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神と騎士

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「どの辺だったか、思い出してくれ……っ、早く、早くしないと」
 必死に促すと、異形の神官は億劫そうに壁に向かい、祭壇のある側とは反対の壁に向かった。
「確カコノ辺ダッタカ……少シ掘レバ穴ガ開クハズダ……」
「分かった、そこをどいていてくれっ」
 レオンは佩いていた剣を鞘ごと腰ベルトから外し、石と土とを塗り固めたように見える壁に向かって突き立てた。
 鼓膜に不快なほどの高く激しい金属音が上がり、鞘の先の方が半分ほど壁に深くめりこむ。
「見タ目にヨラズ恐ロシイチカラダナ……」
 感心したように自分を見ている怪人を尻目に、レオンは壁を崩すようにメリメリと剣を上下左右に回した。
 剣を鞘ごと刺したことで出来たその穴から、ボロボロと壁が崩れ落ち、わずかに向こう側に通る隙間が見え始める。
「ココデアッテイルヨウダゾ……」
 神官が黄色い目を細める。
 レオンは頷き、もう一度剣をそこへ突き刺そうと振り下ろす。
 だがその時、手がヌルリと何かに滑り、剣の柄から指が離れてしまった。
「……!?」
 何か濡れたもので手が汚れていて、うまく物が握れなくなっていたらしい。
 レオンは天井からの光にそれをあて、目を凝らしてぬめりを見た。
 赤い液体が手にこびり付いている。
 ――血だ。
(そういえば、さっき床を思い切り拳で叩いた時、皮膚が破れたな……)
 指を開き、マントの端で手の平の皺に溜まった血を乱暴に拭いた。
 痛みがじんと脳に伝わり、ぬぐい去ってもまだ、新しい血が傷口にじわりと湧いてくる。
「……?」
 そしてようやく気付いた。
 怪我をしてから既に時間が経っているのに、まだ傷が塞がらず、血が止まっていない――という事実に。
(どういうことだ……!?)
 両手を天井に向けて開いたまま、レオンは愕然として膝を落とした。
 傷が治らない――。
「騎士ヨ……ドウシタノダ?」
 神官が物憂げにこちらの顔を覗き込んで来る。
「……まさ、か……。……カインの守りが……はずれている……!?」
 心当たりは一つしかない。
 ……『心から好きになった人間が同じくらい自分のことを好きになり』……。
 昨日の相手が、本当は幻では無かったのだとしたら。
 カインの言葉も、抱かれる最中に彼の囁いた言葉も、翌朝のオスカーの言葉も、全てが真実だったのだとしたら。
『――お前を 抱いているのは 私 だ …… 』 
 オスカーと出会ってからずっと感じていた、心の混乱の理由。
 カインにもオスカーにも同じ感情を抱き、引き裂かれるような思いをしたのも、それが実は一人の相手を起点にしていたのだとしたら、納得がいく。
 レオンは両手の平をギュッと握りしめ、そして大きな穴の開いた天井に向かって叫んだ。
「――カイン……!!」



 丁度その頃、蜜色の髪の貴公子は雨に濡れたマントを脱ぎ捨て、人の気配のない石造りの王城の中を一人歩いていた。
 廃墟と成り果てた城は、かつて大陸一の繁栄を誇った国の王の居城とは思えない。
 貴族たちの出入りの絶えなかった玄関ホールは、今はシャンデリアが床に落ち、ネズミだけが行き交う廃墟と成り果てている。
 高価なガラスのはめられた廊下の窓も魔物に全て割られたのか、粉々になって床に散らばっている。
 長靴の裏がそれが踏みしめる度、細かく砕けるような音が上がった。
 窓から吹き込む風が黄金の髪を揺らし、低く沈みかけた太陽が彼の横顔を照らした。
 紅蓮の炎のように強い覚悟が、その緑の瞳に宿っている。
 置いてきてしまった恋人への心残りを纏いながらも、彼の脚は迷いなく目的の場所へと向かっていた。
 美しい神々のレリーフに飾られた幾枚もの扉の奥にある、玉座の間――。
 今やだれ一人として守る兵もない、亡霊の如き王の執着が渦巻くその場所へ。
 オスカーが固く閉じられた最後の扉の前に立つ。
 扉は一人でに中に向かってバンと開き、天井の高い場所から僅かに夕日が漏れる、壮麗な玉座の間が目の前に広がった。
 ――謁見の者たちが並ぶ為に奥まっている広間のその先には、病み、老いて衰えた、一人の老人――顔色の悪いやせ細った骸骨のような王が、宝石の埋め込まれた金の玉座に埋もれるようにして座している。
 その背後には、王の若い頃の巨大な肖像画が飾られていた。エルカーズの黄金時代と言われた頃の、力強い王の戴冠の姿が描かれた絵だ。
 夕闇に沈みかけた広間にゆっくりと足先を踏み入れていくと、ミイラのように萎びた男が微動だにしないまま、目玉だけをぎょろりと動かしてこちらを睨んでくる。
「人間よ……。何故このような場所にやってきた……私の意識が……この男を抑えていられるのは……日が落ちるまでの、……あとわずかな時間だけだぞ……」
 苦しそうな呼吸音に混じり、しわがれた声で王が呻く。
「……人間の欲望ですっかり魔に染まってしまったかと思っていたが……取り込まれながら、まだ神としての意識があったのか……」
 オスカーは驚きを込めて相手を見つめ、そしてふっと懐かし気な笑みを浮かべた。
 玉座の中の老人は逆に顔をしかめ、訝し気に萎びた唇を震わせる。
「人間よ、私を知っているのか……夜が来れば、……この男に食われた……私や……息子たちの力が……お前、を、襲う……魔物に変わりたくなければ……早く」
 老人が必死の形相で目を剥き、玉座のひじ掛けを握りしめて立ち上がろうとする。
 だが、足がきいていないのか、やはりその体は玉座から離れることが出来なかった。
 貴公子の喉から、その顔に似合わぬ酷薄な笑い声が、クックッと音を立てて漏れ始める。
 そして彼は、初めて王に呼びかけるように朗々と言葉を放った。
「父上、もうその狭い牢獄で王の汚れた意識と戦う必要はない」
 途端に王の息遣いが荒くなった。
 玉座から哀れな身体をずり落としそうになりながら、落ち窪んだその瞳が輝く。
「お前は……ああ、お前は……アビゴール……何ということだ……たった一人逃げ、延びた……我が、末の息子……よ……!」
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