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主神の祝福

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 王城の正面外壁の前に辿り着くと、案の定、立ち入り禁止として閉めていたはずの鉄扉が少し開いていた。
「こりゃー……誰か、入ったな」
 ヴィクトルはエリクとフレディを振り返り、冷たい視線で睨み付けた。
「知らねえぞ。城には盗まれるような値打ちもんは今んところ無いが、他国や他領地のスパイに執務室の機密文書なんかを盗まれたりしたら、お前らタダじゃ――」
 話している途中で、肩をトントンと後ろから叩かれる。
「何だ。人の話は最後まで聞け」
「いや、俺たちじゃねえよ。そのタコがお前の肩を叩いてんだよ」
 言われてヴィクトルは瞬間的に右手を伸ばし、自分の左肩を叩いているものをはっしと掴んだ。
 まるで女の肌のような、すべすべと毛のない滑らかな人肌の感触がする。
「捕まえたぞ……!」
 そのまま一気に引きずり降ろそうとしたが、逆に右手にシュルッと巻きつかれた。
 肩から肘にそれが移り、初めて自分の視界に謎の生物の姿が映る。
 円筒形に近い白い胴に、大きくてつぶらな紫の瞳――その下から生え、うねうねと蠢く沢山の足。
 思ったよりも可愛い顔をしている事に驚いた。
 そして、その瞳の色はあの白昼夢の鏡の部屋で見た美しいバアルの目と同じ色だ。
「……お前……もしかして、バアル本人なのか……?」
 尋ねるが相手はプイと横を向いてしまう。
 試しに、ヴィクトルはもう一つの名で彼を呼んでみた。
「アミュ」
 すると二つの目の下に赤い口が開き、「みゅう」とその生き物が嬉しそうに返事をした。
 腕に擦り寄るように懐く姿に、一瞬、可愛い――と思いかけて、ぶるっと首を振る。
(何を絆されかけてんだ、俺は)
 はっと我に返り、慌てて左手で引き剥がそうとした。が、物凄い力で巻きついてきて、かえって自分の腕が痛いだけだ。
「みゅうーっ」
 怒ったような声を上げられ、仕方なく左手を離したが、その後もまだ腕が引っ張られるような感覚がする。
「何だよ、もう掴んでねえだろ」
「みゅっ、みゅ」
 白い腕が一本フヨフヨと空中に伸び、斜め上を指差した。
「上?」
 アミュが指差す方向に顔を上げる。
 すると――王城の庭を囲む塀の上に、布を口に巻き、つばの広い羽根帽子を被って顔を隠した黒ずくめの男が跨っているのが目に飛び込んだ。
 ――どう考えても、賊だ。
 相手はまさか気付かれるとは思っていなかったようで、驚いたようにビクッと身体を震わせ、すぐに外壁の外へ飛んで走り出す。
「エリク、フレディ、あいつを捕まえろ!」
 三人で駆け出すが、坂を下って走る相手は足が早く追いつけそうにない。
「クソ、街まで下りられたら人混みで撒かれるぞ……! おいお前、さっきのをやれ!」
 右手に取り憑いた生物に命じると、細く長い触手が走るよりも早く前方に伸び、しなるムチのように賊の腰に巻きついた。
「ギャッ!」
 坂道を勢いで走っていたのを急に掴まれた反動なのか、相手は一回転する程のひどい転び方でもんどりうつ。
「……おお……」
 余りに見事な捕り物に心ならずも感心してしまった。
「……お前、意外と役に立つじゃねえか」
 口に出すと、右手に巻きついたアミュがこちらを振り向き、嬉しそうに目を細める。
「あみゅう……」
「……ついでに俺から離れてくれると、もっと助かるんだが?」
 重ねて言ってみたが、白い多足生物は無い首をブルブル振る。
 ヴィクトルはまたしてもがっくりとうなだれた。
「ちっ、おだててもだめか……」



 ――北の隣国の密偵だった賊を取り調べる為、結局ヴィクトルは目的のアビゴール・カインを後回しにすることになった。
 スパイを触手で散々締め上げ、牢獄に入れた後で王城を探したものの、執務室はもぬけの空で探すあてもない。結局ヴィクトルは憑き物を剥がすのを一旦諦め、再び任務に戻った。
 一日中、あちこちに現れる犯罪者と酔っ払いに振り回され続けながら、瞬く間に時が経っていく。
 気付けば空が茜色に染まり、街のあちこちで祭りの為の炎が焚かれ始めた。
 日が落ちれば、神殿の前で神を呼ぶ為の前夜祭の儀式が始まる。
 市民も見物客たちも皆が仮面を付け、神殿の周辺に集まり始めていた。
 ヴィクトル達神殿兵もまた仮面をかぶって群衆に紛れつつ、警備を行うことになっている。
(さて、こいつをどうするかな……)
 くたびれた青い軍服のまま顔の上半分を覆う黒猫の仮面を付けたヴィクトルは、神殿の広い階段に腰を下ろして俯いていた。
 肩の上には白いタコのような生物が未だ陣取っている状態で、波打つ黒髪をくるくると脚に絡ませて遊んでいる。
 何だかんだであの後も色々と手を借りてしまったので、相手の方も堂々とし始め、今や相棒気取りといった風情だ。
 自分も不思議と慣れてしまい、当初のような何が何でも剥がしたいという気が起こらない。
 だがこのまま寝ても覚めても取り憑かれ続けるかと思うと、やはり抵抗はあった。
「……なあ」
 アミュに話しかけると、彼は嬉しそうに頬に擦り寄ってくる。
「あんたに悪気がねえのは分かったよ。でも、俺といつまでも一緒にいる訳にはいかねぇんだろ。あんた、神様なんだから」
 諭すように言ううちに、彼は寂しそうに脚を伸ばしてぎゅっと顔を抱き締めてきた。
 仮面で遮られている視界が更に半分見えなくなる。
「おい、やめろ。――て言うかお前、祭だから出て来ただけなんだろ? 何で俺に執着すんだよ。俺の望みはお前には叶えられない」
 きつめに言ったが、まるで首を振るように円筒形の胴が左右にプルプルと捻れた。
 その頑なな態度に、諦めの境地で言葉を紡ぐ。
「仕方ねぇな……。じゃあ……こういうので手打ちにするってのはどうだ」
 仮面の目の穴を覆っている触手を引き剥がしながら、ヴィクトルは提案した。
「――俺がお前に望みを叶えてもらうんじゃなく、逆に、俺がお前の望みを一つ叶えてやる。今日一日、俺一人じゃどうにもならねえような事を、お前が手伝ってくれたからな……その褒美に」
 その瞬間、肩の上がふっと軽くなった。
 気付けばいつの間にか、美しい白髪を宝石で結った仮面の男が目の前の階段に腰掛けている。
「バアル……」
「アミュと呼んでくれ」
 懇願するようにそう言った男の瞳が、神殿の前に焚かれた篝火を映し、キラキラと輝いていた。
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