夕闇に紅をひく

青森ほたる

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隆文の弟

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 庭の樹々の緑色だった葉がまばらに黄色に移ろいはじめ、窓を開けていると少し肌寒い風が吹き込んでくるようになった。

今日はどんよりとした曇り空で陽の光はなく、どこかもの寂しく感じる庭を眺めていると、ため息がもれる。

変わらない日が続いていると、まるであの一夜が幻だったように思えてくる。

世話役と口づけを交わしたのは初めてじゃない。大抵は、自分の手駒にするために。でもあの日は……。

「憐さん。寒くはありませんか」

 隆文が相変わらずの心配性を発揮して、窓辺にいる僕の肩に羽織をかける。

「隆文、緑茶飲みたい。隆文の分も持ってきて一緒に飲も」

 僕が重い羽織を肩から振り落としながらねだると隆文は「わかりました」と頷いた。

隆文も何も変わらない。ただ世話役としての仕事を毎日淡々とこなす。いつも通り僕に尽くして、あの夜のことは口にしない。

あのとき、隆文が何を言いかけたのかも分からない。


 車のエンジン音と、そのあとに複数人の声が窓の外から聞こえてきて僕は考え事から引き戻された。

騒がしいのは庭の正門の方からで、ここからでは屋敷に遮られてよく見えない。

今日はお店は月に一度のお休みの日だし、だいいちまだ夕方にもなっていないこの時間だ。

窓からおおきく身を乗り出して正門を覗こうとしていたら「憐さん、何をしているんですか」と、お茶を運んできた隆文に咎められる。

「なんか、車の音と人の声が聞こえたから。誰だろうって思って」
「龍也さんからは何も伺っていませんが…秋彦さまでしょうか…?」

「秋彦……最近来てないね」

 隆文から湯呑みを受け取って、息を吹きかけ少しずつ冷ましながら緑茶を飲む。

秋彦には、熱を出したときにわざわざ来てくれた日以来、会っていない。

ただ椿らしき人が龍也と一緒に居るのを見かけたことはあって、秋彦は他で忙しくしていてここへは椿が代理で見回りに来ているのかもしれなかった。

「秋彦に会ったらこの間はろくに喋れなかったから…」

 ちゃんとお礼をしないと、と言いかけたとき、部屋の襖が勢いよく開く。

真っ黒のスーツを着た若い男が部屋に飛び込んできて「兄さんッ」と、声をあげて隆文に抱きついた。隆文の手から湯呑みが傾いて、お茶が畳に飛び散る。

「……慶一?」

「会いたかったよ、隆文兄さん」

 慶一という男が、隆文の首に手を回し素早く唇を重ねた。

驚いたのは、隆文だけじゃない。僕も言葉を失って、湯呑みを落としかけた。

「慶一、ここで、なにを…?」

 自分と同い年くらいにも見える慶一は、独特な匂いをまとっていた。これは、上品な煙草の匂い。

煙草を吸える歳にしては、自分より年下に見えるほど幼くみえる。

「隆文兄さん、ずっと、探してたんだ。二カ月前、母さんと父さんが事故で…っ」

 幼い顔にうっすらと涙を浮かべると、慶一は隆文の胸に再度抱きついた。

チリン、チリンと、鈴の音がして、開けっ放しだった襖から椿が姿を見せる。

続いて走ってやってきた龍也が困ったような笑顔をつくり「お客さま」と、隆文と慶一をそれとなく引き離し「こちらのものが別室に案内します。隆文くんも、一緒に。お話はそこでゆっくりと」と、二人を椿に引き渡した。

「ちょっと…」
 僕が口を挟むと「憐さんは、少し待っていてください」「お姫ちゃんは、この部屋から出ずに、ここで待ってろ」と、隆文と龍也が同時に答える。

「すぐに戻ります」

 僕から目をそらした隆文に抑揚のない声でそう言われて、僕は言葉をのみこんで頷くしかなかった。


 すぐに、と隆文は言ったが、予想できたように隆文は庭に夕日が陰って暗くなっても戻ってこなかった。

隆文の零したお茶はタオルで拭いて、湯呑みは書き物机の上に二つ並べて置く。

日が陰ると肌寒くなって窓を閉め、畳の上に放置されていた羽織をかぶって足を抱えてじっと待った。

「憐さん」

 僕は、座ったままの体勢でいつの間にか眠っていて、部屋に戻ってきた隆文に声をかけられて目を覚ました。

「一人でお待たせしてすみません」
「何が、あったの?」

 くい気味に口走ってしまい、一呼吸ついて「……僕には話せないことは、話さなくていいけど」と続ける。

本当は、無理やりにでも聞き出したいのを、ぐっと我慢したのだが、隆文は心を決めたように座り直して、
「一つずつ全部、話していってもいいですか」
 と、切り出した。

僕は促すように首を縦にふると、隆文はつらつらと話し始めた。


「今日、訪ねてきたのは、以前お話ししたことのある母親違いの弟、です。私は物心ついたときから母と二人暮らしでした。父の顔は知らず、九歳で病気がちだった母が死んだとき、地元の名家に引き取られて、そこで初めて自分がご当主の子どもだと知りました。母は私が生まれる前にそこで使用人として働いていたそうです。屋敷の使用人の中では、私がご当主の子だと知っているものもいましたが、私はあくまで使用人の子として、その家に仕えることになりました」

「え…なんで使用人として…?だって、隆文の実の父親なんでしょ」

「ご当主には正式な奥さまがいらっしゃいました。母が死んだとき私を引き取っていただいただけでも感謝しなければいけないと思っています」

 使用人の子として引き取られることが本当に感謝しなければいけないことなのだろうか。奥さんと子どもがいたとしても、隆文の父親のとった方法は理解しがたい。

僕のように、施設で育つのがいいとも全く思わないけれど。

「私がご当主の子であるとは奥さまは知らず、弟も一人息子として育ち、私は使用人の子として弟の遊び相手になりました。私が十五歳、弟が十三歳になったとき……弟は私が自分の父親と使用人の間にできた子だと知ってしまい、それを母親にバラさない代わりにと……自分と関係をもつように私に命じました」

 一度、聞いたことのある話なのに思わず、息をとめる。

「初めは口づけを交わすだけの関係が、徐々に弟の欲求はエスカレートしていきました。私はこのままではいけないと、ただ黙って屋敷から消えることも考えました。けれどその度に、弟はご当主との関係と、さらに自分との秘密の関係も暴露すると言って、私を引き止めました」

「隆文の弟は、なんでそんなに…」

「本心かは分かりませんが、弟は私のことが本当に好きだと言っていました。私が兄と知る前からずっと。私たちの関係は三年続きました。私が十八歳になったとき、弟と身体を重ねているところを奥さまに……。私は不貞を働いた使用人の子として追い出され、そしてそのあとはご存知の通りです。私は親切にも料理屋の店主に拾われ、そしてその後この店に。この十四年もの間、私は身元を隠してきました」

 僕の知らない隆文の人生。隆文は目を伏せたまま、淡々と続けた。

「ここからは弟に今日、聞いた話ですが。二カ月前……私の父親であるご当主と奥さまが海外旅行中に不慮の事故で…。ご当主は、私が非嫡出子であると遺言で認知し公表され、弟は正式に私を兄として捜索することになったそうです」

「隆文は、それで…なにを、どうするの?」

「はい。それで、家のことで色々と整理しなければいけないことがあるので…二週間ほどお休みをもらって弟と一緒に家に帰ってもよろしいでしょうか」

 話の展開に混乱していた僕は、いきなり尋ねられて返事に窮する。

身元を隠して生きてきた隆文が家に帰れることを喜ぶべきなのか。それともいきなり面倒ごとに巻き込まれている隆文に同情すべきなのか。どちらにせよ、僕には止める権利はないのに、もう少しで行かないでほしいと言いそうになる自分に気がつく。

隆文が初めて関係結んだあの弟と、二週間も一緒にいることになるなんて。でも……。

「いいよ、別に。僕は隆文がいなくても、全然平気だけど」

 僕が平静を装って、さらりと答えると、隆文は「ありがとうございます」と、丁寧に頭をさげた。

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