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婚約式の朝

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 寒さに向かおうとしている季節の只中、日が昇る前には起きだして冷たい朝の空気を肺いっぱいに吸い込む。窓辺に立って外を眺めていると、なんとも不思議な気分になってきた。
 この世界に来て半年くらいか。もう半年とも、まだ半年とも感じる。確かに時間にしたら短いかもしれないけど、俺にとっては今までの人生の中で一番濃い時間を過ごしている。

 まさか自分が男を好きになるなんて想像もしていなかったし、しかも相手は複数ときたもんだ。ちょっと前の俺にこの話をしてもきっと信じないだろうな。

 遠くを眺めていると、ふいに足にふわふわとした感触が。そちらを見ると、思っていた通りソロとジオがじゃれついてきていた。その柔らかくてふわふわの茶色の毛を混ぜるように撫でる。ベッドの方からきゅんきゅんと甘え鳴きが聞こえてそちらを見るとユウシャがベッドから降りられずに鳴いていた。ユウシャはソロやジオより少しだけ大きいけど、実は一番怖がりだ。抱き上げて首元にもふっと顔を埋めると、温かくて優しい日向の匂いがした。ああ、朝から癒される。
 ユアンがたしたしと尻尾を床に叩きつけている。何でちょっと不機嫌なんだ?

 昨夜は婚約式の事前準備や警備の最終確認などがあり、三人の誰も一緒に寝れなかった。
 夜の護衛の代役はユアンだ。人型で一緒に寝るのは禁止されてしまったので、ユアンは獣型でいてくれた。俺的には獣型のユアンをもふもふさせてもらえるチャンスだからすごく嬉しかったけど、ユアンは「ちょっとくらいお触りしたかったなぁ」と不満そうに呟いてレオンハルトに睨まれていた。おまけにレオンハルトはユウシャ達を連れてきて、絶対二人きりにはさせないぞという決意のようなものを感じて笑った。

 昨夜は心ゆくまでユアンやユウシャ達にブラッシングさせてもらい、艶々もふもふのユウシャとソロとジオにくっついて眠った。自分より早い鼓動を聞きながらもふもふに顔を埋めて、とにかくめちゃくちゃ安眠できた。
 ユアンはレオンハルトにそうしろって口酸っぱく言い聞かされていてソファで寝てたけど。
 
 婚約式当日の朝は快晴だ。雲ひとつない、澄んだ青空。うん、良い一日になりそう。
 早朝にも関わらず屋敷内は人の気配で溢れていて、朝食を軽く部屋で取ったあと、使用人達にお風呂に放り込まれた。それから全身を香油でマッサージされ、髪に香油を刷り込まれ、顔にはパックをされ、ピカピカのツルツルに磨き上げられる。何か使用人の皆の目が血走っていて怖いんだが。この人たちはいつもレオンハルトに付き従って俺の支度の手伝いをしてくれている少年達だ。

「レオンハルト様からしっかり特訓を受けておりますから」
「この日の為に血の滲むような努力をしてまいりました。ううっ」
「こらっ、まだ泣くには早い!ぐすっ、本当にレオンハルト様は厳しかったんです。しかしリト様の魅力を最大限に生かし、より一層光り輝かせることができるのはレオンハルト様の他には私たちしかいないと自負しております!」

 お、おう。すごいやる気と熱気にあてられて、とにかく俺は無になって全てを受け入れた。そんなとこまで必要か?というくらい細部まで全身を磨き上げられ、飾りつけられる。デコレーションされていくケーキの気分ってこんな感じかな、なんてな。ははは。
 白目剥きそうになっていた頃、ようやく全ての工程が終わったみたいだ。こちらが申し訳なく思うほど汗だくになった少年達が満足そうにお互いの顔を見合わせてハイタッチしている。

「リト様、本当にお美しいです」
「はいっ!もう神の化身のごとき神々しさ!」
「教会の神官様たちは神が降臨されたと思うのではっ?」
「「「ありえるっ」」」

 いや、ありえないだろ!冗談で否定するのも憚られるほどのハイテンションに、静かに微笑んで頷くことしかできない。少年達は青春ドラマよろしくお互いを讃えあい称賛しあっているから仲間に入れないんだ。

「みんな、ありがとう。なんて言うか……すごくキラキラしてるね」

 鏡に映る自分はもう今まで見た中で一番光り輝いている。それも物理的に。
 細かな宝石がこれでもかとレースにあしらわれたドレスに、マダムもびっくりな大きな宝石のついたジュエリーは三人の瞳の色だ。
 今回は必死で抵抗してフリフリは回避できたけど、これじゃあ薄顔キラキラ妖怪じゃん、という言葉はそっと飲み込んだ。
 ああ、でもこの衣装に袖を通すといよいよ婚約式なんだって実感がわくな。ここまで来ると、ちょっと緊張してきた。両手で胸を抑えて深呼吸をする。うん、大丈夫。

「リトちゃん、すごく綺麗だねぇ」

 鏡越しに、人型になったユアンと目が合う。眩しそうに目を細めてじっとこちらを見つめている。

「ありがとう。さっきどこ行ってたんだ?」
「あいつら眠そうだったから森小屋に連れてってたぁ」
「昨日の夜は大興奮って感じだったもんな」

 皆でわちゃわちゃしながら寝るのは楽しかったけど、よく眠れなかったのかもしれないな。それにしてもどこから入ってきたんだよ。

「また窓から入ってきたの?」
「そうだよぉ」
「セバスチャンに怒られるぞ」
「それは……かんべん」

 くすくすと笑いがこぼれる。レオンハルトもユアンも、セバスチャンのことは怖いみたいだ。確かに、セバスチャンて変な迫力があるもんな。嘘ついても全部見抜かれそうな感じ。

「リトちゃん」

 鏡越しに話してたけど、名前を呼ぶユアンの声が震えた気がして首を後ろに回し確認する。首を傾けて微笑んでくる表情が、なぜかすごく綺麗で少しどきどきしてしまった。

「幸せになってね」

 そんな顔もするんだな。どこまでも透明で優しい、心がぎゅってなるような笑顔。最近、俺の中のユアンがどんどん塗り替えられていく。天然で自由人だと思ってたけど、真っ直ぐ見つめてくる瞳はいつも切実なんだ。

「ありがとう」

 俺が笑うと、ユアンもつられて笑った。

「あ、そうだ」ってさっき出来上がった衣装と一緒に受け取った小さな箱を持ってくる。

「ユアン、手、出して」
「手?」
「そう、両手出して」

 素直に両手を出したユアンに、はいと箱を渡す。

「これなにぃ?」
「ユアンにプレゼントだ」
「プレゼント……」

 信じられない物を見るような目つきで箱を凝視している。いや、固まってないで開けてよ。

「ほら、開けてみて」

 ちょっとわくわくしながら促すと、緊張した面持ちで箱を開ける。
 中には白い布で美しく仕立てられた腕輪が入っていた。さすが公爵家御用達の仕立て屋さんだ。こんな感じとふわっと伝えた要望通りの出来栄えだ。

「……これ」
「うん、俺たちの婚約式の衣装と同じ布で作ってもらったんだ。ほら、俺たちだけお揃いの衣装で、ユアンが仲間はずれみたいだろ?」

 ユアンが泣きそうに顔を歪めて俯く。

「リトちゃん、俺ね、生まれつき涙が出ないんだぁ。だけどね、泣きたいと思ったとき涙が出ないと、胸を掻きむしりたくなるほど苦しくなるんだよ」

 でも、とユアンが顔を上げる。

「今は泣きたいけど苦しくない…こんなこと初めてだ。どうしてだろう?」
「それは、嬉し涙だからかな?」
「嬉し涙?」
「うん、嬉しくても人は涙を流すんだ」
「へぇ……知らなかったなぁ」

 嬉し涙かぁって何度も噛みしめるように呟くから、こっちが泣きそうになった。ユアンは今まで嬉しくて泣きたくなることなかったのか?

「リトちゃん、ありがとう」
「気に入ってくれた?」
「うん、すごく。一生大切にする」
「大袈裟だよ。ほら、つけてやるから」

 じっと箱を掲げ持って眺めているだけのユアンを見ていると、このまま一生使いそうにないなって思った。箱から取り出すと「あっ」と勿体なさそうな顔で見てくる。

「今日お揃いにしたくて作ってもらったんだから、ちゃんとつけとけよ」

 金具を外して、左腕につける。白い腕輪はユアンにすごく似合っていた。邪魔にならないし、それにふとした時にいつでも目に入るよう腕輪にしたけど正解だったな。

「うん、似合ってる」
「えへへ」

 ずっとこそばゆそうに腕を見てるから、何だかこっちまで嬉しくなってしまった。

「リトちゃんさぁ、こんなことして、あの三人に怒られない?」
「怒る?ロイス達がか?」
「うん、だって婚約式の特別な衣装とお揃いにしちゃうなんて……」

 確かに確認はしてないけど、と三人を思い浮かべる。でもたぶん誰も怒らないと思う。レオンハルトはちょっとむすーんってするかもしれないけど、でも怒らない。それだけはなぜかわかるんだ。

「たぶん怒らないと思うぞ。それに、俺がユアンにあげたかったんだ」
 
 言いながら気づかされる。この芽生えはじめた感情をどう説明すればいいかわからないけど、俺の心の中にユアン枠が増えたのは確かだった。

「リトちゃんが俺にぃ?えへへ、嬉しい」

 ふさふさ揺れる赤い尻尾をぼぅと眺める。ユアンといると、なんだか安心して気持ちがゆるむ。なんだろう、このゆる~い空気感のせいかな。

 コンコンとノック音がして、ロイスとレオンハルトが来てくれた。

「「……っっ!」」

 部屋に入ってきた二人が同時に固まる。言葉にできない言葉を口にしようとぱくぱく動かすけど、さっきから空気音しか聞こえない。

「えっと……」

 だけどそれは俺も同じ。うわぁ、かっこいい。俺の夫達かっこよすぎない?もう目が痛いくらいの美の暴力だ。

「二人とも、すっごくすっごく!かっこいい!」

 何かわからないけど、うわぁって感情が溢れて二人に抱きついた。二人が同時に抱き返してくれる。

「リトもすごく綺麗だ。胸がいっぱいになってしまって息ができなかったほどだ」
「はい、言葉にならないほど……こんなに美しい人はこの世界にも、いえ他の世界にだっていません」

 そんなことはないと思うけど、でもその言葉を素直にありがとうって受け入れておいた。今日くらい、ちょっと素直に喜んでもいいよな。

 レオンハルトが俺のベッドにのんびり座ってるユアンを見つけて、ペイってどかしてて笑った。

「あ、レオンハルトが意地悪したぁ。見た?リトちゃん今の見た?」
「していません。邪魔です、どいてください」

 二人で必死にベッドを取り合って、結局並んで座ってる。肩で押し合って仲良しだな。
 そんな風にオーランドが迎えに来てくれるまで皆でわいわいとお茶を飲んで過ごした。

「リト……っっ。とても綺麗だよ……本当に私にはもったいない。どうしよう、手が震えてしまうな」
「オーランドもすごくかっこいい。俺こそ、こんなに優しくて素敵な夫は俺にはもったいないって思ってるのに」

 まさかのオーランドが震える両手で宝物みたいに抱きしめてくれた時は、なんだか胸がいっぱいになった。

 俺、これからこの人達と家族になるんだ。じんわりと幸せが広がっていくような朝だった。
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