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【続編・神々の祭日】囚われの貴公子
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信じて貰えるかどうか自信がないまま、レオンはヴィクトルの顔を見た。
呆然とはしているが、疑ったり嘲笑するような様子は見えない。
「……アビゴール・カイン……あんたが呼んでたのは神の名前だったのか……」
その言葉に深く頷く。
ヴィクトルが大きく溜息をつき、姿勢を崩す。
「あんた、嘘が吐けるような性格じゃねえし、気が狂ってるっていう訳でもなさそうだ。そんでもって、あの神殿の奴の慌てっぷりからすると、まあ、本当なんだろうな……」
ウェーブのかかった艶やかな黒髪に指を差し込み、彼は額を抑えた。
「しかも、俺達を魔物の姿から戻した張本人って……正直な所、伯爵様なんかはさっさと逃して結婚させて、俺は傷心のアンタを抱いて丸め込んじまおうと思っていたのに、そんな訳にもいかねえじゃねえか」
その言葉にレオンはギョッとして顔を上げた。
「お前っ、そんな事を考えていたのかっ?」
「あんたが愛しいって言ったろが」
カーッと頬が熱くなり、何も言えなくなった。
好意をあからさまにされるとどう反応を返していいのか分からない。
「無理だ……そんなことしようとしたら多分お前がカインに殺される」
「殺されるって。あんた、どんだけ神様から愛されてんだよ」
呆れるように言われた言葉をそのまま受け取り、レオンは首を傾げた。
「恋人になったのは最近だが、百年とすこし前からずっとだ」
「なんだそりゃ。……あんた不老不死なのか?」
「今は違う……少し前までそうだった」
「……はーん、読めたぜ。あんた自身が神に愛され、神の助力を得た人間だったわけだ。で、駆け落ちだか何だか知らんが、――二人揃って不死を捨てた?」
黙って頷きながらも、相手の洞察力に舌を巻く。
ヴィクトルは自嘲するように乾いた笑みを漏らし、俯いた。
「――俺は異国の神さえ狂わせる魔性の男に惚れたって事か」
「っ……」
そう言われるのはとても心外だったが、確かにエルカーズ人からして見れば、神を堕落させ永遠の命を失わせた男だと思われても仕方がない。
何も言い返せないでいると、ヴィクトルがレオンの顔を覗き込みながら訊いてきた。
「――知ってるか? あんた一部の神殿兵からもケツ狙われてんだぜ」
「うっ……!? そ、そんな話は知らない……」
「だろうな。妙な気起こしそうなヤツは俺が殴ってるし、あんたはすげえ呑気だし。俺もそうだが、元魔物の奴らは後遺症で未だに理性が弱い――そのせいだと思ってたが、まあ、そんな事も結局、さもありなん、っていう話だった訳で」
敷いた毛布の上にごろりと横になり、ヴィクトルが盛大な溜息をつく。
「あーあ……あんたのことを俺だけの天使だと思ったのに……逆にとんだ悪魔に惚れちまった……」
目尻の上がった彫りの深い瞼が閉じられ、それ以上彼は何も話さなくなった。
レオンもまた隣で横になったが、相手に対する深い罪悪感を感じて胸が苦しかった。
よく考えれば彼だって、あのカインの関わりが無ければ自分などに好意を持つことも無かったのかもしれない。
心を操るようなことをしてしまったようで酷く申し訳なくなり、小さく呟いた。
「ごめん……ヴィクトル……」
「一体何に謝ってんだあんたは……。あんたが神の愛人でも悪魔でも、惚れちまったもんは仕方ねえだろ……」
ヴィクトルの濃い睫毛が上がり、琥珀色の瞳がちらりと横目でこちらを見て、すぐに閉じる。
レオンはその後も長い間、眠ることが出来なかった。
翌朝、再び馬を走らせていくと、川と街道が次第に近づき、空気に湿気が濃くなり始めた。
深い谷が近づき、草原ばかりだった景色に次第に木々が増えてゆく。
二人は地図に従い道を外れ、林になっている樹木の間をくぐるように川沿いを降りた。
そこには水の落ちる谷があり、眼下に鏡のように光る広大なモント湖と、その周囲の貴族たちの優雅な別宅が点々と見える。
レオンは太い木に馬の手綱をくくって隠し、そろそろと湖側に斜面を降り始めた。
「しっかし、どこにギレスが居んのか全く分かんないですけど……どうするんです」
後ろを付いて来る声がぼやく。
「――奴の連れてる傭兵なら大体顔を覚えてる。近くの宿屋か酒場を探す」
「その必要がありますかね? ほらあそこ、全くお貴族様には見えない奴が歩いてますよ」
斜面の木立の間をヴィクトルが指差した。
そちらに視線を合わせると、確かに見覚えのある赤毛の大男が、大きな魚を背負って湖のほとりを歩いて来る。
「傭兵頭のゲーロだ……!」
自分を縛った男なので、見間違う筈がない。
「あとをつけよう」
レオンが目配せすると、ヴィクトルは首を振った。
「総長、あいつにツラが割れてるんでしょう? 俺がつけてって、ついでに伯爵様がいそうな場所まで目星を付けてきます」
「えっ……しかし」
レオンは戸惑い、考え込んだ。
何しろ相手は昨日まで自分の邪魔をしようとしていた男だ。
信用して良いものか今一判断しかねる。
ヴィクトルにもそんなレオンの葛藤が伝わってしまったのか、呆れたような顔をされた。
「流石の俺だって、恩人の神様をギレスに売るようなことはしませんよ」
そう言った彼にどこかホッとして、大きく頷いた。
「それなら頼む」
「ええ。総長はこの林の中に隠れていて下さい」
頼もしい部下の背中がマントを翻して去っていく。その後ろ姿を見送りながら、レオンはふと気付いた。
(今日はちゃんと敬語を使っている……)
自分で散々言葉遣いを注意しておきながら、いざとなると少し寂しさを感じてしまう。
彼が二人きりの時に気のおけない話し方をしてくれる事を、いけないと思いながらもどこかで嬉しく思っていた事に気付いた。
(ダメだな、俺は)
自分の頬を平手で叩き、木立に身を寄せて屈む。
部下の身を案じながら、レオンは木の根元で膝を抱えて彼の帰りを待った。
暇にあかして眼下の湖面とその周辺を眺める。
長いこと同じ場所を見ていると、様々な豪華な馬車が、頻繁に湖の周辺を行き来していることに気付いた。
(おかしい……まだ避暑には早い時期なのに、妙に貴族が多く往来しているな)
不思議に思っているうちに、頭上では少しずつ日が落ち始めた。
湖から吹く冷たい風が頬をなぶり始める。
やがてあたりは完全に橙色の夕焼けに染まり、レオンの胸に少しずつ暗雲のような不安が湧いた。
(ヴィクトル……あいつまさか、捕まってしまったなんてことはないよな?)
このまま座して待っていて良いものか焦燥に駆られるが、下手に動く事も出来ない。
だが太陽はあっという間に湖の奥の山に落ちて、すぐにあたりは真っ暗になった。
(限界だ……闇に紛れて降りるか)
レオンが草深い斜面を慎重に長靴の踵で踏みしめ、立ち上がった時だった。
「動くな」
背後から突然誰かに羽交い締めにされ、首筋に冷たく硬いものを当てられた。
「!」
呆然とはしているが、疑ったり嘲笑するような様子は見えない。
「……アビゴール・カイン……あんたが呼んでたのは神の名前だったのか……」
その言葉に深く頷く。
ヴィクトルが大きく溜息をつき、姿勢を崩す。
「あんた、嘘が吐けるような性格じゃねえし、気が狂ってるっていう訳でもなさそうだ。そんでもって、あの神殿の奴の慌てっぷりからすると、まあ、本当なんだろうな……」
ウェーブのかかった艶やかな黒髪に指を差し込み、彼は額を抑えた。
「しかも、俺達を魔物の姿から戻した張本人って……正直な所、伯爵様なんかはさっさと逃して結婚させて、俺は傷心のアンタを抱いて丸め込んじまおうと思っていたのに、そんな訳にもいかねえじゃねえか」
その言葉にレオンはギョッとして顔を上げた。
「お前っ、そんな事を考えていたのかっ?」
「あんたが愛しいって言ったろが」
カーッと頬が熱くなり、何も言えなくなった。
好意をあからさまにされるとどう反応を返していいのか分からない。
「無理だ……そんなことしようとしたら多分お前がカインに殺される」
「殺されるって。あんた、どんだけ神様から愛されてんだよ」
呆れるように言われた言葉をそのまま受け取り、レオンは首を傾げた。
「恋人になったのは最近だが、百年とすこし前からずっとだ」
「なんだそりゃ。……あんた不老不死なのか?」
「今は違う……少し前までそうだった」
「……はーん、読めたぜ。あんた自身が神に愛され、神の助力を得た人間だったわけだ。で、駆け落ちだか何だか知らんが、――二人揃って不死を捨てた?」
黙って頷きながらも、相手の洞察力に舌を巻く。
ヴィクトルは自嘲するように乾いた笑みを漏らし、俯いた。
「――俺は異国の神さえ狂わせる魔性の男に惚れたって事か」
「っ……」
そう言われるのはとても心外だったが、確かにエルカーズ人からして見れば、神を堕落させ永遠の命を失わせた男だと思われても仕方がない。
何も言い返せないでいると、ヴィクトルがレオンの顔を覗き込みながら訊いてきた。
「――知ってるか? あんた一部の神殿兵からもケツ狙われてんだぜ」
「うっ……!? そ、そんな話は知らない……」
「だろうな。妙な気起こしそうなヤツは俺が殴ってるし、あんたはすげえ呑気だし。俺もそうだが、元魔物の奴らは後遺症で未だに理性が弱い――そのせいだと思ってたが、まあ、そんな事も結局、さもありなん、っていう話だった訳で」
敷いた毛布の上にごろりと横になり、ヴィクトルが盛大な溜息をつく。
「あーあ……あんたのことを俺だけの天使だと思ったのに……逆にとんだ悪魔に惚れちまった……」
目尻の上がった彫りの深い瞼が閉じられ、それ以上彼は何も話さなくなった。
レオンもまた隣で横になったが、相手に対する深い罪悪感を感じて胸が苦しかった。
よく考えれば彼だって、あのカインの関わりが無ければ自分などに好意を持つことも無かったのかもしれない。
心を操るようなことをしてしまったようで酷く申し訳なくなり、小さく呟いた。
「ごめん……ヴィクトル……」
「一体何に謝ってんだあんたは……。あんたが神の愛人でも悪魔でも、惚れちまったもんは仕方ねえだろ……」
ヴィクトルの濃い睫毛が上がり、琥珀色の瞳がちらりと横目でこちらを見て、すぐに閉じる。
レオンはその後も長い間、眠ることが出来なかった。
翌朝、再び馬を走らせていくと、川と街道が次第に近づき、空気に湿気が濃くなり始めた。
深い谷が近づき、草原ばかりだった景色に次第に木々が増えてゆく。
二人は地図に従い道を外れ、林になっている樹木の間をくぐるように川沿いを降りた。
そこには水の落ちる谷があり、眼下に鏡のように光る広大なモント湖と、その周囲の貴族たちの優雅な別宅が点々と見える。
レオンは太い木に馬の手綱をくくって隠し、そろそろと湖側に斜面を降り始めた。
「しっかし、どこにギレスが居んのか全く分かんないですけど……どうするんです」
後ろを付いて来る声がぼやく。
「――奴の連れてる傭兵なら大体顔を覚えてる。近くの宿屋か酒場を探す」
「その必要がありますかね? ほらあそこ、全くお貴族様には見えない奴が歩いてますよ」
斜面の木立の間をヴィクトルが指差した。
そちらに視線を合わせると、確かに見覚えのある赤毛の大男が、大きな魚を背負って湖のほとりを歩いて来る。
「傭兵頭のゲーロだ……!」
自分を縛った男なので、見間違う筈がない。
「あとをつけよう」
レオンが目配せすると、ヴィクトルは首を振った。
「総長、あいつにツラが割れてるんでしょう? 俺がつけてって、ついでに伯爵様がいそうな場所まで目星を付けてきます」
「えっ……しかし」
レオンは戸惑い、考え込んだ。
何しろ相手は昨日まで自分の邪魔をしようとしていた男だ。
信用して良いものか今一判断しかねる。
ヴィクトルにもそんなレオンの葛藤が伝わってしまったのか、呆れたような顔をされた。
「流石の俺だって、恩人の神様をギレスに売るようなことはしませんよ」
そう言った彼にどこかホッとして、大きく頷いた。
「それなら頼む」
「ええ。総長はこの林の中に隠れていて下さい」
頼もしい部下の背中がマントを翻して去っていく。その後ろ姿を見送りながら、レオンはふと気付いた。
(今日はちゃんと敬語を使っている……)
自分で散々言葉遣いを注意しておきながら、いざとなると少し寂しさを感じてしまう。
彼が二人きりの時に気のおけない話し方をしてくれる事を、いけないと思いながらもどこかで嬉しく思っていた事に気付いた。
(ダメだな、俺は)
自分の頬を平手で叩き、木立に身を寄せて屈む。
部下の身を案じながら、レオンは木の根元で膝を抱えて彼の帰りを待った。
暇にあかして眼下の湖面とその周辺を眺める。
長いこと同じ場所を見ていると、様々な豪華な馬車が、頻繁に湖の周辺を行き来していることに気付いた。
(おかしい……まだ避暑には早い時期なのに、妙に貴族が多く往来しているな)
不思議に思っているうちに、頭上では少しずつ日が落ち始めた。
湖から吹く冷たい風が頬をなぶり始める。
やがてあたりは完全に橙色の夕焼けに染まり、レオンの胸に少しずつ暗雲のような不安が湧いた。
(ヴィクトル……あいつまさか、捕まってしまったなんてことはないよな?)
このまま座して待っていて良いものか焦燥に駆られるが、下手に動く事も出来ない。
だが太陽はあっという間に湖の奥の山に落ちて、すぐにあたりは真っ暗になった。
(限界だ……闇に紛れて降りるか)
レオンが草深い斜面を慎重に長靴の踵で踏みしめ、立ち上がった時だった。
「動くな」
背後から突然誰かに羽交い締めにされ、首筋に冷たく硬いものを当てられた。
「!」
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