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アンダーグラウンドアーク①
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息を吐きかければ曇るほど磨き抜かれた壁に、塵も残さず清掃の行き届いた長い廊下。主人も居住者もいないというのに、掃除だけは今も欠かさず行っているらしい。自分が初めてこの城に辿り着いた時とはえらい違いだ。
城の中や手入れされた庭を見学しているふりをするまでもなく、初めて訪れるキンケードは首を巡らせて物珍しそうに辺りを見回していた。せっかくなら後で大広間のステンドグラスと彫刻の柱群も見ていってもらいたいところだが、あそこも修復は済んでいるだろうか。
「へぇぇ、ファラムンドの護衛で王都の城に行ったこともあるが、オレはこっちのが好きだな。あんま建物にゃ詳しくねぇけどよ、重たい感じはサーレンバーの建物に似てる感じがするっつーか」
<ああ、サーレンバー領へ赴いた時にわたしも同じ感想を抱いた>
「まぁ海で隔てられてるわけでもないから、これまでに知識や文化の行き来くらいはあったでしょ。作物も似てるし。私見だけど、近隣の領には混血の人も多いんじゃないかな」
キンケードの肩の上で寝ていたセトが片目を開き、エルシオンをじっと見る。その視線に気づいているのかいないのか、男は歩調も表情も変えずに廊下の先を指した。
「あそこを左ね。……記憶だけならまだしも異様な魔法の資質まで持ってたリリアーナちゃん、膂力がやばい領主サマ、あとはカミロサンと自警団のテオドゥロ。ご先祖のどっかでキヴィランタ民の血が入ってると思うなぁ。別に詮索とかするつもりはないけどさ」
「……ああ。オレも個人の秘め事までは口が裂けても言えねぇよ」
リリアーナの資質については少し思うところもあったが、キンケードがはっきり言えないと口にした以上ここで問うことはできない。どのみち体をどうにかできたら一度イバニェスの屋敷へ赴き、ファラムンドとの接見を望むつもりでいた。訊きたいことはそこで直接ぶつけることにしよう。
廊下を折れて吹き曝しの長い回廊を進んだ最奥。まっさらな石壁に突きあたる。
常人には何も見えないが、『魔王』の眼を通せばそこに大きな構成陣が描かれているのが視える……はず。今の自分には何も捉えることができない。
エルシオンからはあれが視えているのだろうか、何を気にした様子もなくキンケードの腕を掴んで壁に近寄る。するとその肩からセトがふわりと降りて、空中に浮かんだままふたりの男を見下ろす。
『私は、庭で待っているわ。この先へは、入れないから』
<ん? そうだったのか?>
「あー、翼竜って精霊種だもんね。そんじゃ悪いけど夕方までおっさんを借りるよ~」
空いた手をひらりと振ったエルシオンは何もない壁へと顔を向ける。
「魔法じゃなく、ここで虹彩を読み取るらしいよ。だから『魔王』と『勇者』だけ入れるんだね」
その言葉を境に、すべての情報が断絶した。
光学情報、音声情報、熱源探知、今の自分が扱える思考武装具の知覚が一瞬ブラックアウトし、気がつけば周囲の景色が一転していた。
どこからともなく照らされる仄かな明り。澄んだ空気には塵も埃も含まれず、温度と湿度は寸分違わず一定に保たれている。壁と床は艶のない材質でできており、どこにも継ぎ目がないため遠近感が掴みにくい。
この空間に来るのはいつ以来だろう。
魔王城の地下書庫。かつて長い時間をすごした憩いの場、慣れ親しんだはずのそこで、言葉もなくただ愕然としていた。
── 一体、ここは何だ?
デスタリオラであった頃の目視ではわからなかったが、今こうしてアルトの目を通して視たことで初めてその特異な構造や巨大さが理解できた。
緩やかな曲面を描く壁は、石でも木でも金属でもない、自分の識らない物質。暗がりで見えなかった天井は丸く、部屋全体が半球の形をしている。空調を管理しているのにどこにも構成陣や精白石は見当たらず、まるで書架の並んだ広い空間が世界から切り離されているような……。
書庫全体を把握しようとして、さらに混乱する。部屋の外側が全く知覚できないのだ。地上からどれくらいの深さにいるのかも把握できない。
本を読みに訪れていた頃は、ただ蔵書を適温で保管しておくための地下室だと思っていたのに。これは魔王城の一部なんかじゃない。全く別の建物が丸々一棟、そこにある。
「ハァァ~~~……」
腹から絞り出すような深いため息を吐き出し、エルシオンがその場にへたり込んだことで我に返る。
<どうした、具合でも悪いのか?>
「いや、逆。この場所に来るとホッとする。ここ、精霊どもがいないから……」
<え?>
「えって何、えって。まさかとは思うけど、知らなかったなんて言わないよね?」
知らなかった。
というか気づいていなかった。書庫では魔法を使う用もなかったし、ただ本を読みふけるだけだったから周囲に精霊がいるかどうかなんて気にしたこともない。そういえばここにいる時だけは、あの鬱陶しい大精霊も声をかけてこなかったような気がする。
空にも地にも水中にも、遍く世界のすべてには汎精霊が漂っているはずなのに。どうしてここには精霊がいない?
「なんとなく分かってはいたけどさ。『魔王』だった頃のキミは、あんまり苦悩とかなく平穏かつ幸せに暮らせていたようで、何よりだよ……」
じっとりとしたエルシオンの視線を感じる。
別に何も悪いことはしていないのに己の不利を察し、気まずさを覚える。広範囲に向けていた探査を近辺へと戻すと、すぐ後ろではキンケードが口を半開きにして巨大な書架を見上げていた。
城の中や手入れされた庭を見学しているふりをするまでもなく、初めて訪れるキンケードは首を巡らせて物珍しそうに辺りを見回していた。せっかくなら後で大広間のステンドグラスと彫刻の柱群も見ていってもらいたいところだが、あそこも修復は済んでいるだろうか。
「へぇぇ、ファラムンドの護衛で王都の城に行ったこともあるが、オレはこっちのが好きだな。あんま建物にゃ詳しくねぇけどよ、重たい感じはサーレンバーの建物に似てる感じがするっつーか」
<ああ、サーレンバー領へ赴いた時にわたしも同じ感想を抱いた>
「まぁ海で隔てられてるわけでもないから、これまでに知識や文化の行き来くらいはあったでしょ。作物も似てるし。私見だけど、近隣の領には混血の人も多いんじゃないかな」
キンケードの肩の上で寝ていたセトが片目を開き、エルシオンをじっと見る。その視線に気づいているのかいないのか、男は歩調も表情も変えずに廊下の先を指した。
「あそこを左ね。……記憶だけならまだしも異様な魔法の資質まで持ってたリリアーナちゃん、膂力がやばい領主サマ、あとはカミロサンと自警団のテオドゥロ。ご先祖のどっかでキヴィランタ民の血が入ってると思うなぁ。別に詮索とかするつもりはないけどさ」
「……ああ。オレも個人の秘め事までは口が裂けても言えねぇよ」
リリアーナの資質については少し思うところもあったが、キンケードがはっきり言えないと口にした以上ここで問うことはできない。どのみち体をどうにかできたら一度イバニェスの屋敷へ赴き、ファラムンドとの接見を望むつもりでいた。訊きたいことはそこで直接ぶつけることにしよう。
廊下を折れて吹き曝しの長い回廊を進んだ最奥。まっさらな石壁に突きあたる。
常人には何も見えないが、『魔王』の眼を通せばそこに大きな構成陣が描かれているのが視える……はず。今の自分には何も捉えることができない。
エルシオンからはあれが視えているのだろうか、何を気にした様子もなくキンケードの腕を掴んで壁に近寄る。するとその肩からセトがふわりと降りて、空中に浮かんだままふたりの男を見下ろす。
『私は、庭で待っているわ。この先へは、入れないから』
<ん? そうだったのか?>
「あー、翼竜って精霊種だもんね。そんじゃ悪いけど夕方までおっさんを借りるよ~」
空いた手をひらりと振ったエルシオンは何もない壁へと顔を向ける。
「魔法じゃなく、ここで虹彩を読み取るらしいよ。だから『魔王』と『勇者』だけ入れるんだね」
その言葉を境に、すべての情報が断絶した。
光学情報、音声情報、熱源探知、今の自分が扱える思考武装具の知覚が一瞬ブラックアウトし、気がつけば周囲の景色が一転していた。
どこからともなく照らされる仄かな明り。澄んだ空気には塵も埃も含まれず、温度と湿度は寸分違わず一定に保たれている。壁と床は艶のない材質でできており、どこにも継ぎ目がないため遠近感が掴みにくい。
この空間に来るのはいつ以来だろう。
魔王城の地下書庫。かつて長い時間をすごした憩いの場、慣れ親しんだはずのそこで、言葉もなくただ愕然としていた。
── 一体、ここは何だ?
デスタリオラであった頃の目視ではわからなかったが、今こうしてアルトの目を通して視たことで初めてその特異な構造や巨大さが理解できた。
緩やかな曲面を描く壁は、石でも木でも金属でもない、自分の識らない物質。暗がりで見えなかった天井は丸く、部屋全体が半球の形をしている。空調を管理しているのにどこにも構成陣や精白石は見当たらず、まるで書架の並んだ広い空間が世界から切り離されているような……。
書庫全体を把握しようとして、さらに混乱する。部屋の外側が全く知覚できないのだ。地上からどれくらいの深さにいるのかも把握できない。
本を読みに訪れていた頃は、ただ蔵書を適温で保管しておくための地下室だと思っていたのに。これは魔王城の一部なんかじゃない。全く別の建物が丸々一棟、そこにある。
「ハァァ~~~……」
腹から絞り出すような深いため息を吐き出し、エルシオンがその場にへたり込んだことで我に返る。
<どうした、具合でも悪いのか?>
「いや、逆。この場所に来るとホッとする。ここ、精霊どもがいないから……」
<え?>
「えって何、えって。まさかとは思うけど、知らなかったなんて言わないよね?」
知らなかった。
というか気づいていなかった。書庫では魔法を使う用もなかったし、ただ本を読みふけるだけだったから周囲に精霊がいるかどうかなんて気にしたこともない。そういえばここにいる時だけは、あの鬱陶しい大精霊も声をかけてこなかったような気がする。
空にも地にも水中にも、遍く世界のすべてには汎精霊が漂っているはずなのに。どうしてここには精霊がいない?
「なんとなく分かってはいたけどさ。『魔王』だった頃のキミは、あんまり苦悩とかなく平穏かつ幸せに暮らせていたようで、何よりだよ……」
じっとりとしたエルシオンの視線を感じる。
別に何も悪いことはしていないのに己の不利を察し、気まずさを覚える。広範囲に向けていた探査を近辺へと戻すと、すぐ後ろではキンケードが口を半開きにして巨大な書架を見上げていた。
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