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仮交際始めました

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 喫茶店を出てしばらく歩くと駅の看板が見えて、そっから先は流石の俺も道に迷わなかった。
 楽しそうなカップルやグループで混んでる日曜夜の各駅電車に乗り、ドア窓の向こうに街明かりが通り過ぎてゆくのを眺める。
 駅を一つ通過するたびに乗客が減って、地元駅が近付いて来たのを感じながら、今日あった色んなことを思い出していた。
 犬塚さんのキス。
 レストランで握られた手の温かさ。
 可愛い子犬と、それに写真の中の切ないほど愛らしい赤ちゃん。
 それから……名前で呼び合いながら気持ちいいことしたこと。
 俺が今からしようとしてることは、夏美さんに言われたからというよりも……彼女も含めて、彼の背負ってる色んなものが俺には重かった、それが多分一番の理由。……だから全部俺のワガママだ。
 最寄駅に帰って、繁華街から狭い路地に入り、見慣れた二階建てのアパートを見上げる。
 通路側にある風呂場の窓に灯りがついていて、お袋、家にいるな……と気付いた。
 家の中で電話するのは気まずい。
 俺はアパートの錆びた冷たい階段に腰を下ろし、スマートホンのメッセージアプリの通話ボタンを押した。
 呼び出し音がしばらく続き、ふっとそれが途切れて甘くて低い声がスピーカーから耳をくすぐる。
「湊さん?」
 声が嬉しそうで、それだけで泣きそうになった。
 もうこの声、聞くこともねぇんだなって。
 一緒に行ったカラオケの事とか思い出しちまって……。
 しっかりしろよ、湊。
「犬塚さん。……俺ね……」
 声が震えそうになって一旦言葉を切る。
「湊さんが電話してくれるなんて珍しいね。嬉しいな……。どうしたの?」
 優しく聞かれた。
 音を立てないように大きく息を吐いて、目を閉じる。
 前髪掴むみたいに額を手のひらで抑えながら、意を決して俺は切り出した。
「あのさ、今日の返事。本交際のことだけど」
 なるべく軽めに聞こえるように声を張る。
「……もう聞かせてくれるんだ?」
 反応が、明らかに期待を含んでて、恐ろしくなった。
 やっぱりこんなの嫌だ、犬塚さんと離れたくない。
 でも、もう今更やめられなかった。あの子にも言ってしまったんだから。
「俺……。今日昼にも言ったけどさ、やっぱ女の子がいいんだ……」
 電話口の向こうが静かになる。
 一方的に喋るしか無くなった。
「俺、子供産めねぇじゃん? 犬塚さんと結婚しても子供出来ねぇけど、ほら、……産ませる機能の方はあるからさ。俺モテねぇし、蛇の目さんにオススメされたから男の犬塚さんにも申し込んでみたんだけどさ……やっぱ深く考えたら、一生男と添い遂げんのは、無理かなー、って……」
 ああ、言っちまった。
 まさか俺のついた嘘が、こんなとこで役に立つなんて皮肉だけど。
 ちゃんとホントらしく聞こえてるのかどうかは、犬塚さんが黙ってるからわかんねぇ。
「……せっかく好きって言ってもらえたけどさ……まあこの通り、俺ってホントいい加減なヤツなんだわ。やっぱ犬塚さんにはもっといい相手、いるよ。……一緒に遊べてホント楽しかったし、貴重な時間、俺なんかに割いてくれてありがとう。お互い、幸せになろうぜ」
「湊さん……!!」
 急に耳元で叫ばれて、鼓膜がきいんとなる。
「それ本気で、言ってるんですか」
 怒ってるような驚いてるような、硬い声で聞き返される。
「悪いけど本気だ。ーーもう俺、家に入るとこだから。じゃあな」
 通話を切って、すぐさまメッセージアプリで相手のIDをブロックする。
 これ以上話してたら絶対ボロが出るし、それ以前に俺が電話しながらおいおい泣いちまいそうだったから。
 ……これで、犬塚さんと俺を繋ぐものは何にもなくなっちまった。
 通話もできるメッセアプリだけで番号は交換してねぇし、住んでる場所も駅しか知られてねぇもんな。
 一時は結婚考えるくらい仲良くなったのに、切れる時はあっという間か……。
 ふらっと立ち上がり、しんと冷えた夜気の寒さに震えながらアパートの階段を上り始める。
 急に夢が覚めて、現実に帰ってきたような気分だった。
 パーティから帰ってきたシンデレラもこんな気分だったのかもな……俺はオッサンだけど。
 犬塚さん、ほんといい人だった。
 俺が最初勘違いしなきゃ、こんな事にはならなかったのに。きっともの凄く傷付けた……すげぇ悪いことした。
 これに懲りてすっかり人間不信になって、夏美さんと結婚……するかもな。
 暗い顔でドアを開けると、俺の高校の時のジャージをパジャマがわりに着たひっつめ髪のお袋がコタツの中から振り向いた。
 奥のテレビがお笑い芸人の新ネタで盛り上がっている。
「おかえりー。夕飯は食べてきたんでしょ」
「……うん」
 嘘だけど、食える気がしなくて頷いた。
「どしたの。ひどい顔色して。熱でも出た?」
 心配そうに顔を覗き込まれ、靴を脱いで部屋に上がる。
「ちょっと……残念なことがあって」
 ほっといて欲しくても逃げ場がねぇのがこの家の最悪な所だな。
 やっぱ俺、引っ越すことを真剣に考えよう。
 ここに住んでたんじゃ落ち込むことすら難しいぜ。
 ーーそんな決意をした俺を、お袋は首を傾げてまた見た。
「そうなの……。あんたのそんな顔久々に見たから心配になっちゃうよ。最近は、凄く楽しそうだったし」
「……。俺、楽しそうだった?」
 よしゃあいいのに、思わず聞き返してしまった。
「ウン。お母さんね、湊がどこに行ってんのかなーんとなく分かっちゃったんだ」
 ぎょっとした。何にも言ってねえのに、変に期待させちゃってたのかと思って。
 するとお袋はシワが増えた顔をニッコリさせて、立ちっぱになってる俺を見上げて言った。
「もうあんたは大人なんだから、したいようにしていいんだよ。我慢しなくてもいいじゃない」
 明るい感じで諭されて、それからぽろっと付け加えるように訊かれる。
「最近、ワンちゃん見に通ってたんでしょう? 今でも犬が飼いたいんならさ、飼えるとこ引っ越そうよ」
 その言葉に、俺は笑っていいんだか泣いていいんだか、サッパリ分かんなくなっちまって、ガクッと膝をコタツ布団の上に落とした。
「湊……?」
 気付くともう、訳わかんねぇくらい目から涙が溢れていた。
「うん……俺、犬が飼いたかったんだ。……俺だけの犬が……っ、ずっと飼いたかった……っ」
 ビックリしてるお袋を目の前にして、俺は涙腺が壊れちまったみたいに泣いてしまった。
 今まで生きててこんなワンワン泣いたの初めてだ、ってくらいに。
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