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【続編・神々の祭日】騎士の目覚め
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レオンの朝は大抵、二人用の大きな木桶風呂に溜める大量の湯を準備することから始まる。
人間がすっぽり入れるような大鍋で川の水を汲みに行き、地下の炊事場の竃の火でそれを沸かすのだ。
男二人でも持てるか持てないかという重さの大鍋を、分厚いミトンをはめた両手で持ち上げ、レオンは一人で軽々と運んでゆく。
今住んでいるこの屋敷は、二人暮らしには随分広く、木の板を組んで作られた素朴な風呂は、床を濡らしても大丈夫なよう、二階の大理石のタイルの敷いてある部屋に置いてある。
立派な石竈のある厨房からその部屋までは、螺旋階段を上っていかねばならなかった。
湯気を上げる鍋を持って地下から二階へと上がるうちに、首筋が見える程短く刈った艶のある黒髪が汗ばみ、白い肌が上気して微かなピンク色になっていく。
だが「風呂に入る」という目的の為には、そんな労は問題にならない。
階段を上り切り、廊下を横切り、体を使って風呂場の扉を押し開け、注意深く大量の湯を大きな木桶に流し込んでいく。
「……お前、早朝からまたそれかよ」
半ば呆れたような、艶のある声が同じ部屋に上がった。
気付けば左隣の寝室と繋がる扉が開いていて、そこに全裸の異形の男が立っている。
美しい絹糸のような銀髪を腰まで垂らし、頭には山羊のような巻角。肌の色はどこもかしこも人間味のない青白さだが、その肉体は彫刻のように鍛え上げられた筋肉で覆われている。
彼の容貌は美女と見紛うような妖艶な美しさで、男らしい肉体とのアンバランスさが際立つが、それよりも奇妙なのは、彼の腰部から垂れている白い尾だ。
同居人のそんな姿に驚きもせず、レオンは当然のように言い返した。
「――だって、念願の風呂をやっと手に入れたんだぞ。毎日入りたいじゃないか」
つい最近まで荒廃していたこのエルカーズという国では、自前の風呂を持つ家庭はまだ珍しい。
この地方では比較的栄えているこのフレイの町でも、風呂といえば、宿屋兼居酒屋や、雑貨屋の主人が時々臨時で開業する風呂屋を利用するか、あとは町の両側に走っている冷たい川の水で我慢するかの二択がもっぱらだ。
そんな中、レオンはついこの間、自分で木を切り出してこの素朴な風呂を作り、湯さえ沸かせばいつでも風呂に入る自由を手に入れたのだった。
「でもすげぇ手間だろ。男の癖にやけに綺麗好きだとは思ってたけどお前、そこまで風呂が好きだったのかよ……」
美貌の男がペタペタと素足で風呂に近付いて来る。その白い尾が湯加減を確かめるように一瞬木桶の中の湯に触れ、すぐに飛び出した。
「あちぃ!!」
「カイン!! 大丈夫か!?」
カラになった大鍋を持ちあげ、レオンはまだ寝ぼけているらしい相手に注意を促した。
「水で薄めてないんだから、当たり前だろう……! 触らない方がいい」
「うるせぇな、うっかり入っちまったんだよ……」
ふてくされたようにルビー色の瞳が睨みつけてくる。
「神を名乗る割には、時々結構なドジを踏むんだな……待っててくれ、今水を取ってくるから」
レオンはクスクス笑い、鍋を持ったまま踵を返した。
階段を下りながら、さっきの同居人の言動を思い出して唇に笑みが浮かぶ。
異形の男は、真の名を『騎士の神』アビゴール・カインと言い、少し前からレオンと共に暮らしている、同性の恋人だった。
二人は世間的には、エルカーズ国の名門貴族オスカー・フォン・タールベルクと、その傍仕えとして働く唯一の騎士、という事になっている。
本物の貴族オスカーは既に死亡しており、二人は誰も住むもののいないこのタールベルク家の先祖代々の屋敷に住み着いた。
町の人々に慕われている青年貴族オスカーの正体が実はこの国の古い神の一人であることも、二人の関係も、ごく一部の人間を除いて知るものはいない。
カインは昼の間は「オスカー」としての人間の姿を取っていて、真の姿を現すのは、夜と、この早朝のひと時だけだ。
(今日は、まだカインのままなんだな……)
先ほど見た恋人の姿を思い浮かべながら、レオンは厨房で最後の一杯の水を樽から大鍋に移し替え、階段を上り始めた。
二階にたどり着いて風呂場の扉を開けると、木桶風呂の向こう側の縁に座ったカインが両腕で長く美しい髪を持ち上げ、細い革ひもでそれを一本にくくっている。
こちらに背を向け、慣れた仕草で髪を結うその優美な姿に目を奪われ、一瞬足が止まった。
今が、窓から明るい日光が入っている時に彼を見ることが出来る唯一の時間だ。
その逞しい背中に自分の立てた爪の痕が艶めかしく残っている事に気付き、顔が熱くなる。
自分の胸を見下ろすと、だらしなく開いたリンネルのシャツの間に、無数の口づけの痕が残っていた。
毎晩のように愛し合っているせいか、どれがいつ付いたものなのかもよく思い出せない。
(しまった……早朝、川に水を汲みにいった時、この格好で出てしまった……)
今更後悔しながら、黙って水を少しずつ木桶風呂に流し込んでいく。
丁度いい湯加減になる頃を見計らい、傍に立てかけてあった木板で湯を揉むようにかき混ぜた。
まだ背を向けて待っているカインの後ろでシャツを脱ぎ落し、床に乗馬用のズボンを脱ぎ捨てる。
中に下着は着ていない。昨日ベッドの傍に脱ぎ捨てたままだった。
どうせ脱ぐからと、それよりも先に風呂の支度を優先させた事を思い出した。
「レオン……もしかしてお前、そのいい加減な格好で裏の川まで出て水を汲んだのか……」
カインの背中から上がる声がとげとげしい。
こちらを見ていないのに、自分が下着を付けていなかったことまでお見通しのようだ。
「誰にも会ってないぞ」
言い訳するように言った途端、相手の白い尾がしゅっと目の前でしなり、木桶風呂の枠を掴んでいた左手首に巻き付いてきた。
「そういう問題か……!」
怒りに満ちた表情で恋人が振り返る。
レオンは肩を竦め、詰問を無視した。
楕円形の木桶の端を跨ぎ、温かい湯の中にさっさと体を滑り込ませる。
――こんな所で痴話げんかをしていたら、せっかく温めた湯が台無しだ。
「ああ、いい湯加減だ。お前も早く入れ、冷める」
浴槽の片側に背をつけて寄りかかり、手首に纏わりつく尾を指で掴み直すようにして引く。
人間がすっぽり入れるような大鍋で川の水を汲みに行き、地下の炊事場の竃の火でそれを沸かすのだ。
男二人でも持てるか持てないかという重さの大鍋を、分厚いミトンをはめた両手で持ち上げ、レオンは一人で軽々と運んでゆく。
今住んでいるこの屋敷は、二人暮らしには随分広く、木の板を組んで作られた素朴な風呂は、床を濡らしても大丈夫なよう、二階の大理石のタイルの敷いてある部屋に置いてある。
立派な石竈のある厨房からその部屋までは、螺旋階段を上っていかねばならなかった。
湯気を上げる鍋を持って地下から二階へと上がるうちに、首筋が見える程短く刈った艶のある黒髪が汗ばみ、白い肌が上気して微かなピンク色になっていく。
だが「風呂に入る」という目的の為には、そんな労は問題にならない。
階段を上り切り、廊下を横切り、体を使って風呂場の扉を押し開け、注意深く大量の湯を大きな木桶に流し込んでいく。
「……お前、早朝からまたそれかよ」
半ば呆れたような、艶のある声が同じ部屋に上がった。
気付けば左隣の寝室と繋がる扉が開いていて、そこに全裸の異形の男が立っている。
美しい絹糸のような銀髪を腰まで垂らし、頭には山羊のような巻角。肌の色はどこもかしこも人間味のない青白さだが、その肉体は彫刻のように鍛え上げられた筋肉で覆われている。
彼の容貌は美女と見紛うような妖艶な美しさで、男らしい肉体とのアンバランスさが際立つが、それよりも奇妙なのは、彼の腰部から垂れている白い尾だ。
同居人のそんな姿に驚きもせず、レオンは当然のように言い返した。
「――だって、念願の風呂をやっと手に入れたんだぞ。毎日入りたいじゃないか」
つい最近まで荒廃していたこのエルカーズという国では、自前の風呂を持つ家庭はまだ珍しい。
この地方では比較的栄えているこのフレイの町でも、風呂といえば、宿屋兼居酒屋や、雑貨屋の主人が時々臨時で開業する風呂屋を利用するか、あとは町の両側に走っている冷たい川の水で我慢するかの二択がもっぱらだ。
そんな中、レオンはついこの間、自分で木を切り出してこの素朴な風呂を作り、湯さえ沸かせばいつでも風呂に入る自由を手に入れたのだった。
「でもすげぇ手間だろ。男の癖にやけに綺麗好きだとは思ってたけどお前、そこまで風呂が好きだったのかよ……」
美貌の男がペタペタと素足で風呂に近付いて来る。その白い尾が湯加減を確かめるように一瞬木桶の中の湯に触れ、すぐに飛び出した。
「あちぃ!!」
「カイン!! 大丈夫か!?」
カラになった大鍋を持ちあげ、レオンはまだ寝ぼけているらしい相手に注意を促した。
「水で薄めてないんだから、当たり前だろう……! 触らない方がいい」
「うるせぇな、うっかり入っちまったんだよ……」
ふてくされたようにルビー色の瞳が睨みつけてくる。
「神を名乗る割には、時々結構なドジを踏むんだな……待っててくれ、今水を取ってくるから」
レオンはクスクス笑い、鍋を持ったまま踵を返した。
階段を下りながら、さっきの同居人の言動を思い出して唇に笑みが浮かぶ。
異形の男は、真の名を『騎士の神』アビゴール・カインと言い、少し前からレオンと共に暮らしている、同性の恋人だった。
二人は世間的には、エルカーズ国の名門貴族オスカー・フォン・タールベルクと、その傍仕えとして働く唯一の騎士、という事になっている。
本物の貴族オスカーは既に死亡しており、二人は誰も住むもののいないこのタールベルク家の先祖代々の屋敷に住み着いた。
町の人々に慕われている青年貴族オスカーの正体が実はこの国の古い神の一人であることも、二人の関係も、ごく一部の人間を除いて知るものはいない。
カインは昼の間は「オスカー」としての人間の姿を取っていて、真の姿を現すのは、夜と、この早朝のひと時だけだ。
(今日は、まだカインのままなんだな……)
先ほど見た恋人の姿を思い浮かべながら、レオンは厨房で最後の一杯の水を樽から大鍋に移し替え、階段を上り始めた。
二階にたどり着いて風呂場の扉を開けると、木桶風呂の向こう側の縁に座ったカインが両腕で長く美しい髪を持ち上げ、細い革ひもでそれを一本にくくっている。
こちらに背を向け、慣れた仕草で髪を結うその優美な姿に目を奪われ、一瞬足が止まった。
今が、窓から明るい日光が入っている時に彼を見ることが出来る唯一の時間だ。
その逞しい背中に自分の立てた爪の痕が艶めかしく残っている事に気付き、顔が熱くなる。
自分の胸を見下ろすと、だらしなく開いたリンネルのシャツの間に、無数の口づけの痕が残っていた。
毎晩のように愛し合っているせいか、どれがいつ付いたものなのかもよく思い出せない。
(しまった……早朝、川に水を汲みにいった時、この格好で出てしまった……)
今更後悔しながら、黙って水を少しずつ木桶風呂に流し込んでいく。
丁度いい湯加減になる頃を見計らい、傍に立てかけてあった木板で湯を揉むようにかき混ぜた。
まだ背を向けて待っているカインの後ろでシャツを脱ぎ落し、床に乗馬用のズボンを脱ぎ捨てる。
中に下着は着ていない。昨日ベッドの傍に脱ぎ捨てたままだった。
どうせ脱ぐからと、それよりも先に風呂の支度を優先させた事を思い出した。
「レオン……もしかしてお前、そのいい加減な格好で裏の川まで出て水を汲んだのか……」
カインの背中から上がる声がとげとげしい。
こちらを見ていないのに、自分が下着を付けていなかったことまでお見通しのようだ。
「誰にも会ってないぞ」
言い訳するように言った途端、相手の白い尾がしゅっと目の前でしなり、木桶風呂の枠を掴んでいた左手首に巻き付いてきた。
「そういう問題か……!」
怒りに満ちた表情で恋人が振り返る。
レオンは肩を竦め、詰問を無視した。
楕円形の木桶の端を跨ぎ、温かい湯の中にさっさと体を滑り込ませる。
――こんな所で痴話げんかをしていたら、せっかく温めた湯が台無しだ。
「ああ、いい湯加減だ。お前も早く入れ、冷める」
浴槽の片側に背をつけて寄りかかり、手首に纏わりつく尾を指で掴み直すようにして引く。
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