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映画

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義隆さまのお住まいは都内の高級住宅街にある三階建ての大きな一軒家で、地下にはシアタールームがあった。

その部屋は、壁も床で全面が黒で統一されており、照明は薄ぼんやりとした間接照明しかない。

スクリーンとスピーカーが部屋の奥に設置されていて、真ん中には大きめのソファが置かれているだけだ。

昼間に掃除をするときでさえ、なんともいえない息苦しさを感じていたそのシアタールームに、初めて閉じ込められたのは、私が義隆さまのご友人を招いての夕食会の席で、ワインボトルを床に落とすという酷い失態を演じてしまったときだった。

「申し訳、ございませんっ…っ」
 謝った瞬間には個人秘書の方達が飛んできていて、片付けは一瞬で済まされていた。

「皆さんは、食事を続けられてください」

 義隆さまがそう声をかけて、席を立つ。

視線がぶつかり内心震えながら、義隆さまの後ろを付いて、晩餐室を出た。

「何を、やってるんだ」
 バシィイインッバシィイインッと立て続けに手のひらと手の甲で頬を打たれる。

くらくらする頭から髪を引っ張られて、そのまま引きずられていく。

最初、義隆さまがどこへ向かっているのか見当がつかなかったが、階段を降り始めて、鼓動が早くなっていった。

義隆さまがシアタールームの扉を片手でこじ開けて、私を勢いよく放り込む。私は床に倒れこんだ。

「お客が帰るまで、ここで反省していろっ」
 バンッと音をたてて扉が閉められた瞬間、暗闇に包まれる。

自分の手のひらもなにも見えない。何の音も聞こえない。そして完璧な静寂。

「……っ」
 自分が息をのむ音が、暗闇に吸い込まれていく。

「よ、義隆さまっ」
 聞こえるはずもないのに、縋るように声を出した。

「義隆さまっ……、だ、出してくださいぃっ」

 心臓がはち切れそうなほど早くなる。
こわい。
こわい。
こわい。

指の先の感覚がなくなる。

暗闇に押しつぶされているかのように、息が苦しくなってくる。

こわくて、苦しかった。

 次の瞬間、じわっと股の間が温かくなった。

「ゃ…っ……っ」
 一度、漏れ出したものは、止められるはずもなく、ぴちゃぴちゃと液体は広がっていく。

羞恥と、絶望感にその瞬間、私は涙さえ枯れてしまった。


 義隆さまがシアタールームに戻ってきたのは、何時間後のことだったか分からない。

私は、義隆さまに鞭で打たれ泣きながら、濡れた床を拭き、下着とズボンを洗わされた。

そのあと、失禁の罰も含むお仕置きは、泣き叫ぶほど厳しかったが、暗闇に閉じ込められるあの恐怖はなによりも私の心に刻まれていた。




 映画館はロビーから照明が薄暗く、私は情けなくもチケット売り場で優太さまのうしろにただ付いていることしかできなかった。

「無理そうだったらすぐ出られるように、通路側の端の席にしたからね」

 優太さまはこうして当たり前のように気を遣う。

申し訳ないです、と言いかけて、先ほどスーツのお店で言われたことを思い出した。

「ありがとうございます……」
 私が身を縮めながらそう口にすると、優太さまは満足そうに頷いてそれから手を伸ばして、私の右手を握った。

「もう開場してるから、いこっか」

 優太さまはまるで自然に私の身体に触れる。

今まであまり意識したことがなかったのに、今は人の目に晒されているからか、握られていることを意識してしまう。

「8番シアターだから、こっちだね」

 優太さまが私の手を引っ張っていくので、私は視線をおとし床ばかりを見て歩いていたが、いざ扉を抜けてシアターの中に入ると、途端に視界が暗くなり身がすくむ。

恐怖心がすぅっと広がっていき、唐突に心臓が脈打ちはじめる。

繋がっている手だけが頼りで思わずきゅっと力をこめてしまった私に、優太さまはなにも言わずただ強く握り返した。

扉から続いていた暗く細い通路を曲がると、大きなスクリーンには予告編が流れ、白い灯りを放っていた。

「席、ここだよ」
 優太さまに引っ張られるまま、すとんと席についた瞬間息をつく。

思っていたより明るい。

まわりにどのくらい人がいるのかも見え、未だに握ったまま優太さまの膝の上に置かれている私の手を見える。

「大丈夫だった?」
 耳元で小さく囁かれて必死になって頷く。

恐怖心はもうすっかりひいていた。

今はむしろ気恥ずかしさで優太さまの顔が見られない。

優太さまはいつ私の手を離されるのだろうと、そんなことが気になった。



 初めて映画館で観る映画に私はすっかり引き込まれてしまって、映画館など絶対に無理だと思っていたのが嘘のように、映画を観終わるころには、また来てもいいかもしれないと思っていた。

エンドロールが流れ終わると、ぱぁっとオレンジ色の照明がついてシアター内が明るくなる。

「章人、どうだった」
「面白かったです」

 優太さまに笑顔で尋ねられて、もっと気の利いたことが言えればいいのに、と思いつつ、精一杯気持ちを込めて答えた。

「誘っていただいて、本当にありがとうございました。優太さまは、映画いかがでしたか」

「映画のほうは小説とラストが違ったんだけど、こっちもなかなか良かったなぁ」

「ラスト、違うんですか」

 優太さまの感想を聞きながらシアターをでて、それから映画の原作者の新刊がちょうど出版されているというので、優太さまと本屋のフロアへ向かった。

「章人は本もあんまり読まないんだっけ」

「子どもの頃は図書館に行くのが好きで、よく読んでいたのですが。一度読み始めると他のことが一切手につかなくなって。それが原因で一度、仕事で失敗をしてしまってから、社長に読書を禁止されたんです。それ以来、読んでないので、最近の小説には疎くて……」

 優太さまは眉をよせて私を見つめる。

「仕事で失敗したくらいで、何かを禁止されたりするの?」
「そのときは本当に私が悪く……いつも夜、寝る前に本を読むのが好きだったんですが、そのせいで夜更かしが続いてしまって。自分でも辞めなくては思っていたんです」

 禁止されて当然だと思った。強制的にでも、辞められる良い機会だとも思った。

けれど施設の職員の人にお別れのときにもらった本も全て、捨てられてしまったことから立ち直るのには、時間がかかった。

今思い出しても気持ちが沈む。

「章人はさ……」

 しばらく沈黙していた優太さまは何か考え込むような様子で、ゆっくりと言葉を発したが、すぐにまた口を閉じてしまう。

「優太さま……?」
 いつもは私ばかりが俯いていて、優太さまが言葉を詰まらせることなど、初めてだ。

「いや、えっと。今はもう、僕の家にいることだし読書くらい好きにしていいんだよ」
 優太さまが思いつめたような顔から、いつもの笑顔に戻る。

「僕の書斎の本棚から持っていってもいいし、今日好きな本を買って帰ってもいいし。章人は僕の個人秘書だけど、なにもプライベートなことまで口出すつもりはないから。家の仕事が終わったあとの時間は章人の自由に使えばいい。読書でも、なんでもやっていいんだよ」

 いきなりそんなことを言われても、どうしたらいいのか分からない。

今までずっと、義隆さまに言われるままに生きてきた。

ふと、義隆さまと三ヶ月も離れて過ごしたのは、入社して以来初めてだと気がついた。

「本、何冊か買って帰ってもいいですか。昔、好きだった小説とか」

 なんだか心が軽くなって、そう答える。

優太さまは「いいよ」と頷いて、それから私の本探しを手伝ってもくれた。

私は単行本と文庫本あわせて10冊の本を選んだ。優太さまは新刊コーナーから2冊手に取り、私の分も一緒に会計しようとするのをなんとか断った。

今日はスーツの代金も、昼食の代金も、映画の代金も、全部払ってもらっている。

「章人は、僕のお出かけに付いてきてくれてるだけだから」と、言いくるめようとしていたが、本のお金くらい払わせてもらいたい。


「今日は、夕ご飯はどうしよっか。どこかで食べていく?」
 会計を終え、私が両手にさげた本屋の紙袋のうち一つを強引に奪いながら、優太さまが尋ねる。

「私は、なんでも」

 私は奪われた紙袋を取り戻そうとしたが、するりとかわされた。

「どこかお店に移動してもいいけど…。今日はいっぱい買い物してもう疲れちゃったよね」

「それならば、ご自宅で私がご用意いたしましょうか」

「今日は、章人に休日を楽しんでもらうつもりだったのに……」

 洗濯を手伝われたり、運転を代わられたりしたのは、そういうことだったのか。

「そうだ、地下の食品売り場でお惣菜買って帰ろっか」
 優太さまがそう笑顔で提案した。
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