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番外編2

渚の家庭内恋煩い1

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 人間、とくに日本人は、結婚して子供が生まれてお父さんお母さんになると、ほとんどの人が二度と恋人同士みたいな関係に戻れなくなるって――本当なんだろうか。
 俺は今でも湊のことを死ぬほど好きなのに。
 もし湊が結婚してから俺のこと、ただの犬みたいに思ってたら……俺、どうしたらいいんだろう。
 ――仕事の合間に昼飯を食べに行ったラーメン屋のカウンターでそんな事を弟に相談したら、呆れ顔で説教された。
「渚兄さん。人前でそんな事を話すと人間に変な顔されるよ。大体、そんな話どこで聞いたんだ」
 隣に座る弟が、湯気で曇った眼鏡をこちらに向ける。
 俺とよく似た顔で短い金髪を七三分けにした彼は、うちの会社の経理部長で俺の真面目な方の弟、成明《なりあき》だ。
 従姉妹と結婚していて、獣人族のスタンダードみたいな生き方を全うしている彼は三つ子の兄の俺や直人と違って、クールな性格をしている。
「……大学時代に、一般教養の人間文化学の授業で、先生が雑談で話してた」
「ずいぶん昔だな。今更何でそんなこと思い出したんだ。夫婦喧嘩でもしたの?」
「いや全然。すごく仲いいよ。毎晩寝る前にナデナデしながらブラッシングしてくれるし」
「……。幸せなのはよく分かったから、ラーメン伸びないうちに早く食べなよ」
「はい……」
 俺は割り箸を縦に割り、目の前で湯気を立てる味噌ラーメンをすすり始めた。
 別に惚気とかじゃなく、真剣に相談したかったんだけどなあ。ちょっと相手を間違えたかもしれない。
 昔からこの弟はこんな感じでちょっとつれないんだ。
 でも、本当に冷たい訳じゃなくて、俺や直人が人間の伴侶を選んだ時も、心から祝福してくれたいい奴だ。
「それにしても渚兄さんが元気になってくれて本当に良かったよ。直人兄さんは営業は得意だけど、開発企画部って柄じゃないからね。渚兄さんの代わりをやれって言われた時、本当に死にそうな顔してたんだよ」
「……それは今でも、悪かったと思ってるよ……」
 反省を込めて言葉を返す。
 そう、俺は去年、婚活で出会った人に恋煩《こいわずら》いしてしまったことをきっかけに、心身を崩してしまったのだ。
 数ヶ月休職していたその間、同じ会社を支えるほかの兄弟や親類にはかなりの迷惑をかけてしまった。
 心の状態がストレートに身体に出やすい獣人社会では、結構よくある話ではあるんだけど……。
 そのあと紆余曲折あって今は、俺は大好きな人と無事につがいになり、結婚して一緒に暮らしている。
 相手は普段働いてる人なんだけど、今は育児休暇中だから、俺の……お嫁さん、みたいな感じで家にいるんだ。
 箸の先で好物のシナチクを拾いながら、気がつくと俺はボンヤリと、愛の巣で待ってる愛しい人の事を考え始めていた。
 今頃何してるのかなあ。この時間だと、子供たちにご飯食べさせてるかな。
 今日の夕飯、何だろう。
 子供いると買い物も作るのも大変だよね。
 疲れた顔してたから、土日は俺が三食作って、少し休んでもらわないとな。
 あぁ、湊に会いたいな……じゃれて、それで色んな場所を舐めたい。こっそり、やらしいところも。
 明日は土曜日だから、一日中一緒に居られる。
 それで……出来れば、
「兄さん。尻尾が出てる」
 弟に注意されてハッとした。背もたれのない椅子なものだから、自分が尻尾出してバタバタ振ってしまっていたことに気付かなかった。今は人間の姿なのに――。
「……まさか仕事中もそんな調子なのか?」
「いや、今は昼休みだから気を抜いただけだよ」
 慌てて尻尾を引っ込め、必死で言い訳した。
「それならいいけど」
 成明が眼鏡の奥からギラッと睨んでくる。
 ……バレてるな。
 そう、一生懸命平常心を保とうとはしてるけど、実は最近、仕事中も湊のこと考えてしまっている時がある。
 会議の時なんかについボンヤリしてしまったり……。
 原因は薄々分かってるんだ。
 以前何も手に付かなくなっていた頃と精神状態が似ている。
 もちろん、あの時程酷くはないけど。
 去年は人間になる方法すら分からなくなってしまって、仕事が全く出来なくなった。
 今はそこまでじゃないよ、――だけど。
 結婚したのに……子供までいて、一緒に住んでるのに、おかしいとは思うけど、実は俺……今でも俺のつがいに……湊に、恋煩い中なんだ。


「ただいま」
 夜の7時半、マンションのドアをガチャリと開けた途端に、淡い金色の毛玉が二つワッと俺に飛び掛かってくる。
 ワンワンと可愛い鳴き声を上げて歓迎してくれたのは俺の命よりも大事な子供たち、岬《みさき》と航《わたる》。
 もうすぐ1歳でヤンチャ盛り。ムクムクした太い脚と垂れ耳、黒い瞳をした、見た目はゴールデンレトリバーの子犬そのものの、獣人ハーフだ。
 二人は玄関のタタキの上をグルグル走って跳びはねて、早く遊んで遊んで!と訴えてくる。
 余りの可愛さにキューンとなってしまい、俺はネクタイを解き、スーツのジャケットを脱ぎ捨ててあっという間に獣身になった。
 獣の姿で服の山から飛び出し、体当たりしてくる二人を愛情を込めてペロペロ激しく舐める。
 すると、
「こら! ちゃんと中に入ってからスーツ脱がないと、汚れるし皺になるだろー!?」
 背後からやっぱり叱られた。
 声を上げたのは、子供たち二人を産んでくれた俺の大事なひと、犬塚湊。
 5歳年上の男性オメガのつがいで、この前の初夏に結婚したばかりの……世界一美人で色っぽい、俺の運命のひとだ。
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