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婚活再開しました

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「フギャッ! やめろ、濡れた手で髪を掴むな! ゾワッとする!」
 上がった金切り声で、スタッフの人が受付から駆けつけて来る。
「お客様! トラブルですか!? 乱暴は困ります!」
「いえ、このヒトに偶然水がかかってしまって」
 しれっと犬塚さんが隣を見た。
 猫井は半狂乱になって床にうずくまり、モフモフの猫顔になって身体についた水をしきりに舌で拭っている。
「フーッ、俺の毛並が汚れた……! もう嫌だ、もう何もかも嫌んなった! 俺はウチに帰る……っ」
 自分の身体が濡れるのが極端に嫌なのか、俺のことも、自分を濡らした犯人の犬塚さんの事すらも眼中に入ってない感じだ。
 猫、濡れんの嫌いだもんな……。
 てかこの人、毎日風呂とか一体どうしてんだろう……。
 犬塚さんは平然とスタッフの人にグラスを渡して返すと、俺の腕を掴んで言い放った。
「不注意とは言えすっかりご迷惑を掛けてしまったので、俺とこの人は、申し訳ありませんが途中退席します」
 えっ。途中退席……俺と!?
 驚きすぎて声も出ない。
 慌てるスタッフの人たちを尻目に、猫井の呼んだエレベーターに犬塚さんが身を翻し、俺の身体も一緒に中に引きずり込まれた。
 後ろで扉が閉まった後も、ドッドッと早まる心臓の鼓動が鳴り止まない。
 その内に、目の前の彼がはーっと大きな溜息をつき、顔を隠すように両手で額を抑えて俯いた。
「信じられない……。あんな人前で、恥ずかしげもなくフェロモンでアルファを誘うなんて……」
 その言葉の意味がすぐには腑に落ちなかったけど、エレベーターが下がっていく内に意味が分かり、身体中から血の気が引いた。
 ーー俺があいつを、わざと、フェロモンで誘ったと……思われてる……!?
 胸の奥底に初めて、相手に対するこらえようの無い激しい感情が沸々と生まれた。
 俺のフェロモンがどうやっても止まんねぇの、誰のせいだよ…!
 全部全部、アンタのせいなのに……!!
「悪いかよ……身体がしたがるんだから、しょうがねぇだろ……!」
 俺は狭いエレベーターの中でダンと壁を叩き、犬塚さんに正面から迫った。
 スーツの首元のネクタイを掴み、精一杯睨みつける。
 身長差があるから全然凄めてねぇけど……。
「何しろ俺はいい加減なオメガだからさ……! フェロモンでしかマトモに相手してもらえねーんだよ。今度は別に犬塚さん誘った訳じゃねえだろ!?」
 一度終わったもんに、更に引導を渡すような言葉がベラベラと俺の口から溢れ出る。
「それとも何? ……また犬塚さんが相手してくれんの?」
 逆ギレもいいとこだ。発情と怒り、両方で理性が全部吹っ飛んでる。
 そんな俺の視線を、真っ直ぐな瞳が受け止めた。
「そうやって俺をまた、あなたの慰めに利用するんですか?」
 そんな風に返されて、大声で泣いてしまいたい気分になった。アンタが好きなだけなのにって。
 けど、俺にそんな資格はねぇから、必死で堪えて首を振る。
「しねぇよ……っ。もう二度と関わらねぇって言っただろ……。冗談だよ……」
 やっとそれだけ言って、結び目の伸びたネクタイを離した。
 後ろでエレベーターの扉が開く。
 黙って先に外に出ながら、俺、BLネットを退会しよう、と思った。
 ここで別れた後、もう二度と……余りにも好きすぎる、この人に会わないように。
 でも、最後に……ちゃんと、覚えておきたい。
 大人になってから初めて、切ないぐらい好きになれた人の顔を……。
 ドアの外から振り向いてじっと目を合わせる。
 じゃあなと、別れを告げようとした時だった。
「いいですよ。あなたにちゃんとした相手が見つかるまで、あなたと遊ぶ、犬になってあげます。今度は、俺の意志で」
 中から出て来た彼に手首を掴まれてそんな風に声を掛けられ、ただただ驚いた。
 この人、何言ってんだろう。
 腕を無意識にもぎはなそうとするけど、固く握られた指が俺を離さない。
「俺もあなたと離れてから一度も婚活うまくいってないし、あなたの体、良かったから俺も楽しめますし。でもその代わり、もう獣人を弄ぶのはやめて下さい」
 怒ってるような焦ってるような、紅潮した彼の顔をじっと見つめる。
 喉から、引き攣ったみたいな笑いが漏れた。
「何、犬塚さんらしくねぇこと言ってんの……」
 真面目で、誠実で、そんな言葉を絵に描いたみたいな男だった癖に。
 俺が酷いこといっぱいしたせいでスレちゃった?
 それとも、フェロモンでおかしくなっちゃった?
 全部俺のせいなのかな。
 でも、断ってあげられねえよ。
 俺は誠実でもなんでもねぇし、犬塚さんのこと大好きだから……。
「いいの……? 俺また、犬塚さんのこと犯すけど」
 我慢してたのが全部はち切れて、俺のスーツの色んな隙間からぶわあっと匂いが立つのが分かった。
 薬なんてほんと意味がない……この人の前でだけは。
「近くのホテルを探すから、少しそれ、我慢して……」
 息を切らしながら手の平をこっちへ向けて俺を押し留め、犬塚さんがスーツのポケットからスマホを取り出す。
 すっごく辛そうな顔が悲しくて愛おしい。
 こんな関係になりたかった訳じゃねえし、苦しくてたまんないのに、……俺は嬉しいんだ。
 さっきの言葉だって、どこまでがこの人の意志か分からない。俺の発情が終わったら、きっとこの人また、操られて自分の意志を踏み躙られたって怒り出すかもな。
 そむけた顔に涙が溢れた。
 こんな方法でしかこの人を手に入れられない自分が痛くて苦しい。
 消えてしまいたいくらいに。
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