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レオンハルト side

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 執務室では団長が厳しい顔つきで出迎えた。ソファには殿下もいる。殿下も来ることは予想していたから扉の前で立って挨拶だけしておいた。
 セバスチャンと今後の予定を確認していたようで、説明が欲しくて言い募ろうとする前に少し待ってくれと制された。

「団長」
「ああ、落ち着け。ちゃんと説明するが、まずはセバスチャン、皆に紅茶を」
「承知いたしました」

 もう用意されていたのかすぐさま紅茶が出てくる。手をつける気になれなくて、父が、と私から口を開く。

「また暗殺者を送り込んできたんですか」
「ああ、昨夜ユアンが気配に気づき応戦して、頭と思われる男は生きたまま捕らえている。尋問は済んでいるが、聞き出せたことはあまり多くない」
「……尋問がたりないのでは?」

 後ろ暗いところしかないような奴が簡単に口を割るとは思えない。暗にぬるい尋問をしたのではと疑っている私の疑問には代わりに殿下が答えた。

「王宮にいるその手の専門家を呼んで尋問した」

 その手の専門家とは、つまり拷問官のことか。であれば、その男はもう生きてないかもしれないな。

「私も立ち会ったけど、どうやら詳しい事情は知らされずに依頼されたようだよ。接触してきたのはデヴァリオン伯爵家の使用人の中でも下っ端の男で、調べたら行方不明になっていた。おそらくすでに始末されているだろうね」

 よくよく確認したから間違いないよ、と微笑むその顔は穏やかそうに見えるが、瞳の奥には強い怒りが見え隠れしている。
 この短時間でそこまで調べ上げたとは、殿下の狂気すら感じる統率力に心底恐ろしいと感じた。

「その男は何と言っていたのですか?」
「狙いは落ち人であったと。それから……依頼人には落ち人を陵辱してから殺せと言われたそうだよ」

 瞬間ぶわりと殺気が部屋に充満する。自分でも止めることができない怒りで目の前が真っ赤に染まった。

「レオンハルト、気持ちはわかるけどそれは抑えてくれる?」

 私から漏れ出す黒い霧が行き先を探すように漂っていた。

「暗殺集団は総勢で50名ほどだった。その中には獣人もいたそうだ」
「傭兵崩れの破落戸集団といったところかな。ユアンの傷はどう?」

 問いかけられて、ぼんやりと殿下や団長の顔を見る。二人も怒りを抑えて話しているのがわかる。少し冷静になって口を開いた。

「傷は問題ないかと思います。リトにひっついて鬱陶しいくらいでした」

 くすりと殿下が小さく笑った。

「獣人の番フェロモンの影響は?」
「今のところなさそうでした」
「そう……それを心配していたのに会わせたのはどうして?」

 殿下は私にではなく団長に問いかけていた。それは私も気になっていたことだ。セバスチャンにリトとユアンを引き合わせるようにと耳打ちされた時は躊躇したが、それが団長命令だと聞いたから従ったのだ。

「今回送り込まれた暗殺者集団の中には獣人もいたと話したが……遺体を調べた団員によるとその獣人はあの施設出身だろうとのことだった」
「ああ…なるほど。ユアンは腕の立つ子なのに負傷したと聞いて疑問に思っていたんだよね」

 あの施設の出身ということは、ユアンの知り合いだったのか。

「西の森に入った瞬間からものすごい殺気を感じていたが、ユアンを見つけた時は肝が冷えた。あの姿は……自分をも壊しかねない危うさがあった」
「だからリトに会わせたの?」
「今のユアンには番の存在が必要だと判断した。独断ですまない」
「そう、それならいいよ」

 団長も殿下もユアンに甘くないだろうか、と感じるが、その甘さは普段自分自身にも向けられているものだけに居心地が悪くなる。この二人は、どうやら自分達を私やユアンの保護者のように感じている節があるのだ。

「これからのことは少し考えさせて。なかなか尻尾を掴ませないのがデヴァリオン伯爵の遣り口だからね。不用意に動けば足元を掬われかねない……今は無理をするより種を蒔きたいんだ」

 殿下の言葉に頷くことしかできない。
 自分の生物学上の父親ではあるが、あの男には何の感情も抱いていない。報復できるものならそうしたいが、勝手に動けば殿下は私を許さないだろう。

「解決するまでは、できるだけ我々の誰かがリトの側についていた方がいいね。夜は交代でリトを守ろうか……婚約式も早めよう」

 婚約式と聞いて、怒りに染まっていた心がふわりと浮き足立つ。そっと胸元に手をやる。そこに仕舞われたお守りの栞を触ると、少しだけ落ち着いてきた。

「とこでレオンハルト、デヴァリオン伯爵になる気はある?」

 突然の殿下の言葉に息を飲んだ。隣で団長も頷いている。

「……特に興味はありませんが、それがリトを守ることに繋がるのであれば何でもします」
「そう、わかった」

 それだけ頷くと、あとは何も言われなかった。
 きっと殿下の中にはすでに図式が完成しており、あとは機を待つだけなのだろう。そう感じたから、私も聞き返すことはしなかった。
 あの男の家督を継ぐことには興味もなかったし不満もあるが、高い地位があればリトの為にできる事も増えるかもしれない。母様を利用して捨てたあの男に復讐心がないと言えば嘘になるが、母様はそんなこと望まないだろうと今まで大人しくしていたのだ。
 リトを狙うなら、私はあの男を絶対に逃しはしない。

「今夜は色々と詰めたいこともあるから、一度王宮に戻るよ。レオンハルト、リトを頼むよ」
「はい」
「ロイス、騎士団員を数人借りていくけどいい?」
「ああ、わかった」

 殿下が指名した団員は潜入に長けた者達だ。何か考えがあるのだろう。

 私は執務室を後にして、リトを迎えに行く。窓の外はすっかり暗くなってしまった。

 ユアンの部屋へ行くと、リトがユアンのベッドで寝ていた。隣でじっと寝顔を眺めていたユアンを睨みつける。

「あ、何もしてないよぉ。それにこの姿は見せてない。リトちゃんが寝ちゃったから、運ぶのに獣型じゃ不便でしょ」
「リトを部屋へ連れていきます」
「わかったぁ」

 名残惜しそうにユアンがリトの頬を撫でる。その仕草には狂おしいほどの愛情が感じ取れた。
 それを見て思わず「ユアンは」と言ってしまう。だが喉元まで出かかったその言葉を、息を吸うのと一緒に飲み込んだ。

「なぁに?」

 くすくすと笑うユアンが、感情を抑える訓練を受けた者特有の瞳をこちらに向ける。何の感情も映さない暗い瞳だ。まるでもう一人の自分に問いかけるように、ずっと気になっていたことを言葉にした。

「ユアンはいいのですか?」

 ユアンの笑い声が止まる。見上げてくるその瞳は、先程とは違い驚きに見開いている。やっと感情の見えたその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

「獣人にとって番は特別な存在だと聞きます」

 なのにお前はそれでいいのか?ずっと遠くから見つめるだけで本当に満足なのか。
 ユアンは赤い髪をがしがしと掻いて、はっと息を吐き出した。

「やっぱりレオンハルトは変わったねぇ」

 その声には明らかな憧憬が滲んでいる。

「リトちゃんのおかげかな。優しくなったね……まぁ、元々優しかったけど」
「…………」
「俺はいいんだぁ」

 ユアンは再びリトを見つめて、だけどもう触れようとはしなかった。そっと伸ばされた手が行き場をなくして彷徨い、やがてぱたりと落ちた。

「俺はこれでいいんだよ」
「…………」

 いつも通りの腑抜けたその顔を見るともなしに見る。ん?と首を傾げたとぼけた表情に眉をしかめる。
 どういう答えを期待していたのか自分でもわからない。

 リトを抱き上げて部屋を出ようと歩き出した足が止まる。思わず振り返ってしまったが、言葉に詰まる。私は何を言おうとしている?
 仕方なく「暗殺者の」と言葉を投げかけた。

「暗殺者の一人は獣人だと聞きました」
「あぁ、うん」

 なんてことないと言うかのようにユアンは窓の外をぼうと眺めながら頷く。
 ユアンは特殊な施設で生まれ育った。その獣人はその施設の仲間だったのか、と聞きかけてやめた。どう聞けばいいのかわからなかったからだ。

「レオンハルト」
「はい」
「俺は大丈夫だよ」

 妙に勘のいいユアンがまるで問いに答えるかのように呟く。誤魔化すような適当さはなく、本心であると真摯な響きが言っていた。

「心配してくれてありがとう」
「……別に心配などしていません」

 そっかぁ、という声を背中に聞きながら、今度はもう振り返ることなく部屋を出た。

 リトにユアンを選んで欲しいわけではない。リトに夢中な男がこれ以上増えるのも嫌だ。
 だが、遠くから見ているだけでいいとどうやら本気で思っているらしいあいつの、泣きそうに歪んだ笑みを思い出す。その姿はどこか自分と重なり、心が重くなった。

「別に友人などと思っているわけではないのですが」

 誰に聞かれたわけでもないのに言い訳じみた言葉を独りごちて、少し居心地が悪くなる。

 リトをベットに横たえて、隣に潜り込むとリトの石鹸のような匂いがした。心がふわりと温かくなり、それからどうしようもない愛おしさが溢れる。このまま少しだけここにいてもいいだろうか。明け方リトが目覚める前に部屋を出れば気づかれないだろうか。抱きしめて、そっと口付けをする。んん、と寝苦しそうに身じろぎをして、眉間に皺が入る。その皺すら愛おしく、指で擦ると消えてしまった。

「ふふ」

 可愛い。
 そうだ、リトはこれでいい。このまま何も知らずに穏やかに過ごしてほしい。
 その思いが、まさか翌日リトを泣かせてしまうとも知らずに、眠れない長い夜は更けていった。
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