211 / 431
四角い街並みと人生設計
しおりを挟む
通りの石畳が規則的に並ぶため、車輪がずっと同じペースでガタガタと音をたてている。アルトの見立てでは軸との接続部分に爬虫類の皮を巻いているらしく、借り受けた馬車はイバニェスのものと同じくらい揺れが少なかった。
お茶に冷水に茶菓子にと、ブエナペントゥラの指示によって様々な品を用意された車内は、この音と揺れさえなければどこかの待合室のようだ。内装も贅を尽くしたもので、やたらときらびやかな色合いはリリアーナにとって少しばかり落ち着かない。
停車するまでお茶は飲みにくいので断っており、籠で出された焼き菓子をひとつ摘まんで窓の外を眺める。表面に乱反射の加工を施された車窓は外から中が見えにくいようになっているとのことで、サーレンバー領へ着いた時よりも悠々と見物することができた。
来た時とは違う道を通っているが、やはりどの建物も堅牢で四角い印象のある街並みだ。
「最初は生地のお店と、併設されているレース屋さんを見て、その次が宝飾品と小物を扱っているお店でしたわね。お買い物なんて久しぶりですから、楽しみですわ~。ねぇ、フェリバさん」
「そうですね、私もリリアーナ様に似合うリボンとか、春物に使えそうな生地があればいいなーって思います」
「あら、ご自身で使われるものを見繕ってもよろしいのではなくて?」
「ううーん、じゃあ弟たちにお土産でも……。何か珍しい調味料があればお父さんも喜ぶかなぁ。一番の目的はトマサさんへのお土産を選ぶことだから、後回しでもいいんですけど」
「まぁ、オフの時くらいご自分を最優先になさいませ! せっかく良いお店をご紹介頂けたのですから、イバニェス領では買えないような掘り出し物を一緒に探しましょう、お洋服も小物も化粧品も!」
隣に座ったカステルヘルミと正面のフェリバが斜めに会話を交わし、その話が盛り上がるほど、自分と対角線の位置にいるテオドゥロが肩身狭そうに縮こまっていた。
今日はいつもの黒い制服ではなく、イバニェス家の従者たちと同じ、丈の長い服を着ている。帯剣もしていないし、髪をきっちり整えた外見は屋敷の文官たちとも大差ない。変装というほどではないが、買い物の最中は護衛が物々しくならないようこの格好でついてくるらしい。
六人がけの車内にはこの四人しかいないため、元々ゆとりを持って造られた長椅子は足を伸ばせるくらい余裕がある。一応、案内と世話役にサーレンバー邸の使用人がついてこようとしたのだが、それを断ったのはキンケードだった。身内だけのほうが気を楽にして買い物を楽しめる……という口上の裏に、信頼できる者だけで行動する方がより安全という意図が薄っすらと見えた。
そのキンケードは御者の補佐に扮して馬車後部に立ち乗りを、エーヴィは侍女の装いのまま御者の隣に座っている。
今日は気晴らしのための買い物ということになっているが、その最たる目的のひとつであったフェリバの落ち込みは、もうとっくに復調しているようだ。
今朝も朝食後からずっとカステルヘルミとばたばた支度をして楽しそうにしている。自分の怪我のせいで気落ちしている様子だったから、買い物に出ることで憂さ晴らしができればと思ったのだが、その必要もなく元気でいてくれるならそれでいい。あんな無理をして笑うフェリバの顔は、もう見たくない。
……昨日、サーレンバー邸の書斎から戻った後。カステルヘルミの助言通りにフェリバの前でくるりと回転してスカートの広がる様子を披露してみたところ、予想以上の反応で「もう一回! もう一回お願いします!」を四回も繰り返されてさすがに目が回った。
まさかあの程度のことで、こんなに精彩が回復するとは思わなかった。鏡の前でやってみても、何が良いのか自分ではさっぱりわからず――
「……ですわよねぇ、リリアーナ様」
「え? あ、すまない。聞いていなかった。もう一度頼む」
「フェリバさんの私服のことですわ。せっかくこうして三人で出てきたのですもの、リリアーナ様もご一緒に選びましょう。温かそうな冬物もいいですし、生地を買うなら春用の色ですわね」
「えぇぇ~私の服なんてどうでもいいですよー! それよりリリアーナ様の髪飾りを選びましょう、そっちのほうが絶対楽しいですって!」
当人は両手の握り拳を上下に振りながらそう主張するものの、この買い物でフェリバの私服を選んでやるというカステルヘルミの意見には賛成だった。
今日のフェリバの装いは普段の侍女の制服ではなく、白いブラウスに落ち着いた香茶色のワンピース、そこへ羊毛を編んだストールを合わせている。服はカステルヘルミの私物からレースやカフスや何やらごてごてした飾りを取り払ったもので、ストールは手持ちから貸したもの。
梳いた髪を結ってリボンで留め、薄く化粧を施されたフェリバは、リリアーナから見ても良家の息女として十分通じそうな仕上がりだ。
侍女の制服を脱いでほしいというのは、一日だけ仕事から離れ、友人として一緒に楽しみたいというカステルヘルミの要望でもあり、ともに気晴らしに出るならそれはリリアーナにとっても望む所だった。だが、フェリバが私服を持ってきていないことが発覚し、カステルヘルミとふたりであれこれ持ち寄る羽目になった。
急遽あり合わせで何とかした格好のわりには、良く似合っている。ただ、胸元の布が張っていて苦しそうだから、早く店に行ってサイズの合うものを見繕ってやりたいと思う。
「そのうち、わたしとコンティエラの街を歩きたいと言っていたろう。その時に着る服だと思って選べばいい。まぁ、次の春に行けるかどうかはわからんが」
「ううー、確かに、リリアーナ様と並んで歩くなら、つぎあてだらけの古着なんて着られませんけど……でもせっかくのお出かけで私なんかの物を、」
「何だ、わたしの見繕った服は着られないとでも?」
「いいえ、とんでもない、喜んでっ!」
音のしそうな素早さで敬礼をするフェリバの横で、テオドゥロが口元を隠しながらこっそり笑っていた。
賑やかな馬車内の会話は、小窓を挟んで御者台のエーヴィまで届いているだろうか。必要な会話には応じるものの、未だにフェリバたちと距離を取っているエーヴィは、こうした雑談にも混ざってくることがない。私語を交わしたのは、あの花畑で亡き姉の話を聞いた時くらいだろう。
元気を取り戻したフェリバに引きずられるように、カステルヘルミも朝からはしゃいでいる。余程買い物に行けるのが嬉しいのかと思っていたら、どうやらイバニェスの屋敷にいた頃はあまり街へ出られなかったらしく、彼女なりに鬱憤が溜まっていたようだ。
街と屋敷が離れているため、雇われの身では軽々に私用の外出を言い出せなかったのだろう。意外と繊細な気質のカステルヘルミらしいと言えば、らしいのだが。そうした部分に気づいてやれなかったことは少し申し訳なかったと思うので、彼女にも今日の買い物を存分に楽しんでもらいたい。
<――……、……!>
「ん……?」
何か聴こえた気がして、窓の外を見る。
広々とした通りには荷車や馬車、談笑する住民らが行き交っておりとても賑やかだ。その中から誰かの声がたまたま耳に入ったのだろうか、視線を向けてみても特に気になるものはなかった。
席に座り直して、籠からまたひとつ菓子を取ろうと指を伸ばす。
……そこで、ぞくりと背筋に走った悪寒に手が止まる。服の下で腕に鳥肌が立っているのがわかる。首の後ろあたりまでちりちりした。
寒気だろうか、窓は換気のため少し開けられており、そのせいで緩やかな風だけでなく外の声や音もよく入ってくる。
「お嬢様、どうかされまして? もしお寒いようでしたら窓を閉めましょうか」
「……いや、大丈夫だ。何か聴こえた気がしたんだが、物売りの呼び込みかな?」
「この辺りはあまり露店が出ていませんけれど、遠くの声が響いたのかもしれませんわね。サーレンバーは職人の街とも聞きますから、露天商で工芸品の類を眺めるのも面白そうですわ。あ、今日はもう向かうお店が決まっておりますけれど」
この外出に際してファラムンドとブエナペントゥラの出した条件は、決して通りを歩かず用意した馬車で向かうこと。指定した店での買い物に限ること。あとはエーヴィとキンケードを同行させ、時間や移動などは彼らの指示に従うこと。この三点だった。
露店を間近で眺められないのは確かに残念だが、こうして馬車の窓から見学できるだけでも十分だ。
注意深く見ていると、小路の陰などに地面に敷物を広げて品を並べているのがいくつか目に入った。場所代や何やら色々と面倒もあるらしいが、店を構えずとも、ああして持ち込んだ品を露店の形で販売できるのは手軽で良いなと思う。
コンティエラで出会ったあの林檎売りの老人のように、買い手を直に見て、用意した売り物に値段をつけて販売する。自身の力で金銭を稼ぐというのは、どんな気分なのだろう。
「売り物、売り物か……。わたしにも用意できるとしたら、何だろうな」
「お嬢様は、お店を開きたいんですの?」
「んー……、店というか、有体に言えば金を稼ぎたい。街の子どものように就労できる立場ではないし、政務にも手は出せないから、どうにか他の手段で金銭を得られないかと考えているんだ」
自分にできる生産的なことと言って思いつくのは、最近はまっているレース編みくらいだが、小さなドイリーを編み終わるのにおよそ三日。効率が悪すぎるし、手のひらサイズの花瓶敷きにしかならないような丸レースなど買い手はつかないだろう。
「就労といえば、お前は魔法師としてどこかに所属しているのだったな。そこへ属せば魔法を扱う仕事を得られるのか?」
「えっ、お嬢様が魔法師会に? いやいやいや、無理とは申しませんがお勧めはいたしかねますわ。確かに魔法師として認定されれば、何かを凍らせるとか密閉空間で明かりを灯すとか、わたくしのように家庭教師を引き受けるみたいな、魔法の仕事の斡旋を受けられますけれど……」
「リリアーナ様がそんな下働きみたいなことするの、旦那様がお許しになるはずないなーって思いますよ?」
「だろうなぁ」
フェリバの言うことももっともだ。それに、自分の力量を隠しておきたいならなおさら、わざわざ魔法をひけらかすような真似は避けるべき。依頼となれば屋敷から出る必要も生じるし、今はカステルヘルミ以外に弟子を持つつもりもない。
この生活を乱さないまま金策となれば、やはり物を売るしかないのだろうか。
とは言っても手持ちに売れるような『自分の物』は少ない。身の回りにあるのはほとんどファラムンドから買い与えられた物か、兄たちからの心の籠った贈り物だ。収蔵空間から引き出した品を市井に流すわけにもいかず、考えは行き詰まる。
「どうにかこう、容易く手に入るものを、希少で高価だと思わせて楽に稼ぐような方法はないものか……」
「ふふふ、お嬢様ってば、そんな悪徳商人みたいなことを仰って」
「――!」
はっとしてカステルヘルミの顔を仰ぎ見ると、普段より化粧を厚く塗られた目が何事かと瞬く。
「な、何と言った、今。もう一回言ってみろ」
「ああああ申し訳ありません、わたくしったら何て失礼なことを!」
「いや、怒っているわけじゃないんだ。悪徳商人……? そういう稼ぎ方をするのは、『悪徳』と呼称される行為か?」
「ええと、薄利多売を狙うのは結構なのですが、相手を騙したり、希少価値を煽って暴利をむさぼるような稼ぎ方は、そう呼ばれても仕方ないかと……」
悪徳。悪徳商人。……なるほど。
悪と呼ばれるなら自身にも馴染みはあるが、『悪徳』とは一体何だろうと思っていたところに意外なヒントがあった。
生前は価値観の違いや諸々の理由から、取り引きと言えば物々交換しかしたことがなかったが、ヒトとして生きる今ならその方面で『悪徳』を目指してみるのも有りかもしれない。
――金稼ぎのついでに役割を果たす。何て合理的だろう!
「お嬢様が目を輝かせていらっしゃいますけど、妙に不吉な予感がするのはなぜかしら……」
「あれは何か思いついた顔ですねー、リリアーナ様が楽しそうで私も嬉しいです!」
<同感でございます>
銘々のそんな言葉を聞き流しながら、唇に指の背を当てて思索にふける。
与えられた役割に生き方を左右されるのはまっぴらごめんだが、自分の目的と合致しているなら好都合。それは『魔王』であった時と何も変わらない、自分らしい生き方を貫けるということだ。
ひとまず商売の手立てはこの先も考えるとして、今後はその方向で人生設計を練ってみよう。そのうちファラムンドが決めることになる、嫁ぎ先の職業とも上手く兼ね合えば良いのだが。
やりたいこと、やるべきことさえ明確になれば、あとは道筋と手段を考えて実行に移すだけ。自分の得意分野だ。
急に目の前が開けたような気がして、リリアーナは晴れ晴れしい笑顔で外の街並みを眺めていた。
お茶に冷水に茶菓子にと、ブエナペントゥラの指示によって様々な品を用意された車内は、この音と揺れさえなければどこかの待合室のようだ。内装も贅を尽くしたもので、やたらときらびやかな色合いはリリアーナにとって少しばかり落ち着かない。
停車するまでお茶は飲みにくいので断っており、籠で出された焼き菓子をひとつ摘まんで窓の外を眺める。表面に乱反射の加工を施された車窓は外から中が見えにくいようになっているとのことで、サーレンバー領へ着いた時よりも悠々と見物することができた。
来た時とは違う道を通っているが、やはりどの建物も堅牢で四角い印象のある街並みだ。
「最初は生地のお店と、併設されているレース屋さんを見て、その次が宝飾品と小物を扱っているお店でしたわね。お買い物なんて久しぶりですから、楽しみですわ~。ねぇ、フェリバさん」
「そうですね、私もリリアーナ様に似合うリボンとか、春物に使えそうな生地があればいいなーって思います」
「あら、ご自身で使われるものを見繕ってもよろしいのではなくて?」
「ううーん、じゃあ弟たちにお土産でも……。何か珍しい調味料があればお父さんも喜ぶかなぁ。一番の目的はトマサさんへのお土産を選ぶことだから、後回しでもいいんですけど」
「まぁ、オフの時くらいご自分を最優先になさいませ! せっかく良いお店をご紹介頂けたのですから、イバニェス領では買えないような掘り出し物を一緒に探しましょう、お洋服も小物も化粧品も!」
隣に座ったカステルヘルミと正面のフェリバが斜めに会話を交わし、その話が盛り上がるほど、自分と対角線の位置にいるテオドゥロが肩身狭そうに縮こまっていた。
今日はいつもの黒い制服ではなく、イバニェス家の従者たちと同じ、丈の長い服を着ている。帯剣もしていないし、髪をきっちり整えた外見は屋敷の文官たちとも大差ない。変装というほどではないが、買い物の最中は護衛が物々しくならないようこの格好でついてくるらしい。
六人がけの車内にはこの四人しかいないため、元々ゆとりを持って造られた長椅子は足を伸ばせるくらい余裕がある。一応、案内と世話役にサーレンバー邸の使用人がついてこようとしたのだが、それを断ったのはキンケードだった。身内だけのほうが気を楽にして買い物を楽しめる……という口上の裏に、信頼できる者だけで行動する方がより安全という意図が薄っすらと見えた。
そのキンケードは御者の補佐に扮して馬車後部に立ち乗りを、エーヴィは侍女の装いのまま御者の隣に座っている。
今日は気晴らしのための買い物ということになっているが、その最たる目的のひとつであったフェリバの落ち込みは、もうとっくに復調しているようだ。
今朝も朝食後からずっとカステルヘルミとばたばた支度をして楽しそうにしている。自分の怪我のせいで気落ちしている様子だったから、買い物に出ることで憂さ晴らしができればと思ったのだが、その必要もなく元気でいてくれるならそれでいい。あんな無理をして笑うフェリバの顔は、もう見たくない。
……昨日、サーレンバー邸の書斎から戻った後。カステルヘルミの助言通りにフェリバの前でくるりと回転してスカートの広がる様子を披露してみたところ、予想以上の反応で「もう一回! もう一回お願いします!」を四回も繰り返されてさすがに目が回った。
まさかあの程度のことで、こんなに精彩が回復するとは思わなかった。鏡の前でやってみても、何が良いのか自分ではさっぱりわからず――
「……ですわよねぇ、リリアーナ様」
「え? あ、すまない。聞いていなかった。もう一度頼む」
「フェリバさんの私服のことですわ。せっかくこうして三人で出てきたのですもの、リリアーナ様もご一緒に選びましょう。温かそうな冬物もいいですし、生地を買うなら春用の色ですわね」
「えぇぇ~私の服なんてどうでもいいですよー! それよりリリアーナ様の髪飾りを選びましょう、そっちのほうが絶対楽しいですって!」
当人は両手の握り拳を上下に振りながらそう主張するものの、この買い物でフェリバの私服を選んでやるというカステルヘルミの意見には賛成だった。
今日のフェリバの装いは普段の侍女の制服ではなく、白いブラウスに落ち着いた香茶色のワンピース、そこへ羊毛を編んだストールを合わせている。服はカステルヘルミの私物からレースやカフスや何やらごてごてした飾りを取り払ったもので、ストールは手持ちから貸したもの。
梳いた髪を結ってリボンで留め、薄く化粧を施されたフェリバは、リリアーナから見ても良家の息女として十分通じそうな仕上がりだ。
侍女の制服を脱いでほしいというのは、一日だけ仕事から離れ、友人として一緒に楽しみたいというカステルヘルミの要望でもあり、ともに気晴らしに出るならそれはリリアーナにとっても望む所だった。だが、フェリバが私服を持ってきていないことが発覚し、カステルヘルミとふたりであれこれ持ち寄る羽目になった。
急遽あり合わせで何とかした格好のわりには、良く似合っている。ただ、胸元の布が張っていて苦しそうだから、早く店に行ってサイズの合うものを見繕ってやりたいと思う。
「そのうち、わたしとコンティエラの街を歩きたいと言っていたろう。その時に着る服だと思って選べばいい。まぁ、次の春に行けるかどうかはわからんが」
「ううー、確かに、リリアーナ様と並んで歩くなら、つぎあてだらけの古着なんて着られませんけど……でもせっかくのお出かけで私なんかの物を、」
「何だ、わたしの見繕った服は着られないとでも?」
「いいえ、とんでもない、喜んでっ!」
音のしそうな素早さで敬礼をするフェリバの横で、テオドゥロが口元を隠しながらこっそり笑っていた。
賑やかな馬車内の会話は、小窓を挟んで御者台のエーヴィまで届いているだろうか。必要な会話には応じるものの、未だにフェリバたちと距離を取っているエーヴィは、こうした雑談にも混ざってくることがない。私語を交わしたのは、あの花畑で亡き姉の話を聞いた時くらいだろう。
元気を取り戻したフェリバに引きずられるように、カステルヘルミも朝からはしゃいでいる。余程買い物に行けるのが嬉しいのかと思っていたら、どうやらイバニェスの屋敷にいた頃はあまり街へ出られなかったらしく、彼女なりに鬱憤が溜まっていたようだ。
街と屋敷が離れているため、雇われの身では軽々に私用の外出を言い出せなかったのだろう。意外と繊細な気質のカステルヘルミらしいと言えば、らしいのだが。そうした部分に気づいてやれなかったことは少し申し訳なかったと思うので、彼女にも今日の買い物を存分に楽しんでもらいたい。
<――……、……!>
「ん……?」
何か聴こえた気がして、窓の外を見る。
広々とした通りには荷車や馬車、談笑する住民らが行き交っておりとても賑やかだ。その中から誰かの声がたまたま耳に入ったのだろうか、視線を向けてみても特に気になるものはなかった。
席に座り直して、籠からまたひとつ菓子を取ろうと指を伸ばす。
……そこで、ぞくりと背筋に走った悪寒に手が止まる。服の下で腕に鳥肌が立っているのがわかる。首の後ろあたりまでちりちりした。
寒気だろうか、窓は換気のため少し開けられており、そのせいで緩やかな風だけでなく外の声や音もよく入ってくる。
「お嬢様、どうかされまして? もしお寒いようでしたら窓を閉めましょうか」
「……いや、大丈夫だ。何か聴こえた気がしたんだが、物売りの呼び込みかな?」
「この辺りはあまり露店が出ていませんけれど、遠くの声が響いたのかもしれませんわね。サーレンバーは職人の街とも聞きますから、露天商で工芸品の類を眺めるのも面白そうですわ。あ、今日はもう向かうお店が決まっておりますけれど」
この外出に際してファラムンドとブエナペントゥラの出した条件は、決して通りを歩かず用意した馬車で向かうこと。指定した店での買い物に限ること。あとはエーヴィとキンケードを同行させ、時間や移動などは彼らの指示に従うこと。この三点だった。
露店を間近で眺められないのは確かに残念だが、こうして馬車の窓から見学できるだけでも十分だ。
注意深く見ていると、小路の陰などに地面に敷物を広げて品を並べているのがいくつか目に入った。場所代や何やら色々と面倒もあるらしいが、店を構えずとも、ああして持ち込んだ品を露店の形で販売できるのは手軽で良いなと思う。
コンティエラで出会ったあの林檎売りの老人のように、買い手を直に見て、用意した売り物に値段をつけて販売する。自身の力で金銭を稼ぐというのは、どんな気分なのだろう。
「売り物、売り物か……。わたしにも用意できるとしたら、何だろうな」
「お嬢様は、お店を開きたいんですの?」
「んー……、店というか、有体に言えば金を稼ぎたい。街の子どものように就労できる立場ではないし、政務にも手は出せないから、どうにか他の手段で金銭を得られないかと考えているんだ」
自分にできる生産的なことと言って思いつくのは、最近はまっているレース編みくらいだが、小さなドイリーを編み終わるのにおよそ三日。効率が悪すぎるし、手のひらサイズの花瓶敷きにしかならないような丸レースなど買い手はつかないだろう。
「就労といえば、お前は魔法師としてどこかに所属しているのだったな。そこへ属せば魔法を扱う仕事を得られるのか?」
「えっ、お嬢様が魔法師会に? いやいやいや、無理とは申しませんがお勧めはいたしかねますわ。確かに魔法師として認定されれば、何かを凍らせるとか密閉空間で明かりを灯すとか、わたくしのように家庭教師を引き受けるみたいな、魔法の仕事の斡旋を受けられますけれど……」
「リリアーナ様がそんな下働きみたいなことするの、旦那様がお許しになるはずないなーって思いますよ?」
「だろうなぁ」
フェリバの言うことももっともだ。それに、自分の力量を隠しておきたいならなおさら、わざわざ魔法をひけらかすような真似は避けるべき。依頼となれば屋敷から出る必要も生じるし、今はカステルヘルミ以外に弟子を持つつもりもない。
この生活を乱さないまま金策となれば、やはり物を売るしかないのだろうか。
とは言っても手持ちに売れるような『自分の物』は少ない。身の回りにあるのはほとんどファラムンドから買い与えられた物か、兄たちからの心の籠った贈り物だ。収蔵空間から引き出した品を市井に流すわけにもいかず、考えは行き詰まる。
「どうにかこう、容易く手に入るものを、希少で高価だと思わせて楽に稼ぐような方法はないものか……」
「ふふふ、お嬢様ってば、そんな悪徳商人みたいなことを仰って」
「――!」
はっとしてカステルヘルミの顔を仰ぎ見ると、普段より化粧を厚く塗られた目が何事かと瞬く。
「な、何と言った、今。もう一回言ってみろ」
「ああああ申し訳ありません、わたくしったら何て失礼なことを!」
「いや、怒っているわけじゃないんだ。悪徳商人……? そういう稼ぎ方をするのは、『悪徳』と呼称される行為か?」
「ええと、薄利多売を狙うのは結構なのですが、相手を騙したり、希少価値を煽って暴利をむさぼるような稼ぎ方は、そう呼ばれても仕方ないかと……」
悪徳。悪徳商人。……なるほど。
悪と呼ばれるなら自身にも馴染みはあるが、『悪徳』とは一体何だろうと思っていたところに意外なヒントがあった。
生前は価値観の違いや諸々の理由から、取り引きと言えば物々交換しかしたことがなかったが、ヒトとして生きる今ならその方面で『悪徳』を目指してみるのも有りかもしれない。
――金稼ぎのついでに役割を果たす。何て合理的だろう!
「お嬢様が目を輝かせていらっしゃいますけど、妙に不吉な予感がするのはなぜかしら……」
「あれは何か思いついた顔ですねー、リリアーナ様が楽しそうで私も嬉しいです!」
<同感でございます>
銘々のそんな言葉を聞き流しながら、唇に指の背を当てて思索にふける。
与えられた役割に生き方を左右されるのはまっぴらごめんだが、自分の目的と合致しているなら好都合。それは『魔王』であった時と何も変わらない、自分らしい生き方を貫けるということだ。
ひとまず商売の手立てはこの先も考えるとして、今後はその方向で人生設計を練ってみよう。そのうちファラムンドが決めることになる、嫁ぎ先の職業とも上手く兼ね合えば良いのだが。
やりたいこと、やるべきことさえ明確になれば、あとは道筋と手段を考えて実行に移すだけ。自分の得意分野だ。
急に目の前が開けたような気がして、リリアーナは晴れ晴れしい笑顔で外の街並みを眺めていた。
0
お気に入りに追加
235
あなたにおすすめの小説
裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる