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第五章 星は天を巡る
74 願いを託す
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ピクニックの後、四人は図書館へと向かった。カイトがここへ足を踏み入れるのは、初めてのことだ。
最初カイトは、部屋で少し休むというアディーンに付き添うつもりだったが、「せっかくなので図書館を見てきてください」というアディーンの勧めと、「あなたの話を聞きたいと、老司教二人からせっつかれているので、ぜひ」とラフィールからもお願いされて、午後の宗教学研究にお邪魔することとなった。
ピクニックに続いての、久しぶりのカイトとの時間にはしゃぐラークと、図書館の先輩気分で色々と教えたがるユエの興奮もさることながら、老司教二人の大歓迎ぶりが、カイトを圧倒した。
仲間三人がとことん持ち上げてカイトの博識を伝えていたため、老司教たちはこの機会を逃してなるものか!と前のめりになって、質問を矢継ぎ早に浴びせる。
特に二人が聞きたがったのは、妖精について。
カイトはその熱から逃げるように身を反らせながらも、口は滑らかに動いて、仲間たちも初耳の話を次々と繰り出した。
妖精の寿命は二百年であること。
一日活動して、二日眠るという生活周期であること。
容姿は平凡で、男女や老若の判別がつかないこと。
家を持たず、風に任せて各地を旅すること。
風を操り、風で会話し、離れた地の仲間と連絡を取ること。
「ふ~む、三人から聞いてはいたが……お前さん、本当にすごい知識じゃ!」
「もしかすると、妖精研究の第一人者、ベレン卿よりも先を行っとるかもしれんのう」
ひげ司教とめがね司教の褒め言葉に、なぜか本人ではなく、ユエとラークが誇らしそうな顔をする。
「カイト、絵も上手」
ユエが手にしているのは、カイト画伯の妖精の絵だ。ほぼ原寸大だということは、妖精はユエの手のひらに乗る大きさで、背中に蝶のような色鮮やかな羽根を持っていることを除けば、人間がそのまま小さくなっただけのようにしか見えない。
「あ、……ラークみたいに耳がとんがってる」
間違い探しのように絵とラークを比べたユエは、だから、のっぺらぼうなのにどこか見覚えがある気がしたんだなと納得する。
「へへへ、僕の耳は妖精の耳なんだね。きっと本物の妖精は、僕より耳がいいんだろうなあ」
若葉のような緑色の髪に、普段は隠れている耳を引っ張り出して、ラークは気恥ずかしげに笑う。そこにはもう、妖精の亜種であることに劣等感を持っていた、かつての暗い雰囲気はどこにもない。
「妖精の生態も興味深いが……信仰という点で見ると、これが唯一の新発見じゃな」
めがね司教が長机の上に置いたのは、これまたカイト画伯の手による『風切鳥』の絵だ。
現在ベレン卿の手にあるその像は、三面という初めての発見ではあったが、『風切鳥』自体はほとんど研究し尽くされたものだ。
「三面、のう……三といえばやはり、三種を指すのかのう?」
「玉が翡翠に紅玉ならば、それぞれの面が三種を表していると考えるのが妥当じゃ。じゃがこれは……」
「ドワーフの手によるものだ」
実物を知るカイトの断言に、老司教二人から「やはりな」とため息が吐き出された。
「ドワーフが造ったのだと、がっかり、なの?」
ラークが挟んだ疑問に、ひげ司教が大きく頷く。
「妖精がこれほど謎めいた存在であることの一つに、彼ら自身がなにも残しておらんことがある」
「そうじゃ。『風切鳥』の像はドワーフが造ったもんじゃし、妖精が登場する歴史書は、ドワーフか人間のものじゃ」
「妖精は歴史書を残してないの?」
「歴史書どころじゃないぞよ。書物の一冊も、遺跡や遺物もない。かつて使っていた生活道具や衣食住に関するモノも、なに一つ見つからないのじゃ!」
めがね司教の言葉に、ラークもユエも目をぱちくりする。それではまるで、妖精が生きていた痕跡はどこにもないように思える。さらに続いたひげ司教の言葉が、より一層疑念を膨らませる。
「本当になに一つ、よ。なんせ遺骨すら見つかっておらんのだからのう」
「遺骨すらって……」
それまで静かだったアイビスが思わず声を出すほど、それは衝撃的な事実だった。物証がなく、状況証拠ばかりを積み重ねたこの状態で、なぜそれほど確信を持てるのか……カイトらしくないと感じたのだ。
「……本当に妖精は存在したのか……?」
カイトに向けるにしては珍しい皮肉げな口調で、アイビスは議論の前提を覆すことを聞く。
それに対してカイトは、チラッと視線を動かしただけで、それまでの雑談から、教壇に立つ教師のように厳格さを出して、その場の全員に向かって講義を始めた。
「遺骨がないという点に関しては、ドワーフの伝承の中にこんな一文がある。『妖精は空から生まれ、風に還る』──妖精は死ぬと身体がポロポロと崩れ灰のようになって、骨も残らないという描写だ」
「ほう……!それが事実なら、遺骨も墓も見つからないことの説明がつくのう」
「生活道具が残っていない点は、妖精が定住していなかったことと、食事の特徴で説明できる。彼らは家を持たなかった。そして、果実や木の実、花の蜜を主食としていたため、食器などが必要にならなかった」
「なるほど!それなら痕跡は残らん!!」
カイトの講義は、正解を押しつけないと見ると優しいが、結論は自分で出せと突き放されていると思えば、鬼のようなやり方だ。
それに楽しそうに相づちを打つのが、老司教二人だという光景は、はたから見ると少し異様だ。しかし、子どもどころか孫にも見えるカイトにも「若造が!」という驕りがない二人は、この歳になっての生徒役を楽しんでいる。
自然にカイトも、初対面の人物の人となりを見極めようと、入っていた力が抜けていく。
「それから書物が残っていないことは……それほど特質すべき点でもない。妖精は文字の文化ではなかったという、それだけだ」
ピンときていない面々に、カイトが例として上げたのは人魚だった。
人魚は歌で歴史を伝えてきた。
全く文字を使わないということではないが、岩壁に文字を刻んでも波で削れてしまうし、紙はふやけるしインクは滲むしで、海の中では文字文化が発展する土壌がなかった。
しかし口伝だと正確に伝わることはマレだ。
その上人魚たちは、西・中央・東と一族が別れた時に、それぞれが歌を独自に改変した形跡があり、カイトはあまり人魚の伝承を信用していない。
それを聞いたユエは、メイと話した時のことが思い出された。東の一族に伝わる歴史が、中央の一族では忘れられていたのだ。それも、人魚にとって不都合な歴史を意図的に消していたんじゃないか、と今のユエは冷静に判断できる。
「なんか……ごめんなさい」
ユエは反射的に謝ってしまった。人魚が歴史を歪めて伝えていることも申し訳ないが、その間違った歴史さえ知らない自分が情けない。
「……なんで謝る?」
「だって……人魚も俺も、役立たずだから……」
「そんなこと思ってない」
「海にいた時にもっと勉強してればよかった……」
「……勉強なんてこれからいくらでもできる」
「でも……!今、カイトを助けたいのに……」
もどかしげに拳を握るユエは、もっと広い意味でその台詞を発していた。カイトを助けたい、カイトの力になりたい、カイトを救いたい、カイトのために何かしたい──。
昨夜、ユエが伝えたかったこと──そして伝えそびれたことだ。
過去の思い出話しをしたのは、自分がどれだけカイトに救われたのかを伝えるためだった。命を救ってくれただけでなく、感情を教えてくれた。存在意義を見出してくれた。
だからユエは「ありがとう」と言いたかった。感謝を伝えてから、「カイトがくれたものを、俺も返したい」と。自分ばかりが助けてもらって与えてもらうばかりで、何も返せないのは嫌だと思ったのだ。
──そのはずだったのに、昨夜慰められたのはユエの方で、(こんなはずじゃなかったのに……!)とうなだれた目覚めだった。
起きてからずっと話のきっかけを探していたユエは、思いの丈を伝えるのは今なのではないか?!と、急激にむくむくとやる気が芽生えてくる。
「あのね……!」
しかし、意気込んで顔を上げたユエは、隣に座ったカイトとまともに目がぶつかって惚けてしまった。
熱っぽい瞳。でもその熱さの中に、優しさや慈しみもある。
これまでは寝台の中でしか見せなかったその熱を、今日のカイトは惜しげもなく見せてくれている。これに見つめられると、ユエは本能の塊になって思考を忘れてしまう。
フラ~っと、操られるように顔を近づけにいったユエを、
「つまり……!」
鋭くぶった斬ったのはアイビスだ。
二人の世界に入りかけた空間を、これでもかと無理やり捻じ曲げて、真面目な議論に戻す。
「妖精も人魚のように文字で残していないから、書物や遺跡が見つからないのではなく、そもそも存在しない、とっ?」
「……おそらく」
眉をひそめるアイビス、見てはいけないものを見てしまった……!と顔を赤らめるラーク、そして「甘酸っぱいのう」とからかいを見せる老司教二人に順番に目をやって、カイトは「ん゛んっ」と咳払いした。
そしてアイビスに倣って、真面目な話を再開する。
「妖精も人魚のように、独自の伝承方法があったんだろう。それがどのような手段かは明らかになっていないがな」
そのため必然的に妖精の情報は、ドワーフと人間の書物や遺跡から発見されたものが元となる。そのためどれも、又聞きや外からの視点で、妖精自身が語っているものではない。
その上、ドワーフは国が縮小する過程で情報を喪っており、完全には残っていない。
「もちろんこれは全て、俺の仮説だ。ただ単に痕跡が見つかっていないという可能性も高い。だからこそ──」
「じゃからこそ、妖精を追い求めるもんは最後、『妖精の国』を血眼になって探すようになるのじゃ!!」
カイトの台詞を奪っためがね司教は、ここからが本題じゃ!と獲物を狙う鷹のような目でめがねをかけ直す。
事前にアイビスたちから、彼らがこの先『妖精の国』の探索に向かう予定であることや、カイトがその場所の目星をつけていることを聞いていたため、この話題に辿り着くのを今か今かと待っていたのだ。
何と言っても『妖精の国』は、今まで誰も範囲を絞ることすらできずに議論を棚上げしてきた、謎の中の謎だ。地域が絞り込めただけでも、大発見と大騒ぎになるだろう。
謎が明かされる瞬間に立ち会える興奮が、老体を震わせる。
「お前さん!その『妖精の国』の場所を、ある程度推測しているというのは、本当なのかっ?!」
「どうやって特定したっ?!詳しく説明せぇ!!」
駄々っ子のようなお年寄り二人に、カイトは少し苦笑してから、佇まいを直して向き合った。
「……逆説的な考えなんだが、この、妖精の記録が少な過ぎるところに、『妖精の国』の場所を導き出す手がかりがあると、俺は考えた」
「どういう意味じゃ?」
「ドワーフの記録に抜けがあることは、説明がつく。だが人間の国に伝わる記録が、ドワーフ以上に欠けていることは、他国の侵略や支配者の交代などでは理由には足りない。特に──大山脈の西側の地域では、意図的に削除されたかのように、おとぎ話すら残っていない」
大山脈の西側──地図を思い浮かべた一同は、ハッと同じ組織の名を思い浮かべた。
「聖会……」
誰が呟いたのか分からないその名に、カイトははっきりと頷きを返す。
「聖会は長年の宗教戦争において、人間の他宗教すら完全に否定して、全てを燃やし尽くした。本だけでなく、遺跡に像、信徒すら……そんな聖会の勢力圏に『妖精の国』があったら──?」
「……信仰だけでなく、根こそぎ消し去っても不思議ではない」
めがね司教の重々しい口調が、カイトの推測に真実味を持たせる。
そしてその推測を補強するものが、三つ。
西の海から見つかった、最古の風切鳥の像。
ベレン領以西から運ばれた、『妖精の国の遺物』とされる『再生の水』。
そして、アスカの養い親ラサージェと、ドワーフの知識から新たにもたらされた手がかり──『亜種を見分ける水晶』に似た鉱物の採掘場所が、大山脈の西側であること。
それをもってカイトは、大陸地図に指を置いた。
「ここ──聖会の総本山『赤の大聖堂』の近くに、『妖精の国』はある」
******
講義が最高潮を迎えたところで、恒例のお茶の時間となった。いつもなら雑談に花を咲かせる時間だが、集中力を高めるとされるローズマリーのハーブティーのせいか、カイトがいるせいか、今日は質問が止まらない。
「──ちょっと待って。そう言えばさ、妖精は定住しないって言ってなかった?家を持たずに旅をして暮らしてたんでしょう?……『妖精の国』って何があるの?」
ラークの素朴な疑問に、「国と言っても妖精のそれは、人間やドワーフの国とは役割が違う」カイトは面白い着眼点だと目を細める。
「『妖精の国』には、王もいなければ民もいない。ただ妖精たちが故郷と思う場所。旅から帰って、そしてまた旅立つ場所──それだけだ」
国土があって、民がいて、統治者がいる。国とはそれが当たり前だと思っていた者は、カイトの説明に一様に驚く。
『妖精の国』──『妖精の谷』と通常呼ばれる場所は、『妖精が生まれる場所』であり、『妖精が還る場所』であると言い伝えられてきた。
「俺も長年、なんとも抽象的だとあまり気にしていなかったが……純血の存在を知った今となっては、これはそのままの意味だったと納得できる。空から産まれる妖精──空といっても何処でもいいのではなく、産まれる場所が決まっていた。そしてその場所を『妖精の谷』と呼んだ」
国があって子を成すのではなく、子を成す場所が国となった。その成り立ちからして、『妖精の国』は確かに他のドワーフや人間の国とは違う。
そして純血の存在は、妖精最大の謎に迫る鍵であるとカイトは語る。
──なぜ妖精は姿を消したのか?
三種と人間の戦争においても、妖精はあまり存在感がなかった。その後も、特に大戦の記録もなく、ドワーフや人魚との交流の記録もなく、まるで最初から存在していなかったように、静かに歴史から消えている。
「答えは、純血が絶えたからだ」
ドワーフや人魚が鍵を使って種を長らえたのに対して、妖精たちが純血を保つことを選んだのなら……?
なぜか生まれなくなった純血。何も策を講じなければ、ただ静かに数を減らしていくだけ。戦争や病気などがなくとも、絶滅へ向かうことはある。
端的なカイトの答えに、誰もがするっと納得する。
「……そっか、やっぱり妖精はもういないのか……」
妖精の亜種であることに誇りを持ち始めたラークは、妖精のことがまるで自分の先祖のように思えてきて、もしいるなら会いたいと密かに期待していたのだ。
肩を落としたラークを、「それは分からんぞ」とカイトが浮上させる。
「えっ、どういうこと?」
「アスカの例がある。もしかしたら妖精も、ひょっこりと純血が生まれるなんてこともあるかもしれん」
「っそう、そうだよねっ!もし今はいなくても、これから生まれるかもしれないよねっ!あ、もしかしたら僕たちが知らないだけで、こっそり生まれて生きてるかも……!」
『妖精の国』の探索に、『妖精の鍵』を見つけることだけでなく妖精と会うという目的が加わったラークは、いつになく旅が楽しみになっている。
そんなキラキラと目を輝かせる若者を、老司教二人は羨むのではなく、むしろ面倒を押しつけるように軽く笑う。
「おう、お前さんら、本当に『妖精の国』が見つかったら、すぐにわしらに知らせるのじゃぞ!!」
「妖精と友だちになって、ここへ連れて来い!!」
「なるべく急ぐんじゃ!」
「そうよのう、わしらが死ぬ前に見つけてくれ!ひょひょひょ~!」
モリモリとマフィンを頬張りながら注文をつける二人に、四人は苦笑いでそれを受け取った。
***
「あっ、そういえば……!」
ユエと話すカイトばかりに気を取られていたアイビスは、いきなりラークに指名されて、ギクッと体を揺らす。
「あ……?」
「だからさ、この前食堂で話してくれた……聖会黒幕説!ちょうどいいから、カイトにも聞いてもらおうよ」
反応の悪いアイビスには気づかずに、ラークはアイビスの推理を披露する。
ベレン領の事件のことは詳しく知らなかった老司教二人に、「最初から説明せえ!」と吠えられて、話はどんどんと長くなっていく。
それを聞いていると、思いついた時にあれほど興奮した大胆な考えが、何だか薄っぺらく思えてきて、アイビスはその場の雰囲気に乗り遅れていた。
(カイトがこの可能性に気づいていないはずがない……)
大司教と親しいカイトが、聖会の過去の所業を知らないはずがない。その上カイトは、ずっと前から妖精を調べていたのだ。
不老不死の研究──西方にある『妖精の国』──妖精の国の遺物『再生の水』──その繋がりを、自分が思いつくより遥かに前に導き出していたはず。
案の定カイトは、ラークが話し終えると驚きもせずに頷いた。
「ベレン領の事件の黒幕が聖会なのではないか──それは確かに、可能性としてはかなり高い」
「やっぱり!」
素直に賞賛の目を向けるラークから、アイビスは逃げるように目を逸らす。いつもなら、自分の考えにカイトが賛同してくれれば、誇らしいような気持ちになるところを、今は反対に惨めに感じていた。
アイビスが自分の変化に戸惑っている間に、カイトはアイビスのさらに先へと思考を進めている。
「お前たちも聞いただろう。聖会が過去に……『不老不死』の研究をしていたことを」
カイトは憎々しげにも思える口調で、『不老不死』という言葉を発音した。
そこには聖会がアディーンにした仕打ちに対する怒りと、それ以外に自嘲や呆れが混ざっていて、それら複雑な感情の底には──畏れが敷き詰められていることに、気づいた者はいなかった。
「妖精は人間より寿命が長いと言われていることもあって、聖会は妖精の研究もしていたからな。長寿と、老化の研究だ」
「老化も?」
「これはどこまで真実かは分からんが、妖精は生まれてから死ぬまで、ほとんど姿が変わらないという伝説がある」
「へえ~」
納得しかけたラークは「ん?ちょっと待って」と首をひねる。
「あのさ、さっきのカイトの話では、妖精の情報を消しちゃったのが聖会、なんだよね?」
「おそらく、だがな」
「ならさ……自分たちで消しちゃったのを、また自分たちで集めてたの?」
呆れた声のラークに、カイトはその矛盾を「聖会の権力構造にある」と説いた。
聖会は教会と異なり、上層部の権力が圧倒的に強いのだ。完全なピラミッドになっていて、最高権力者である法王の意向が強く反映されるため、法王の代替わりによって百八十度方針が変わることもある。
「聖会全体の方針では、他宗教を否定し、他種より人間を上に置くことが正しいとされているから、妖精の知恵を借りることなんぞ言語道断。もっと言えば、死後の世界や生まれ変わりを説いているのだから、不老不死を求めることなんて御法度だ」
「つまり……本当は聖会で許されてないことなのに、一番偉い人たちがそれを破ってたってこと?」
もっと呆れ果てたラークは、本音と建前のあまりの差に怒りすら湧いてくるようだった。
特に、妖精の笛の前持ち主がアディーンだと知って、雲の上の人だと感じていた大司教が一気に近くなっている今、彼を私利私欲で傷つけた聖会に罵詈雑言をぶつけたい気分だ。
「……八十年前の研究の発端は、間違いなく当時の法王だった。明るみに出た後、やつらは聖典にこじつけて『人類のための研究だ』と主張したが……ただ自分が死にたくなかっただけだ。私利私欲であったことは明白だったから、聖会内部からも批判が出て、上層部の首がすげ替えられた。しかし……本当にベレン領の事件の黒幕が聖会なら、当代の法王がまた……──」
カイトが独り言で考えをまとめることを知っている仲間は、いつものことだと聞いていたが、初めて見るはずの司教二人も、全く意に介せずに勝手に話し出す。
「聖会はそういうところが、信用ならん!」
「そうじゃ!八十年前の改革の時に、それを改善しなかったことが、今の弱体化に繋がっておるというのに、それをちっとも理解しとらんのじゃ!」
「さようさよう!それにもしお前さんの仮説が正しければ、聖会はまた過ちを犯していることになる!」
「本当じゃ!!やつら、なにも学んでおらんのかっ!かーっ!バカにつける薬はないのう!!」
加熱する二人に思考を中断されたカイトは、「これはまだ仮説に過ぎないから」と鎮めようとするが、もうこの場の全員が、聖会を諸悪の根源と決めつけて憤っていた。
──いや、全員ではなかった。
「……カイト、いつこの仮説を立てたんだ?」
アイビスだけが、話の内容とは外れたところから動けずにいたのだ。
目を合わせずに聞くアイビスを、カイトはその意図を探るように視線でひと舐めしてから、簡潔に答える。
「……ベレン領の事件の後、くらいか」
「どうして今になるまで、それを言わなかったんだ……?」
「ドワーフの村へ行くことが決まっていたあの時点では、言う必要性がなかった」
「それじゃあ、今がその言うべき時、だったと?」
難癖をつけているような声音に、周囲は「どうしたんだ?」と目を合わせるが、自分で言い出しておいて、「いや……やっぱり何でもない」とアイビスはあっさり身を引く。
いくら恋愛に疎いアイビスでも、そろそろいい加減に、自分の感情を薄っすらと把握していた。この嫉妬は、仲間の範疇には収まりきらないものだ、と。
しかしはっきりと認められないのには、理由があった。
アイビスはユエに嫉妬を感じるのと同時に、カイトに嫌悪を抱くのだ。
今も確実に、嫉妬よりも嫌悪が上回っている。カイトを変えたユエに対する嫉妬よりも、変えられたカイトに対する嫌悪の方が強い。
カイトは今まで、仮説の段階でこれほど饒舌に話してくれることなどなかった。聞けば答えてくれることもあったが、基本的には秘密主義を通していた。
それが今日のカイトはどうだ。初対面の老司教の前で、全てをさらけ出すような勢いだ。まるで──恋愛に浮かれて口が軽くなったみたいに。
その変化をアイビスは、ユエの影響に違いないと決めつけている。
(俺はカイトにとって、何だったんだ……)
カイトの無防備さが、重大な裏切りのように思える。
カイトとユエの体の関係を知った時以上に、カイトの右腕だという自負が打ち砕かれた今、アイビスは自信を失っている。
その後の雑談もほとんど聞き流して、アイビスは自分のことばかり悩み続けていた。
最初カイトは、部屋で少し休むというアディーンに付き添うつもりだったが、「せっかくなので図書館を見てきてください」というアディーンの勧めと、「あなたの話を聞きたいと、老司教二人からせっつかれているので、ぜひ」とラフィールからもお願いされて、午後の宗教学研究にお邪魔することとなった。
ピクニックに続いての、久しぶりのカイトとの時間にはしゃぐラークと、図書館の先輩気分で色々と教えたがるユエの興奮もさることながら、老司教二人の大歓迎ぶりが、カイトを圧倒した。
仲間三人がとことん持ち上げてカイトの博識を伝えていたため、老司教たちはこの機会を逃してなるものか!と前のめりになって、質問を矢継ぎ早に浴びせる。
特に二人が聞きたがったのは、妖精について。
カイトはその熱から逃げるように身を反らせながらも、口は滑らかに動いて、仲間たちも初耳の話を次々と繰り出した。
妖精の寿命は二百年であること。
一日活動して、二日眠るという生活周期であること。
容姿は平凡で、男女や老若の判別がつかないこと。
家を持たず、風に任せて各地を旅すること。
風を操り、風で会話し、離れた地の仲間と連絡を取ること。
「ふ~む、三人から聞いてはいたが……お前さん、本当にすごい知識じゃ!」
「もしかすると、妖精研究の第一人者、ベレン卿よりも先を行っとるかもしれんのう」
ひげ司教とめがね司教の褒め言葉に、なぜか本人ではなく、ユエとラークが誇らしそうな顔をする。
「カイト、絵も上手」
ユエが手にしているのは、カイト画伯の妖精の絵だ。ほぼ原寸大だということは、妖精はユエの手のひらに乗る大きさで、背中に蝶のような色鮮やかな羽根を持っていることを除けば、人間がそのまま小さくなっただけのようにしか見えない。
「あ、……ラークみたいに耳がとんがってる」
間違い探しのように絵とラークを比べたユエは、だから、のっぺらぼうなのにどこか見覚えがある気がしたんだなと納得する。
「へへへ、僕の耳は妖精の耳なんだね。きっと本物の妖精は、僕より耳がいいんだろうなあ」
若葉のような緑色の髪に、普段は隠れている耳を引っ張り出して、ラークは気恥ずかしげに笑う。そこにはもう、妖精の亜種であることに劣等感を持っていた、かつての暗い雰囲気はどこにもない。
「妖精の生態も興味深いが……信仰という点で見ると、これが唯一の新発見じゃな」
めがね司教が長机の上に置いたのは、これまたカイト画伯の手による『風切鳥』の絵だ。
現在ベレン卿の手にあるその像は、三面という初めての発見ではあったが、『風切鳥』自体はほとんど研究し尽くされたものだ。
「三面、のう……三といえばやはり、三種を指すのかのう?」
「玉が翡翠に紅玉ならば、それぞれの面が三種を表していると考えるのが妥当じゃ。じゃがこれは……」
「ドワーフの手によるものだ」
実物を知るカイトの断言に、老司教二人から「やはりな」とため息が吐き出された。
「ドワーフが造ったのだと、がっかり、なの?」
ラークが挟んだ疑問に、ひげ司教が大きく頷く。
「妖精がこれほど謎めいた存在であることの一つに、彼ら自身がなにも残しておらんことがある」
「そうじゃ。『風切鳥』の像はドワーフが造ったもんじゃし、妖精が登場する歴史書は、ドワーフか人間のものじゃ」
「妖精は歴史書を残してないの?」
「歴史書どころじゃないぞよ。書物の一冊も、遺跡や遺物もない。かつて使っていた生活道具や衣食住に関するモノも、なに一つ見つからないのじゃ!」
めがね司教の言葉に、ラークもユエも目をぱちくりする。それではまるで、妖精が生きていた痕跡はどこにもないように思える。さらに続いたひげ司教の言葉が、より一層疑念を膨らませる。
「本当になに一つ、よ。なんせ遺骨すら見つかっておらんのだからのう」
「遺骨すらって……」
それまで静かだったアイビスが思わず声を出すほど、それは衝撃的な事実だった。物証がなく、状況証拠ばかりを積み重ねたこの状態で、なぜそれほど確信を持てるのか……カイトらしくないと感じたのだ。
「……本当に妖精は存在したのか……?」
カイトに向けるにしては珍しい皮肉げな口調で、アイビスは議論の前提を覆すことを聞く。
それに対してカイトは、チラッと視線を動かしただけで、それまでの雑談から、教壇に立つ教師のように厳格さを出して、その場の全員に向かって講義を始めた。
「遺骨がないという点に関しては、ドワーフの伝承の中にこんな一文がある。『妖精は空から生まれ、風に還る』──妖精は死ぬと身体がポロポロと崩れ灰のようになって、骨も残らないという描写だ」
「ほう……!それが事実なら、遺骨も墓も見つからないことの説明がつくのう」
「生活道具が残っていない点は、妖精が定住していなかったことと、食事の特徴で説明できる。彼らは家を持たなかった。そして、果実や木の実、花の蜜を主食としていたため、食器などが必要にならなかった」
「なるほど!それなら痕跡は残らん!!」
カイトの講義は、正解を押しつけないと見ると優しいが、結論は自分で出せと突き放されていると思えば、鬼のようなやり方だ。
それに楽しそうに相づちを打つのが、老司教二人だという光景は、はたから見ると少し異様だ。しかし、子どもどころか孫にも見えるカイトにも「若造が!」という驕りがない二人は、この歳になっての生徒役を楽しんでいる。
自然にカイトも、初対面の人物の人となりを見極めようと、入っていた力が抜けていく。
「それから書物が残っていないことは……それほど特質すべき点でもない。妖精は文字の文化ではなかったという、それだけだ」
ピンときていない面々に、カイトが例として上げたのは人魚だった。
人魚は歌で歴史を伝えてきた。
全く文字を使わないということではないが、岩壁に文字を刻んでも波で削れてしまうし、紙はふやけるしインクは滲むしで、海の中では文字文化が発展する土壌がなかった。
しかし口伝だと正確に伝わることはマレだ。
その上人魚たちは、西・中央・東と一族が別れた時に、それぞれが歌を独自に改変した形跡があり、カイトはあまり人魚の伝承を信用していない。
それを聞いたユエは、メイと話した時のことが思い出された。東の一族に伝わる歴史が、中央の一族では忘れられていたのだ。それも、人魚にとって不都合な歴史を意図的に消していたんじゃないか、と今のユエは冷静に判断できる。
「なんか……ごめんなさい」
ユエは反射的に謝ってしまった。人魚が歴史を歪めて伝えていることも申し訳ないが、その間違った歴史さえ知らない自分が情けない。
「……なんで謝る?」
「だって……人魚も俺も、役立たずだから……」
「そんなこと思ってない」
「海にいた時にもっと勉強してればよかった……」
「……勉強なんてこれからいくらでもできる」
「でも……!今、カイトを助けたいのに……」
もどかしげに拳を握るユエは、もっと広い意味でその台詞を発していた。カイトを助けたい、カイトの力になりたい、カイトを救いたい、カイトのために何かしたい──。
昨夜、ユエが伝えたかったこと──そして伝えそびれたことだ。
過去の思い出話しをしたのは、自分がどれだけカイトに救われたのかを伝えるためだった。命を救ってくれただけでなく、感情を教えてくれた。存在意義を見出してくれた。
だからユエは「ありがとう」と言いたかった。感謝を伝えてから、「カイトがくれたものを、俺も返したい」と。自分ばかりが助けてもらって与えてもらうばかりで、何も返せないのは嫌だと思ったのだ。
──そのはずだったのに、昨夜慰められたのはユエの方で、(こんなはずじゃなかったのに……!)とうなだれた目覚めだった。
起きてからずっと話のきっかけを探していたユエは、思いの丈を伝えるのは今なのではないか?!と、急激にむくむくとやる気が芽生えてくる。
「あのね……!」
しかし、意気込んで顔を上げたユエは、隣に座ったカイトとまともに目がぶつかって惚けてしまった。
熱っぽい瞳。でもその熱さの中に、優しさや慈しみもある。
これまでは寝台の中でしか見せなかったその熱を、今日のカイトは惜しげもなく見せてくれている。これに見つめられると、ユエは本能の塊になって思考を忘れてしまう。
フラ~っと、操られるように顔を近づけにいったユエを、
「つまり……!」
鋭くぶった斬ったのはアイビスだ。
二人の世界に入りかけた空間を、これでもかと無理やり捻じ曲げて、真面目な議論に戻す。
「妖精も人魚のように文字で残していないから、書物や遺跡が見つからないのではなく、そもそも存在しない、とっ?」
「……おそらく」
眉をひそめるアイビス、見てはいけないものを見てしまった……!と顔を赤らめるラーク、そして「甘酸っぱいのう」とからかいを見せる老司教二人に順番に目をやって、カイトは「ん゛んっ」と咳払いした。
そしてアイビスに倣って、真面目な話を再開する。
「妖精も人魚のように、独自の伝承方法があったんだろう。それがどのような手段かは明らかになっていないがな」
そのため必然的に妖精の情報は、ドワーフと人間の書物や遺跡から発見されたものが元となる。そのためどれも、又聞きや外からの視点で、妖精自身が語っているものではない。
その上、ドワーフは国が縮小する過程で情報を喪っており、完全には残っていない。
「もちろんこれは全て、俺の仮説だ。ただ単に痕跡が見つかっていないという可能性も高い。だからこそ──」
「じゃからこそ、妖精を追い求めるもんは最後、『妖精の国』を血眼になって探すようになるのじゃ!!」
カイトの台詞を奪っためがね司教は、ここからが本題じゃ!と獲物を狙う鷹のような目でめがねをかけ直す。
事前にアイビスたちから、彼らがこの先『妖精の国』の探索に向かう予定であることや、カイトがその場所の目星をつけていることを聞いていたため、この話題に辿り着くのを今か今かと待っていたのだ。
何と言っても『妖精の国』は、今まで誰も範囲を絞ることすらできずに議論を棚上げしてきた、謎の中の謎だ。地域が絞り込めただけでも、大発見と大騒ぎになるだろう。
謎が明かされる瞬間に立ち会える興奮が、老体を震わせる。
「お前さん!その『妖精の国』の場所を、ある程度推測しているというのは、本当なのかっ?!」
「どうやって特定したっ?!詳しく説明せぇ!!」
駄々っ子のようなお年寄り二人に、カイトは少し苦笑してから、佇まいを直して向き合った。
「……逆説的な考えなんだが、この、妖精の記録が少な過ぎるところに、『妖精の国』の場所を導き出す手がかりがあると、俺は考えた」
「どういう意味じゃ?」
「ドワーフの記録に抜けがあることは、説明がつく。だが人間の国に伝わる記録が、ドワーフ以上に欠けていることは、他国の侵略や支配者の交代などでは理由には足りない。特に──大山脈の西側の地域では、意図的に削除されたかのように、おとぎ話すら残っていない」
大山脈の西側──地図を思い浮かべた一同は、ハッと同じ組織の名を思い浮かべた。
「聖会……」
誰が呟いたのか分からないその名に、カイトははっきりと頷きを返す。
「聖会は長年の宗教戦争において、人間の他宗教すら完全に否定して、全てを燃やし尽くした。本だけでなく、遺跡に像、信徒すら……そんな聖会の勢力圏に『妖精の国』があったら──?」
「……信仰だけでなく、根こそぎ消し去っても不思議ではない」
めがね司教の重々しい口調が、カイトの推測に真実味を持たせる。
そしてその推測を補強するものが、三つ。
西の海から見つかった、最古の風切鳥の像。
ベレン領以西から運ばれた、『妖精の国の遺物』とされる『再生の水』。
そして、アスカの養い親ラサージェと、ドワーフの知識から新たにもたらされた手がかり──『亜種を見分ける水晶』に似た鉱物の採掘場所が、大山脈の西側であること。
それをもってカイトは、大陸地図に指を置いた。
「ここ──聖会の総本山『赤の大聖堂』の近くに、『妖精の国』はある」
******
講義が最高潮を迎えたところで、恒例のお茶の時間となった。いつもなら雑談に花を咲かせる時間だが、集中力を高めるとされるローズマリーのハーブティーのせいか、カイトがいるせいか、今日は質問が止まらない。
「──ちょっと待って。そう言えばさ、妖精は定住しないって言ってなかった?家を持たずに旅をして暮らしてたんでしょう?……『妖精の国』って何があるの?」
ラークの素朴な疑問に、「国と言っても妖精のそれは、人間やドワーフの国とは役割が違う」カイトは面白い着眼点だと目を細める。
「『妖精の国』には、王もいなければ民もいない。ただ妖精たちが故郷と思う場所。旅から帰って、そしてまた旅立つ場所──それだけだ」
国土があって、民がいて、統治者がいる。国とはそれが当たり前だと思っていた者は、カイトの説明に一様に驚く。
『妖精の国』──『妖精の谷』と通常呼ばれる場所は、『妖精が生まれる場所』であり、『妖精が還る場所』であると言い伝えられてきた。
「俺も長年、なんとも抽象的だとあまり気にしていなかったが……純血の存在を知った今となっては、これはそのままの意味だったと納得できる。空から産まれる妖精──空といっても何処でもいいのではなく、産まれる場所が決まっていた。そしてその場所を『妖精の谷』と呼んだ」
国があって子を成すのではなく、子を成す場所が国となった。その成り立ちからして、『妖精の国』は確かに他のドワーフや人間の国とは違う。
そして純血の存在は、妖精最大の謎に迫る鍵であるとカイトは語る。
──なぜ妖精は姿を消したのか?
三種と人間の戦争においても、妖精はあまり存在感がなかった。その後も、特に大戦の記録もなく、ドワーフや人魚との交流の記録もなく、まるで最初から存在していなかったように、静かに歴史から消えている。
「答えは、純血が絶えたからだ」
ドワーフや人魚が鍵を使って種を長らえたのに対して、妖精たちが純血を保つことを選んだのなら……?
なぜか生まれなくなった純血。何も策を講じなければ、ただ静かに数を減らしていくだけ。戦争や病気などがなくとも、絶滅へ向かうことはある。
端的なカイトの答えに、誰もがするっと納得する。
「……そっか、やっぱり妖精はもういないのか……」
妖精の亜種であることに誇りを持ち始めたラークは、妖精のことがまるで自分の先祖のように思えてきて、もしいるなら会いたいと密かに期待していたのだ。
肩を落としたラークを、「それは分からんぞ」とカイトが浮上させる。
「えっ、どういうこと?」
「アスカの例がある。もしかしたら妖精も、ひょっこりと純血が生まれるなんてこともあるかもしれん」
「っそう、そうだよねっ!もし今はいなくても、これから生まれるかもしれないよねっ!あ、もしかしたら僕たちが知らないだけで、こっそり生まれて生きてるかも……!」
『妖精の国』の探索に、『妖精の鍵』を見つけることだけでなく妖精と会うという目的が加わったラークは、いつになく旅が楽しみになっている。
そんなキラキラと目を輝かせる若者を、老司教二人は羨むのではなく、むしろ面倒を押しつけるように軽く笑う。
「おう、お前さんら、本当に『妖精の国』が見つかったら、すぐにわしらに知らせるのじゃぞ!!」
「妖精と友だちになって、ここへ連れて来い!!」
「なるべく急ぐんじゃ!」
「そうよのう、わしらが死ぬ前に見つけてくれ!ひょひょひょ~!」
モリモリとマフィンを頬張りながら注文をつける二人に、四人は苦笑いでそれを受け取った。
***
「あっ、そういえば……!」
ユエと話すカイトばかりに気を取られていたアイビスは、いきなりラークに指名されて、ギクッと体を揺らす。
「あ……?」
「だからさ、この前食堂で話してくれた……聖会黒幕説!ちょうどいいから、カイトにも聞いてもらおうよ」
反応の悪いアイビスには気づかずに、ラークはアイビスの推理を披露する。
ベレン領の事件のことは詳しく知らなかった老司教二人に、「最初から説明せえ!」と吠えられて、話はどんどんと長くなっていく。
それを聞いていると、思いついた時にあれほど興奮した大胆な考えが、何だか薄っぺらく思えてきて、アイビスはその場の雰囲気に乗り遅れていた。
(カイトがこの可能性に気づいていないはずがない……)
大司教と親しいカイトが、聖会の過去の所業を知らないはずがない。その上カイトは、ずっと前から妖精を調べていたのだ。
不老不死の研究──西方にある『妖精の国』──妖精の国の遺物『再生の水』──その繋がりを、自分が思いつくより遥かに前に導き出していたはず。
案の定カイトは、ラークが話し終えると驚きもせずに頷いた。
「ベレン領の事件の黒幕が聖会なのではないか──それは確かに、可能性としてはかなり高い」
「やっぱり!」
素直に賞賛の目を向けるラークから、アイビスは逃げるように目を逸らす。いつもなら、自分の考えにカイトが賛同してくれれば、誇らしいような気持ちになるところを、今は反対に惨めに感じていた。
アイビスが自分の変化に戸惑っている間に、カイトはアイビスのさらに先へと思考を進めている。
「お前たちも聞いただろう。聖会が過去に……『不老不死』の研究をしていたことを」
カイトは憎々しげにも思える口調で、『不老不死』という言葉を発音した。
そこには聖会がアディーンにした仕打ちに対する怒りと、それ以外に自嘲や呆れが混ざっていて、それら複雑な感情の底には──畏れが敷き詰められていることに、気づいた者はいなかった。
「妖精は人間より寿命が長いと言われていることもあって、聖会は妖精の研究もしていたからな。長寿と、老化の研究だ」
「老化も?」
「これはどこまで真実かは分からんが、妖精は生まれてから死ぬまで、ほとんど姿が変わらないという伝説がある」
「へえ~」
納得しかけたラークは「ん?ちょっと待って」と首をひねる。
「あのさ、さっきのカイトの話では、妖精の情報を消しちゃったのが聖会、なんだよね?」
「おそらく、だがな」
「ならさ……自分たちで消しちゃったのを、また自分たちで集めてたの?」
呆れた声のラークに、カイトはその矛盾を「聖会の権力構造にある」と説いた。
聖会は教会と異なり、上層部の権力が圧倒的に強いのだ。完全なピラミッドになっていて、最高権力者である法王の意向が強く反映されるため、法王の代替わりによって百八十度方針が変わることもある。
「聖会全体の方針では、他宗教を否定し、他種より人間を上に置くことが正しいとされているから、妖精の知恵を借りることなんぞ言語道断。もっと言えば、死後の世界や生まれ変わりを説いているのだから、不老不死を求めることなんて御法度だ」
「つまり……本当は聖会で許されてないことなのに、一番偉い人たちがそれを破ってたってこと?」
もっと呆れ果てたラークは、本音と建前のあまりの差に怒りすら湧いてくるようだった。
特に、妖精の笛の前持ち主がアディーンだと知って、雲の上の人だと感じていた大司教が一気に近くなっている今、彼を私利私欲で傷つけた聖会に罵詈雑言をぶつけたい気分だ。
「……八十年前の研究の発端は、間違いなく当時の法王だった。明るみに出た後、やつらは聖典にこじつけて『人類のための研究だ』と主張したが……ただ自分が死にたくなかっただけだ。私利私欲であったことは明白だったから、聖会内部からも批判が出て、上層部の首がすげ替えられた。しかし……本当にベレン領の事件の黒幕が聖会なら、当代の法王がまた……──」
カイトが独り言で考えをまとめることを知っている仲間は、いつものことだと聞いていたが、初めて見るはずの司教二人も、全く意に介せずに勝手に話し出す。
「聖会はそういうところが、信用ならん!」
「そうじゃ!八十年前の改革の時に、それを改善しなかったことが、今の弱体化に繋がっておるというのに、それをちっとも理解しとらんのじゃ!」
「さようさよう!それにもしお前さんの仮説が正しければ、聖会はまた過ちを犯していることになる!」
「本当じゃ!!やつら、なにも学んでおらんのかっ!かーっ!バカにつける薬はないのう!!」
加熱する二人に思考を中断されたカイトは、「これはまだ仮説に過ぎないから」と鎮めようとするが、もうこの場の全員が、聖会を諸悪の根源と決めつけて憤っていた。
──いや、全員ではなかった。
「……カイト、いつこの仮説を立てたんだ?」
アイビスだけが、話の内容とは外れたところから動けずにいたのだ。
目を合わせずに聞くアイビスを、カイトはその意図を探るように視線でひと舐めしてから、簡潔に答える。
「……ベレン領の事件の後、くらいか」
「どうして今になるまで、それを言わなかったんだ……?」
「ドワーフの村へ行くことが決まっていたあの時点では、言う必要性がなかった」
「それじゃあ、今がその言うべき時、だったと?」
難癖をつけているような声音に、周囲は「どうしたんだ?」と目を合わせるが、自分で言い出しておいて、「いや……やっぱり何でもない」とアイビスはあっさり身を引く。
いくら恋愛に疎いアイビスでも、そろそろいい加減に、自分の感情を薄っすらと把握していた。この嫉妬は、仲間の範疇には収まりきらないものだ、と。
しかしはっきりと認められないのには、理由があった。
アイビスはユエに嫉妬を感じるのと同時に、カイトに嫌悪を抱くのだ。
今も確実に、嫉妬よりも嫌悪が上回っている。カイトを変えたユエに対する嫉妬よりも、変えられたカイトに対する嫌悪の方が強い。
カイトは今まで、仮説の段階でこれほど饒舌に話してくれることなどなかった。聞けば答えてくれることもあったが、基本的には秘密主義を通していた。
それが今日のカイトはどうだ。初対面の老司教の前で、全てをさらけ出すような勢いだ。まるで──恋愛に浮かれて口が軽くなったみたいに。
その変化をアイビスは、ユエの影響に違いないと決めつけている。
(俺はカイトにとって、何だったんだ……)
カイトの無防備さが、重大な裏切りのように思える。
カイトとユエの体の関係を知った時以上に、カイトの右腕だという自負が打ち砕かれた今、アイビスは自信を失っている。
その後の雑談もほとんど聞き流して、アイビスは自分のことばかり悩み続けていた。
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