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第4話
しおりを挟む「葦原ルカくん、準備できました。入られます!」
壁の一部と化していた千穂の耳にその声が届いたのは、それからしばらくしてのことだった。
スタジオの入り口に目を向ける。すると、女性スタッフの何名かがほう、と感嘆のため息をこぼす様子がそこかしこで見られた。
(……おー)
つられて、千穂も感心する。
そこにいたのは、十九世紀の服装を思わせる、ハーフパンツスタイルの燕尾服を着用したルカだった。ジャケットやパンツはシックな黒。白い立襟のブラウスには同じく白のジャボタイがついていて、袖や後ろが垂れ下がった燕尾服からフリルが覗く。胸元には花の飾りがついており、エレガントでロマンチックスタイルを彷彿させた。
ルカの日本人離れした顔立ちにとてもよく合っている。
またその格好は、系統がルカの代表作になる朝ドラのときの衣装を想起させた。
(コンセプトを聞かされてはいたけど……。想像以上にイメージ像が固定されそうなのが課題だな)
ほんのわずかな危惧を抱く千穂。
それでもいまのルカは、朝ドラ時の印象を武器に上に登っていかなくてはならない。
「ルカくん、よく似合ってるよ」
千穂は颯爽と歩くルカを褒めた。
「……ふんっ。当然」
しかしルカには、口を尖らせそう言われてしまった。
(うん。安定の反応だね)
予想できる返しだったので、口元がつい緩みそうになる。
(生意気なところがルカくんの持ち味だなあ)
スタッフに案内され、ルカがカメラの前に立つ。その様子を、ルカとともに戻ってきた彼の母親と、薄暗いスタジオの隅で見守る。
「よろしくお願いします」
カメラマンをはじめ、周りのスタッフへ頭を下げたルカに、カメラマンの声がかかった。
「始めるぞ」
そうして撮影は始まった。
カメラを前にしても物怖じしない十歳の子役。それがこの場にいるルカに対しての、みなの総意だろう。
このような撮影は初体験だというのに、ルカはよくやっていると思う。
(堂々としてる)
初めは自然にポーズをとるように要求され、次第にいくつかの指示がカメラマンの市ヶ瀬から寄越される。それに応えるルカは、傍目からでも戸惑わずこなしているようだ。
……というのが、千穂も最初は抱いた感想である。
ところが、途中……いや、もしかしたらもっと早い段階だったかもしれない。少しだけ、ほんの小指の先ほどのかすかな引っかかりを覚えたのは、撮影がしばらく進んでのことだった。
なにが、という明確な答えはない。
そもそもルカの撮影に付き添ったのは今回が初めてのことである。わずかに覚えた『違和感』というか、『ずれ』のようなものも、千穂の勘違いかもしれない。素人の思い過ごしの可能性だってある。
だから声に出さず飲み込むことで気づかないふりをした。けれど、撮影が淡々と進む中、千穂の中で芽生えたわずかな疑問はなかなか消えてくれなかった。
そんな千穂ひとりの葛藤をよそに、ルカが次の衣装に着替え、セットとして用意されたソファーに座る。
(……ううん……。なんだろ、これ……)
もやもやとも、ぞわぞわとも異なる。だけど気にかかるなにか。
内心小首をかしげつつ、千穂は撮影風景を眺めていた。
特に大きな障害もなく、変わらず撮影は進行している光景が眼前に広がる。
だからここにいるだれもが今日の撮影は順調に進むだろう――そう確信していた。
だがある男の放った一言で、スタジオ内は凍りつく。
「――やめだ」
しん、と音がやんだ。
「……、……え?」
抜けるような、声。そうこぼしたのは、はたしてだれのものだったか。
この撮影はうまくいきかけていると、だれもが錯覚していた。そんな中、投じられた水をさすカメラマンの一言。わけもわからないまま、次第に揺れるような戸惑う雰囲気が広がっていった。
(……これは……)
千穂はまっすぐルカを見つめる。
この場で一番困惑しているのは、カメラを向けられていたルカだろう。彼はかちん、と身体が固まってしまったかのように動きを止めていた。
(まずい流れだ)
スタジオ内のだれもが動けない。
だというのに、さらに男――市ヶ瀬錦は構えていたカメラを下げ、撮影を止めてしまう。事実上の、撮影中断だった。
緊張と困惑した空気が流れる中、市ヶ瀬はがりがりと頭を掻く。そして「はあー……」と深いため息を吐き出したのち、顔を上げた。
そして、その鋭い眼差しを向けた上で、被写体であるルカへこう告げたのだ。
「撮ってても面白くねえんだよ、坊主」
直球だった。遠回しに言うとか、相手を気遣うとかの優しをいっさい感じさせない物言い。それはまさしく鋭い刃であった。
しかし投げつけられた痛みを伴う言葉を、まだ十歳の子どもがすぐに理解するのは難しかった。ルカは固まったまま、言われっぱなしだ。
「食指が動かねえ――つっても、わかんねえか」
そんな子どもに気づいているのかいないのか。いや、男にとってはどちらでも構わないのだと思う。
「多少、顔が売れて得意になってんのか知らねえが、俺の要求に満足に応えられてねえっつー自覚ねえよな」
なぜなら立て続けに吐き出される言葉は、ただ大人げないだけのものとは明らかに違っていたからだ。
「にこにこ笑ってるだけでいままで乗りきってこられたんだろうが、俺はそんなもの望んでねえよ」
そこにあるのは、プロとしての、男の本音だった。
相手が大人だろうと子どもだろうと容赦しない。被写体に対しての本気のぶつかり合い。本気で向き合っているからもれた、不満。
(……ああ、そうか)
不意に、すとんと胸に落ちた納得がある。
「つうか、作った笑顔やめろ。撮ってて気分悪くなる」
(……ずっとあった違和感は、これだったんだ)
千穂は、このときになってようやっと辿り着いた自分の中の違和感の正体に圧倒されていた。
気づかないはずだ。それほど違和感なくルカは表現していたから。
その点こそが、目を曇らせた原因でもあったというのに。
(ルカくんはカメラマンの指示にちゃんと従っていた……でも、それだけ)
ポーズも、表情も、キッズタレント『葦原ルカ』としては上手に演技できていたかもれない。
だが相手はプロだ。上辺だけの完璧より、もっと内面から滲みでるような、市ヶ瀬にしか撮れない葦原ルカを彼は引き出そうとしたのだろう。
しかしルカはその要求に応えることができなかった。いつもの、大人が満足する葦原ルカで乗りきろうとしてしまった。
その怠慢を男は気づき、指摘した。
なあなあで済ます態度が気に入らなかったのだと思う。たとえルカ本人にそのつもりがなくとも、ミスなくできればいい、そういった甘い考えが心の奥底になかったとは言い切れない。
その証拠に、撮影中、千穂が持った小さな違和感。それはまさしく、ルカのそういう気持ちが現れた仕草や表情を見て感じたものだった。
付き添いというかたちではあるが、傍観者という態度で撮影を見守っていたのも、千穂が気づけた要因だったのだと思う。完璧に思えた仕草が、演技をしているように思えた。だから、「あれ?」と首をかしげる結果になったのだ。
なにが正解かなんて、千穂にはわからない。ただ直感だったと断言していい。
でも、だからこそ、見抜けた。
被写体としてカメラの前に立つルカは、朝ドラで演じた役そのものであった。たしかに似たような衣装にセットだ。違いと言えば、朝ドラは時代背景を考えてもう少し抑えた色味や飾りであったが、おおむね似通っていると断言しても過言ではない。
朝ドラ放送時のルカを目にした機会がある者ならば、容易に連想すらできる。いまここにいるのは、まるでテレビから出てきたような本物だと。そんな錯覚すら起こすだろう。
もともと知名度が上がった要因であるルカの役に似たイメージで撮影したい、と最初から話は受けていた。事務所サイドも、そういう類いのオファーがくることは想定していたので、なんの問題もない。
イメージが根づいてしまうかもしれない、という可能性も指摘されていた。だが、伸び代が期待されるいま、貪欲に利用するのが芸能事務所としての正しい在り方なのだと思う。
しかしルカは役そのものに成りきっていた。むしろ、朝ドラの役を撮っているようで、そこにいるはずの葦原ルカが消えていた。
それが市ヶ瀬が気に入らなかった理由だと、千穂は推測する。
面白くない、とは言い得て妙だ。本来なら、役の雰囲気を醸しつつも、ルカ自身を撮影する場であったはず。決して役に成りきったルカを撮る必要などないのだ。今回は、葦原ルカというキッズモデルを特集する記事であったのだから。
それなのに蓋を開けてみれば、当の本人は無意識なのか自分をさらけ出すこともせず、まったく別人に成り代わっている。これではカメラマンも納得いかないだろう。
撮影時に千穂が感じていた違和感の正体は、これであった。指示どおりに動くルカが、まるで別人のように映るずれ。うまく言葉にできないけれど、なにか引っかかる。
その理由が、奥底に眠っていたルカの魅力が引き出されたためだったならまだしも、役に成りきり撮影を受けていたから。
ルカだけど、ルカではない。
この些細な矛盾を感じ取ったからこそ、千穂は首をかしげる結果となり、市ヶ瀬は撮影を中断する選択をとった。
彼が求めるのは葦原ルカ本人。むき出しのルカを撮るのが自分の仕事だと、市ヶ瀬の背中は語っていた。
遠慮のない言葉の数々を浴びながら、この時点になってやっとルカは、己が見くびられたのだと気づいたようだ。それまで固まっていた表情が動いた。
(だめだルカくん)
子どもなりに、腹が立った気持ちもわかる。
(いまなにを言っても、言い訳にしか聞こえない――)
ルカはかっとなったのか、口を開こうとした。しかし大人の辛辣な言葉であっさり遮られる。
「図星だったか? それとも自分がおとしめられてかっとなったか?」
言い当てられたためか、ルカの目が見開かれる。
「まあどちらにしても、俺からすれば大差ない。俺は撮影に本気出さない相手に興味ねえんだよ、坊主」
(……突き放された)
第三者の千穂ですらそう受け取ったのだから、向けられた当の本人は見限られたと感じたかもしれない。
言葉を失い、呆然とするルカはもう、どんな反応をしていいのか判断つかないようだ。
そんな中、いち早く我に返った編集長が慌ててあいだに入る。
「あ、あの……っ、と、とりあえず休憩とりましょうか!? ルカくんも少し気分転換したいでしょうしっ」
市ヶ瀬は編集長の顔をしばらく眺めてから、その提案を受けた。
「――わかった」
同意を受け、ほっとする周囲の面々。彼らも、この状況を打破する機会をうかがっていたのだと伝わった。
「っ、ありがとうございます! ではここで一旦休憩に入ります」
編集長のその声で、張り詰めていた空気が若干緩む。
市ヶ瀬は照明に照らされるルカに一瞥もなく、セットから離れた。それと入れ替わるように女性スタッフがうつむくルカへと近づく。
「……ルカくん、休憩入ろうか」
そっと肩に触れようとしたスタッフ。しかし、その手を避けるようにルカは駆け出した。
「ルカくん!?」
ばたばたとスタジオの出入り口から出ていってしまう。そのあとを追おうとしたスタッフを、千穂は止めた。
「大丈夫です。ここはわたしたちが責任を持って対応します」
「……ではお願いします」
うなずき、千穂はルカの母親へ目配せする。彼女は心得た様子で、急ぎルカのあとを追った。
ひとり残った千穂は、まず編集長をはじめとするスタッフへ頭を下げた。
撮影を中断するに至ったこと。そのときの在籍タレントの態度。謝罪すべき点はいくつもある。
大丈夫だと返してくれるスタッフたちは大人だ。おそらくこういったケースは珍しくないのだと思う。時間を空け、撮影が再開できれば彼らの負担も減るはずだ。
市ヶ瀬のもとにも謝罪へ向かいたかったが、彼は周囲のうかがうような視線をまるっと無視している。
そこへ割って入る時間もない。そのため、市ヶ瀬へ向かい深く頭を下げてから、千穂はルカの母親のあとを追った。
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