夕闇に紅をひく

青森ほたる

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牡丹茶寮のお姫さま

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「ご準備、ととのいましたか……?」

 襖越しのおずおずとした声を聞き流しながら、僕は鏡と向かいあって赤い口紅をひいていた。

実のところ着付けはもう終わっていたし、化粧もこの口紅をひいたら完成だった。

それでも今日はまったく気分が乗らない。

「まだ終わってないから。もう少し待つように伝えて」
「ですが、ご指名のお客様はもう随分とお待ちです……」

 使えない男。名前すら思い出せない、ほんの数ヶ月前にこの店にやってきた僕の世話役の男はいつもおずおずとしていて、いつも目も合わそうとしない。

興味のない男にまとわりつかれるのもうざったいが、気も利かず役に立たない男など存在する価値もない。

「あの、なにか私にできることがあれば……お部屋でお手伝いしますが……」

 しびれを切らしたように襖が開き、僕は咄嗟に机の上のティッシュの箱を掴んで投げた。

「勝手に入ってこないで」

 ティッシュの箱は、襖の角にあたり鈍い音をたてて畳の上に落ちた。

「申し訳ございませ…っ」
  男は慌てて襖を閉めかけたが、そのとき

「おやおや、今日のお姫ちゃんはご機嫌斜めかな?」

 と、別の手で妨げられて大きく開かれた。

両腕を組み、白い歯を見せるわざとらしい笑みを浮かべた龍也が、ずかずかと部屋の中に入ってきて、足元の男が「店長っ」と声をあげる。

「……龍也が、なんの用?」

 龍也はこの牡丹茶寮の店長だ。

僕にしてみれば、だからなんだって話だけど。

「お姫ちゃん。今夜はオーナーが来るんだけどなあ。そんなダラダラしてて良いのかねぇ」
「ええっ、秋彦が?」

 僕が目を輝かせて勢いよく机に手をついて立ち上がったのを見て、龍也は満足げに頷いた。

秋彦が来るのに、のんびりなんてして居られない。

僕は部屋の隅に置いた大きな鏡で、一度自分の姿を確認する。

すみれ模様の紫色の着物からのびる白い腕、頬に映える赤い唇は潤い、肩にかかる黒い髪はしっとりと艶めいている。

今日の僕もいつも通り完璧だ。

僕はまだ地面に這いつくばっていた男の前を素通りして「お仕事、いってくる」と龍也に言い捨てて駆け出した。

 歩き慣れた廊下を抜けて、階段を駆けのぼる。

すれ違う、料理のお膳を手にした給仕役の男たちは皆、廊下の脇に避けながらそれぞれ頬を赤く染めたり、おずおずと微笑んできたりする。

僕は機嫌がすっかりよくなっていたので、一人一人に、にこりと笑顔を返してやった。

「お姫さん、今日も可愛いなぁ」

 そんな囁き声が耳に届く。

今日も可愛い?いつでも僕が一番可愛いに決まってる。

事実、この牡丹茶寮で指名が一番多いのも、お相手代が一番高値なのも僕だ。

僕は指名の部屋の前に着くと、軽く息を整えてから廊下に足を折って座る。

髪を軽く手で撫でつけたあと、襖に手をのばした。

「お待たせしました、憐です」
 
ゆったりとした声でいつも通り頭をさげながら、きつい煙草の臭いにこっそり顔をしかめる。

部屋中にこもる、この煙草の臭いをさせるお客のことは覚えている。近頃、週に一度はやってくるお得意さまだ。

「憐くん、遅かったじゃないか」

 低く掠れた声が、まとわりつく。僕は頭をあげると、瞳を潤わせてわずかに眉をさげた。

「準備に時間がかかってしまって。…ごめんなさい」

 いつものようにいかにも高級そうなスーツを着た、頭部の禿げかかった男は僕の顔を見て頬を緩ませた。

「そんな泣きそうな顔をしなくてもいい。こっちへ来てごらん」

 男が畳を軽く叩いて僕を手招きする。

男の前にはもうすでに料理が運ばれていたが、手をつけている様子はない。僕はお膳を押しのけて、無理やり男の膝の上に座った。

「ねぇ、なんでまだジャケット着たままなの?」
「憐、くん…まずはお酌を…」

 僕は唇を重ねて男の言葉を遮り、ジャケットの襟から手を滑らせてボタンを外していく。

本当のところお店としてはお客の食事のお手伝いをして、たっぷりお酒を飲ませてから、自然な流れで誘いに乗るというのが暗黙のルールだ。

でもバレなければどうということもない。

一度相手をしてやれば、お客としても文句はないだろう。特に今日は、お客のつまらない話に相槌をうつのも、下手な煽てに乗るのも面倒だ。

「れん、くん…っ…」

 満更でもなさそうな男をゆっくりと畳に押し倒しながら、右手を伸ばして壁に取り付けられた照明のスイッチを探す。

男がだらしなく開けた口に舌を入れて絡めたとき、スイッチを探し当て、つまみを回して明るさを弱めていく。

お互いの表情がわずかに見える程度の暗さがいい。

ぎりぎりの明るさに設定したところで、やっと唇を離す。

「……はぁっ…っ」

 まだキスをしただけなのにすっかり言葉を失った男にゆっくりと微笑みかけ、跨ったままワイシャツのボタンを外していく。

このお客は煙草の臭いさえ我慢すれば、一旦行為が始まると大人しい。

今日は早く終わらせてしまおう。

僕は男の頬から首筋、胸から腹を指先でゆっくりと撫でていった。



 行為のあとお客は僕が脱がせて放り出していた衣服一式を丁寧に着込んだあと「憐くん。これを」と、裸で壁に寄りかかっていた僕の右手にお札の束を押し付けた。


僕を含めてこの店で働いている男娼が全員、高額でこの店に売られてきた者だというのはお客にも周知の事実だ。

僕らがいくら働いてもお金が入るのはこの店のオーナーの秋彦で僕らは一円も貰えない。

それをお客は気の毒がって、こうしてお金を掴ませていく。

他の者がどうか知らないが、僕には余計なお世話だ。

賃金はもらえないがこの牡丹茶寮では、衣服や寝る場所、ご飯と最低限の生活は保障されている。

僕は与えられるものだけで十分、特別なにかを欲しいと思ったことはない。

お金を貯めて、店を出ようとも思わない。


だって僕は一生、秋彦の側にいるんだから。


 肌がぴりぴりするくらい熱いシャワーを浴びるのは接客のあとの習慣だ。

頭からお湯をかぶると気持ちがいい。お湯を勢いよく流しながら石鹸を泡立て、いつもより念入りに身体を洗っていく。身体の泡を流し終えると、浴室を出て新しい着物に着替えた。


「秋彦は?…もう来てる?」

 廊下で待たせていた世話役の男に尋ねると「はい……あの、ですが…」と歯切れ悪く答える。

男の話は最後まで聞かず、廊下を駆ける。

たまにしか牡丹茶寮を訪れない秋彦の執務室は表玄関からつづく廊下を歩いた一階端にある。

他の部屋とおなじ畳敷きの部屋だが、廊下と部屋を仕切る襖は濃い茶色の両開き扉に付け替えられているのが特徴だ。

その扉の前に黒い着物を着た椿の姿があった。

僕よりも頭一つ小さく、瞼の上でまっすぐに切った前髪に帯まである長いストレートの髪。日本人形みたいな見た目の椿は、秋彦の付き人だ。椿に用はないが、椿がここに居るということは秋彦が部屋の中にいる可能性が高い。

「ちょっと退いて」

 扉の前の椿を乱暴に押しのけても、言葉をしゃべることのできない椿は文句の一つも言わず、ただ首と足首につけた小さな鈴がチリンと鳴った。

「秋彦っ」

 扉を開けて部屋の中に飛びこむ。部屋には畳の上に分厚い絨毯が敷かれ、その上にソファやローテーブル執務机や書棚が並べられている。

その執務机の前に、濃い紅色の着物を着た秋彦が立っていた。

絨毯の上を駆けて秋彦の首元に飛びつく。

秋彦は僕からは見上げるほど高く、抱きつくと足が地面につかない。一つにしばって前にたらした秋彦の長い黒髪が、頬をくすぐった。

「憐……」
 と、秋彦がいつもの呆れたような低い声で呼ぶ。首に回した手を振りほどかれて、僕は絨毯の上に落とされた。


「ここで何をしてる。まだ店仕舞いの時間じゃないだろ」

 僕を見下ろす鋭い切れ長の黒い瞳。明らかに機嫌が悪いときの目つきをしているが、そんなのどうってことない。

「お客様はちゃんと取ったよ。早く終わったから、会いに来ただけ。ほら、これ。今日もらったお小遣い」

 秋彦の手の上にお札の束をのせる。僕はお客からもらったお金はほぼすべて、秋彦にあげている。

今日も沢山稼いでいい子でしょ、と言いかけたとき「秋彦さま」と高い声が後ろから聞こえた。

振り返ると執務室のソファの上に僕より五つは若い、十四、五歳の男の子が二人ならんで座っていた。

背もたれの高いソファのせいで入ってくるときには気づかなかったが、今までの戯れあいを見られていたことと、僕が話しているところを邪魔されたことで、僕はその子たちを思いきり睨みつけた。


「憐、見ての通り私は仕事中だ。邪魔をするな。言うことを聞かないのなら、尻を叩くぞ」

 秋彦の言葉に、ソファに座っていた二人組がくすりと笑い声をあげる。

僕は両手をぎゅっと握りしめ、男の子たちにあえて余裕の笑顔をつくってみせた。


「なんだ、新しい男娼さんたちのお相手中だったんだ。それで君たちは、なんでこの店に売られてきたの? 親の借金? いらない子どもだったから、ただ大金稼ぎに捨てられただけ? ああ、それとも男の人に抱かれるのが好きで自分でここに来たとか……」

「憐」

 ぎゅっと、耳を掴まれて引っ張りあげられる。まだまだ言い足りなかったが、僕が早口でまくし立てた言葉に、ソファの二人組はすでにめそめそし始めていた。

「いい加減にしろ」

 と、秋彦は僕の耳を掴んだまま、部屋の隅まで引っ張っていく。

「お前への仕置きは、仕事を済ませてからだ」

 壁に向き合うように立たされて、バシンッと一つお尻を叩かれる。

秋彦に怒られるのはもちろん覚悟の上だった。けれど、僕を部屋の隅に放置した秋彦が「あいつの言ったことは気にしなくていい」と、男の子たちに優しい声をかけたのは納得いかない。

いくらまだ若いからって、そんな赤ちゃんに話しかけるみたいな声。

あんな子たちより幼かったときの僕には、そんな甘やかすようなことは一切言わなかったくせに。

「秋彦……」
「憐。お前はそれ以上一言でも口を聞いたら、お前の嫌いな細い鞭を使うからな」

 秋彦は僕にはそう言い捨て、男の子たちには「落ち着いたら、移動しようか。この店の店長を紹介しよう」とまた柔らかい声で話しかけた。

それから扉が開く音がして、鼻をすする音や足音が遠くなり最後に勢いよく扉が閉まる音がした。

すぐに振り返って、本当に秋彦が僕を一人置いていってしまったことを確認して、頭がカッと熱くなった。

僕よりあんな子たちの相手を優先させるなんて許せない。悔しくて目元にじんわり涙が浮かんでくる。どうせ怒られるなら、もうどうにでもなればいい。

僕は執務室の扉まで駆けて行って勢いよく扉を開く。扉の外には都合よく椿の姿はなく、役に立たない世話役の男が一人突っ立っていた。


「待っててくれると思った」
 僕はその男に、今まで見せたことのない満面の笑顔をつくる。

この男は、役に立たないが僕を追いかけて部屋の外で待つ能力だけはあったらしい。

「ねえ、ちょっと入って」

 僕は男の手を掴んで、執務室の中に引き込む。同時に、自分から絨毯の上に押し倒されるように横になって、男の後頭部をつかみ引き寄せ唇をあわせる。

「あ…っ、ぁの…っ。わたくしは……っ」

 男は僕に覆いかぶさったまま、慌てふためいて頬を真っ赤に染めた。もうこんな男飽きていたところだし、ちょうどいい。秋彦の気を引くためだ。

「僕とキスするの、嫌…?」

 両目に一番得意な嘘の涙を浮かべて、人差し指で自分の唇をゆっくりと撫でる。

男は必死に首を振りながら「だ、だめです……っ。あなたと、関係を持ったら…処罰され…」ともごもごつぶやいている。

だが僕の腹にあたっている男の股間がじわじわと膨らんでいて、心の中でほくそ笑んだ。

「平気だよ。もう秋彦は戻ってこないから。ね、だから、お願い……」

 囁いた瞬間、男がのしかかってきて唇を塞がれる。

僕は男の舌を迎え入れて下手くそなキスに応えながら、着物を脱ぎ始める。

「…ぁっ……あつい…っ」

 僕は唇がやっと離れたタイミングで肌けた着物を完全に脱ぎ捨てる。

僕の上に跨っていた男を軽く押しやって、男の目の前で股を大きく広げる。

そして我慢できなくなった風を装って、自分の中指をお尻の蕾の中に突っ込んだ。

「ん……っ、……ここも、熱くなっちゃった…っ」

 ずぶずぶと指を出し挿れして、腰をわずかに揺らす。

「もう、我慢…っできない…から…っ……」

 いきなり飛ばしすぎたか一瞬放心状態に陥っていた男は、僕が荒い息遣いで煽ると震える手で自分の帯を外して自分の着物を剥ぐ。

「挿れて、くれるの…っ?」

 僕が指を抜くと、男が僕の足を押さえつけて乱暴に自分のいきり勃ったペニスを蕾に押し当てた。

「嬉しぃっぁあっ……あぁぁっ!!」

 勢いよく突っ込まれて、がんがん腰を振って押し挿れられて僕は思いきり声をあげてやった。

「あぁぁっ…!!ぁぁぁあっ…!!」

 ろくに慣らしもせず、いきなり太いものを深くまで挿れられて気持ちよさは欠片もないが、両目をつむって喉を突き破るような高い声をあげる。男の動きがさらに激しく、荒っぽくなる。

「も、もっと……っ!!」

 男の汗まみれの腰を掴んで自分から引き寄せたとき、バタンッと音を立てて僕の真横の扉が開いた。

秋彦が扉を手で押さえたまま、冷たい黒い瞳で僕らを見下ろす。

「お、オーナー…っ」

 激しく震え始めた男が、秋彦に思いきり押し倒されて僕の足元に転がっていく。

そして次の瞬間、秋彦が勢いよく蹴り上げた足が僕の肩から頬にあたって、痛みと強い衝撃が走った。

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