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三匹の狼

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「暇だなぁ」

 ぽつりと落ちた声が広い部屋の中に吸い込まれていく。婚約式の準備で再び三人とも忙しそうなのだ。俺はというと、特に何もすることがないので暇を持て余していた。

「本を読む気分でもないんだよなぁ」

 部屋でごろりと寝転がると、頭上からくすくすと笑う声が聞こえてきた。

「わっ!」

 上を見上げると、天井から声が聞こえる?じっと見上げていると「ちょっと待っててねぇ」と最近ではすっかり聞き慣れた声が届いた。
 カタンと音がしてそちらを覗くと、バルコニーに人影が見える。

「リトちゃん」

 窓の外からユアンに手を振られて慌てて開けに行った。さっき頭上から声が聞こえてたのに、いつの間に外から回り込んできたんだ?

「暇なら俺と遊ぶ?」
「いいけど、何するんだ?」
「えっとねぇ、じゃあ森にお散歩?」

 よくわからないけど、森を案内してくれるらしい。

「そういえば、ユアンの拠点も森にあるんだったか?」

 それを聞いた時は狼の姿だったから違和感がなかったけど、今ではユアンの人型にも慣れてしまったから変な感じだ。

「うん、森の中に寝ぐらがあるんだぁ」
「じゃあ連れてってくれ」
「いいよぉ」

 そのまま階段も使わずひらりとバルコニーの下に飛び降りたユアンを慌てて呼び止める。

「ま、待って!先にそのことロイスに言ってから行かなきゃ」
「あ、そうだったぁ」

 暗殺者に狙われてから、俺の周囲は警備が厳しくなった。屋敷内なら自由に出歩けるけど、どこにいても騎士団の誰かが護衛してくれてる。ユアンはそんなことおかまいなしでなんとも自由人である。
 二人でロイスの執務室まで歩く道すがら、俺の視線はゆらゆら揺れる尻尾に釘付けだった。さ、触りたい。もふもふしたい。触っちゃダメかな、ダメだよな。

「ロイス、リトちゃん森に連れてっていい?」

 一人で勝手に葛藤していら、気づけばロイスの執務室に到着していたようでユアンがノックもせず執務室に入っていった。
 ユアンの後に続いてひょこりと顔を覗かせると、それに気づいたロイスが顔を蕩けさせて笑いかけてくれる。そんな風に笑いかけられると、自分がすごく特別な存在になったような気がしてこそばゆい。へへ、と照れ笑いながら近づくとそっと抱き寄せて頬にキスをしてくれた。
 それをにこにこと見つめていたユアンが痺れを切らしたようにロイスに返事を急かす。

「ユアンが一緒なら大丈夫だとは思うが、くれぐれも無茶はしないように」
「「はぁい」」

 二人で子供のようにそわそわしながら返事をする。早く外に遊びに行きたい。

「ユアンはわかるが……リトまで。くくっ」

 堪えきれないというように笑いをこぼしたロイスが、耳元で囁いた。

「今夜の護衛は私だ。楽しみにしてる」

 今夜というのは一緒に寝る順番のことだろうか。瞬間、昨夜オーランドとしたあれこれを思い出してしまい顔が真っ赤になるのがわかった。わわわっ!と慌てていた俺の様子に何かを感じ取ったロイスが目を細める。

「ゆ、ユアン!早く行こう」

 そそくさと逃げるように執務室を後にした俺の背中で、ロイスがくすりと笑った気配がしたけど振り向けなかった。
 心臓に悪いから、突然色気を振り撒くのはやめてほしい。

「リトちゃんこっちこっち」

 ユアンに手を繋がれて道なりになってる森の中を歩く。さわさわと風が通り過ぎていくのが気持ちいいけど、ちょっと肌寒い。ユアンの手がすごく熱く感じるのはそうせいだろうか。

「ねえ、気づいてる?俺たち、はじめて手を繋ぐんだよ」
「え?あ、うん。そうだな」
「嬉しいなぁ」

 ユアンは本当に嬉しいらしく、尻尾がぶおんぶおん回るほど揺れている。

「そんなの、いつでも繋いでやるぞ」

 俺の言葉にこちらを見ることもなくユアンは首を振った。

「いいんだ、一度きりでも。その方が特別って感じがするし」

 なんだか言い聞かせているような色を乗せたその声に、足が止まる。

「そんな寂しいこと言うなって」
「ええ、リトちゃん俺と手繋げないと寂しいの?」
「うん、まぁ……寂しいっちゃ寂しいかも」
「何それぇ」

 うそぉ、何それぇ、とこちらをチラチラ横目で見ながらもすごく嬉しそうだ。さっより激しく尻尾が揺れてて、思わず吹き出してしまった。
 悠長な会話をしているうちに、来たことがある景色に笑みが深くなる。ロイスお気に入りの湖だ。

「ここ、前にロイスに連れてきてもらったんだ」
「うん、知ってるよぉ。その時も俺が護衛してたからね」
「え、あの時ユアンもいたのか?全然気づかなかったな……」
「俺は気配を消すのがうまいからね。俺が本気で気配を消せばロイスやオーランドも気づけないよ」
「へえ、ユアンすごいんだなぁ」
「でしょでしょ!でもレオンハルトはダメだねぇ。すぐ気づくんだもん。さすが俺の親友」

 親友という言葉に目を丸くする。

「ユアンとレオンハルトってそんなに仲良いのか」
「うん、ロイスに拾われた時期も年齢も同じくらいだったしねぇ」
「拾われたって……そういえば、ユアンって何歳なんだ?」
「さぁ、詳しい年齢はわからない。ここに来た頃はまだ幼体だったってだけ。それに獣人は人間より寿命が長いからねぇ」

 また新事実だ。そうか、種族によって寿命も違うのか。

「獣人の寿命ってどれくらいなんだ?」
「えっとねぇ、だいだい二百歳くらいかな」

 に、二百歳?そんなに長生きするのか。そうか……。現実離れしたその事実に何故か呆然としてしまう。この恐怖にも似た感情はいったいなんだろう?

「そんな顔しないでぇ」

 そんな顔?俺、今どんな顔してるんだろう。

「ほら、そんな泣きそうな顔しないでよぉ。俺まで悲しくなってきちゃう」

 ユアンの透き通る緑色の瞳に、今は情けない俺の顔が映っている。なんでこんな気持ちになるんだろう。だって、俺たち人間の平均寿命はせいぜい八十歳前後だ。俺たちがいなくなった後は?ユアンは一人ぼっちになるのか?
 ユアンが困ってる。何か言わなきゃと口を開くけど言葉が出てこない。その空気を変えるように、ユアンが遠くを見つめて呟いた。

「あ、あいつら寝ぐらから出てきちゃった」
「……え?」

 詳しく聞く前にふわりと体が浮く。ユアンが俺を横抱きにして、すごい速さで走りはじめた。

「ごめんねぇ、ここからまだ距離があるから、ちょっと急ぐね」

 びゅんびゅんと景色が変わっていく。目を白黒させながら舌を噛まないように口を閉じてユアンにしがみつくことしか出来なかった。
 しばらくしてユアンが立ち止まって俺をおろす。見回すとさっきまで俺たちがいた湖の反対側まで来たみたいだ。すごい早いな。

「あ、こっちだよぉ」

 ユアンが俺の手を引いてぐんぐんスピードをあげる。最後はほとんど走りながら辿り着いた場所にはなんと三匹のわんこがいた。

「なっ!なんだこのもふもふパラダイスはっ!」

 実にけしからん光景が広がっている。ユアンにじゃれついているのは、ころころと丸い茶色と灰色の三匹の狼たちだ。

「可愛いぃぃぃ」
「ふふ、ほらお前たち、リトちゃんだよぉ」

 ユアンに促されて、狼たちがこちらに来る。わふわふと囲まれて匂いを嗅がれるけど、どうしよう可愛すぎて今すぐにでもモフモフしたい。
 撫でまわしたい欲をぐっと我慢して狼たちが満足するまで匂いを嗅いでもらう。俺が敵じゃないとわかってくれたのか、尻尾を振りながら体を擦り付けて撫でてアピールをしてくれる。背中を優しく撫でると、柔らかい毛とむっちりとした筋肉の感触が手に伝わってきて、手から幸せがあふれてくるようだ。もう俺ここに住む。

「こいつらは人型になれない獣人だよ。体が弱くて知能もすごく低いから、野生では生き延びられない。だからここで暮らしてるんだぁ」
「そうなのか……」

 三匹の狼たちを見る。ユアンみたいに大きくもなく、その行動は赤ちゃん犬みたいだ。ころころと歩き回り、ときどきこてんと転んでしまう。警戒心が薄いようで、俺にもすぐに懐いてくれたのは嬉しいけど……なるほど、これではすぐに他の肉食動物に捕食されてしまいそうだ。同じ獣人でもユアンとはずいぶん違うんだな。

「獣人はね、人間が作ったんだよ。血族交配をしすぎて、もうほとんどこいつらみたいな獣人しか生まれなくなった」

 たぶん俺たちが最後の獣人になるだろうけどね、とユアンはなんてことないみたいに語る。

「ロイスがねぇ、ここでこいつらと暮らすことを許してくれたんだ。屋敷の中より、広い森の中で駆け回った方が幸せだろうって」
「そっか、ロイスが」

 ロイスはいつも誰かを助けてるな。優しくて頼りになって、自分の夫になる人を尊敬できるって幸せなことだよな。

「ユアンが面倒見てるのか?」
「うん、まあねぇ」

 三匹を見つめるユアンの視線は柔らかい。そんなユアンを、俺は静かに眺めた。
 きっと何か事情があるんだろうけど、俺の問いかけるような視線に気づいても肩をすくめて「ま、そんな感じぃ」と言うばかりだ。これ以上話してくれる気はないみたいで、だから俺も代わりの言葉を口にした。

「……この子たちの名前は?」
「茶色のがソロとジオ、灰色のがユウシャだ」

 ソロとジオはわかるけど、ユウシャってなんだ?勇者か?

「俺もよくは知らないよ。なんかの物語に出てくる人物の名前なんだって」
「ユアンがつけたんじゃないのか?」
「うん、一緒に施設で育った奴がつけたんだ。こいつらの名前も、俺の名前も、そいつがつけてくれたぁ」

 懐かしそうに目を細めどこか遠くを見つめる瞳には、確かな悲しみが揺れている。その悲しみの意味を、いつか話してくれる日は来るだろうか。
 座り込んだ俺の手にふすふすと顔を押し付けてきたユウシャが、ころんと仰向けになって丸く太ったお腹を見せてくれる。わしゃわしゃと撫でてやると、脱力した両足の間から尻尾がゆらゆら揺れてなんとも可愛い。

「こいつらもリトちゃん好きみたい。良かったらまた来てあげて」
「いいのか?いっぱい来てもいいか?」
「ふふ、うん。その時は俺が連れてきてあげる。レオンハルトがまた赤ちゃんみたいになっちゃうかもぉ」

 その姿を想像して吹き出した。またひっつき虫みたいに離れなくなるかもな。

「じゃあレオンハルトも連れてこよう」
「レオンハルトね、いつもこっそりこいつらに会いにきてるよ。残った匂いでわかるのに絶対認めないんだ」
「ふふっ、そうなんだ」
「うん、ロイスとかセバスチャンもおやつ持ってくるから、こいつら最近太り気味ぃ」

 ぷっと笑いがもれる。みんなで可愛がってるんだな。

「俺ももっと早く会いたかったなぁ」
「最初は俺と一緒じゃないと、怖がって隠れちゃうから」
「そっか、ユアンと会えたのも最近だもんな」
「番フェロモンがリトちゃんにどう影響するのかわからなかったからねぇ、離れて護衛してたんだよ」
「その番フェロモンて今も影響してるのか?」
「たぶん……俺もよくわからないけど。リトちゃん何か感じない?」

 ときどきユアンから甘い匂いがして、その匂いがすると妙にそわそわした気分にはなるけど。それが番フェロモンてやつだろうか。

「よくわからない」

 俺もユアンと同じような顔で首を傾げて、そしたらそれを見ていた三匹も真似して首を傾げるものだから思わず吹き出してしまった。

「ソロ、ジオ、ユウシャ、また来るからな」

 あまり遅くなるのはよくないってユアンに叱られて、めちゃくちゃ名残惜しく三匹とお別れした。こてこてと歩きながらしばらく後をついてきてたけど、ユアンが狼っぽく一声かけると寝ぐらに戻っていった。ああ、連れて帰りたいくらいすでに三匹が恋しい。胸が痛くなるけど、ロイスが言った通りこの子たちはここでのびのび暮らす方が幸せだろう。

「ここは安全なのか?」

 それだけが気になってユアンに聞くと、寝ぐら周辺はユアンの匂いをつけてるから野生動物は近づかないのだそう。自分より強い動物の気配には敏感なんだそうだ。

「あいつらも寝ぐらを出ることはないから、大丈夫だよぉ」

 それに、と付け加える。

「ここには騎士団の奴らもよく来てくれて、常に人の気配があるから」

 そうだったのか。そうやって今までも屋敷の皆で守ってたんだと思うと胸がじんわり温かくなった。ここは本当に優しい人しかいないんだ。




 夜、部屋でロイスを待ちながらも俺はドギマギしていた。この流れだと、ロイスともその、アレをするのかなって。言葉にするのも憚られるようなエッチなあんなことやこんなことを……。
 なんかいつもされてばかりだから、俺もしてみたい。そう言ってみようかなって考えてるうちに、ロイスが部屋へ入ってきた。

「リト?もう寝てるのか?」
「お、起きてる」

 さっきまでエッチなことを考えていたのが恥ずかしくて、布団に包まってしまった俺を布団ごと抱きしめてくれる。振り返ると、濡れ髪でガウンを羽織っただけの超絶色っぽい美丈夫がそこにいた。え、無理。かっこよすぎる。

「リト、こちらを向いてくれないか」

 低い声で囁かれて、ぎゅっと目を閉じて体ごと振り向く。くすりと笑ったロイスが、手の甲で頬を撫でた。

「今日はあの子達に会いに行ったんだろ?」
「あ、うん、そう!めちゃくちゃ可愛かった!なにあれ!」

 思わず布団から出て感動を伝えようと話しだすと、こちらを見つめる優しい青色の瞳と目が合う。

「リトはそう言うと思っていた。ユアンもだが、あの子達は……獣人は差別の対象だからどこにも行き場がないんだ。これからはリトがたくさん可愛がってあげてくれ」
「え、獣人って差別の対象なのか?なんで?」

 ロイスの説明によれば、この世界で獣人は人間として扱われることはなく差別や迫害の対象なんだそうだ。でも獣人って人間が作り出した生き物なんだろ?自分達が作ったくせに勝手な話だと怒りが湧いてきて思わず涙が出てきた。

「リト、リトのように心を痛めてくれる存在がいるだけで救われる。ありがとう」

 何でロイスがお礼を言うんだよ。首を振ると、涙を吸うように瞼にキスをされる。

「俺、いっぱい可愛がる」
「ああ」

 二人で見つめ合って、どちらからともなく唇を重ねた。熱い唇の体温がすごく愛おしかった。

「あ、あのさ、ロイス……」

 言い淀むけど、目で言葉の続きを促されて一気に言ってみる。

「あのさ、お、俺がしてみたいんだけど、いい?」
「する?何を?」

 ハテナマークを飛ばすロイスに抱きついてみる。ようやく俺の意図がわかったのか、ロイスの体が硬直した。

「私は何もするつもりはなかったのだが……」
「え?」

 何もする気がなかった?え、俺だけその気になってたの?は、恥ずかしい!顔を真っ赤にしてふたたび布団の中に隠れた。恥ずかしすぎる。もうイヤだ、このまま寝てしまいたい。
 慌てたようにロイスが布団を剥ぎ取ってしまう。

「すまない。もちろんリトとそういうことをしたい気持ちはあるが、その……昨夜もオーランドと色々したのだろう?疲れていないか?」
「ぎゃっ!」

 オーランドと色々したなんて言われて冷静でいられるはずがない。

「つ、疲れてない。それに別にオーランドとは……」

 何もしていないとはさすがに言えなくて口をもごもごさせてしまう。頷いたロイスがキスをしてくれて、舌を絡められる深いものになっていく。

「あ、待って!俺がしたい」

 このままそういう流れになりそうだったから、慌てて顔を離した。

「リトが?」

 面白そうな顔をしたロイスが、悪戯を思いついた子供みたいに笑って言った。

「では、お任せしようかな?」

 ごくりと唾を飲み込み、ロイスのガウンに手をかけたところで止まってしまった。はて……そういえば俺、男同士でのやり方知らない。ふんわりとした知識はあるが、レオンハルトやオーランドみたいに上手にできる気がしないぞ。今こそスマホが欲しいと強く願った。

 いや、ここは男として引きかえすわけにはいかん!いざ、尋常に勝負!とふんっとガウンを左右にはだけさせたのだった。
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