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4畳の化粧部屋
しおりを挟む二週間なんてすぐに過ぎると思っていたが、毎日がやたらと長く接客中も上の空になりがちだった。
隆文の代わりに椿が身の回りの世話を焼いてくれたが、何かと龍也に報告されて僕は怒られてばかりだった。
早く隆文に帰ってきてほしい。早く、隆文に会いたい。
「なに、今度は何の話」
明日には隆文が帰ってくるという日、椿に無理やり龍也の部屋へと連行させられた。この間は僕が誤ってお客のスーツにお酒をこぼしてしまったことを、帰りがけのお客が椿に話したことで龍也にバレて怒られたが、今日は特に心当たりはない。
しかもわざわざ部屋に呼び出されるなんて。龍也の部屋は、秋彦の執務室と同じく畳に上にソファとローテーブルが置いてあって、僕は椿に引っ張られるままに龍也の向かいのソファに腰掛けた。
「最近のお姫ちゃんは随分、上の空で色々やらかしてるが……理由はまあ大体想像はできる。そうだよな、椿」
龍也に話を振られた椿は、僕のとなりでこくんと頷く。首元の鈴が、チリンと鳴った。
「二人して、なに…」
「隆文くんが戻ってくる前に、どうしてもお姫ちゃんと話し合いたいことがあってな。椿、あの写真」
「写真、って…」
背もたれに寄りかかっていた僕は、身を乗りだして椿がローテーブルの上に並べて置いた写真を見た。
手をつないで、駅前を歩く僕と隆文。真っ赤なりんご飴を隆文から受け取る僕。鮮やかな花火を背景にキスをする僕と隆文。
「まあ、お姫ちゃんが俺の言うことを聞かず勝手に出かけていたのはさておき、これはどういうことかな?」
龍也が、最後の僕からキスをしている写真をつまんでみせる。
「この写真を、オーナーに見せたらなんて言うだろうな?」
「それは……」
「ただキスをしているだけならまだしも…オーナーがお姫ちゃんの胸の中の思いに気付いたら?俺は本気になるなよって忠告したよな。男娼と恋愛関係になってしまった世話役がどう処分されるか、お姫ちゃん知らないだろ」
心臓がうるさいほど脈打つ。膝の上で握った両手が震えていた。
「どう…すれば…?」
「俺だってオーナーを怒らせたいわけじゃない。一つの方法があるとしたら……隆文くんを手放すことだ」
「隆文を……?」
「いいタイミングだろ。隆文くんは縁が切れていた家と寄りを戻したところだ。お父様が亡くなったってことは自然と隆文くんにも相続の話がでてるはずだ。お姫ちゃんが隆文くんを手放せば、隆文くんは自然に店を辞められる。オーナーは何も気づかない。この写真はなかったことにしてやる。それがお姫ちゃんのためにも、隆文くんのためにも最善だろ」
龍也が僕に笑顔を見せて、つまんで掲げていた写真から手を離した。
口づけを交わす僕と隆文の写真がテーブルの上に、はらりと落ちていった。
翌日、帰ってきた隆文は黒いスーツを着ていつもと違う香りをまとっていて、しばらくしてそれが隆文の弟の煙草の匂いだと気がついた。
二週間の家でのことを何か話してくれるかと思ったが、隆文は荷ほどきもせず、龍也に怒られてばかりだったという僕の愚痴をただ頷いて聞いているだけで、自分のことには全く触れようとしなかった。
僕は、龍也に言われたことを、どう切り出すべきかということばかり考えていた。けれど中々、言い出せない。
「憐さん。あの、実は……」
化粧部屋で店に出るための着付けと化粧を早々に終えてしまったとき、いきなり隆文の方からそう口をひらく。
「なに…」
隆文は長い前髪を耳にかける。僕は隆文と向かい合うように畳の上に座り直した。
「実は……家を継がないかと言われました」
「家を継ぐ?え、その、それは……ここの仕事を…やめるってこと?」
隆文が頷いて、心に張り詰めていた糸がふっと切れたような感覚をおぼえる。隆文はもういらない、だなんて僕からわざわざ言い出す必要はなかったんだ。
「そう、なんだ……」
隆文に嘘をつく自信がなかった。
だって隆文は……もう僕にとっては心の底から大切な人だから。
僕がどんなに意地を張っても、平然と受け流す隆文の声が好きだった。僕が不安でいると、繋いでくれた隆文の手が好きだった。心配そうに寄せる眉が、優しく語りかけるときの薄茶色の瞳が、時折わずかにゆるむ口元が、隆文の全部が好きだった。
隆文の隣にいたい。
ずっと隆文の隣にいたかった。
「今日は、憐さんにお別れを言うためにきました。至らない世話役でしたが、今までありがとうございました」
お別れなんて、言わないでほしい。いなくならないでほしい。
心は離れたくないと叫びつつ、他方では隆文には幸せになってほしいと叫んでる。
僕がこのまま黙っていれば、隆文はこの店から解放される。僕とは関係のない、僕に出会わなかった人生を歩むんだ。
「………」
隆文とそれ以上向き合って座っていることができず、僕は立ち上がり後ろをむく。
四畳しかない小さな化粧部屋。化粧道具の並んだ机と、大きな鏡。押入れには沢山の着物のはいった和箪笥。これが僕の生きていく場所。隆文とは違う人生。
「わかった。さよならなんだね」
「憐さん……」
そんな声で、僕を呼ばないでほしい。胸が引き裂かれそうなほど苦しくて、必死にこらえている涙が溢れてしまいそうになる。
震える手を、後ろからそっと持ち上げられる。
「憐さん、お元気で」
指先に、隆文の唇が触れて、それからゆっくりと離れていった。
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