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第三章 交点に降るは紅の雨
26 風切鳥
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「昔から物語には、三種族、人魚・ドワーフ・妖精とひとくくりに出てくる。だが百年ほど前には姿があった人魚、今や人間と共生するドワーフに比べ、妖精はその存在すらあやふやだ。確かに記録では『見た』という記載がいくつも残り、物語に語られ、遺跡からは絵も発見されている。だが人間は今や、その実在を信じていない」
再び先の応接室に戻った一行の前には、見ただけで高価だと分かる茶器に、琥珀色の紅茶が注がれている。しかし誰もそれに手を伸ばすことはない。
自分に注目が集まっていることを自覚しているベレン卿は、しかしそれを意に介さず、一人悠々と茶を口に運ぶ。
「……卿は違うようですね」
アイビスが話を進めさせるために、合いの手を入れる。この人物は生まれながらに、人に傅かれ人の上に立ってきたから、自分の思うようにしか動かない。
無駄なことには時間を使わないが、興味が惹かれることに関しては、こちらが苛立つほどに、雄弁に語り反応を楽しむところがある。
自身も貴族の出で、こういう人物の扱いを心得ているアイビスが、卿の相手を引き受ける。
「ああ、私はもちろん、妖精は実在すると思っている」
「……確証がおありで?」
「いた方がおもしろいだろう?」
思わず脱力するアイビス。こういうところがカイトと似ている。自分の興味でしか動かないのだ。
「妖精は人の手の平に乗るほどの大きさで、羽があって、優雅に空を舞うらしい。風を起こし、花と戯れ、光を受けて輝く──それは美しいと思わないか?」
卿の力説に、アイビスは曖昧に頷く。
「それだけではない。不思議な力を持ち、世界を見通すことができるとか。過去も未来もその全てを知っている、と」
あまり反応がよくない一行を笑って、もう少し現実的な話に切り替える。
「──と言っても確かに、伝説のような存在であることを、私も否定はしない。だからこそ、遺跡や遺物や歴史を調べている。しかし調べれば調べるほど、その存在は明らかだと、私は確信しているがね」
唯一話が分かるカイトに向けて、視線を放つ。
「……実在していたことは、疑いようがない」
カイトの断定に、それまでおとぎ話を聞いていた気分の一行にも、ようやく現実味が増してきた。
「様々な文献や遺跡、それらには当たり前にいたことが、はっきりと示されている。──例えば、ある紀行家の記録には『妖精に風を起こしてもらい船を進めた』出来事が詳しく書かれている。ある一定の時代の遺跡に描かれた妖精の絵は、ほとんど特徴が一致している。場所が散らばっているにも関わらず、だ」
「つまり、真似して描いた訳ではないと?」
「西の山奥と、東の島だ。当時とても交流があったとは考えられない」
「『当時』って、いつくらいの話なんだ?」
「ざっと……千年ほどは前、か……」
その数字に、驚愕と呆れの声が上がる。本当に神話のような話になってきた。
「つまりその時代には、妖精は当たり前に存在していた、ということだ」
ベレン卿が話を攫う。
「しかし今現在、妖精がいるかどうか、という話になると、それは誰にも分からないな」
「千年前には普通にいたが、今は生きていないと?」
「その可能性が高い。何せ今は、人間が足跡を残していない土地はないと言われるほどだ。だが誰も見たことがない。それどころか、見たという噂さえないのだから、皆死んでしまったのだろうな」
沈痛な顔で絶滅した種を悼む。
これは見せかけや演技ではない。ベレン卿はこういう数を減らしたものを、とても慈しんでいる。生き物にしても、植物にしても、鉱物や作品であっても。
これらを集めていることが、ベレン卿が『コレクター』と呼ばれる所以である。
しかし彼はそういう希少なものたちを、自分の手に入れたいと思うだけでなく、数を増やしたいと考えるところが、他とは違った。
その他の者たちが、他が持っていないものを所有して自慢するため、権力を誇るため、独り占めするために集めるのとは違って、卿はそれらを保護するために集めるのだ。
そして可能なら数を増やすことも手伝う。
卿は『希少物保護・増加』活動家だと嘯く。
曰く、「美しいものを守り増やすことが私の使命だ」と。
これまでも絶滅寸前だった鳥を救ったり、病気に侵された花を立ち直らせたり、奴隷にされた奇形の生物や、そして亜種を助けている。
卿がラークとクレインを気に入っているのも、二人が亜種であることと、見目がいいことに起因する。
卿は二人を保護したい欲求と、そして増やしたい欲求に駆られるのだ。できれば二人には、自分の庇護下で、美しい女性と子を成してほしいと思っているほどだ。
かと言って本人の意思を無視するような、狭量なことはしないが。
しかしそれは隠された顔で、一般的には珍品・名品を金と権力に任せて集める『コレクター』として名を馳せている。そのため裏のオークションや違法な取引の情報も自然と集まるから、本人はその悪名をそのままにしている。
本当のベレン卿の姿を知っているのは、ごくわずかな側近と、彼に助けられた者たちだけだった。
******
「しかしそれでは、『妖精の谷』の探索とは、何を目的に?もう妖精は生きていないとお考えなのでしょう?」
アイビスの言葉に、過去の失ったものに対する愛惜から、卿は引き戻される。
「そうだな。だが生きているかもしれないだろう?」
舌の根も乾かないうちに自分の言を覆すようなことを言う卿に、一行も「はあ……」と反応に困る。
「いることを証明するは容易いが、いないものを証明することは難しい。だからこそ人は伝説を追い求めるのだろう?」
大げさに手を広げて同意を求めるが、やはり曖昧な頷きしか、一行は返せなかった。だがこれ見よがしのご機嫌取りが日常の卿は、一行の素直な反応をむしろ楽しんでいた。
「ははっ、まあそれは置いておくとして──『妖精の谷』とは、妖精の国があったとされる場所だ。しかしその場所が地図上のどこに当たるのかははっきりしない。研究家の間でも意見が割れていて、『どこか島にあるのではないか』、『いや大山脈の麓だ』、『いやいや海の中にあるのでは』──と長年議論されてきた。それは何を基準にするかによって変わるからだ。しかし私とカイトの意見は一致している。それが先ほど見せた──」
「風切鳥の像……!」
「そうだ」
察しのいい聴衆に、卿は満足げだ。
「あれは妖精の守り神だ。槍を持っているから、軍神だと主張する愚か者もいるが、実際は全くの逆。平和の象徴だというのが真実だ。『風を裂き、風を鎮める』、嵐から国を守る存在──」
「『国を守る』……だから像がもともと安置されていた場所こそが、妖精の国……」
もしかして本当に歴史的な大発見なのでは……っ!?
カイト以外の七人にも、あの像の価値がひしひしと感じられてきた。
「今回発見された像は、おそらく最古のものだ。なおかつ最大で、『三面』という他にない特徴を持つ。もしかしたらこの姿こそが風切鳥の原型なのかもしれん。この発見は、妖精研究を一気に進めることになる」
どうだ?と言わんばかりに椅子の背もたれに体を預け、一行の顔を見回して、最後にカイトを見据える。
十六の瞳に見つめられ、その熱量を受け止めたカイトは────
「いや、これは無理だ」
あっさり却下する。
「俺たちはこれから行くところがある。あまり時間をかけられない。他に何か、サクッと終わる仕事をくれ」
「ははっ!お前は相変わらず勝手だな」
そんな不遜なカイトに、ベレン卿は気分を害した様子もなく、懐の深さを見せて笑う。
「そうだな……だが今はそれほど心惹かれるものがなくてな──ああ、そうだ。マックス!!」
最初に一行を案内した老人を呼び、何かを言いつける。
「依頼はマックスから聞け」
そのまま退出しようとする卿を、カイトが呼び止める。
「卿、あの像の情報をもう少し集めておいてくれ」
「……何だ、やはり興味はあるのだな」
「ああ。だがまだ場所を絞り込めるほどの情報がない。木や玉を調べて、ある程度の範囲を絞ってくれ」
「ふむ、やっておこう。それで?お前が探してくれるのか?」
「ああ、先の仕事を終わらせたら、こっちを引き受ける」
******
「カイト、本気か?」
アイビスが珍しく強い口調で、カイトに異議を唱える。
卿が退出し、一行が泊まる部屋の準備のために待たされる少しの時間。
「『妖精の谷』なんて、これまでに増して胡散臭いぞ。それに……」
「この符号、おもしろいと思わないか?」
だがカイトはアイビスの話を聞いているのかいないのか。
「見計らったように妖精の情報がもたらされる。乗らない手はない」
「だけど!西へ行くってことだろう?まだほとぼりも冷めないうちに……危険過ぎる!」
ユエを奪ったオークションがあった国も、ちょうどベレン卿に示された探索範囲に被っていた。
あれほどのことをしでかしたのだ。当分、それこそ年単位で、周辺には近づかない予定であったのに──。
「大丈夫だ。俺の予想では、南西ではない。もっと北……海沿いでもない」
カイトのその自信に、返ってアイビスは危惧が深まる。
アイビスはカイトを信じていない訳ではない。むしろ信じ過ぎている。だが、人魚に始まる今回の旅の異様さと、そしてカイトの執着を見るに連れ、背筋に這い上がる理由の見えない恐怖──。
──自分が信じている常識が覆される恐怖。
──自分が生きている世界が壊れていく恐怖。
──自分が進む方角が見えない恐怖。
アイビスがカイトに惹かれたのは、そういうところだった。普通に生きていては見ることができない景色を、彼といれば見ることができる。
しかし今はそれが怖い。
だがそれは決してカイトに伝えられることではなかった。
安寧な生活を捨てて、自分で選んだのだ。カイトが無理やり誘った訳ではない。ここまで来たのは自分の意思に他ならない。
己の行動の責任をカイトに取ってもらうなんて、身勝手過ぎるだろうと、アイビスはよく分かっている。
それにアイビスにはその掴み所がない恐怖よりも、よほど怖れていることがある。
「来なくていい」
その言葉がカイトから放たれること──。
クウェイルの館でユエに対して、『来るのか?お前はここに残るのかと』とカイトが言い放った時、おそらく他の者も、自分と同様に恐れを感じたはずだと、アイビスは感じ取っていた。
あれは自分に向けられてもおかしくない言葉なのだと。
カイトは来る者を拒まない。だがカイトにとって、自分たちは、絶対に必要という存在ではないのかもしれない。
もしカイトと敵対するような立場になったら、迷わず切り捨てられるのではないか。いや、切り捨てるのではなく、カイトは一人で行ってしまうのかもしれない。
カイトのそういう、よく言えばあっさりした、悪く言えば情の薄いところを、一行はよく分かっていた。
しかしそこが、彼の魅力でもあった。
何にも縛られず、何にも執着せず、捉えどころがない。
そんな彼にとって、自分たちは一番近くにいる──その特別感は何にも変えられなかった。
まだ反論の糸口を探していたアイビスだが、心の底では(俺は結局カイトに従うんだろうな)と、口調とは裏腹に冷めていった。
「……俺も、反対、なんだけど」
言葉を探しているのかいないのか、自分でもよく分からなくなっていたアイビスの代わりに、クレインが彼らしい温度の見えない口調で異を唱える。
「……でも俺のは個人的な感情だから、全体の方針には従うよ」
クレインの言葉にジェイも追随する。
「俺も……あまり西には近づきたくはない、な……」
ジェイが意見することは珍しい。だがこの二人にとって、妖精の谷があるとされる周辺は、忌まわしい記憶の土地だったから、それもしょうがないことだった。
反対を表明した三人。しかしその他も、はっきりと口にはしないが、諸手を挙げて賛成とはいかない雰囲気だ。
一行が反応を伺うのを一瞥して、カイトは感情を読み取らせない顔で話をまとめる。
「……どの道、先のことだ。これから依頼をこなして、ドワーフの国へ行って──その間に状況は変わるかもしれん。今ここでの議論は意味を成さない。だが……俺は行くつもりだということは、はっきりさせておく」
判決を先延ばしにされたような、すわりの悪さが残ったが、それでこの話は切り上げられた。
再び先の応接室に戻った一行の前には、見ただけで高価だと分かる茶器に、琥珀色の紅茶が注がれている。しかし誰もそれに手を伸ばすことはない。
自分に注目が集まっていることを自覚しているベレン卿は、しかしそれを意に介さず、一人悠々と茶を口に運ぶ。
「……卿は違うようですね」
アイビスが話を進めさせるために、合いの手を入れる。この人物は生まれながらに、人に傅かれ人の上に立ってきたから、自分の思うようにしか動かない。
無駄なことには時間を使わないが、興味が惹かれることに関しては、こちらが苛立つほどに、雄弁に語り反応を楽しむところがある。
自身も貴族の出で、こういう人物の扱いを心得ているアイビスが、卿の相手を引き受ける。
「ああ、私はもちろん、妖精は実在すると思っている」
「……確証がおありで?」
「いた方がおもしろいだろう?」
思わず脱力するアイビス。こういうところがカイトと似ている。自分の興味でしか動かないのだ。
「妖精は人の手の平に乗るほどの大きさで、羽があって、優雅に空を舞うらしい。風を起こし、花と戯れ、光を受けて輝く──それは美しいと思わないか?」
卿の力説に、アイビスは曖昧に頷く。
「それだけではない。不思議な力を持ち、世界を見通すことができるとか。過去も未来もその全てを知っている、と」
あまり反応がよくない一行を笑って、もう少し現実的な話に切り替える。
「──と言っても確かに、伝説のような存在であることを、私も否定はしない。だからこそ、遺跡や遺物や歴史を調べている。しかし調べれば調べるほど、その存在は明らかだと、私は確信しているがね」
唯一話が分かるカイトに向けて、視線を放つ。
「……実在していたことは、疑いようがない」
カイトの断定に、それまでおとぎ話を聞いていた気分の一行にも、ようやく現実味が増してきた。
「様々な文献や遺跡、それらには当たり前にいたことが、はっきりと示されている。──例えば、ある紀行家の記録には『妖精に風を起こしてもらい船を進めた』出来事が詳しく書かれている。ある一定の時代の遺跡に描かれた妖精の絵は、ほとんど特徴が一致している。場所が散らばっているにも関わらず、だ」
「つまり、真似して描いた訳ではないと?」
「西の山奥と、東の島だ。当時とても交流があったとは考えられない」
「『当時』って、いつくらいの話なんだ?」
「ざっと……千年ほどは前、か……」
その数字に、驚愕と呆れの声が上がる。本当に神話のような話になってきた。
「つまりその時代には、妖精は当たり前に存在していた、ということだ」
ベレン卿が話を攫う。
「しかし今現在、妖精がいるかどうか、という話になると、それは誰にも分からないな」
「千年前には普通にいたが、今は生きていないと?」
「その可能性が高い。何せ今は、人間が足跡を残していない土地はないと言われるほどだ。だが誰も見たことがない。それどころか、見たという噂さえないのだから、皆死んでしまったのだろうな」
沈痛な顔で絶滅した種を悼む。
これは見せかけや演技ではない。ベレン卿はこういう数を減らしたものを、とても慈しんでいる。生き物にしても、植物にしても、鉱物や作品であっても。
これらを集めていることが、ベレン卿が『コレクター』と呼ばれる所以である。
しかし彼はそういう希少なものたちを、自分の手に入れたいと思うだけでなく、数を増やしたいと考えるところが、他とは違った。
その他の者たちが、他が持っていないものを所有して自慢するため、権力を誇るため、独り占めするために集めるのとは違って、卿はそれらを保護するために集めるのだ。
そして可能なら数を増やすことも手伝う。
卿は『希少物保護・増加』活動家だと嘯く。
曰く、「美しいものを守り増やすことが私の使命だ」と。
これまでも絶滅寸前だった鳥を救ったり、病気に侵された花を立ち直らせたり、奴隷にされた奇形の生物や、そして亜種を助けている。
卿がラークとクレインを気に入っているのも、二人が亜種であることと、見目がいいことに起因する。
卿は二人を保護したい欲求と、そして増やしたい欲求に駆られるのだ。できれば二人には、自分の庇護下で、美しい女性と子を成してほしいと思っているほどだ。
かと言って本人の意思を無視するような、狭量なことはしないが。
しかしそれは隠された顔で、一般的には珍品・名品を金と権力に任せて集める『コレクター』として名を馳せている。そのため裏のオークションや違法な取引の情報も自然と集まるから、本人はその悪名をそのままにしている。
本当のベレン卿の姿を知っているのは、ごくわずかな側近と、彼に助けられた者たちだけだった。
******
「しかしそれでは、『妖精の谷』の探索とは、何を目的に?もう妖精は生きていないとお考えなのでしょう?」
アイビスの言葉に、過去の失ったものに対する愛惜から、卿は引き戻される。
「そうだな。だが生きているかもしれないだろう?」
舌の根も乾かないうちに自分の言を覆すようなことを言う卿に、一行も「はあ……」と反応に困る。
「いることを証明するは容易いが、いないものを証明することは難しい。だからこそ人は伝説を追い求めるのだろう?」
大げさに手を広げて同意を求めるが、やはり曖昧な頷きしか、一行は返せなかった。だがこれ見よがしのご機嫌取りが日常の卿は、一行の素直な反応をむしろ楽しんでいた。
「ははっ、まあそれは置いておくとして──『妖精の谷』とは、妖精の国があったとされる場所だ。しかしその場所が地図上のどこに当たるのかははっきりしない。研究家の間でも意見が割れていて、『どこか島にあるのではないか』、『いや大山脈の麓だ』、『いやいや海の中にあるのでは』──と長年議論されてきた。それは何を基準にするかによって変わるからだ。しかし私とカイトの意見は一致している。それが先ほど見せた──」
「風切鳥の像……!」
「そうだ」
察しのいい聴衆に、卿は満足げだ。
「あれは妖精の守り神だ。槍を持っているから、軍神だと主張する愚か者もいるが、実際は全くの逆。平和の象徴だというのが真実だ。『風を裂き、風を鎮める』、嵐から国を守る存在──」
「『国を守る』……だから像がもともと安置されていた場所こそが、妖精の国……」
もしかして本当に歴史的な大発見なのでは……っ!?
カイト以外の七人にも、あの像の価値がひしひしと感じられてきた。
「今回発見された像は、おそらく最古のものだ。なおかつ最大で、『三面』という他にない特徴を持つ。もしかしたらこの姿こそが風切鳥の原型なのかもしれん。この発見は、妖精研究を一気に進めることになる」
どうだ?と言わんばかりに椅子の背もたれに体を預け、一行の顔を見回して、最後にカイトを見据える。
十六の瞳に見つめられ、その熱量を受け止めたカイトは────
「いや、これは無理だ」
あっさり却下する。
「俺たちはこれから行くところがある。あまり時間をかけられない。他に何か、サクッと終わる仕事をくれ」
「ははっ!お前は相変わらず勝手だな」
そんな不遜なカイトに、ベレン卿は気分を害した様子もなく、懐の深さを見せて笑う。
「そうだな……だが今はそれほど心惹かれるものがなくてな──ああ、そうだ。マックス!!」
最初に一行を案内した老人を呼び、何かを言いつける。
「依頼はマックスから聞け」
そのまま退出しようとする卿を、カイトが呼び止める。
「卿、あの像の情報をもう少し集めておいてくれ」
「……何だ、やはり興味はあるのだな」
「ああ。だがまだ場所を絞り込めるほどの情報がない。木や玉を調べて、ある程度の範囲を絞ってくれ」
「ふむ、やっておこう。それで?お前が探してくれるのか?」
「ああ、先の仕事を終わらせたら、こっちを引き受ける」
******
「カイト、本気か?」
アイビスが珍しく強い口調で、カイトに異議を唱える。
卿が退出し、一行が泊まる部屋の準備のために待たされる少しの時間。
「『妖精の谷』なんて、これまでに増して胡散臭いぞ。それに……」
「この符号、おもしろいと思わないか?」
だがカイトはアイビスの話を聞いているのかいないのか。
「見計らったように妖精の情報がもたらされる。乗らない手はない」
「だけど!西へ行くってことだろう?まだほとぼりも冷めないうちに……危険過ぎる!」
ユエを奪ったオークションがあった国も、ちょうどベレン卿に示された探索範囲に被っていた。
あれほどのことをしでかしたのだ。当分、それこそ年単位で、周辺には近づかない予定であったのに──。
「大丈夫だ。俺の予想では、南西ではない。もっと北……海沿いでもない」
カイトのその自信に、返ってアイビスは危惧が深まる。
アイビスはカイトを信じていない訳ではない。むしろ信じ過ぎている。だが、人魚に始まる今回の旅の異様さと、そしてカイトの執着を見るに連れ、背筋に這い上がる理由の見えない恐怖──。
──自分が信じている常識が覆される恐怖。
──自分が生きている世界が壊れていく恐怖。
──自分が進む方角が見えない恐怖。
アイビスがカイトに惹かれたのは、そういうところだった。普通に生きていては見ることができない景色を、彼といれば見ることができる。
しかし今はそれが怖い。
だがそれは決してカイトに伝えられることではなかった。
安寧な生活を捨てて、自分で選んだのだ。カイトが無理やり誘った訳ではない。ここまで来たのは自分の意思に他ならない。
己の行動の責任をカイトに取ってもらうなんて、身勝手過ぎるだろうと、アイビスはよく分かっている。
それにアイビスにはその掴み所がない恐怖よりも、よほど怖れていることがある。
「来なくていい」
その言葉がカイトから放たれること──。
クウェイルの館でユエに対して、『来るのか?お前はここに残るのかと』とカイトが言い放った時、おそらく他の者も、自分と同様に恐れを感じたはずだと、アイビスは感じ取っていた。
あれは自分に向けられてもおかしくない言葉なのだと。
カイトは来る者を拒まない。だがカイトにとって、自分たちは、絶対に必要という存在ではないのかもしれない。
もしカイトと敵対するような立場になったら、迷わず切り捨てられるのではないか。いや、切り捨てるのではなく、カイトは一人で行ってしまうのかもしれない。
カイトのそういう、よく言えばあっさりした、悪く言えば情の薄いところを、一行はよく分かっていた。
しかしそこが、彼の魅力でもあった。
何にも縛られず、何にも執着せず、捉えどころがない。
そんな彼にとって、自分たちは一番近くにいる──その特別感は何にも変えられなかった。
まだ反論の糸口を探していたアイビスだが、心の底では(俺は結局カイトに従うんだろうな)と、口調とは裏腹に冷めていった。
「……俺も、反対、なんだけど」
言葉を探しているのかいないのか、自分でもよく分からなくなっていたアイビスの代わりに、クレインが彼らしい温度の見えない口調で異を唱える。
「……でも俺のは個人的な感情だから、全体の方針には従うよ」
クレインの言葉にジェイも追随する。
「俺も……あまり西には近づきたくはない、な……」
ジェイが意見することは珍しい。だがこの二人にとって、妖精の谷があるとされる周辺は、忌まわしい記憶の土地だったから、それもしょうがないことだった。
反対を表明した三人。しかしその他も、はっきりと口にはしないが、諸手を挙げて賛成とはいかない雰囲気だ。
一行が反応を伺うのを一瞥して、カイトは感情を読み取らせない顔で話をまとめる。
「……どの道、先のことだ。これから依頼をこなして、ドワーフの国へ行って──その間に状況は変わるかもしれん。今ここでの議論は意味を成さない。だが……俺は行くつもりだということは、はっきりさせておく」
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