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番外

禁忌

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 だが、よく目を凝らすと、その巨大な猫は頭に山羊のような――カインのそれにもよく似た巻角を生やし、背中にはコウモリのような黒い翼が生えている。
 紛うことなき化け物――たが、その首には太い鉄の輪が嵌められていて、更に鎖が伸び、それが壁に埋め込まれた頑丈な鉄の杭に繋がっていた。
 さっきはこの鎖に引っ張られてもがいていたのか。
 ――この場所をねぐらにしているというよりは、何者かにここに閉じ込められているらしい。
 猫もどきをこの部屋に縛めている鎖は、ちょうど扉から入ってきた者を襲える程には長さがある。
 少しでも部屋の奥に入ろうとすると、途端に化け物に襲いかかられる作りだ。
 ――この奥にある何かを、守っている?
 疑問に思うそばから、化け物は巨大な口を開け、鋭い歯を剥き出しにして噛みついてきた。
「!」
 ひらりと跳躍し、レオンは上方から剣を振り下ろして巨大な獣の眉間に刃を叩きつけた。
「ギャウウウ!!」
 剣が弾き返される重い痺れが腕に走る。
 頭蓋骨を叩き割るつもりだったが、思ったよりもひどく頑丈だ。
 まるで雄熊。
 レオンが驚いていると、化け猫はフラリと体勢を崩し、目の前でどさりと倒れた。
 ――どうやら脳天にそれなりの衝撃をくらわせることは成功したらしい。
 レオンは膝を折り、化け猫の頭を撫でた。
 滑らかな手触り――毛の中に傷が出来ているが、もう塞がりかけている。
 その治り方に既視感があった。
 かつて、カインの守りを受けていた自分と同じだ。
 ピンク色の鼻からは息が漏れている。
 死ぬことができない、謎の生き物。
 ――誰が、何のためにこの化け物をこの場所で飼っていたのだろう。
 今のうちに、この部屋を調べてみるか。
 レオンは立ち上がって、暗い部屋の奥へと足を進めた。
 最初にこの部屋を覗いた時に感じた、甘いような匂いがますます強くなる。
「何だ……?」
 胸騒ぎがする。
 猫の巨体を跨いで部屋の中央までくると、匂いが濃くなり、むせかえるほど強くなった。
 頭がボンヤリとして、視界がくらくらする。
 ふと天井を見上げると、ランプのような形の、蓋の部分に穴の空いた陶器が吊り下がっていた。
 火は見えないが、白い煙がゆっくりとそこから漏れ落ちている。
 甘い匂いはその煙が発しているものだった。
「……香を焚いているのか……?」
 ハッとした。
 同じ匂いのする薬草を、オスカーの王宮の執務室で嗅いだことがあるのを思い出したのだ。
『――レオン。これはバルドルの悪徳商人が売り捌いている、恐ろしい薬草だ。乾燥させ、燻した煙を吸うと、満ち足りた気分になり、あらゆる快感への感度が高まる。何度もこの香を吸ううちに、薬の効果が切れるたび、酷い喪失感と無気力に襲われるようになる。エルカーズでは昔から禁じられていたが、最近はなぜか出回っているようだ……お前も気をつけるのだぞ』
 あの時の薬草と同じ匂い――。
 しかし、一体何のためにここでその香を焚いていたのだろう。
 息を止めながら、奥に入る。
 そこにはもう一つ扉があり――そして、そちらは鍵などなく、容易に開いた。
 中は、窓も何もない、人一人がやっと立てるような狭く暗い空間だ。
 床から天井まで、何かれんがのような硬く四角い形状状ものがぎっしりと詰まっている。
 暗すぎてよく分からないが、それが放っている強烈な匂いで、その正体はすぐに分かった。
 天井で焚かれている香と同じ――バルドルの秘薬。
 そしてここは、人目を避けてそれを保管しておく倉庫という訳だ。
 確信して、レオンは部屋の中央へと戻った。
 猫の身体をはじに寄せてから、剣を天井に向かって一閃させる。
 鎖で吊られていた香炉が、ガチャンと音を立てて床に落ちた。
 頑丈なつくりなのか、中の灰は飛び散らなかったが、激しく煙が舞い上がる。
 レオンは素早く香炉を拾い上げ、鉄扉の外へ持ち出すと、洞窟を満たす海水に向かって投げ捨てた。
 ――これで、自分まで中毒になる恐れはないだろう。
 しばらく海面を眺めながら、今後のことを考えあぐねた。
 カインが帰ってきたら、このことをすぐに報告せねばならない。
 それに、あの角の生えた猫のことも。
 明らかに異世界の生物だ。
 カインならば何か知っているかも……。
 剣をベルトにおさめ、もう一度部屋の中に戻ると、翼のある大猫は金色の目を開いていた。
 驚いて身構えるが、先ほどのような殺気は微塵も感じられない。
 そればかりか、か細い、哀れな鳴き声がその巨体から聞こえてきた。
「……ミャア」
 レオンが拍子抜けしていると、大猫は自らレオンに近づいてきて、大きな舌でざらりと顔を舐めてきた。
「お前……」
 思わず頭を撫で返してやると、ゴロゴロというくぐもった音が聞こえ始める。
 どうやら、この人懐こい態度の方が本来の性質のようだ。
「正気を失って凶暴化していたのは、あの香炉のせいだったのか……?」
 そんな効用もあるとは知らなかったが、恐らくそういうことらしい。
 この猫はその性質を人間に利用され、違法な薬草の番人にされていたのだ。
 この狭い部屋に閉じ込め、焚く薬草の量を調節すれば、いくらでも「留守」をさせておける、番犬ならぬ番猫として。
「可哀想に……」
 ペロペロと頬を舐められながら、レオンは手を伸ばし、鎖と首輪を繋いでいる金具を外してやった。
「カインが帰ってきたら、お前のことをどうしたらいいか、聞いてみるからな」
 優しく話しかけると、猫はビクンと顔を上げ、翼を広げた。
「……? どうした?」
 猫は一瞬身を低くしたかと思うと、開いた鉄の扉を体を捩って潜り抜け、恐ろしい速さで外に飛び出していく。
「おい、お前、待て」
 制したが、猫は聞く耳もない。
 バサバサと羽ばたきの音が聞こえ、レオンが慌てて鉄扉の外へ向かうと、猫は海に向かって飛んでいくところだった。
「行ってしまった……」
 無理もない、やっと自由の身になったのだ。
 おそらく何年も、もしかしたら何十年も、暗くて狭い地下室の中に閉じ込められていたのだろうし。
 だが、外でまた誰かに捕まり、利用されたり、見せ物にでもされたら――。
 心配で肩を落としていると、洞穴の外から、人の気配と、小舟が岸壁にぶつかる鈍い衝撃音が聞こえてきた。
 海の方から誰かが近づいて来たらしい。
 人の話し声がだんだんと大きくなる。
「姐御。どうします」
「あの化け物はそのうちまた捕まえればいい。それよりも商品を運び出すよ」
 ――あの大猫の飼い主だ。
 もはや身を隠す場所はどこにもない。
 せめて戦いやすそうな場所へと、レオンは猫のいた部屋に戻るしかなかった。
 再び剣を引き抜いて身構えると、上半身裸の屈強な大男二人が、ランプを手にのっそりと小部屋に入ってくる。
 二人とも腰に大剣を下げていて、人相も悪く、どう考えても堅気の漁師などには見えない。
「――姐御。先客がいるぜ。そいつが俺たちの猫を逃しやがった犯人だ」
 男の一人が声を上げると、彼らの間から、一人の女が前に進み出た。
「やれやれ。王都からきてわざわざこんな廃城に泊まるなんて、何かあるとは思ったけどねぇ」
 太く不機嫌な響きのその声に聞き覚えがあった。
 灯火の光で照らされた、彼らの頭領の顔は――。
 ズボンにシャツと細身の剣を身につけ男装はしている、固太りした体格のいい女……昨夜、酒場兼娼館で出会った、赤毛のローデリカだった。
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