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婚活卒業しました

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   ーー子供の頃から夢に見た子犬との生活は、想像以上に大変だった。
 純粋に犬って訳でもないもんだから、とにかくどこにも育児マニュアルがねぇんだ。ミルクのやり方や配合も離乳も、一々獣人医に相談するしかなくてな。
 出産で消耗し切った身体に睡眠不足が重なって、いっときノイローゼにもなった。
 救いは発情期が全く来なくなったことぐらいだ。
 どうも子供に乳やってる間は子育てに専念するように身体が出来てるらしい。
 そういや、自分の体から母乳的なもんが出た時はすごい衝撃を受けた。胸真っ平らで殆ど出ねぇし、双子には全然足りねぇからほぼミルクだけど。
 俺の乳首はこのためにあったのか!?て34年目にして驚愕したわ。
 時々噛みちぎられそうになるのが難点。
 そんな感じで身体面は驚愕と困惑と苦痛の連続だったが、普通に犬飼う時と違って産休の間は給料出るし、育児休暇中も給付金が出るし、金銭的な面は本当に助かった。
 そうそう、それに、孫が出来ると知ったお袋が、すっかり元気な婆さんになっちまったのも嬉しい誤算だった。
 以前はしょっちゅう色んな所悪くして病院通いしてたのに、人間の「気の持ちよう」ってやつは凄いもんだ。
 引っ越して環境変わったのも良かったのかもしれない。
 新しい住まいは浦安で、いつか犬塚さんとフリスビーした葛東臨海公園駅までは自転車で行ける距離なんだ。
 場所としては前よりかはちょっとばかり不便だけど、通勤時間はそんなに変わらねぇし、伸び伸び運動させてやれるからここで良かったなって思う。
 何より、新築の賃貸マンションだし。

「岬《みさき》、航《わたる》、公園行くぞー」
 ーー前の家よりもちょっとだけ広い、綺麗な玄関から声を掛けると、いつか見た犬塚さんの小さい頃にそっくりな子犬が二匹、ピョコピョコ嬉しそうに尻尾振って廊下に出て来る。
 俺は毛玉みたいにムクムクした二人を右腕と左腕に抱っこして、いつものようにエレベーターに乗り、マンションの自転車置き場に降りて行った。
 荷台に固定したキャリーケースに二人を入れて、前かごには弁当とフリスビーの入ったリュックを置き、午前中のうららかな日差しを浴び、公園に向かってのんびり自転車を漕ぎだす。
 育児は大変だけど、最近は少し楽しむ余裕も出てきた。
 来月の保育園の申し込みは落ちたけど、そのうち当たれば働き出すから、こんなにゆったり暮らせるのはきっと休暇中の今だけだろうな。
 婚活してる間ずっと心の中に焦りがあったけど、子供産んだら俺の人生までリセットされたみたいになって、今は始まったばっかりの旅路に立っているような、そんな清々しさを感じる。
 ある意味では、本当にそうなのかもしれねぇな。
 俺が自分の希望を誰にも相談することなく無理矢理押し通してしまったのは、この子達を産んだことで初めてだった。
 それが正しかったのかは分からない。
 いや、人生の選択に正しいも間違いも無いか……。
 ーー駅前の駐輪場に着くと、俺は子供達に首輪とリードを付けて地面に降ろした。
 犬みたいにするのは気が引けるけど、まだ道理がわかんねぇから、命を守るためでもある。
 獣人の小さい子は仕方がないんだと獣人医が教えてくれた。
 それに、俺1人で2人を守るには、リードでもないと大変な事になるからな。
 そんな事情による「昼間っから犬散歩させてる怪しいオッサン」スタイルなんだけどーーこれが、しょっちゅう声掛けられるんだ。「可愛いワンちゃんですねぇ」って。
 そしてやっぱり今日も、公園の入り口に入った途端、通りすがりの老婦人に声をかけられた。
「あら、可愛いワンちゃんだこと」
 いつもの事で、俺はニコッと笑って、それでも毅然と否定する。
「いえ、違うんですよ。この子達、俺が産んだ実の子供なんです。獣人ですけど」
 そうやって返すとまあ、大抵変な目で見られるよな。
 声掛けてくれた老婦人にもキョトンとされたけど、今の俺は全然平気だ。
 婦人を追い越して、いつかフリスビーをした芝生へ出る道よりも、少し手前で俺は右に曲がった。
 見事な桜並木が並ぶ通りがそこにあるんだ。休日になって花見の見物客で混み出す前に、ゆっくり見ておきたかった。
 気温が上がってきたからそろそろ開花だろうと目論んでいたら、やっぱり見事なくらいに桜は満開だった。
 薄紅色の花が無数に海風に揺れ、俺たちを歓迎する。
 子供達はすっかりはしゃいで、リードを引っ張りまくって先へ行こうとし始めた。
「こらこら。後で走らせてやるから」
 注意しながら、まるで夢を見ているような気持ちで視線を上げる。
 はらはらと落ちる花弁が美しい散歩道は、平日の午前中のせいか怖いほど人が居なくて、凄く贅沢な気分だ。
 俺はもう1人じゃなくて、本当に幸せで、満ち足りていた。……今までの人生では考えられなかったくらいに。
 だけど、思い出す。ーー犬塚さんのこと。
 もしも、普通に結婚してたら……って思う。
 でも、こんな勝手な事しといて……そんな妄想するのも申し訳ないよな。
 ちょっとばかり切なくなってたら、並木道の向こう側から犬の吠える声が聞こえてきた。
 向こうから俺とおんなじように、リードを引いて歩いて来る人の姿がちらっと見える。
 しかも、連れてる犬種はゴールデンレトリバーみたいだ。うちのよりかは全然デカいけど、まだ子犬みたいで、成犬程の大きさはない。
 無意識に視線を奪われていると、その犬が空気の匂いを嗅いでこっちに気付き、飼い主さんを振り切ったのか、一気にこっちに向かって駆けてきた。
 おっと、異様にフレンドリーだな!?
 以前犬を犬塚さんと勘違いした時のこと思い出すなぁ、あの勢い。
 でもちょっと怖かったので、警戒して俺は一瞬しゃがみ、子供2人を胸の中に抱きかかえた。
 向こうから走ってきた方の子犬は、金色の毛をなびかせてあっという間に足元にやってくると、尻尾を振りながらピョンピョンと俺の周りで飛び跳ねる。
 うーん、なんだかこの犬見覚えがある気がする。
 顔がちょっと凛々しくて……。あの、橋の上で会った犬?
 でも、あれは成犬だったしなぁ。
 首を傾げながら記憶の棚を漁っている内に、飼い主さんが走ってきた。
「すみませーん!」
 相手は腰までありそうなフワフワした金髪を高い位置で二つ結びにした、目の覚めるような美少女だ。
 巨乳を強調した肩出しニットに、ミニスカートから伸びる長い脚が眩しくて、肌が陶磁器のように白い……。
 こっちのインパクト大の女の子の方がもっと見覚えあるぞ、と気づいた途端、俺は心底驚いて固まった。
 相手もこちらを目の前にしてしばらく考え込み、突如として俺を思い出したらしく、真っ青になる。
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