主神の祝福

かすがみずほ

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夢奏でる夜の庭

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 泉から出たヴィクトルはマルファス、ハルファス達と共に目的地への往路の最後を急いだ。
 懐かしくも忌々しい故郷、南部の都ラーンは、レオンの故郷タルダンがかつてあった荒野を南に臨み、大河のほとりに位置している。
 昔からの要衝の地であり、この近辺のほかの街と同じく、石灰岩の高い市壁と城塞に守られた堅固な都市だ。
 ラーンは南部の中心地だけあって復興も速いのか、隣国バルドルとの交易を担う都市として、その華やかさを取り戻し始めているところだった。
 特に今夜は春祭りを控え、市壁の門付近は出入りする行商や流れ者、付近の農民達でごった返し、活気を帯びている。
 太陽が大分低くなった午後、一行は乗ってきた黒馬を壁外に繋ぎ、街中へは徒歩で入ることにした。
 ヴィクトルが以前にラーンの城門を潜ったのは、賊の親玉としてだ。
 丘の上にあるボルツの城の地下牢に護送され、その後、更生不可能な犯罪者として王都に送られた。
 もしかすると自分を知っている者に会うこともあるかもしれない――そんな事が万が一あっても気付かれないよう、都に入る前には念入りに変装をした。
 腰布と装飾品のみの踊り手の衣装の上から黒マントを羽織り、足元は長靴(ブーツ)ではなく編み上げのサンダルを履く。また、髪は細かく編み、顔と身体には化粧を施した。
 以前いた頃は髭も髪も整えない、いかにも山賊らしい容姿だった。
 目張りを塗り、額の中央に華やかな涙型の宝石の装飾を付けた今の顔は、かつてここに捕らえられていた無骨な男だとは思われないだろう。
 剥き出しの上半身と四肢には、筋肉の隆起が美しく見えるよう金粉を塗りつけ、その上からマルファス達が黒の塗料で刺青風の美しい紋様を描いてくれた。
 バアルの付けた斑紋を目立たなくするためだ。
 双子達ももちろん楽士になりすまし、アミュはマルファスのマントの下に隠れて、四人は見張りの塔を二基兼ね備えた白い石作りの城塞に近づいた。
「――どこから来た。目的は」
 城塞の下にある狭い市門の前で、一行は門番から呼び止められた。
 厳しい視線でこちらをねめつける鉄兜の門番に、ヴィクトルは伯爵から貰った偽の招待状を渡した。
「……バルドルの楽師だな。春祭りの宴の舞台は城の前にある中央広場だ。くれぐれもボルツ公爵様に失礼の無いように」
 居丈高だが流暢な共通語ですぐに城壁の中に通され、密かに胸を撫で下ろす。
 中の地図は既に頭に入っているので、あとは目的の場所に向かうだけだった。
 ヴィクトルは双子を先導し、街の中心部へと足を進めた。
 通りの両側の街並みを作る建物はどれも低く四角い形で、城壁と同じ切り出した真っ白な石灰岩で作られていた。
 その滑らかな白壁が夕方の太陽光を反射し、目に眩しい。
 行き交うことも困難なほどの通りの人混みの中には、肌の色の濃いバルドル人の姿が多く見られた。
「こんなにバルドル人がいるとはな……俺がいた頃とは大違いだ」
 言いながら後ろを振り返る。
 すぐ背後に、紙のように白い貌をしたマルファスとハルファスが、楽器の入った大袋を背に負い、黒マントをすっぽりかぶってついてきていた。
 人混みの中を歩くのがよほど苦手なのか、どことなく冴えない表情だ。
「しっかりしろお前ら。祭りは好きなんだろ」
 励ましながら歩く内に、石畳の敷かれた道の勾配がきつくなってきた。
 前方の景色が開け、白亜の城とその尖塔が見えてくる。
 実用最重視で再建された王都の城とは違い、まるで貴族が愛人のために作ったような、窓が多く露台がいくつも張り出した華麗な城が視界に現れた。
「敵に襲われたら一発でヤられそうな城だな……前はこんなじゃなかったぞ。――お陰で忍び込むのも逃げるのもたやすそうだが」
 呆れと感心が入り混じった感想が、思わずヴィクトルの唇からこぼれた。
 もちろん、それに答える者は一行の中には誰もいない。
 城の前まで坂を上りきると、やっと今夜の舞台――城前に円形に設けられた、広大な広場にたどり着いた。
 石畳の敷かれたそこには今夜のみ街の人々の出入りが許され、中央に、木組みの土台の上に板を渡した簡易な舞台が作られている。
 今そこで芸を披露しているのは流しの軽業師達で、男達が自らの身体を使って高い塔を作り出し、集まった群衆から盛大な拍手喝采を受けていた。
 ヴィクトルは密集する人々の間をすり抜け、舞台の近くにいた警護の兵士に話かけた。
「今到着したヴァルドルの踊り手と楽士だ。俺たちの出番はいつ頃になる?」
「――最後の目玉の出し物だから、まだまだ先だ。日が沈んでから二刻程待て」
「分かった」
 頷きつつ、ヴィクトルは目の前の壮麗な城を注意深く観察した。
 尖塔の数は29本もあり、無駄に多い。
 中央の塔の中ほどに設けられた大きな露台を見上げると、太めの男がこちらを見下ろしていることに気付いた。
 背が低く、角ばった顔立ちに、肩までの髪を貴族風に細かくカールさせた黒髪をした、横幅の広い若い男だ。
 煌びやかに着飾ってはいるが、顔のパーツは一つ一つの主張が強く、特に眉が太すぎ、お世辞にも美しい容姿とは言えない。
 しかも周りの護衛と思しき青年たちが、やたらと体格の良い、輝くような美男で固められているので、いっそう彼が貧相に見えた。
「あれがボルツの息子か」
 背後を振り返ると、マルファスが僅かに頷いた。
 その唇が小さく開き、ぎこちなく言葉を紡ぐ。
「……イマ、イク、……マダ、キケン……」
「――ああ、分かってる。城に忍び込むなら、俺たちの出番の後、城の奴らも酔い潰れた真夜中だな。取り敢えず、今この辺りをあんまりウロチョロしているといかにも怪しい。俺は情報収集がてら、酒場にでも入るが、お前らは目立つからどこかに身を隠していてくれ」
 ヴィクトルが頷きつつ答えたその時、
「あーみゅう……」
 マルファスのマントの陰で、それまでずっと黙っていた多足生物が低く呻くように鳴いた。
 暗がりで紫の目を光らせている彼は、うるうると涙ぐんでいて、何か物言いたげだ。
「……」
 どうした、と声を掛けようとして、ヴィクトルは口を閉じた。
 今はまさに大事な仕事をやり遂げようとしている所なのだ。不機嫌なペットに構っている場合ではない。
「マルファス、ハルファス、そいつを離すなよ。――それじゃあな」
 双子の神に告げ、ヴィクトルは丈の長い黒マントを翻して歩き出した。
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