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マダムのお菓子屋さん
しおりを挟む「あーらあら、珍しいお客さんだこと、いつ振りかしらねぇ!」
「ご無沙汰しております、マダム」
「ちょっと見ないうちにずいぶんと立派になって、まぁ、可愛いお子さんだこと、双子ちゃんかしら?」
「……」
カミロがまた無になって動きを止める横で、かぶっていたフードを下ろす。
焼き菓子店の店主は、恰幅の良い朗らかな女性だった。柔和な目元にふっくらとした柔らかそうな頬は、どこか侍女のカリナと印象が似ている。
きっちりと結って布を巻いた頭髪は白髪のほうが多い。
溌剌としていて年齢は判然としないが、バレンティン夫人よりもいくらか若く見える。あの雑貨店の老婆と同じくらいだろうか。
顔を合わせるなり木製の机から立ち上がって、高い声でカミロとの再会を喜んだ。どうやらふたりは旧知の間柄らしい。
ちょうど先に入った少年が会計を終えたところだったようで、入れ違いに三人で布の垂れ下がった入口から店内へ入ってみると、全身が濃いバターの香りに包まれた。
横手には浅い籠に入れられた様々な焼き菓子が並んでいる。
そちらをもっと近くで観察したい気持ちを抑えながらカミロを見上げれば、すで再起動を果たしたらしくいつもの仕草で眼鏡の位置を直していた。
今日は親子を装って歩ているのだから、そう誤解されることは何も問題ないように思うが、知り合いならきちんと紹介をしてくれるのだろう。
繋いでいた手をゆるりと解いて、男は一歩前に出た。
「ようこそ、好きなだけ選んでいってちょうだい。気になるお菓子があったらいくらでも試食していって良いのよ? お茶もいるかしらね、何だったらちょっとあがってく?」
「マダム……、きちんとご紹介いたしますから待ってください。リリアーナ様、こちらが店主のアドリアナ女史です。大旦那様がご健在の頃からここで菓子店を営んでおられます。並んでいる菓子は奥でご主人が焼いているのですが……今日は留守のようですね」
「ええ、ちょっと出かけてるのだけど、リリアーナ様って……あっらヤダ、あんたの娘さんじゃなくて旦那様の? あらあらごめんなさい、私ったらてっきり!」
こちらが名乗る前に誤解は解けたようだ。
一歩前へ出てコートの裾をつまみ、きちんと礼の形を取った。
「はじめまして、リリアーナ=イバニェスと申します。こちらのお菓子は、侍女が分けてくれたものを口にしたことがあるんです」
「あらまぁ、ということはフェリバちゃんね。うちなんかの硬いビスケットでもお口に合ったかしら?」
「ええ、とてもおいしかったので、いつか直接お店にうかがいたいと思っておりました。今日こうして来られてとても嬉しく思います」
「まぁまぁ、おりこうで礼儀正しいこと! そう言ってもらえて私も嬉しいわぁ、可愛いわねぇ、もう店のもの全部持って行ってもいいのよ?」
さすがに並んでいる菓子を全て持ち帰るわけにはいかない。
せっかくの好意を無碍に断るのも心苦しいが、やんわりと遠慮を示さなければ。
そう思い台詞に迷っていると、横からノーアが「社交辞令だよ、本気に取るな」と耳打ちしてきた。
「リリアーナお嬢様と、じゃあそちらはレオカディオ様かしら? あらまぁ、兄妹揃って利発そうだこと。ふたりとも可愛いわねぇ、何時間でも眺めていたいわぁ」
「いえ、こちらは……リリアーナ様の、お友達でいらっしゃいます」
「あっら、重ね重ね失礼を。そうなの、可愛い子には可愛いお友達ができるものねぇ……」
ノーアは未だフードを下ろしていない。マントもきちんと着込んでいるし、聖堂関係者だということさえ知られなければ、紹介すること自体は構わないのだろう。
友人アピールに、なぜか後ずさろうとする手をしっかりと捕まえた。
「今日は侍女たちにお土産を選んで帰りたいと思います。ええと、マダム、おすすめのお菓子があったら教えてもらえますか?」
「そうねぇ、茶葉を練り込んだのなんて女の子に人気あるわね。あとはそっちの瓶、ちょうど新しいの入ったばかりなんだけど、乾燥果実もおいしいわよ」
マダムの指したほうを見ると、入口の右側には大きなガラス製の瓶容器がいくつも並んでいた。
中には色とりどりの細かな菓子が詰められているように見える。乾燥果実ということだから、黄色味のあるものは柑橘で、赤いものは山苺か何かだろう。
デザートの飾りなどでアマダもよく使用しているが、それ単品を口にしたことはない
露店で見かけた乾物の果物よりもずっと色が鮮やかに見えるのは、製法が異なるためだろうか。
「他にも色々置いているから、好きなだけ見ていってちょうだい」
「はい、そうさせてもらいます」
笑顔で応えてノーアの手を引き、まずは焼き菓子が並んでいる左側の台に寄る。
カミロはマダムと何か話があるらしく、そのままふたりで立ち話を始めた。
漏れ聞こえる限りでは世間話に捕まったという様子だが、店内はそう広くもないから少し離れるくらいは構わないだろう。
菓子の入った籠は子どもの目線でも選びやすいようにか、いずれも低い机の上に並んでいる。
だが籠はその机の奥のほうにあるため、手を伸ばしても届きにくい。
マダムに品と枚数を指定して買い付ける形なのだろうか。
籠に書かれた数字が価格だろうと見当をつけて眺めていると、そのうちのいくつかには二種類の数字が併記されていることに気づいた。
「……?」
「そっちの大きなビスケット類は一枚いくらの値段だけど、こっち側の煎り豆とか細かいやつは、量り売りなんだよ」
「量り売り?」
「単価じゃなく、一定の重量ごとに値段をつけている。あっちの乾物もそう」
「あぁ、なるほど、そういうことか」
改めてマダムのいる会計台のほうを見れば、台に大きな秤が乗っている。
たしかに粒や粉など細かなものを欲しいだけ購入するなら、重さを単位としたほうが利便性が良い。
そういう取り引きのしかたもあるのかと感心しながら、並んでいる籠を順番に眺めた。
様々な菓子がある中、ひときわ大きな焼き菓子には見覚えがある。以前フェリバが持ってきてくれたあの硬いビスケットだ。
他にも色や形、素材が異なるらしきものなど様々な菓子が並ぶ。
いずれも普段アマダが作るものとは違うから、どれがどんな味なのか見ただけではよくわからない。
「色んな菓子があるものだなぁ」
「こんな庶民の店でわざわざ買わなくたって、屋敷でいくらでも上等な菓子を出してもらえるんだろ?」
「それはそれ、これはこれというヤツだ。アマダに頼めばきっと同じものを作ってくれるのだろうが、こうして現物を見て選ぶのは何というか、ほら、楽しいではないか」
「アマダ?」
「うちの厨房長だ。とても料理が上手くて手先の器用な男でな、お前にも披露してやりたいくらいだ、機会があれば屋敷へ来るといい、馳走するぞ?」
アマダの料理とその見栄えを自慢したくてそう誘ってみると、ノーアは眉根を顰めるだけで返事をしなかった。
あまり自由に外出できないそうだし、他の家にほいほいと遊びに行くのも難しいのかもしれない。
アマダの作るものなら味がうまいだけでなく、栄養面でも非の打ちどころのない料理を振舞ってくれるだろうに、残念だ。
食味に優れるばかりか見た目も華々しく、弟子入り志願者が多くいるというのもうなずける腕前。こちらの要望も全て叶えてくれる懐と知識の深さもある。
自分がこうして健やかな成長を遂げられたのは、アマダの働きによるものが大きい。
これまで散々要望を叶えてもらってきたし、そろそろちゃんと返礼もしたいのだが、未だその方法は思いつかない。
そういえば魔王城の地下書庫には、様々な料理のレシピを記載した本もいくつか置かれていた。
古い本だったし、王国側にはない素材や手法も多く掲載されていることだろう。
あれらをアマダに見せることができれば、彼の経験と知識の蓄積に繋がり、更にすごい料理を生み出せること間違いなしなのだが、あの広大な書庫にはもう手が届かない。
一冊くらいこっそり収蔵空間へ収めておけばよかった……。
地下書庫の本は城外へ持ち出してはいけないというルールがあるらしく、収蔵空間へ放り込むのもその決まりに抵触する。
過去の『魔王』たちもそのルールは厳守していたようで、収蔵品の目録を作った際にもまともな書籍は一冊も出てこなかった。その代わり巻き紙は本に含まれないらしく、書類や目録ならば収めておける。
だから書庫内の本はその場で閲覧するか、たまに自分の部屋や裏庭の木陰で読みふけることもあった。
城から外へ出さないという約束で臣下へ貸し出したことも何度かある。
周囲には腕力で語り合うタイプが多かったため、読書を嗜むような者は極めて少ない。本の貸し出しを望むような読書家は貴重な存在だ。
……そういえばあのレシピ集も、一度だけ誰かに貸し出したことがあったっけ。
果たしてその内容は役に立ったのだろうか。
生前は食事を口にしたことがないから、何か作ったとしても自分に振舞われはしなかったはずだ。
料理を作ったからと差し出されても、おそらく断って、食料を必要とする他の者へ食べさせるように言っただろう。
たまに唇を湿らせた果実酒と水以外、『魔王』であった頃の自分は食べ物の味を知らない。
せっかく黒鐘から譲り受けた八朔の味すらも知らないまま。
何でも識っているつもりで、知らないことばかりだったことをこうして一度死んでから思い知っている。
種族も立場も違うせいとはいえ、リリアーナとしての生を受けてからというもの、日々目新しいことや意外な発見ばかりだ。
あのまま死んでいては知ることもできなかった数々の経験、知識、そして大切なものをたくさん得ることができた。ちゃんと生きることを楽しんでいる。
なぜ死ななかったのかは理屈も原因もわからないが、今の自分は幸福だ。
生前が不幸だったというわけでもないけれど。
満たされている。
妙な役割付きではあっても、こうしてヒトの子として生まれ直したことを、リリアーナは誰にともなく感謝した。
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