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出会い
しおりを挟む駅前を行き交う人の多くはサラリーマンやOLで、仕事帰りの至福の時間を楽しもうと照明の眩しく光る街へと自然と人は流れていく。
僕は昨晩念入りに調べた店までの地図を頭に思い浮かべながら歩いていたが、時折「居酒屋、お探しですか」「キャバクラ、いかがですか」とノリの軽い客引きにつかまった。
「結構です……」
呟いて振り切ろうとしたが、なかにはしつこい人もいて「どこのお店へ行かれる予定なんですか」などと絡まれた。
正直に答えられるわけがない。
元々お酒に強いわけでもないため好んで居酒屋に行くようなたちではなく、また女性に接待される店なんて全く興味がない。
物心ついたときから恋愛対象は男性だった。
さらに厄介なことに僕は性的指向がマイノリティであるだけでなく性的嗜好もアブノーマルである。
「すみません。急いでいるので……」
ぼくは、さらに足を早める。
向かう先は、SMバーというほど本格的な店ではないが、様々なアブノーマルな性的嗜好をもつ人が集う同性愛者のためのバーだった。
大通りの三つ目のコンビニの横の細い道に入り、ひしめき建つ長いビルの二階。ビルの案内看板に濃い紫に赤い文字で書かれた目的のお店の名前を見つける。
右手で今にも心臓が飛び出してしまいそうな胸のあたりをぎゅっとつかんだ。
大学を卒業し、就職のため上京してからずっとこの店に来たかったのだ。それなのにこれまで勇気が出ず、もう1年以上過ぎていた。
せっかくここまで来たんだから、と自分を励まし、ビルの重いガラス戸を開いてなかへ進み、正面のエレベーターに向かった。
がたがたと音をたてて降りてきたエレベーターは大人が四人乗ったらいっぱいになってしまうような狭いエレベーターだ。乗り込んですぐさま二階のボタンを押す。
ゆっくりと上昇するエレベーターが二階に到着して、扉が開いたところはもう店の入り口だった。
薄暗い店内、独特な香りに包まれる。
「いらっしゃいませ、バーAXVへようこそ」
そう声をかけてきた店員の男性は、エナメル素材の黒いショートパンツに上半身は裸で黒いネクタイを締めていた。
かつらと思しき肩につく栗色の髪の毛を揺らして笑顔をつくる。
「当店は初めてですか?」
そう問われて頷くと、店員さんは僕をカウンター席へと案内した。硬い椅子に腰掛けスーツのジャケットを脱ぎ、店員さんに促されるまま足元の籠に丸めて置いた。
店員さんは自分の名前をヒロと名乗り、それからメニューと料金表を片手に、ひとつひとつ丁寧に説明を添えてくれた。お店のシステムはホームページでしっかり予習済みだったが、僕は頷きながら耳を傾ける。
バーAXVは、基本飲み放題の定額制で、いくつか別料金のお酒がある。
お客同士、店員とお客とただ自由にお酒を飲み交わすのが基本だが、店内での軽いプレイは自由。
「上半身の脱衣はもちろん可能ですが、下は節度を守ってくださいね。うちはハプニングバーではないので」
最後にそう念押しされたあと、一杯目の飲み物を聞かれて最初に目についたジントニックを注文した。
席をたつヒロさんの後ろ姿を目で追うふりをして店内を見回す。
黒い絨毯敷きの店内は四人がけほどの小さなテーブルが並び、奥にはソファ席もあって、すでに常連らしきグループがひとつのソファを占めていた。
低い天井からは店内のあちこちに丸い柱や、鎖が垂れていて、妖しい照明のてらす壁には様々なアダルトグッズが並んでいるようだったが、そちらはあまり直視できなかった。
「お客さん、お名前はなんていうんですか」
ジントニックを運んできたヒロさんが自然と僕のとなりの椅子に腰掛けてくる。
「あ、もちろん。本名でもあだ名でも構いませんよ。呼ばれたい名前を教えてください」
「ゆ、ユウといいます」
本名の悠馬から2文字とった、ネット上でいつも使っている名前を答える。
「ユウくんはなんでこのお店に来てくれたんですか?」
こちらの緊張をものともせず何気ない話題から話を始めるヒロさんにぽつぽつと答えながら、間を持たせるためにグラスを口に運んでいたら、あっという間にジントニックは空になった。
「次は何にします? 同じの? 別のにします?」
そう言ってヒロさんが差し出してきたメニュー表を受け取ったとき、背中のほうでチリンと鈴の鳴るような音に続いて、エレベーターの扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ」と店内の他数人の店員さんの声が重なる。
「あら、いらっしゃい」
ヒロさんがそう言って立ち上がり迎えにいったかと思うと「今ね、初めてのお客様が来てるの。ユウくんっていうんだって」と、すぐにお客を一人連れて戻ってきた。
「ユウくん、こちら、うちの常連の篠崎さんよ」
磨き上げられた革靴、身体にあうように仕立てられたであろう細いブラックスーツ。
穏やかな微笑みを浮かべる口元と、軽く右寄りに流された長い前髪が、優しそうな黒目にかかる。
歳はおそらく自分より一回り上。
「こんばんは、初めまして。篠崎です」
そう名乗る声は、見た目のイメージと違わずゆったりと穏やかで優しそうだ。
「こんばんは」
なんとか返事を返して、篠崎さんのネクタイのあたりに目線をそらす。
篠崎さんは僕にそのまま歩み寄ってきて、自然と隣の椅子に腰掛けた。
「一杯目はいつものでいいよね。ユウくんは、二杯目お決まりですか?」
結局よく分からない名前のカクテルには手を出せず、同じジントニックを注文する。
「ユウくんはこういうお店自体が初めて?」
となりで篠崎さんがこちらへ顔を向けて問うてきているのはわかったが、僕はテーブルの木目を見つめたまま「初めて……です」と答えた。
「そっかそっか。緊張しちゃうよね」
こくんと頷いただけで、僕がいつまでも黙っていると、篠崎さんは「ユウくんはお酒は好き?」と、沈黙を埋めた。
僕はすでにすっかり全身が緊張してしまっていて、首を縦か横かにふるばかりでろくに返事ができない。
お盆に乗せてグラスを二つ運んできたヒロさんが、篠崎さんの前にミントの葉が浮いたモヒートを置き、僕の前にジントニックを置くと
「シノくんって、いい人そうに見えるけど、少し歪んでるから気をつけてね」
と、僕に悪戯っぽく笑いかける。
「ヒロ……、怖がらせてどうするんだ」
「すみませんね。お邪魔しませんので、ごゆっくりどうぞ」
ヒロさんがそう言って、そそくさと歩き去っていく。
「ユウくんは……どんなことに興味があるの。どんなプレイが好き?」
おそらくいつかは聞かれるだろうと思って質問は、いざ問いかけられると恥ずかしさが上回って声にならなかった。
ずっと自分の内へと秘めていた感情。
妄想は何度もしたけれど、一度も経験したことも、誰かに話したこともないのだ。
そう簡単に口に出せない。歪んでいるのは、僕も同じだ。
物心ついたときから……絵本やアニメでキャラクターが捕らえられて縛られているのを見ると胸のあたりがざわざわした。
あまりに幼い頃は、その感情がなんなのかもわからなかったけれど、いつしか自覚していた。
縛られて、自由を奪われてみたいという願望。
自分の力では絶対に敵わない人に抑え付けられたいという欲求。
それらは全て、力の強い男性に縛られるところを妄想することで補ってきた。
映画に出てくる悪役の男性から、背の高い部活の先輩……。
妄想はいくらでもした。
「こういうのは、興味ある?」
篠崎さんが自分の鞄のなかから綺麗に巻かれた赤い縄を取り出した。
店の暗い照明の下でも一気に顔が火照ったことに気がつかれたのか、それとも僕があまりにも分かりやすく動揺していたのか、篠崎さんが心地のいい笑い声をあげた。
「触ってごらん」
差し出されて、縄に震える手で触れる。心臓が高鳴って、耳の後ろがどくどく脈打った。
ネット上には、自分と同じような趣向の人がいくらかいることも知った。
けれど実際に緊縛用の縄を目にしたのも、触ったのもはじめてだ。
あまりに気持ちが高ぶりすぎているせいか、指先にあたる縄が柔らかいことくらいしか認識できない。
「少しだけ、試してみる?」
縄に触れていた右手の手首を、突然きゅっと掴まれて、心臓が締めつけられる。
全身が硬直してわずかに身を引いたそのとき、僕の手首を掴むその左手の薬指にシンプルな指輪がはめられているのが目に止まって、ほんの一瞬、失望したのち心が緩む。
この人も自分と同じく現実を忘れるためにここに来ている。
ちょっとした、現実逃避。
面倒な期待などせずに、少しだけ妄想の世界を体験するだけ。
僕が「はい……」と小さく頷くと、篠崎さんは手首を強く握ったまま立ち上がり、カウンター席から僕を店内の中央の黒い柱まで引っ張っていった。
「柱に背中をつけて。両手を揃えて前に出して」
篠崎さんは綺麗に巻かれていた縄を慣れた手つきで解きながら言った。一瞬で拘束された両手は頭の上へと持ち上げられ、そのまま後ろの柱に括り付けられた。
両腕をあげさせられただけなのに、支えがなくなったようで心もとない。
「力を抜いて」
胸から腰にかけて縄が回される。
テーブル席やソファにちらほらと座ったお客さんの目線を感じて、頬が熱くなった。
裸を晒しているわけでもなく、ただワイシャツの上から柱に縛られているだけなのに。布越しに感じる縄の感触が、身体中にひろがっていく。
「片足をあげて」
篠崎さんが優しい声で言う。
あげた右足の、足首と太ももを括られる。まっすぐ立った左足には、太ももから足首にかけて何重にも縄が巻き付けられて柱に固定された。
「周りの目線、気になるの?」
足を縛りおえた篠崎さんは、僕の目の前に立ちそう尋ねる。
僕は床を見つめたまま小さく頷いたが、篠崎さんの指先が俯いた僕の顎を持ち上げた。
「私だけを見てごらん」
はじめて、至近距離で篠崎さんと目を合わせた。身長は僕よりも少しだけ高い。
篠崎さんはすっかり柱に縛り付けられた僕の身体をゆっくりと足先まで眺める。
そうして「私から、目を離さないで」と指示したあと、新たに取り出した縄を僕の首に回した。
ゆっくりと首元で縄が幾重にも回され、突然きゅっと喉にまとわりつく。
息ができなくなって、頭が真っ白になった。
篠崎さんの黒い瞳が僕の緊張をほぐすように優しく笑いかける。
「そんなにきつく締めてないから。息、してごらん」
半端に開いた唇をそっと冷たい指先で撫でられる。
ただそれだけで、そのとき僕は身体中が震えて意識が飛びそうになった。
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