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トメラの嘘
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「トメラ? ……トメラ!」
ふと気がつくと、そこは芸術大学のスタジオだった。
トメラは、はっと我に戻る。
そうだ。
今は卒業制作の公演の稽古をしてたんだった!
トメラが自分の状況を再確認していると、彼の目の前にはプンプン顔の小柄な女性の顔があった。
「トメラ、ひとの話を聞いてた?」
「いっ、いえ! ごめんなさい、メスデランダ先生」
「もう!」
メスデランダ先生は、トメラの頭の上に軽くゲンコツを置く。
ハハハッと笑う生徒たち。
そう、いまはこの小柄な女性、マリア・メスデランダ先生の指導を受けていたところだったのだ。
「もう一度言うね。いまの状況で脚本ができてないのは、相当ヤバいよ。トメラ。あなたの書く脚本が、すべての始まりなの。お願いだから、早く書き上げて来てちょうだい」
「すみません……」
メスデランダ先生は、ひらひらと台本を扇いだ。
「前半の部分は、こっちで場面づくりしておくから。あなたは自分の脚本制作に集中しなさい」
「わかりました」
「それじゃあ、頼むね!」
そう言って、メスデランダ先生は軽く数回肩を叩き、ほかの生徒たちに向けて言う。
「さあみんな、卒業制作も本番が近づいてるよ! 気合い入れてこう!」
生徒たちは口々に、「はいっ」と気合の入った声を発した。
トメラは、先生に聞いた。
「あのっ、先生。今日はこれで失礼していいですか?」
「どうして?」
メスデランダ先生の、気さくな表情ながらもずしっと重くのしかかる問いに、トメラは必死に答える。
「その……市の図書館で脚本を書きたい、って思ってるんです」
つりあがる女性の眉毛。
「隣の教室で書いちゃダメなの?」
「はい」
「どうして?」
「どうしても、ひとりきりで書きたいんです。お願いします」
彼の必死な懇願を聞いて、しばしの沈黙が続く。
トメラは、ゴクリと生唾を飲んだ。
すると、メスデランダ先生はにっこりと笑い出し、こくりと頷く。
「いいよ。ただし、今週中には脚本を完成させなさいよ。いいね?」
トメラはしばらく呆気に取られていたが、ビシッと姿勢を正して深々と頭を下げた。
「は、はいっ! ありがとうございます! ボク、がんばりますっ!」
「うん。それじゃっ」
メスデランダ先生はビシッと片手を挙げ、ほかの生徒たちのもとへ近づいていった。
トメラは自分の荷物をまとめ、急ぎ足で逃げていくように、スタジオを出て行くのだった。
☆ ☆
そんな彼が向かった先は、ボロボロの家。
相変わらず庭の中は雑草だらけで、木造の家の柱は虫食いが目立っている。
そう。
彼は先生に、ウソをついたのだ。
「トメラ! 来てくれたのね?」
ボロの家から姿をあらわすミチル。
「ああ。今日のごはんはサンドイッチだよ」
トメラはミチルにサンドイッチを手渡す。
すると、彼女は大喜びした。
「うれしい……トメラ、どうもありがと!」
「いいよ。幸い、今日はお金もあるし、こうして時間もつくれたから。その代わり……」
トメラはカバンから、原稿用紙とペンを取り出す。
「ちょっと、ここで卒業制作の課題をやらせてもらうけど。いいかな?」
ミチルは喜々として頷いた。
「ええ、もちろんよ!」
「ありがとう。それじゃあ、執筆に取りかからせてもらうね」
トメラはコンクリートの上に下敷きボードを敷き、その上に書きかけの原稿用紙を置いた。
ミチルは、興味津々にその原稿を見つめている。
「おもしろそう……」
ミチルのつぶやきに対し、トメラは原稿を書き進めながら応じる。
「まあ、つまらなくはないけど、案外つらいものだよ」
「そうなの?」
「うん」
ミチルは「そっかぁー」とつぶやき、ふと天井を見つめた。
しばしの沈黙が続いた。
スズメの鳴く声やボロ屋の壁を叩く風の音が、不規則にリズムを打つ。
ウ~ンとうなるトメラ。
「大丈夫?」
ミチルの心配の声に、トメラは本音を語る。
「全然。もう、ヤバいよ」
彼のおどけた口調に、ミチルはつい笑ってしまった。
「トメラ、さっきから何を書いてたの?」
「脚本だよ」
「脚本?」
「そう。卒業制作のための、演劇脚本さ」
「ああ! あの時約束してくれてた、例の演劇脚本ね?」
「そうだよ」
「すごい!」
ミチルの驚嘆の声に対して、トメラは「いやいや」と両手を扇いだ。
「ボクの脚本はまだまだ出来が良くないよ。それに、ラストもまともに書けてないし」
「そう……」
トメラは、勢いよくペンを置いた。
どうやら、集中力が切れてしまったようだ。
ミチルはトメラの原稿を、じっくりと眺めている。
「懐かしいわね。トメラ。あなたが前に言ってたこと、覚えてる?」
「え?」
しゃがみこんでいたミチルは立ち上がり、トメラのマネをしだす。
「『キミのために素敵なステージを必ずプレゼントしてみせる。約束だ!』って。そう言ったのよ?」
ミチルのしぐさを見て、トメラは声を上げて笑ってしまった。
「ボクって、そんな言い方してないよ」
「いいえ、そんな感じよ」
「うっそだア」
「ホントだってば!」
プクッとふくれるミチルの顔。
その顔を見ると、余計に笑いが止まらなくなってしまった。
コンクリートの上で笑い転げてしまうトメラ。
そして、彼はコンクリートの上にあるホコリを吸い込んでしまい、ゲホゲホと咳をしだした。
「だ、大丈夫、トメラ?」
「ああ。……ちょっと、掃除でもしようか」
「そうね」
「箒はどこ?」
トメラの問いに対し、ミチルは「さぁ……」と首を傾げる。
トメラは、部屋の奥へ入っていった。
ひたすら掃除をしている、トメラとミチル。
部屋の隅から隅まで箒で吐き溜めていき、最終的にトメラのちりとりにまとめて外の庭へ捨てていく。
そんな作業の繰り返しが、何度も何度もループしていく。
しかし二人にとっては、その清掃の作業自体が、なぜかものすごく心地のいい作業に感じていた。
しばしの沈黙が、二人の間を素通りする。
「……ねえ、トメラ」
「ん?」
「あれは、どうなってるの?」
「あれって?」
「約束のステージのことよ」
「ああ」
「まだ、できてない?」
ミチルと問いに対して、トメラは答えた。
「少しずつ進んではいるよ。でも見ての通り、ボクには脚本家の才能がなくて、困ってるんだ」
「そうなの」
「ああ」
トメラはごみを集めて、チリ取りを持って外へ捨てていく。
「正直、一生約束が果たせないと思ってた」
「えっ?」
振り向くミチルに向かって、トメラは自分の気持ちを素直に吐露した。
「ほら。最近この辺で、テロ事件が起きただろ? そのおかげで、『ウツクシ村の人とは関わっちゃいけない』って言われたんだ」
「そうなの?」
「ああ」
「どうして?」
「さあ、どうしてなんだろうね。大人たちはみんな、ウツクシ村の市民を犯罪者予備軍のように見ているみたいだけど、ボクにはその理由がわからない」
「そんな……」
ミチルは、涙目になった。
「私たちは、テロリストなんかじゃない。トメラ、信じて」
「ああ、信じてるさ。だからこそ、僕は今ここにいるんだよ」
トメラはミチルの手を取り、グッと力を入れた。
「心配しなくていいよ。ボクがついてるからね」
「トメラ……!」
ミチルは我慢ができなくなり、目から涙がポロポロこぼれてしまう。
彼女は必死に涙をぬぐうが、それでも涙は止まらないでいる。
ボロボロの家の中に、じめじめした空気が漂う。
トメラはミチルから視線をずらし、握った手を離した。
「……そろそろ、脚本を書かなきゃ」
「あっ……ごめん」
「ううん、いいよ」
彼はそう言って、自分の原稿に向かった。
再び筆を進め出すトメラ。
ミチルはおそるおそる、そんなトメラに話しかける。
「どんな話を書いてるの?」
彼はふとミチルを一瞥したのちに、再び原稿に目を向けた。
「……あの時のことを書いてるんだ」
「あの時?」
「そう」
「あの時って?」
ミチルの質問に対し、トメラは恥ずかしげに言う。
「あの時の、ウツクシ村のことさ」
「えっ?」
トメラは姿勢を正し、ミチルのほうに体を向けた。
「いまね、小さい頃に旅行で出かけた、あのウツクシ村のことを書いてるんだ。プロットも大体は出来上がってる。あとは筆を進めればいいだけ。けど、なぜかラストシーンだけが書けないんだ。どうしても、あの時のことが思い出せなくて……」
「トメラの小さい頃のことを演劇にしてるの?」
「そう」
「なるほど……。よかったら、何かお手伝いするわ」
ミチルの提案を、トメラは右手で制した。
「いや、いいよ」
「でも……」
「まだ、キミに知られたくないこともあるしね」
「トメラ」
「ミチルは大事なお客さんだ。キミは純粋なお客さんとして、存分に楽しんでほしいんだ」
「…………」
「ミチル、見ててくれよ。ボクはこの脚本で、必ずウツクシ村の良さを発信するから。キミらは生まれながらの悪人じゃない、犯罪者予備軍でもない。ウツクシ村の市民もみんな同じ人間なんだ。そのことを、僕はこの脚本で伝えたい。がんばるよ!」
「……ありがとう!」
外がやけに騒がしい。
トメラはふと耳を澄ますと、家の外から、なにやらガヤガヤとうるさい声が聞こえくる。
そして、その声はだんだん近づいていく。
「ここなのかい?」
「ああ。最近ぺちゃくちゃとうるさい声が聞こえてくるんだよ」
「おかしいなぁ。誰も住んでない空き家なのになぁ」
ピクンと反応するミチル。
どうやら、彼女にも聞こえたらしい。
その声を聞いて、トメラとミチルは息を呑んでしまった。
この空き家の近隣に住んでいる人に、気づかれてしまったのだ!
☆ ☆
人の気配が、どんどん近づいていっている。
トメラはとっさに、ミチルの口元を軽く押さえた。
幸い、ミチルの服装はトメラの貸した私服姿であるから、すぐに身元がバレることはないだろう。
とはいえ、誰もいないはずの空き家に二人がいることを知られたら、かなり厄介だ。
「トメラ、どうしよう……」
彼女は口を押えられながらも、トメラに向かってそうささやいた。
トメラは押さえるのをやめ、ミチルに小さな声で言う。
「あっちへ逃げよう」
トメラは、裏口のほうを指さした。
そして、彼はホコリまみれの出入り口の木戸へ近づき、ミチルを手招く。
それに応じて、ミチルもおそるおそる近づいていった。
「よし。それじゃあ、開けるよ?」
トメラの問いかけに対して、ミチルは大きく頷いた。
彼がその汚い木戸を引こうとした、その時だった。
ギイッ、バタン!
木戸が、勝手に勢いよく動き出した。
造りからして明らかに自動ドアではないのに、戸が勝手に開いたのだ。
トメラとミチルは、驚きの余り身をすくめた。
急に差し込む光。
明るくなる裏口の玄関。
トメラたちの目の前に、二つのしわくちゃな顔が現れた。
「うわっ、びっくりした!」
木戸を開けた青シャツのじいさんが、目を丸くして驚く。
どうやら、この2人は近隣に住んでいる老人らしい。
二人ともそれぞれ帽子を深くかぶっており、涼しげなシャツを着ている。
仕事帰りなのか、二人の老人の肌は汗まみれであった。
「どうした?」
後ろにいるじいさんが問いかける。
もう一方はすぐさま振り向いて答えた。
「人がいたんだ、見ろよ!」
「えっ? ああ、本当だ……」
じいさんたちは、まるで藪から出てきたヘビをにらむような目つきで、じっとトメラとミチルを見つめた。
そんな大人たちに対して、トメラは声も発することもできない。
「……お前さんたち、何者なんだい」
白い半袖シャツを着たじいさんが、トメラたちに問う。
トメラは答えられなかった。
ミチルは、じっとトメラの背中に隠れているままだ。
「どこから来たんだい!」
「ぶっ、ブライト芸術大学から来ましたっ!」
トメラはじいさんの声に驚いたあまりに、自分の在籍している学校を話してしまった。
白シャツのじいさんは「はあ?」と、あきれた声を上げる。
もう一方の青いノースリーブ・シャツを着たじいさんは数歩後ずさったが、トメラたちに言った。
「人様のお家に入り込んで、一体何をしてた」
「いっ、いえ、何も……」
「本当か?」
「はい!」
トメラは青シャツのじいさんにそう言い張る。
じいさんたちは互いの顔を見合ったのちに、再びトメラのほうに顔を向けた。
「ダメじゃないか! ここは空き家とはいえ、私有地なんだよ。わかってるのかい?」
白シャツのじいさんがそうカンカンに怒ると、トメラはとっさに「すみませんでした!」と言い、深々と頭を下げた。
ミチルもそんなトメラを見るなり、彼に倣って深々と頭を伏せる。
そんなミチルを見て、青シャツのじいさんはニヤリと笑いだした。
「兄ちゃん。そのコは、彼女さんかな?」
トメラは必死になって、顔を真っ赤にした。
「いっ、いえ、その……友達です!」
「ほぉ~、友達ねぇ」
トメラはふと後ろのほうへ、顔を背けた。
すると、ミチルはなぜか目をぱちくりさせて、トメラの顔をじっと見上げている。
「な、なんだよ」
「なんでもないっ」
そう言って、ミチルはプイッと怒り顔になり、トメラと距離を置いた。
声を上げて笑うじいさんたち。
「いやぁ、若いっていいもんだねぇ」
「ホントにな、あははは」
青シャツのじいさんはまたも笑い出した。
そんな雰囲気に乗じて、トメラもニヤリと苦笑いをする。
だが、ミチルはいまだに顔を真っ赤にして怒っている様子だった。
唐突に、白シャツのじいさんは聞く。
「ところでお前さんたち、学校はどうしたんだい」
ギクッとするトメラとミチル。
一番聞いてほしくない質問が来た!
彼はそう思いながら、何て答えようか言葉を探すのだった。
☆ ☆
「おい、聞いてるのかい?」
白シャツのじいさんは答えを促し出す。
「えっと、その……」
トメラがそう戸惑っていると、青シャツのじいさんは白シャツのじいさんの方をどついた。
「何を言ってるんだよ、トミー。今日は夏休みの真っ只中じゃないか」
青シャツのじいさんはトメラの答えを待つことなく、白シャツのトミーにそう言い返した。
トミーはうんうん頷き、白シャツの肩の上に掛けてある黄色いタオルで汗をぬぐう。
「そうか! それもそうだねぇ、ノルジア。あははは、すまなかったすまなかった」
「いえ……」
トメラはそう言って、二人のじいさんから離れようと、少しずつ庭の出口の方へ出て行こうとする。
あと少し、あと少しで出口だ!
トメラはゆっくりとじいさんたちから離れていく。
すると……
「おい」
「はっ、はい!」
青シャツのノルジアの低い声に対し、トメラはビクッとした。
ノルジアは言う。
「これからどこへ行くんだ」
「え?」
トメラは意表を突かれて、あっけらかんとした表情になった。
ノルジアは、トメラに付き添っているミチルを指さして、ニヤニヤしながら言う。
「どうせデートへ行くんだろう? わかってるんだよ」
「え……いや、その……」
ヒューヒュー、とトミーじいさんも妙な盛り上げ方で、口笛を鳴らす。
彼は汗まみれな左腕を、トメラの首まわりに巻きつけた。
そして、トミーはトメラにささやく
「彼女をしっかり守ってやれよ。今は物騒な世の中なんだからな」
その言葉を聞いて、トメラの顔は急に引き締まる。
(そうだ。ボクがミチルを守らなきゃ……。ボクの大事な娘なんだから!)
彼はそう心に誓いながら、トミーにハッキリと「はいっ」と返事する。
トミーはへへへへッと笑った。
「そうだ、その意気だ! 大事にしなよ、お若いの」
そう言って、彼は再び笑うのだった。
ふと気がつくと、そこは芸術大学のスタジオだった。
トメラは、はっと我に戻る。
そうだ。
今は卒業制作の公演の稽古をしてたんだった!
トメラが自分の状況を再確認していると、彼の目の前にはプンプン顔の小柄な女性の顔があった。
「トメラ、ひとの話を聞いてた?」
「いっ、いえ! ごめんなさい、メスデランダ先生」
「もう!」
メスデランダ先生は、トメラの頭の上に軽くゲンコツを置く。
ハハハッと笑う生徒たち。
そう、いまはこの小柄な女性、マリア・メスデランダ先生の指導を受けていたところだったのだ。
「もう一度言うね。いまの状況で脚本ができてないのは、相当ヤバいよ。トメラ。あなたの書く脚本が、すべての始まりなの。お願いだから、早く書き上げて来てちょうだい」
「すみません……」
メスデランダ先生は、ひらひらと台本を扇いだ。
「前半の部分は、こっちで場面づくりしておくから。あなたは自分の脚本制作に集中しなさい」
「わかりました」
「それじゃあ、頼むね!」
そう言って、メスデランダ先生は軽く数回肩を叩き、ほかの生徒たちに向けて言う。
「さあみんな、卒業制作も本番が近づいてるよ! 気合い入れてこう!」
生徒たちは口々に、「はいっ」と気合の入った声を発した。
トメラは、先生に聞いた。
「あのっ、先生。今日はこれで失礼していいですか?」
「どうして?」
メスデランダ先生の、気さくな表情ながらもずしっと重くのしかかる問いに、トメラは必死に答える。
「その……市の図書館で脚本を書きたい、って思ってるんです」
つりあがる女性の眉毛。
「隣の教室で書いちゃダメなの?」
「はい」
「どうして?」
「どうしても、ひとりきりで書きたいんです。お願いします」
彼の必死な懇願を聞いて、しばしの沈黙が続く。
トメラは、ゴクリと生唾を飲んだ。
すると、メスデランダ先生はにっこりと笑い出し、こくりと頷く。
「いいよ。ただし、今週中には脚本を完成させなさいよ。いいね?」
トメラはしばらく呆気に取られていたが、ビシッと姿勢を正して深々と頭を下げた。
「は、はいっ! ありがとうございます! ボク、がんばりますっ!」
「うん。それじゃっ」
メスデランダ先生はビシッと片手を挙げ、ほかの生徒たちのもとへ近づいていった。
トメラは自分の荷物をまとめ、急ぎ足で逃げていくように、スタジオを出て行くのだった。
☆ ☆
そんな彼が向かった先は、ボロボロの家。
相変わらず庭の中は雑草だらけで、木造の家の柱は虫食いが目立っている。
そう。
彼は先生に、ウソをついたのだ。
「トメラ! 来てくれたのね?」
ボロの家から姿をあらわすミチル。
「ああ。今日のごはんはサンドイッチだよ」
トメラはミチルにサンドイッチを手渡す。
すると、彼女は大喜びした。
「うれしい……トメラ、どうもありがと!」
「いいよ。幸い、今日はお金もあるし、こうして時間もつくれたから。その代わり……」
トメラはカバンから、原稿用紙とペンを取り出す。
「ちょっと、ここで卒業制作の課題をやらせてもらうけど。いいかな?」
ミチルは喜々として頷いた。
「ええ、もちろんよ!」
「ありがとう。それじゃあ、執筆に取りかからせてもらうね」
トメラはコンクリートの上に下敷きボードを敷き、その上に書きかけの原稿用紙を置いた。
ミチルは、興味津々にその原稿を見つめている。
「おもしろそう……」
ミチルのつぶやきに対し、トメラは原稿を書き進めながら応じる。
「まあ、つまらなくはないけど、案外つらいものだよ」
「そうなの?」
「うん」
ミチルは「そっかぁー」とつぶやき、ふと天井を見つめた。
しばしの沈黙が続いた。
スズメの鳴く声やボロ屋の壁を叩く風の音が、不規則にリズムを打つ。
ウ~ンとうなるトメラ。
「大丈夫?」
ミチルの心配の声に、トメラは本音を語る。
「全然。もう、ヤバいよ」
彼のおどけた口調に、ミチルはつい笑ってしまった。
「トメラ、さっきから何を書いてたの?」
「脚本だよ」
「脚本?」
「そう。卒業制作のための、演劇脚本さ」
「ああ! あの時約束してくれてた、例の演劇脚本ね?」
「そうだよ」
「すごい!」
ミチルの驚嘆の声に対して、トメラは「いやいや」と両手を扇いだ。
「ボクの脚本はまだまだ出来が良くないよ。それに、ラストもまともに書けてないし」
「そう……」
トメラは、勢いよくペンを置いた。
どうやら、集中力が切れてしまったようだ。
ミチルはトメラの原稿を、じっくりと眺めている。
「懐かしいわね。トメラ。あなたが前に言ってたこと、覚えてる?」
「え?」
しゃがみこんでいたミチルは立ち上がり、トメラのマネをしだす。
「『キミのために素敵なステージを必ずプレゼントしてみせる。約束だ!』って。そう言ったのよ?」
ミチルのしぐさを見て、トメラは声を上げて笑ってしまった。
「ボクって、そんな言い方してないよ」
「いいえ、そんな感じよ」
「うっそだア」
「ホントだってば!」
プクッとふくれるミチルの顔。
その顔を見ると、余計に笑いが止まらなくなってしまった。
コンクリートの上で笑い転げてしまうトメラ。
そして、彼はコンクリートの上にあるホコリを吸い込んでしまい、ゲホゲホと咳をしだした。
「だ、大丈夫、トメラ?」
「ああ。……ちょっと、掃除でもしようか」
「そうね」
「箒はどこ?」
トメラの問いに対し、ミチルは「さぁ……」と首を傾げる。
トメラは、部屋の奥へ入っていった。
ひたすら掃除をしている、トメラとミチル。
部屋の隅から隅まで箒で吐き溜めていき、最終的にトメラのちりとりにまとめて外の庭へ捨てていく。
そんな作業の繰り返しが、何度も何度もループしていく。
しかし二人にとっては、その清掃の作業自体が、なぜかものすごく心地のいい作業に感じていた。
しばしの沈黙が、二人の間を素通りする。
「……ねえ、トメラ」
「ん?」
「あれは、どうなってるの?」
「あれって?」
「約束のステージのことよ」
「ああ」
「まだ、できてない?」
ミチルと問いに対して、トメラは答えた。
「少しずつ進んではいるよ。でも見ての通り、ボクには脚本家の才能がなくて、困ってるんだ」
「そうなの」
「ああ」
トメラはごみを集めて、チリ取りを持って外へ捨てていく。
「正直、一生約束が果たせないと思ってた」
「えっ?」
振り向くミチルに向かって、トメラは自分の気持ちを素直に吐露した。
「ほら。最近この辺で、テロ事件が起きただろ? そのおかげで、『ウツクシ村の人とは関わっちゃいけない』って言われたんだ」
「そうなの?」
「ああ」
「どうして?」
「さあ、どうしてなんだろうね。大人たちはみんな、ウツクシ村の市民を犯罪者予備軍のように見ているみたいだけど、ボクにはその理由がわからない」
「そんな……」
ミチルは、涙目になった。
「私たちは、テロリストなんかじゃない。トメラ、信じて」
「ああ、信じてるさ。だからこそ、僕は今ここにいるんだよ」
トメラはミチルの手を取り、グッと力を入れた。
「心配しなくていいよ。ボクがついてるからね」
「トメラ……!」
ミチルは我慢ができなくなり、目から涙がポロポロこぼれてしまう。
彼女は必死に涙をぬぐうが、それでも涙は止まらないでいる。
ボロボロの家の中に、じめじめした空気が漂う。
トメラはミチルから視線をずらし、握った手を離した。
「……そろそろ、脚本を書かなきゃ」
「あっ……ごめん」
「ううん、いいよ」
彼はそう言って、自分の原稿に向かった。
再び筆を進め出すトメラ。
ミチルはおそるおそる、そんなトメラに話しかける。
「どんな話を書いてるの?」
彼はふとミチルを一瞥したのちに、再び原稿に目を向けた。
「……あの時のことを書いてるんだ」
「あの時?」
「そう」
「あの時って?」
ミチルの質問に対し、トメラは恥ずかしげに言う。
「あの時の、ウツクシ村のことさ」
「えっ?」
トメラは姿勢を正し、ミチルのほうに体を向けた。
「いまね、小さい頃に旅行で出かけた、あのウツクシ村のことを書いてるんだ。プロットも大体は出来上がってる。あとは筆を進めればいいだけ。けど、なぜかラストシーンだけが書けないんだ。どうしても、あの時のことが思い出せなくて……」
「トメラの小さい頃のことを演劇にしてるの?」
「そう」
「なるほど……。よかったら、何かお手伝いするわ」
ミチルの提案を、トメラは右手で制した。
「いや、いいよ」
「でも……」
「まだ、キミに知られたくないこともあるしね」
「トメラ」
「ミチルは大事なお客さんだ。キミは純粋なお客さんとして、存分に楽しんでほしいんだ」
「…………」
「ミチル、見ててくれよ。ボクはこの脚本で、必ずウツクシ村の良さを発信するから。キミらは生まれながらの悪人じゃない、犯罪者予備軍でもない。ウツクシ村の市民もみんな同じ人間なんだ。そのことを、僕はこの脚本で伝えたい。がんばるよ!」
「……ありがとう!」
外がやけに騒がしい。
トメラはふと耳を澄ますと、家の外から、なにやらガヤガヤとうるさい声が聞こえくる。
そして、その声はだんだん近づいていく。
「ここなのかい?」
「ああ。最近ぺちゃくちゃとうるさい声が聞こえてくるんだよ」
「おかしいなぁ。誰も住んでない空き家なのになぁ」
ピクンと反応するミチル。
どうやら、彼女にも聞こえたらしい。
その声を聞いて、トメラとミチルは息を呑んでしまった。
この空き家の近隣に住んでいる人に、気づかれてしまったのだ!
☆ ☆
人の気配が、どんどん近づいていっている。
トメラはとっさに、ミチルの口元を軽く押さえた。
幸い、ミチルの服装はトメラの貸した私服姿であるから、すぐに身元がバレることはないだろう。
とはいえ、誰もいないはずの空き家に二人がいることを知られたら、かなり厄介だ。
「トメラ、どうしよう……」
彼女は口を押えられながらも、トメラに向かってそうささやいた。
トメラは押さえるのをやめ、ミチルに小さな声で言う。
「あっちへ逃げよう」
トメラは、裏口のほうを指さした。
そして、彼はホコリまみれの出入り口の木戸へ近づき、ミチルを手招く。
それに応じて、ミチルもおそるおそる近づいていった。
「よし。それじゃあ、開けるよ?」
トメラの問いかけに対して、ミチルは大きく頷いた。
彼がその汚い木戸を引こうとした、その時だった。
ギイッ、バタン!
木戸が、勝手に勢いよく動き出した。
造りからして明らかに自動ドアではないのに、戸が勝手に開いたのだ。
トメラとミチルは、驚きの余り身をすくめた。
急に差し込む光。
明るくなる裏口の玄関。
トメラたちの目の前に、二つのしわくちゃな顔が現れた。
「うわっ、びっくりした!」
木戸を開けた青シャツのじいさんが、目を丸くして驚く。
どうやら、この2人は近隣に住んでいる老人らしい。
二人ともそれぞれ帽子を深くかぶっており、涼しげなシャツを着ている。
仕事帰りなのか、二人の老人の肌は汗まみれであった。
「どうした?」
後ろにいるじいさんが問いかける。
もう一方はすぐさま振り向いて答えた。
「人がいたんだ、見ろよ!」
「えっ? ああ、本当だ……」
じいさんたちは、まるで藪から出てきたヘビをにらむような目つきで、じっとトメラとミチルを見つめた。
そんな大人たちに対して、トメラは声も発することもできない。
「……お前さんたち、何者なんだい」
白い半袖シャツを着たじいさんが、トメラたちに問う。
トメラは答えられなかった。
ミチルは、じっとトメラの背中に隠れているままだ。
「どこから来たんだい!」
「ぶっ、ブライト芸術大学から来ましたっ!」
トメラはじいさんの声に驚いたあまりに、自分の在籍している学校を話してしまった。
白シャツのじいさんは「はあ?」と、あきれた声を上げる。
もう一方の青いノースリーブ・シャツを着たじいさんは数歩後ずさったが、トメラたちに言った。
「人様のお家に入り込んで、一体何をしてた」
「いっ、いえ、何も……」
「本当か?」
「はい!」
トメラは青シャツのじいさんにそう言い張る。
じいさんたちは互いの顔を見合ったのちに、再びトメラのほうに顔を向けた。
「ダメじゃないか! ここは空き家とはいえ、私有地なんだよ。わかってるのかい?」
白シャツのじいさんがそうカンカンに怒ると、トメラはとっさに「すみませんでした!」と言い、深々と頭を下げた。
ミチルもそんなトメラを見るなり、彼に倣って深々と頭を伏せる。
そんなミチルを見て、青シャツのじいさんはニヤリと笑いだした。
「兄ちゃん。そのコは、彼女さんかな?」
トメラは必死になって、顔を真っ赤にした。
「いっ、いえ、その……友達です!」
「ほぉ~、友達ねぇ」
トメラはふと後ろのほうへ、顔を背けた。
すると、ミチルはなぜか目をぱちくりさせて、トメラの顔をじっと見上げている。
「な、なんだよ」
「なんでもないっ」
そう言って、ミチルはプイッと怒り顔になり、トメラと距離を置いた。
声を上げて笑うじいさんたち。
「いやぁ、若いっていいもんだねぇ」
「ホントにな、あははは」
青シャツのじいさんはまたも笑い出した。
そんな雰囲気に乗じて、トメラもニヤリと苦笑いをする。
だが、ミチルはいまだに顔を真っ赤にして怒っている様子だった。
唐突に、白シャツのじいさんは聞く。
「ところでお前さんたち、学校はどうしたんだい」
ギクッとするトメラとミチル。
一番聞いてほしくない質問が来た!
彼はそう思いながら、何て答えようか言葉を探すのだった。
☆ ☆
「おい、聞いてるのかい?」
白シャツのじいさんは答えを促し出す。
「えっと、その……」
トメラがそう戸惑っていると、青シャツのじいさんは白シャツのじいさんの方をどついた。
「何を言ってるんだよ、トミー。今日は夏休みの真っ只中じゃないか」
青シャツのじいさんはトメラの答えを待つことなく、白シャツのトミーにそう言い返した。
トミーはうんうん頷き、白シャツの肩の上に掛けてある黄色いタオルで汗をぬぐう。
「そうか! それもそうだねぇ、ノルジア。あははは、すまなかったすまなかった」
「いえ……」
トメラはそう言って、二人のじいさんから離れようと、少しずつ庭の出口の方へ出て行こうとする。
あと少し、あと少しで出口だ!
トメラはゆっくりとじいさんたちから離れていく。
すると……
「おい」
「はっ、はい!」
青シャツのノルジアの低い声に対し、トメラはビクッとした。
ノルジアは言う。
「これからどこへ行くんだ」
「え?」
トメラは意表を突かれて、あっけらかんとした表情になった。
ノルジアは、トメラに付き添っているミチルを指さして、ニヤニヤしながら言う。
「どうせデートへ行くんだろう? わかってるんだよ」
「え……いや、その……」
ヒューヒュー、とトミーじいさんも妙な盛り上げ方で、口笛を鳴らす。
彼は汗まみれな左腕を、トメラの首まわりに巻きつけた。
そして、トミーはトメラにささやく
「彼女をしっかり守ってやれよ。今は物騒な世の中なんだからな」
その言葉を聞いて、トメラの顔は急に引き締まる。
(そうだ。ボクがミチルを守らなきゃ……。ボクの大事な娘なんだから!)
彼はそう心に誓いながら、トミーにハッキリと「はいっ」と返事する。
トミーはへへへへッと笑った。
「そうだ、その意気だ! 大事にしなよ、お若いの」
そう言って、彼は再び笑うのだった。
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