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MはMではない
しおりを挟む私の飼い主であるSさんの言葉で一番心に響いたもの。
それは
「MなんていうMはいない。Mは十人十色だから」
でした。
私、ほんとーに目から鱗だったんですよね。この言葉....笑
彼と出会う前の私は、
Mは絶対服従が当たり前であり、淫乱であり、男性器が大好きで、オーガズムが大好きで、とにかく性的行為をもとめてる女というイメージを持ってました。
そして粗相をしたら、鞭でこっ酷く打たれて痣だらけになり、またバイブなり何なりを使って絶頂させられて喜ぶものだと。
男の慰み者だというイメージでした。
なので私自身もそうならなければならないと思い込んでましたし、そうすることがMとして生きる道だと。
だけど、、やっぱり淫乱な自分にすごく違和感があったんですよね。
私は初めて経験したSMっぽいことって
「鞭」だったんです。
普通のSEXじゃ感じないから、ベルトを使って鞭で打って欲しいって彼氏に頼んだのが始まりでした。
つまり私、、淫乱なことって求めてなかったんですよねえ。。。
けど、ネットを検索すると「Mは男の性処理をする存在」的に書かれてた。
けどそれは当たり前ですよね。
だってSM論を書いてるほとんどの人が「男性」でしたから。
「男性の求めてるM像」しかそこになかったんです。
もちろん淫乱なMがMではないとは言いません。
でも、それは全てではない。男性の求めてるMがMの全てではないのです。
Mというのは、マゾヒストの略語ですがマゾヒストというのは被虐に性的快感を覚える能力をもってる人のことです。
被虐とは苦痛を感じる感覚のことなので本来は自分の中にしかありません。何に苦痛を感じるかは様々ですからね。
「マゾヒストはマゾヒストである」
なのです。
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