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決着とアジテーション
しおりを挟む回る視界。
一体何が起きたのか、あまりに予想外すぎて頭が追いつかない。
エルシオンに熱線の魔法を撃たせようとして、それを察したエトが旋回し、庇ったように見えた。一体どうして……
思考はそこで寸断される。空気の圧と抱き締める腕の強さで呼吸もままならず、展開している構成の維持だけで精一杯だった。
おそらく、今、自分たちは墜落している。
それでもこれが消えてしまえば、地面へ叩きつけられるより前に首の骨が折れて死ぬか、肺が潰れて死ぬか。結果は同じでも、先延ばしにできるならそれだけ考える時間も取れる対策も増えるはず。
一言も発さないアダルベルトは無事だろうか。とはいえ、この状況で口を開けば間違いなく舌を噛む。
もう上も下もわからない中、視界に映る桃色のかたまりから黒い影が飛ぶのが見えた。
<リリアーナ様~っ助けに参りますぞー! そのまま動かないで下さいー!>
「アル……ッ、」
いくら魔法に手練れているとはいえ、こんな高所で無茶をする。
単身でなら空を飛ぶことくらいできるかもしれないが、こちらはバランスを失った翼竜が回転しながら落下中なのだ、とても質量と慣性を支え切れるものではない。傷ついたエトも反応がないし、この状況で一体どうするつもりなのか。
そんな疑問をぶつけるよりも前に、黒い鏃となってこちらへ『落ちて』きた男は、空中で手にしている刃物を振り切った。
切断されたのはエトの脚。
片翼を失ったまま墜落していた体から切り離されるなり、アダルベルトを掴まえていた太い脚も、翼竜を模した本体も、白い粒子になって虚空へと消える。
後に残ったのは兄の服を掴む小さな仔竜だった。無事でいたことに揃って息をつく。
ぐるぐると回転しながら落下していたのがそこで和らぎ、維持していた魔法の負担が少しだけ軽くなったのを感じ取る。
【浮遊】の範囲外にあった大質量から離されたことで、効力がヒト三人分を浮かせる程度に落ち着いた。回転も慣性のみになり少しずつ和らいできたようで、自分と兄を抱えている相手を見上げるだけの余裕が持てる。
「すまんな、無茶を、させた」
「なんのなんの、リリィちゃんのためなら本望~。着地まで踏ん張るから、あんまりしゃべらないで、舌を噛んじゃう」
「この障壁と軽い浮遊だけで、わたしは精一杯だ。悪いがあとは頼む」
「へへ、キミに頼られるのすっごく嬉しい、生きててよかった。任せて、墜落も三度目だし、前より上手くやるよー!」
首をひねって下を見れば、町の全景がそこにあった。落下時の影響を考えれば、前のように荒野に落ちるほうがまだマシだったのでは。
とはいえ今から落ちる場所を大幅に変えるには、横方向への推進力が必要となる。三人分の重みを任せている中で、そこまでの注文はつけられない。
せめて落ちる場所にヒトや建物がないよう祈るくらいしか、
「えっ、まじで、そこ目がけて落ちろっての? うわー無茶振りするなぁ、やってみるけどさぁ!」
「?」
「リリィちゃん、あとは請け負うから障壁だけ解除しちゃって。そんで歯を食いしばってそのままじっとしててね、なるべくやんわり降りられるように頑張るから」
服に爪を立てていたエトを掴んでアダルベルトの懐へぎゅっと押し込むと、エルシオンは包み込むように兄と自分を抱き直した。
その身は自警団の制服に包まれているとはいえ、袖と手袋の隙間や首から上は肌が露出している。もし今ふれ合えば、また前のように破裂して重傷を負いかねない。
格好に気をつかう余裕なんてないけれど、せめてもの安全にと、体を精一杯縮こまらせて兄の胸にしがみついた。
横目に見える俯瞰の町並みはどんどん近づいている。
エルシオンが二重、三重に重力緩和の構成を描くことで、少しずつ墜落の速度が落ち着いていく。落下地点は町の中心部にほど近い、色とりどりの屋根が並ぶ広場になるだろうか。
四角く見えるカラフルな屋根は、おそらく露店の帆布だ。普段であれば買い物客で賑わっていそうなそこは、避難のためか人影もまばら。
この分なら墜落に巻き込まれることもなさそうだ。安堵の中、衝撃にそなえて目をかたく閉じる。
「……っ!」
ごうごうと耳元を過ぎる風の音の中で、自分の名前を呼ぶ声が聴こえたような気がした。
その瞬間、体が何かに当たって跳ねる。
ベッドに思い切り飛び込んだ時のような反発のあと、またさらに体が跳ねて、そこから落ちる感覚。
地面に叩きつけられるのを覚悟して体を強張らせたが、思いの外柔らかいものに受け止められ、反動の揺れがしばし。そしてついに落下は止まった。
「リリアーナ様、アダルベルト様っ!」
「トマサ……?」
聞き覚えのある悲痛な声に顔を上げる。自分たちを覗き込んでいる複数の顔、白い空に逆光となって表情はよく見えないけれど、その中のひとりは間違いなくトマサだ。
見上げる空には、すでに白い竜の姿はない。
アダルベルトとともに体を起こすと、自分たちが大きな布の中心に乗っているのがわかった。敷布か何かだろうか、麻で編まれたそれを四方から掴んでいるのはいずれも見慣れた姿。その向こうにはぽつぽつと見知らぬ顔も見える。
状況把握にあたりを見回している自分に、トマサが抱き着いてきた。
「リリアーナ様、よくご無事でっ、お怪我はありませんか?」
「わたしも兄上も無事だ。この布……そうか、お前たちが受け止めてくれたのか」
周囲には布を握りしめたままの八朔と、疲労に息を荒げるアイゼン、それと自警団員のテオドゥロたちがいた。一様に汗を浮かべほっとした様子でいることからも、ずいぶん心配と苦労をかけてしまったことが伺える。
「いや、ほんま、間に合って良かったです。どこに落ちるかもわからんのに、このお姉さんが、絶対受け止めるんだって息巻いて……はぁ、一年分は走りましたわ」
「アダルベルト様もお嬢様も、本当にお怪我はありませんか? 一体空で何が……あの白い竜は消えたようですが、まさか退治されたのは、」
手を差し伸べてくるテオドゥロに助けられ、何とか立ち上がる。すると傍らにいたエルシオンが両手を挙げながら直立し、突然「その通り!」と叫んで周囲の耳目を集めた。
商店通りから繋がる広場なのだろう、あたりにはこちらの様子をうかがうように住民や商人らが集まりだしている。あまり人目にふれるべきではないだろうと思い、周囲の視線がエルシオンへ集まっている隙にそっと身を引いてトマサの陰に隠れた。
「平穏なるサルメンハーラの町を襲いし空の脅威、暴風と雷の化身、あの巨大な白竜を討伐せしめたのは、こちらにおわす勇敢なる青年!」
「えっ」
状況の理解が追いついていないアダルベルトは、手で指し示されたことと集まる視線に驚いて硬直する。
当人が何も言えないのを良いことに、さらに調子づいたエルシオンは身振り手振りを交えて兄を讃えはじめた。
「正統なる血筋の現れたるこの輝かんばかりの相貌、知性宿る藍の瞳、父君譲りの黒髪、一度でもまみえれば忘れようもない圧倒的カリスマ! そして竜種をも一撃で屠る並外れた天才的剣技! この町に滞在しているならすでにご存知の方も多いでしょう。そう、この方こそは、」
「え、ちょっと待って、」
「勇猛果敢なるイバニェスの若獅子、文武両道たる嘱望されし後継、――アダルベルト=イバニェス様であらせられるぞー!」
「「おお~~!」」
集まった人々から一斉に感嘆の声があがる。その声に誘われるようにして、屋内へ避難していた住民らが何事かと広場へ足を踏み入れ、まばらだった見物人が次第に厚みを増していった。
そんな特技があったのかと呆れるほどエルシオンの扇動は巧みで、群衆はアダルベルトへの賛辞に耳を傾けながら次第に熱気を帯びていく。
トマサの手を引きながら輪を離れる間にもその密度は増し、道の端へ着くころには兄たちの姿が見えないほどの人混みに巻かれていた。
「アダルベルト様の名前をお出ししてよろしいのでしょうか?」
「あー、そうだな。だが我々が落下したのも、自警団の制服も周りに見られているから、下手にこそこそすれば妙な話が広まりかねない。翼竜の身内だとか、誘拐されたという風聞が出回るのは困るが、サルメンハーラを襲った脅威を取り除いた話ならば、噂を上塗りして有り余るだろう」
先ほど人々の輪を抜ける際に、アイゼンがこちらを見て目配せを送ってきた。噂のコントロールに関しては、本分である彼に任せておけばそう悪いことにならないはず。
後でレオカディオが知ったら一体どんな顔をするか。その毒舌の矛先もそれとなくアイゼンへ向けるようにしておこう。
「ともかく、兄上のことはテオドゥロたちに任せておこう。今はそれよりも、領事館だ、まだレオ兄たちは合流していないのか?」
「はい。あちらは侍従長がいらっしゃいますので、お任せするべきと判断し我々はこちらへ参りました」
「そうか、……そうだな、おそらくまだ留まっているだろうし、こっちから向かおう」
町の中にいたトマサは、領事館への攻撃と惨状をいまだ知らないのかもしれない。そう思い、つとめて平静に移動先を宣言する。
しかし現在地が町のどこなのか、周囲を見回してみても頭の中の地図が茫洋として掴めない。
そうして頭部を巡らせるだけでも、脳が揺れるのか疲れのためか、視界がくらりとして足元がふらつく。ついさっきまで空中で振り回されていたのだ、未だ平衡感覚が戻っていないのかもしれない。
とはいえ歩くくらいの体力ならまだ残っている。そう言ってみても全く説得力はなかったようで、トマサの勧めに折れてその背に負ぶられることになった。
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