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鞭で100回

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早足で先をゆく義隆さまのあとを追い、応接室を出て二階へ続く階段をのぼった。幅の広い廊下の突き当たりに、義隆さまの書斎はある。

「むこうの部屋で待て」

 書斎に入ると、古い会社の資料が管理された隣の資料部屋を示された。

部屋に入って、電気をつけていいのか分からず暗い部屋で、じっと待った。じわりじわりと恐怖に襲われそうになったが、義隆さまはすぐに戻ってきて電気をつけた。

「私はまだ仕事がある。お前にばかり構っている暇もない」

 義隆さまは右手に持っていた、細長い棒状の黒い鞭を私に差し出す。何度か、使われたことのある鞭だ。

「右腕と左腕、100回ずつ打て。終わったら、私のところまで見せに来い」
「……はぃ」

 胸が苦しくなって、息を吸い込んでからなんとか返事をする。

鞭を受け取った右手が震えて、どうしようもない。
義隆さまはそんな私を一瞥したのち、部屋を出て行った。


 一人きりの部屋で、スーツのジャケットを脱ぎ、まずは左腕のワイシャツの袖を肘まで捲り上げる。

自分でつけた古い切り傷の浮かんだ、腕。
もう、自分で自分を傷つけない。そう約束した日のことを思い出す。

「ごめんなさぃ……」
 右手で握った鞭を左腕めがけて、振り下ろす。パシィッっと乾いた音が響く。

肌に、じわっと広がる痛みに、昔の感覚を思い出した。

けれど今のは…腕に当たる瞬間に思わず手加減してしまった。
これでは罰にならない。

そう思った瞬間に矛盾して、胸が痛む。
こんな風に自分を傷つけてはいけない、ともう一人の自分が思っている。

でも、中途半端な打ち方では、義隆さまに許されるはずがない。

「ごめんなさいっ」

 今度は目をつむって、振り下ろす。
先ほどより強い肌が切れるような痛み。
このくらい。

続けて目をつむったまま、連続して鞭を振り下ろす。
一打振り下ろすたびに、嫌だと叫ぶ自分を、心の奥へ押し込んでいく。

「……っ…」
 鞭を握った手のひらが汗でじっとり濡れている。

思いきり、手を抜かないようにと振り下ろす。

それでも、痛みの弱いときは、カウントせずにもう一度打ちなおした。

こんな痛み慣れていたじゃないか、と自分に言い聞かせる。義隆さまに100回ずつ打たれるよりマシだ、とも。

 左腕の100回、を終えて目をひらく。

じんじんとした痛みに、肌が切れているのではないかと思ったが、血は出ていなかった。

けれど細く赤いミミズ腫れが横、斜めと、様々な方向に重なり合っていた。

その痛む左手に鞭を持ち替え、右腕のシャツも捲り上げる。

そうして、同じようにまた目をつむって100回、数え始めた。

「義隆さま……」

 命じられた通り100回ずつの鞭打ちを終えて、書斎に向かった。義隆さまは、パソコンの前でマウスを操作していた手をとめて、私を招き寄せた。

「見せてみろ」

 赤く痛みを主張する腕をそろそろと伸ばす。義隆さまは黙って私の左腕を掴んで、ミミズ腫れを指で押さえた。

「ぃっ……」
 押さえられたところに、刺すような痛みが走る。

「まだ足りないな。机に両腕を置け」

 義隆さまは握っていた左腕を離し、私の右手から鞭を奪って立ち上がる。
私は呼吸が浅くなるのを感じながら、そっと机に腕を並べた。

「腕を動かすな。少しでも暴れたら、そのぶん罰を増やす。いいな」

 息がつまる。

「返事はどうした」
 パシィッと、広げた手のひらに鞭が落ちる。

「は、いっ。ご、めんなさいっ」
「10回だ」

 ひゅんっと、目の前で鞭がしなる音がする。パシィイイッ、と鋭い音に、痛みが走った。

「ひぃ…っ」
 両目に涙の膜がはる。

自分で打っていたのとは比べものにならない痛みに、一瞬頭が真っ白になった。

痛みが引く暇なく、鞭は振り下ろされる。
我慢しようと思っても口から悲鳴が漏れる。

「あぁっ……っ」
「鞭を持て」
 数を数える余裕などなく気がついたら10回が終わっていて、右手に鞭が押し付けられた。

「もう一度、100回ずつだ。終わったら戻ってこい」
「は、はぃっ」

 涙でぼやける視界で逃げるように資料室に駆け込んで、そのまま床にへたりこんだ。
息が苦しい。
両手の指で目元に溜まった涙をぬぐうと、ひときわ赤いミミズ腫れの跡が目に入った。

「っ…うぅっ…」
 喉からこみ上げてきた嗚咽を瞬時に呑み込む。

ぽろり、と新しい涙がこぼれ落ちた。

もう一度、100回ずつ。
震える右手で、鞭を握りしめた。
義隆さまに打たれた場所と、重ならないように今度は腕を見つめて、鞭を振り下ろした。

「ぁっ……!」
 一打ずつ、間をおかなければ打てない。

100回が、気が遠くなるような数字に思える。

それに、これが終わっても……また、義隆さまに打たれてやり直しと言われる可能性だってある。

途中から、涙がぼろぼろ溢れて、何度も涙をぬぐうために、手を止めた。

「終わりました……」
 両腕100回ずつ終わった時には、肌には赤い切り傷と血が滲んでいた。

義隆さまは無言でまた私から鞭を取り上げ、机を指す。

義隆さまの指示に逆らいたくないのに、身体が言うこと聞かない。

「早くしろ」
 義隆さまが、鞭を思いきり机に打ち付ける。

その音に、全身が震えた。しびれを切らしたように義隆さまが私の髪の毛を掴んで引っ張った。

机に倒れこむよう押し付けられて、そのまま両手を掴んで両腕を伸ばされる。

「ごめんなさぃっ、ごめんなさいっ」
 パシィイイッンと、打たれた瞬間に膝から地面に崩折れる。

ぐっと傷の入った腕を掴んで持ち上げられる。

「なんでも、言うことを聞くのではなかったのか。しっかり立っていろ」

 ズボンの上からとはいえ、ふくらはぎを鞭で打たれる。

「ごめんなさぃっ」
頭が痛みに支配される。
何を考える余裕もない。
それから、何回、腕に鞭を重ねられたのか、分からない。

ただ、もう泣くことを我慢できずに、涙も汗も垂れ流して、痛みに耐えた。
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