちらにおさめさせていただきます。
よかったら、お楽しみください。
本編をこちらに収録していきます。
お話によっては、流血表現もいくつかありますので、
苦手な方は、これまた
ご注意ください。
俺様で、結構な自信家の蛍と
まったり平和主義な大和の二人
が辿って来た人生の一部を
過去のお話から現代までとさまざまに
綴っていきます。
地方の結界として存在する
守護職をしています。
ほぼ、不老不死に近い存在
であり、神力と霊力、などの
絡む世界観です。
・御坊 蛍
年齢は、20代半ば
身長:182cm
体重:70kg
和歌山の守護職。少々勝ち気でマイペース。本来は優しい性格だが、照れ屋。第六感が、異常に鋭い。
五感も研ぎ澄まされている。
大和とは、一昔前にとある事件を
きっかけに親しくなる。
閻魔から神格を授けられたため、
この世以外からの干渉を受け易い。
大和に護られる事もある。
大和は、自分にとってかけがえの無い存在だと自覚している。
・春日 大和
年齢は、20代半ば
身長:174cm
体重:67kg
奈良の守護職。由緒正しい所の出らしいが、本人は全くそういった事に無関心。三大守護職の内の1人。
性格は、温厚で慈愛に満ちている。
お人好しで、頼られると嫌とは言えない性格。
自分の能力は、人にしか使えず
自分のためには使えない。
少なからず、蛍とは、過去に因縁が、あったらしい。
今では、慕っている。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる