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【続編・神々の祭日】囚われの貴公子
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「……神殿に仕える身で盗みの罪を犯すのは気が引ける……」
「この際もう何でもありでしょう。ほら、ちょうどいいカモが」
それだけ言うと、ヴィクトルが目の前に植えられたトネリコの木の上に素早く登った。
レオンは少し離れた繁みの影に身を隠し、息を潜めて様子を伺う。
しばらく待ち構えていると、羽根の付いた派手な帽子を被った夜会服の中年男とその侍従がこちらに近付いてくるのが見えた。
貴族の男はガサガサと茂みに入り込み、酔っ払った様子でトネリコの木の根元に向かって窮屈そうな半ズボンの合わせを開いている。
「あー、すっかり飲み過ぎた……ギレスの奴、料理をケチるもんだから、酒ばかり飲みすぎてしまうわい」
「男爵様あ、こんなりっぱなお屋敷のお庭にそんなことして怒られませんかねえ」
侍従の青年のぼやきが漏れる。
「何を言うか。クソ、手元が暗くてよく見えん。お前も手伝え」
苛立つような貴族の声に、木の上から低い声が応えた。
「――俺が手伝ってやろう」
「えっ」
ヴィクトルが頭上から飛び降り、酔っ払い貴族の身体を背中から押し倒して地面に顔を押し付ける。
「わっ」
突然現れた賊に慌てふためいた侍従の方は、レオンが茂みから飛び出して羽交い締めにした。
口を掌で塞ぎ、後頭部に当て身をして気絶させる。
ヴィクトルが素早く男を茂みに引き込みながらこちらを振り向いた。
「俺はこの肌の色では貴族様には見えません。総長がこの酔っ払いの衣装を着て下さい」
「分かった」
酒臭くて気が進まないが、仕方がない。
レオンは自分のチュニカと乗馬用の長ズボン、それに膝丈の長靴を脱ぎ捨て、男から脱がせた服に着替え始めた。
男の生白い足から脱がせた白いぴったりしたショースとキラキラした刺繍のついた細身のキュロットに、思わず手が止まる。
「こんなもの、着たことがないから恥ずかしいんだが……」
尻や脚の形がぴったりと出てしまうショースに戸惑っていると、隣で着替えているヴィクトルが毒づいた。
「総長、下半身丸出しで無駄にそそるのはやめて下さい」
「うっ? うん」
戸惑いながらショースに素早く脚を通して下着を紐で結びつけ、裾に飾りのついた半端な丈のズボンを引き上げる。
続いて絹をふんだんに使った紫色の上衣を羽織り、足に合わない革の優雅なハイヒールを履き、自分の剣とソードベルトを宝石のついた煌びやかなマントで隠した。
最後に羽根飾りのついた帽子を目深に被って後ろを向く。
「着方、間違っていないか見てくれな――」
瞬間、珍妙としか言い表せないものが視界に入ってしまい、思わず言葉が途切れた。
相棒の長身には余りに丈がみじかすぎる裾広がりの赤いチュニカ姿に、耐えきれずに大きく吹き出す。
「お前、道化師のようだぞ……っ」
笑われた相手は目元を赤くしながら不機嫌な顔になった。
「俺を笑い者にしている場合ですか。さあ、こいつらを縛りますよ。目をさましたら厄介だ」
咳ばらいをしてどうにか真面目な顔に戻り、レオンは頷いた。
ヴィクトルの持っていた馬を繋ぐためのロープで、気絶している二人を木に縛り付ける。
続いてさりげない様子を装って二人で茂みを出、なるべく人々の寄り集まっている場所を避けつつ、庭先の露台から館の中へと入り込んだ。
会場となっている大広間は、すべての壁が館の主人の秘蔵と思われる豪奢なタペストリーで覆われ、その下では招かれた一流の楽師達がダンスの為の甘い調べを奏でている。
レオンとヴィクトルは注意深く顔を隠しながら、夜の宴を謳歌する人々の熱気の最中に分け入った。
貴婦人たちの大きく裾の広がったドレスの裾を踏みそうになりつつ、宴の中心へ徐々に近付いてゆく。
次第に楽器の調べの音量が高まり、ギレスの高笑いが奥から聞こえ始めた。
やっと大広間の最奥が見える位置まで移動して、、広い帽子のつばの下から主催の長テーブルを密かに覗く。
一瞬、心臓が止まるような気がした。
この旅の間、ずっとその名を胸で繰り返していた相手。
上機嫌で挨拶に来た貴族達と杯を交わしているギレスの隣にいる、目の覚めるような美しい青年は、確かにレオンの恋人だった。
――肩から煌びやかな飾り布を垂らした白の夜会服を着、金髪の一部が宝石のついた髪飾りで結われた、その絵画のように美しい佇まいに息が止まる。
(カイン……っ)
無事な姿を目にして胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。
つい足が自然とそちらに向かいかけ、ヴィクトルに肘を掴まれて止められる。
「いけません」
後ろから抱きしめるように耳打ちされ、ハッとした。
「辛いでしょうが、今はダメです。俺が騒ぎを起こして奴らの注意を引くから、混乱に乗じて伯爵を連れ出して下さい」
「……っ、お前はどうするんだ」
「俺の事は気にする必要はありせません。逃げ足だけは速いからどうにかします」
「そんな……!」
戸惑うレオンの背後から、ヴィクトルが振り返りもせず離れてゆく。
やがて彼の姿は人の間から広間の外に消え、レオンは一人揺れる灯火の下のさざめきに取り残された。
酒に酔い、音楽に合わせて踊り笑う貴族たちの間に揉まれるようにして、どうにかオスカーの姿を視界に捉え続ける。彼は時折話しかけて来る客に対して曖昧な笑みを浮かべ、まるで飾り物の人形のようにそこへ座っていた。
(カイン……俺に気付いてくれ、カイン――)
胸の動悸を抑えながら目立たぬ壁際へ少しずつ移動し、ヴィクトルの動きを待つ。
その内に、ギレスが大きな声を上げて招待客たちの注意を引き出した。
「さあさあ皆さまがた、こちらへ集まるがいい。今夜は目出度い話題がもう一つあるのだ。この平和となったエルカーズに相応しい、素晴らしい契りが、我が領地と北部との間に交わされようとしているのですぞ」
(……!)
貴族たちが騒めき、果物や酒がテーブルに盛られた大広間の中央に集まり始めた。
彼らの頭上には美しい黒ガラスの装飾がいくつも吊るされた、巨大な鉄製のシャンデリアが煌めいている。その楔の上に立つ無数の蝋燭に燃える炎が、期待に満ちた人々の表情を照らし出した。
ギレスはまるで王座のような背の高い椅子を立ち上がり、満足気にそんな観衆を見回している。
やがて彼は満を辞したように、ゆっくりと口を開いた。
「……来賓の皆様の前で発表しよう。ここにいる有能なる貴族オスカー・フォン・タールベルクは、我が娘マリーの女婿として――」
「この際もう何でもありでしょう。ほら、ちょうどいいカモが」
それだけ言うと、ヴィクトルが目の前に植えられたトネリコの木の上に素早く登った。
レオンは少し離れた繁みの影に身を隠し、息を潜めて様子を伺う。
しばらく待ち構えていると、羽根の付いた派手な帽子を被った夜会服の中年男とその侍従がこちらに近付いてくるのが見えた。
貴族の男はガサガサと茂みに入り込み、酔っ払った様子でトネリコの木の根元に向かって窮屈そうな半ズボンの合わせを開いている。
「あー、すっかり飲み過ぎた……ギレスの奴、料理をケチるもんだから、酒ばかり飲みすぎてしまうわい」
「男爵様あ、こんなりっぱなお屋敷のお庭にそんなことして怒られませんかねえ」
侍従の青年のぼやきが漏れる。
「何を言うか。クソ、手元が暗くてよく見えん。お前も手伝え」
苛立つような貴族の声に、木の上から低い声が応えた。
「――俺が手伝ってやろう」
「えっ」
ヴィクトルが頭上から飛び降り、酔っ払い貴族の身体を背中から押し倒して地面に顔を押し付ける。
「わっ」
突然現れた賊に慌てふためいた侍従の方は、レオンが茂みから飛び出して羽交い締めにした。
口を掌で塞ぎ、後頭部に当て身をして気絶させる。
ヴィクトルが素早く男を茂みに引き込みながらこちらを振り向いた。
「俺はこの肌の色では貴族様には見えません。総長がこの酔っ払いの衣装を着て下さい」
「分かった」
酒臭くて気が進まないが、仕方がない。
レオンは自分のチュニカと乗馬用の長ズボン、それに膝丈の長靴を脱ぎ捨て、男から脱がせた服に着替え始めた。
男の生白い足から脱がせた白いぴったりしたショースとキラキラした刺繍のついた細身のキュロットに、思わず手が止まる。
「こんなもの、着たことがないから恥ずかしいんだが……」
尻や脚の形がぴったりと出てしまうショースに戸惑っていると、隣で着替えているヴィクトルが毒づいた。
「総長、下半身丸出しで無駄にそそるのはやめて下さい」
「うっ? うん」
戸惑いながらショースに素早く脚を通して下着を紐で結びつけ、裾に飾りのついた半端な丈のズボンを引き上げる。
続いて絹をふんだんに使った紫色の上衣を羽織り、足に合わない革の優雅なハイヒールを履き、自分の剣とソードベルトを宝石のついた煌びやかなマントで隠した。
最後に羽根飾りのついた帽子を目深に被って後ろを向く。
「着方、間違っていないか見てくれな――」
瞬間、珍妙としか言い表せないものが視界に入ってしまい、思わず言葉が途切れた。
相棒の長身には余りに丈がみじかすぎる裾広がりの赤いチュニカ姿に、耐えきれずに大きく吹き出す。
「お前、道化師のようだぞ……っ」
笑われた相手は目元を赤くしながら不機嫌な顔になった。
「俺を笑い者にしている場合ですか。さあ、こいつらを縛りますよ。目をさましたら厄介だ」
咳ばらいをしてどうにか真面目な顔に戻り、レオンは頷いた。
ヴィクトルの持っていた馬を繋ぐためのロープで、気絶している二人を木に縛り付ける。
続いてさりげない様子を装って二人で茂みを出、なるべく人々の寄り集まっている場所を避けつつ、庭先の露台から館の中へと入り込んだ。
会場となっている大広間は、すべての壁が館の主人の秘蔵と思われる豪奢なタペストリーで覆われ、その下では招かれた一流の楽師達がダンスの為の甘い調べを奏でている。
レオンとヴィクトルは注意深く顔を隠しながら、夜の宴を謳歌する人々の熱気の最中に分け入った。
貴婦人たちの大きく裾の広がったドレスの裾を踏みそうになりつつ、宴の中心へ徐々に近付いてゆく。
次第に楽器の調べの音量が高まり、ギレスの高笑いが奥から聞こえ始めた。
やっと大広間の最奥が見える位置まで移動して、、広い帽子のつばの下から主催の長テーブルを密かに覗く。
一瞬、心臓が止まるような気がした。
この旅の間、ずっとその名を胸で繰り返していた相手。
上機嫌で挨拶に来た貴族達と杯を交わしているギレスの隣にいる、目の覚めるような美しい青年は、確かにレオンの恋人だった。
――肩から煌びやかな飾り布を垂らした白の夜会服を着、金髪の一部が宝石のついた髪飾りで結われた、その絵画のように美しい佇まいに息が止まる。
(カイン……っ)
無事な姿を目にして胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。
つい足が自然とそちらに向かいかけ、ヴィクトルに肘を掴まれて止められる。
「いけません」
後ろから抱きしめるように耳打ちされ、ハッとした。
「辛いでしょうが、今はダメです。俺が騒ぎを起こして奴らの注意を引くから、混乱に乗じて伯爵を連れ出して下さい」
「……っ、お前はどうするんだ」
「俺の事は気にする必要はありせません。逃げ足だけは速いからどうにかします」
「そんな……!」
戸惑うレオンの背後から、ヴィクトルが振り返りもせず離れてゆく。
やがて彼の姿は人の間から広間の外に消え、レオンは一人揺れる灯火の下のさざめきに取り残された。
酒に酔い、音楽に合わせて踊り笑う貴族たちの間に揉まれるようにして、どうにかオスカーの姿を視界に捉え続ける。彼は時折話しかけて来る客に対して曖昧な笑みを浮かべ、まるで飾り物の人形のようにそこへ座っていた。
(カイン……俺に気付いてくれ、カイン――)
胸の動悸を抑えながら目立たぬ壁際へ少しずつ移動し、ヴィクトルの動きを待つ。
その内に、ギレスが大きな声を上げて招待客たちの注意を引き出した。
「さあさあ皆さまがた、こちらへ集まるがいい。今夜は目出度い話題がもう一つあるのだ。この平和となったエルカーズに相応しい、素晴らしい契りが、我が領地と北部との間に交わされようとしているのですぞ」
(……!)
貴族たちが騒めき、果物や酒がテーブルに盛られた大広間の中央に集まり始めた。
彼らの頭上には美しい黒ガラスの装飾がいくつも吊るされた、巨大な鉄製のシャンデリアが煌めいている。その楔の上に立つ無数の蝋燭に燃える炎が、期待に満ちた人々の表情を照らし出した。
ギレスはまるで王座のような背の高い椅子を立ち上がり、満足気にそんな観衆を見回している。
やがて彼は満を辞したように、ゆっくりと口を開いた。
「……来賓の皆様の前で発表しよう。ここにいる有能なる貴族オスカー・フォン・タールベルクは、我が娘マリーの女婿として――」
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