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夢奏でる夜の庭
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絶句するヴィクトルの横を追い越し、ハルファスがマルファスとは別の方向へずんずん進んでいく。
「おっ、おい、どこ行くんだお前ら……」
訊ねても、どちらも何も答えない。
草原の中にそれぞれに分け入った二人は、やがて離れた場所から互いに向き合い、低く甘い声で美しい響きの謎の言葉を唱え始めた。
「一体、何なんだ……」
呆れつつ軍服の前を開くと、いつの間にか、眠るアミュの身体がキラキラと青く光っている。
「……何だ……?」
何が起こっているのかと戸惑っていると、地平の向こうで、沈みかけのはずの太陽が凄まじい輝きを放ち始めた。
「うっ……!」
反射的に手で目を覆い、閃光を遮る。
次の一瞬、目の前の景色の全てが白熱の中に消し飛んだ。
異常な光の暴走に、無意識に目を閉じる。
やがて恐る恐る目蓋を開くと、光は収まり、あたりは薄暗い黄昏の世界になっていた。
「……? 何があったんだ……、……!」
視線を上げた瞬間、驚愕した。
平原のど真ん中に、まるで異次元への入り口のような、七色の光を帯びた虹色の巨大なモヤが浮かんでいる。
それは高さはさほどではないものの、大きさとしてはヴィクトルの住んでいる鍛冶屋の石造りの建物と同じくらいはある。
見つめていると、モヤはやがて次第にハッキリとした色と形を表しはじめた。
白に緋色の細かい装飾を施した鮮やかな布地に、優美な円形を描いた立体的な骨組み――。
気付けばそれは、美しい布地を貼り合わせて壁にした、尖った天井を持つ大きな天幕になっていた。
その様は旅行時の簡易なテントというよりも、異国の高貴な主人の住まいのような、壮麗な移動式住居だ。
「……」
言葉を失い、ヴィクトルは口を開けて目の前の光景に見入った。
「なるほど……バルドル式の、王族の旅行用の天幕だな。美しい」
ごく近くで甘く麗しい男の声が聞こえて、ハッと隣を見る。
そこには地に擦るほどの長い白髪を持つ、美貌の青年がいた。
気付けばいつの間にか、軍服の腹の中で眠っていた生物が消えている。
「アミュ」
愛称を呼ぶと、主神バアル・アミュールは嬉しげに紫の瞳を細めた。
その服装はいつもの通り真っ白だが、よく見ると作りがバルドル風になっている。
ゆったりとした布で織られた、足首の締まった絹のズボンに腹帯、細かい真珠を縫い付けた豊かな襞のついたシャツ。腕は所々素肌を見せるよう、袖の一部が開いていて、抜けるような白さの肌が見えていた。
――思わず見惚れていると、神は若々しい美貌に穏やかな微笑みを浮かべ、ヴィクトルに手を差し伸べた。
「さあ、手を……。一緒にゆこう。素晴らしい夜になりそうだ」
だが、最高神バアルの誘いをヴィクトルは無視し、視線を逸らした。
『アミュ』の時はともかく、この姿をしている時の彼に対しては未だ、素直になる気になれない。
バアルの横を通り過ぎ、両側に豊かな布を開いた天幕の入り口を無言で潜ってゆく。
入って中の内装を目にした途端、ヴィクトルは感嘆のため息をついた。
いくつものランプがあちこちで明るく灯り、天幕の内側は意外に明るい。
数十人で宴会をしても狭苦しくは無いほど広い内部には、異国風の植物柄を織り込んだ素晴らしい絨毯が敷き詰められている。
その中央に、寝心地の良さそうな天蓋付きの広い寝台が一つ置かれていた。
丸い天井を囲む布の壁の側にはクローゼットやソファ、小さなテーブルなどの家具も並べられ、チェスボードやさまざまな種類の酒、果物の盛られた銀皿なども見える。
まるで、居心地のよい客間に通されたような気分だ。
ヴィクトルが天幕の入り口で立ち尽くしていると、どこからか、バルドル風の賑やかな音楽が聞こえ始めた。
「こちらだ、ヴィクトル。さあ、マントを脱ぎなさい」
バアルがヴィクトルの肩からマントを取り去り、出入り口にある優美なコート掛けに引っかけた。
サンダルを履いたその足は、更に奥へと歩いてゆく。
やがてバアルは入ってきた入り口とは真反対側にあるもう一つの出入り口の前に立ち、そこにカーテンのように垂れている二枚の布を両手ですっと左右に分けた。
そこに見えるのは、何も無い荒野のはずだったが――。
ヴィクトルの目に映ったのは、雑草の平原ではなかった。
乳をこぼしたような満天の星空と、地を覆い尽くすような赤いブーゲンビリアや、咲き乱れる白や黄のプルメリアの花々。
一瞬錯覚かと思ったが、空気にも馥郁としたエキゾチックな花の香りが漂ってくる。
ヴィクトルはそっと、露に濡れた花弁で溢れる南国の花園に足を踏み入れた。
あたりを見回すと、花園の中には小さな噴水があり、そこではヴィクトル達を乗せてきた黒い馬が三頭、美味そうに水を飲んでいる。
その馬たちの横を通り過ぎ、先へ進むと、立ち並ぶ果実の低い木々が見えてきた。
奥を覗くと、ぽっかりと開けた広場のような場所があり、そこであたたかな焚き火が炎を上げている。
楽しげな音楽は、その炎の方から聞こえてくるようだった。
星明かりとむせかえるような香りに包まれながら、木々の壁の内側へと進む。
焚かれた清らかな炎の周囲には、煌びやかな幾何学模様を織り上げた敷布がぐるりと並べられていた。
何かの宴会のつもりなのか、敷布の上にはスープを満たした器、ガラス製の葡萄酒の瓶やグラス、見た目にも美しい色鮮やかな菓子、そして新鮮な肉や魚の料理を盛った皿がずらりと並んでいる。
この奇跡を生み出した双子の神の兄弟は、まるで祝祭の主人であるかのように、炎の向こう側に積まれた沢山のクッションの前に座っていた。
二人はそれぞれ太鼓や笛を手にし、無表情なその顔に反した軽快な音色を奏でている。
彼らの黒い短髪からは銀色の角が生え、その腰には白く長い蛇のような尾が出て、地面に垂れていた。
軽妙でありながら、時々甘く切なく心を揺さぶる旋律は、昔どこかで聞いたことがあるような懐かしい響きがある。
木々の間で立ち止まりそれに聞き入っていると、背後から呼ぶ声が聞こえた。
「ヴィクトル。私達も一緒にあそこへ行こう」
気配もなく、いつの間にかバアルがすぐ側に近寄ってきていた。
腰が強く抱き寄せられ、炎の方へと強引につれていかれる。
「……やめろ、その姿でベタベタくっつくんじゃねえ」
毒づいたが、空腹を満たす為には、言われるがままバアルについて炎の前にゆくしかなかった。
残った意地で、なるべくバアルとは離れた場所の敷布の上に腰を下ろす。
すると、白い蛇のような触手がすうっと遠くから伸びてきて、深い青色のグラスを手に握らされた。
今度はまたもう一本、触手が甘美な香りの立つワインのボトルを持ってやってきて、そこに血色の液体が注がれてゆく。
ヴィクトルは疑い深く、数フィート離れた先に座っているバアルの横顔を睨んだ。
「なにかの罠じゃねぇだろうな……」
「そんな事はない。全ては、あの二人がただ純粋にお前を楽しませたくてしている事だ。私はそれを手伝っているだけで」
「……なるほど?」
そう言われると、納得できるような気もしてくる。
マルファスとハルファスはどうやら、彼らの父や弟よりもずっとまともな心根の神達のようだ。
ヴィクトルは琥珀色の瞳を閉じ、繊細なグラスを傾けた。
紅い液体が喉を潤すと、官能的で心地の良い熱感が胃の腑にまで沁み渡り、旅の疲れが一瞬で吹き飛ぶ。
「……美味い……」
感心して呟くと、調子に乗ったバアル本人が酒瓶を手にこちらににじり寄ってきて、空になったグラスを再び満たした。
「そうだろう? これは神の国の美酒だ。人間世界の酒など比べ物にならない……」
それを聞いた途端、心のどこかでしまったと思った。
そんな怪しげな酒だと知っていれば、飲まなかっただろう。
けれど既にヴィクトルの舌と喉は、この世のものならざる酒の虜になっていた。
「はあっ、……ンむ……」
がっつくように二杯目を飲み干すと、今度はカッと炎がついたように全身が熱くなる。
三杯目に口を付ける頃には、ラーンに着くまでは決して脱がないと決めていた軍服の上衣を易々と肩から落とし、足元に脱ぎ捨てていた。
「ふぅっ……っ、暑いな……」
ごく薄いリンネルのシャツと、その下の褐色の筋肉の隆起が露わになる。
シャツすらも脱いで上半身裸になると、腰の両側にある奇妙な文様がうっすらと青く光を発した。
――太腿にも同じものが二箇所ある。
バアルに永続的に身体に植え付けられた、触手の出入りする不思議な痣だ。
「おっ、おい、どこ行くんだお前ら……」
訊ねても、どちらも何も答えない。
草原の中にそれぞれに分け入った二人は、やがて離れた場所から互いに向き合い、低く甘い声で美しい響きの謎の言葉を唱え始めた。
「一体、何なんだ……」
呆れつつ軍服の前を開くと、いつの間にか、眠るアミュの身体がキラキラと青く光っている。
「……何だ……?」
何が起こっているのかと戸惑っていると、地平の向こうで、沈みかけのはずの太陽が凄まじい輝きを放ち始めた。
「うっ……!」
反射的に手で目を覆い、閃光を遮る。
次の一瞬、目の前の景色の全てが白熱の中に消し飛んだ。
異常な光の暴走に、無意識に目を閉じる。
やがて恐る恐る目蓋を開くと、光は収まり、あたりは薄暗い黄昏の世界になっていた。
「……? 何があったんだ……、……!」
視線を上げた瞬間、驚愕した。
平原のど真ん中に、まるで異次元への入り口のような、七色の光を帯びた虹色の巨大なモヤが浮かんでいる。
それは高さはさほどではないものの、大きさとしてはヴィクトルの住んでいる鍛冶屋の石造りの建物と同じくらいはある。
見つめていると、モヤはやがて次第にハッキリとした色と形を表しはじめた。
白に緋色の細かい装飾を施した鮮やかな布地に、優美な円形を描いた立体的な骨組み――。
気付けばそれは、美しい布地を貼り合わせて壁にした、尖った天井を持つ大きな天幕になっていた。
その様は旅行時の簡易なテントというよりも、異国の高貴な主人の住まいのような、壮麗な移動式住居だ。
「……」
言葉を失い、ヴィクトルは口を開けて目の前の光景に見入った。
「なるほど……バルドル式の、王族の旅行用の天幕だな。美しい」
ごく近くで甘く麗しい男の声が聞こえて、ハッと隣を見る。
そこには地に擦るほどの長い白髪を持つ、美貌の青年がいた。
気付けばいつの間にか、軍服の腹の中で眠っていた生物が消えている。
「アミュ」
愛称を呼ぶと、主神バアル・アミュールは嬉しげに紫の瞳を細めた。
その服装はいつもの通り真っ白だが、よく見ると作りがバルドル風になっている。
ゆったりとした布で織られた、足首の締まった絹のズボンに腹帯、細かい真珠を縫い付けた豊かな襞のついたシャツ。腕は所々素肌を見せるよう、袖の一部が開いていて、抜けるような白さの肌が見えていた。
――思わず見惚れていると、神は若々しい美貌に穏やかな微笑みを浮かべ、ヴィクトルに手を差し伸べた。
「さあ、手を……。一緒にゆこう。素晴らしい夜になりそうだ」
だが、最高神バアルの誘いをヴィクトルは無視し、視線を逸らした。
『アミュ』の時はともかく、この姿をしている時の彼に対しては未だ、素直になる気になれない。
バアルの横を通り過ぎ、両側に豊かな布を開いた天幕の入り口を無言で潜ってゆく。
入って中の内装を目にした途端、ヴィクトルは感嘆のため息をついた。
いくつものランプがあちこちで明るく灯り、天幕の内側は意外に明るい。
数十人で宴会をしても狭苦しくは無いほど広い内部には、異国風の植物柄を織り込んだ素晴らしい絨毯が敷き詰められている。
その中央に、寝心地の良さそうな天蓋付きの広い寝台が一つ置かれていた。
丸い天井を囲む布の壁の側にはクローゼットやソファ、小さなテーブルなどの家具も並べられ、チェスボードやさまざまな種類の酒、果物の盛られた銀皿なども見える。
まるで、居心地のよい客間に通されたような気分だ。
ヴィクトルが天幕の入り口で立ち尽くしていると、どこからか、バルドル風の賑やかな音楽が聞こえ始めた。
「こちらだ、ヴィクトル。さあ、マントを脱ぎなさい」
バアルがヴィクトルの肩からマントを取り去り、出入り口にある優美なコート掛けに引っかけた。
サンダルを履いたその足は、更に奥へと歩いてゆく。
やがてバアルは入ってきた入り口とは真反対側にあるもう一つの出入り口の前に立ち、そこにカーテンのように垂れている二枚の布を両手ですっと左右に分けた。
そこに見えるのは、何も無い荒野のはずだったが――。
ヴィクトルの目に映ったのは、雑草の平原ではなかった。
乳をこぼしたような満天の星空と、地を覆い尽くすような赤いブーゲンビリアや、咲き乱れる白や黄のプルメリアの花々。
一瞬錯覚かと思ったが、空気にも馥郁としたエキゾチックな花の香りが漂ってくる。
ヴィクトルはそっと、露に濡れた花弁で溢れる南国の花園に足を踏み入れた。
あたりを見回すと、花園の中には小さな噴水があり、そこではヴィクトル達を乗せてきた黒い馬が三頭、美味そうに水を飲んでいる。
その馬たちの横を通り過ぎ、先へ進むと、立ち並ぶ果実の低い木々が見えてきた。
奥を覗くと、ぽっかりと開けた広場のような場所があり、そこであたたかな焚き火が炎を上げている。
楽しげな音楽は、その炎の方から聞こえてくるようだった。
星明かりとむせかえるような香りに包まれながら、木々の壁の内側へと進む。
焚かれた清らかな炎の周囲には、煌びやかな幾何学模様を織り上げた敷布がぐるりと並べられていた。
何かの宴会のつもりなのか、敷布の上にはスープを満たした器、ガラス製の葡萄酒の瓶やグラス、見た目にも美しい色鮮やかな菓子、そして新鮮な肉や魚の料理を盛った皿がずらりと並んでいる。
この奇跡を生み出した双子の神の兄弟は、まるで祝祭の主人であるかのように、炎の向こう側に積まれた沢山のクッションの前に座っていた。
二人はそれぞれ太鼓や笛を手にし、無表情なその顔に反した軽快な音色を奏でている。
彼らの黒い短髪からは銀色の角が生え、その腰には白く長い蛇のような尾が出て、地面に垂れていた。
軽妙でありながら、時々甘く切なく心を揺さぶる旋律は、昔どこかで聞いたことがあるような懐かしい響きがある。
木々の間で立ち止まりそれに聞き入っていると、背後から呼ぶ声が聞こえた。
「ヴィクトル。私達も一緒にあそこへ行こう」
気配もなく、いつの間にかバアルがすぐ側に近寄ってきていた。
腰が強く抱き寄せられ、炎の方へと強引につれていかれる。
「……やめろ、その姿でベタベタくっつくんじゃねえ」
毒づいたが、空腹を満たす為には、言われるがままバアルについて炎の前にゆくしかなかった。
残った意地で、なるべくバアルとは離れた場所の敷布の上に腰を下ろす。
すると、白い蛇のような触手がすうっと遠くから伸びてきて、深い青色のグラスを手に握らされた。
今度はまたもう一本、触手が甘美な香りの立つワインのボトルを持ってやってきて、そこに血色の液体が注がれてゆく。
ヴィクトルは疑い深く、数フィート離れた先に座っているバアルの横顔を睨んだ。
「なにかの罠じゃねぇだろうな……」
「そんな事はない。全ては、あの二人がただ純粋にお前を楽しませたくてしている事だ。私はそれを手伝っているだけで」
「……なるほど?」
そう言われると、納得できるような気もしてくる。
マルファスとハルファスはどうやら、彼らの父や弟よりもずっとまともな心根の神達のようだ。
ヴィクトルは琥珀色の瞳を閉じ、繊細なグラスを傾けた。
紅い液体が喉を潤すと、官能的で心地の良い熱感が胃の腑にまで沁み渡り、旅の疲れが一瞬で吹き飛ぶ。
「……美味い……」
感心して呟くと、調子に乗ったバアル本人が酒瓶を手にこちらににじり寄ってきて、空になったグラスを再び満たした。
「そうだろう? これは神の国の美酒だ。人間世界の酒など比べ物にならない……」
それを聞いた途端、心のどこかでしまったと思った。
そんな怪しげな酒だと知っていれば、飲まなかっただろう。
けれど既にヴィクトルの舌と喉は、この世のものならざる酒の虜になっていた。
「はあっ、……ンむ……」
がっつくように二杯目を飲み干すと、今度はカッと炎がついたように全身が熱くなる。
三杯目に口を付ける頃には、ラーンに着くまでは決して脱がないと決めていた軍服の上衣を易々と肩から落とし、足元に脱ぎ捨てていた。
「ふぅっ……っ、暑いな……」
ごく薄いリンネルのシャツと、その下の褐色の筋肉の隆起が露わになる。
シャツすらも脱いで上半身裸になると、腰の両側にある奇妙な文様がうっすらと青く光を発した。
――太腿にも同じものが二箇所ある。
バアルに永続的に身体に植え付けられた、触手の出入りする不思議な痣だ。
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イラスト:右京 梓様
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