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眷属
しおりを挟むだめだ、まだいくな、待ってくれ、こんな所で死なないでくれ!
まずは傷口を塞いで損傷した内臓の応急処置、それから太い血管を繋ぎ直して強制的にでも脳へ血液を送る。肺を動かして呼吸を持続させ、どうにか救援の到着するまでもたせなくては。
<リリアーナ様が命を賭したとしても、この状態ではもう無理です! 万が一にも助かったとして、その代償にリリアーナ様が命を落とされては何にもなりません! カミロ殿だってそんなことは望まれないでしょう、ですから、どうかっ!>
「わたしが、いる限りは……この手の届く範囲では、もう失わないと決めたんだ」
どうにもならない、手の及ばぬところで失われたものに、酷い後悔を覚えた。ずっと引きずり続けた。
だからせめて、自分の目の届く限りでは何も誰も失わせはしないと。
もう嫌だ、あんな苦しみを味わうのは。もしこのままカミロを失ってしまえば……感情の抑制されていた生前ならともかく、ヒトになった今の自分ではとても耐えられない。
悲しみ、苦しんで、元凶となったものを死ぬまで憎んでしまう。
「う、うぅ、うっ……、っく……!」
自分の口から漏れる音は、はたして嗚咽なのか苦痛を耐えているのか。
どこか他人事のようにそう思いながら、眼球の痛みにとうとう目を開けていられなくなる。溢れる熱いものは涙ではなく出血だろうか。
潰れた足の痛みと、痺れた腕、こめかみへ杭を打ち込まれていると錯覚するような頭痛、絶え間なく全身を襲うそれらに苛まれ、意識が遠のきかける。
集中が、もたない。
『あああぁぁもうー! ちょっと目を離したらまた死にかけてるゥ~!』
ぼやけた視界に明りが灯ったのは、やかましい大精霊が姿を現したせいだと声から遅れて理解する。
眼が正常に働いておらず、波打つ豊かな金髪も、整っていながら濃い顔面も、今は正常に視ることができなかった。
パストディーアーが現れたなら、セトの影響で消えていた汎精霊たちも戻ってきたのだろうか。だとしたら聖句を唱えて補助を願えば、損壊した内臓の修復までできるかもしれない。
思い浮かべた構成に変更を加え、口を開く……が、そこで息が詰まり、甲高い音をたてて咳き込んだ。
呼吸がおかしい。起こした上半身を維持できず、再びカミロの肩へもたれかかる。
「精霊……たち、構成を回す、力を……」
『リオラちゃんてば、そんな状態でもワタシには頼ってくれないわけ?』
「お前の力は要らない。カミロは、……わたしが、助ける」
描いた構成の一端を回し、肺を収縮させて空気を送り込む。次は外傷の血管を塞いで出血を食い止めて、それから、それから次は、
「――……」
『ああぁダメダメ、ホントに死んじゃうからー! せっかくまた生きられたのに、どうしてそう無茶ばっかりするのかしらこの子は!』
頭に響くパストディーアーの声で、途切れかかった意識を持ち直す。
だめだ、命がけで力を振り絞ろうとしても、魔法を使いきる前に気を失ってしまう。
エルシオンは間に合わず、精輝石も手元になく、喉が涸れて聖句を唱えることすら今の自分にはできない。
「だから、諦めろと、いうのか? そんなの、死んだほうがましだ……っ」
服の上から小さなペンダントを握り込む。空で使い切った古い精白石。あとほんの僅かでいい、一滴でも何か残っていたら力を貸してくれ。
どうせほんの数十年の命だ、今度こそ守り切るためならいくら削れたところで惜しくも――
『だからぁー! 魔法はもうダメ!』
「あ……」
パストディーアーの上げる野太い声とともに、完成間際の構成が霧散した。
「貴様っ、」
『そこまでしてその人間を延命したいなら、手っ取り早く眷属として完成させちゃえば良いじゃないの、もうなりかけなんだから』
「……眷属?」
何を言っているんだ、と顔を傾けてパストディーアーのいる方へ向けてみるが、やはり焦点が合わず金色の塊がぼんやり浮かんでいるだけだった。
言葉の意味自体はわかるものの、この場で使える手ではない。種族的に生前のデスタリオラならばともかく、今の『リリアーナ』はヒトの身だ。特性としての眷属化なんてできるはずが、
『その男に体の一部を分け与えてから時間が経って、もうだいぶ馴染んでるし。この前は体液もあげたんだから、あとは新鮮な血液でも流し込めば完成するでしょう?』
「は……?」
今度は何を言っているのか、意味もなにもサッパリだった。
「お前、何を言っているんだ。今のわたしは、ただのヒトだぞ?」
『あら、あらら。もしかして、まだ自覚なかったやつ? その体、お兄ちゃんたちよりずっと吸血族の血が濃いじゃないの、たぶん今の歳でもイケるわよ?』
「吸血族……?」
こんな状況でおかしな冗談を言うなと、いつものように文句を返そうとして、唇を噤む。
常にふざけた態度で自分勝手に振舞い、存在自体が冗談みたいなパストディーアーだが、嘘だけは言わない。そう、だって、『精霊は嘘をつかない』。
父であるファラムンドは純粋なヒトに見えたから、亡き母親が異種族だったのだろうか。それとも祖父やそれよりもっと前の代に血が混ざった隔世遺伝か……
ともかく、他にないと思っていた新たな選択肢を得て、急に目の前が開けたような思いがした。
生前、デスタリオラであった頃すら眷属なんて造り出した経験はない。自分の血肉を分け与えてまで従属する者を生まずとも、集まった皆がそれぞれ自分の意思で協力してくれたから。
「……っ、血を、与えれば……いいんだな?」
力の入らない上半身を起こし、咥えた人差し指を強く噛みしめる。
だが、思いのほか皮膚は丈夫なようで、繰り返し噛んでみても痛いばかりで出血どころか皮すらむけない。小指もだめだ。
諦めて唇を歯噛みし、覚悟を決めて思い切り突き破る。
つぷりと犬歯の沈み込む感触。そのまま横に動かして薄皮を引き裂くと、口の中いっぱいに鉄臭い味が広がった。
えずいて吐きそうになるのを堪えながら、手探りでカミロの口に辿り着く。
零れないように唇同士を沿わせ、舌先に溜まった温かい血をその咥内へと流し込んだ。
『情報の上書きがうまくいけば、再生力だけでなく寿命や肉体強度も相応のものに生まれ変わるわ。まぁとどのつまり、人間やめちゃうわけだけど、死なせるよりはいいんでしょう?』
くすくすと楽しげに忍び笑うパストディーアーの声が、思考の表面をすべっていく。
合わせた唇は冷たいが、この薄い皮膚の感触は二度目。
そういえばイェーヌの病室で飴を半分渡すために、こうしてカミロへ口移しをしたことがあった。「このまえ体液をあげた」と語ったパストディーアーの言葉は、あの時のことを指しているのだろう。
ならば「体の一部を分け与えた」というのは、……思い当たるのは、領道の事故。
ひどい怪我を負ったカミロを魔法で治療した際、失った組成の補填を精霊たちから求められた。手近にあった革製の鞄と中に入っていた硬貨、それから自分の髪を切って渡したのを覚えている。
あの時は他に手立てがなかった。成り行き上、最善と思ってやったこと。
そのお陰で今こうしてカミロを救う手段となり得ているのは、果して良いことなのだろうか。
それとも、本人はヒトとしての生を失ってまで、みじめに生き永らえたくないと思うだろうか。
「……っ」
舌が疲れ、含みそこなった血が顎を伝い零れおちる。
それを掬った指先が、わずかな拍動にふれた。首筋に手をあてると、わずかではあるが脈拍が戻っている。
赤く濡れた唇から空気が漏れ、空咳を何度か繰り返してから胸が規則的に動き出した。
「カミロ……?」
浅い呼吸に動く胸へ頭をあてると、鼓動が伝わってくる。
腹を突き破っている建材や傷のほうはどうにもできないが、パストディーアーの言葉を信じるなら、あとは本人の再生力で何とかしれくれるはず。
本当にこの方法で良かったのか、胸にうずまく不安は晴れない。それでも失わずに済んだ安堵がより大きく、それらを包み隠した。
自分の無茶を、勝手な処置を、カミロはどう思うだろう。
命さえ無事なら、あとでいくらでも謝るから。
苦言も小言もちゃんと聞くから。
<あっ、リリアーナ様! ――……っ! ……!>
張りつめていたものが途切れ、意識が薄れていく。
感覚も思考も、何もかもが遠くなる。
残響となった声は届かない。
体が消えゆくような浮遊感の中でリリアーナは思う。救えて良かったという喜びの奥に潜む、アダルベルトからの指摘。
そもそも一連の出来事は、自分のせいかもしれないという疑念。
新たな生に多くを望みすぎたのだろうか。誰も失いたくない、傷ついてほしくない。ただ、大事なひとたちと平穏に生きていたかった。
鈍くのしかかる後悔と自責の念が、すべてを黒く、黒く、塗りつぶす。
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